弁護士や社労士に雇用・労務問題を無料で相談できる時代 ‐ その背景にある、国と弁護士業界の狙いとは?
◆取材:加藤俊 /文:小林英隆
「弁護士というと、ちょっとした相談でも高い費用を請求してくるのでは…?」。世間ではこのようなイメージを持っている方が多いだろう。しかし、グローバル企業・ベンチャー企業を対象に雇用・労務管理の相談や雇用契約書・就業規則の作成に無料で対応する弁護士・社労士が存在することをご存知だろうか?
東京圏雇用労働相談センター(以下TECC)は、本来ならば報酬が発生するような事案に対して無償対応を行っている。その目的は何なのか?
■東京圏の特区に進出する企業を支援することで経済発展を促す
TECCは、厚労省と内閣府の事業で、東京圏国家戦略特区に企業を誘致するインフラ政策の一環として位置づけられる支援センターだ。いわば、「特区に進出すれば、弁護士・社労士への相談が無償で行えますよ」という、わかりやすくぶら下げられたニンジンなのだが、そのため、相談できるのは、※特区に所在、もしくは進出を計画中の企業とその労働者に限られている。しかも、海外企業か設立5年以内のベンチャー企業という条件もついている。
それでも、起業して間もないベンチャー企業にとっては、弁護士のタイムチャージを支払う資金力に乏しいことが多いであろうから、有益なサービスと言える。日本進出を考えるが、日本の法体系への理解に乏しい海外企業にとっても、同じことが言えるだろう。
■更なる成長のために求められる課題
ただ、直近では「周知不足」に直面している。東京圏の利用者は、福岡に存在する福岡市雇用労働相談センター(通称、FECC)の勢いに追いついていない。
TECCが、六本木一丁目のアーク森ビルの7Fに移転する前 (4月)の数字ではあるが、相談件数はFECCの半数に及ばない。海外企業やベンチャー界隈への認知向上は喫緊の課題だ。サービス内容、及び東京圏の経済規模を考慮すれば、認知さえ広がれば、期待される機能は十分果たせる筈。現にTECCより2か月ほど先に設置されたFECCも設置後2~3か月ほどで一気に認知が高まった。
事実、利用した利用者の満足度は高いようで、再利用意向は90%を超えるという。
では、どういった相談が寄せられているのか?実例を紹介する。
*東京圏国家戦略特区に該当するのは以下の地域だ。【東京都:千代田区、中央区、港区、新宿区、文京区、江東区、品川区、大田区、渋谷区】【神奈川県】【千葉県:成田市】
■実際にTECCに寄せられた相談内容を紹介
(相談例)インターンシップの活用を考えているベンチャー企業経営者
Q.インターンシップの学生を受け入れたいのだが、適正な賃金などがわからない。また、研修なのでしっかりとした契約書を結ぶべきなのかよく分からないから教えて欲しい。
A「ブラック企業」と思われたくない先方の意向を汲みながら、相談企業に相応しい契約書を作成。俗に言う「ネットの炎上」を避けるための適切なアドバイスも行った。
(相談例)日本へカナダの木材販売を計画している加人
Q.雇用費を押さえるためにフレックスタイム制度の導入を考えているのだけど、外交法と日本法の違いが分からないからアドバイスが欲しい。
A.届出や労務管理のコスト等様々な要素を検討した結果、当社には、フレックスタイム制度ではない通常の勤務形態が相応しいとアドバイスした。
(相談例)ベンチャー企業に務める労働者
Q.口約束で様々な取り決めを行ったが、契約書の書面に反映されてない場合はどうすればよいか?
A 弁護士が個別にカスタマイズした確認書を作成して双方合意に導き解決した。
本来なら、相談と書類作成で簡単に数万円は請求されるであろう事を、このように無料で対応してもらえるのだから、それは、顧客満足度も高い筈だ。ただ、ここで疑問がでてくる。
■利用層から読み解く労務・雇用問題の現状
“無料”で法務相談を行うことは、他の弁護士の仕事を奪うことにはならないのだろうか。弁護士業界から民業圧迫の指摘が来そうなところだが。
この点、TECCとFECC両センターの運営に携り実際に相談対応もする多田猛弁護士は「いまのところ、そうした指摘は寄せられていない」と語る。
「相談者の約85%がスタートアップして間もない企業であるという、対象顧客の特性により、棲み分けができているのでしょう」(多田)
つまり、事業を開始したばかりの経営者の大多数は法務関係にまで十分な予算を設ける事は難しい。端から、民間弁護士を利用する件数は少ないのだ。
しかし、これは言い換えれば、創業したばかりの企業が十分な労務管理のためにリーガルサービスを利用することができない現実を浮き彫りにしているとも言える。この点、多田弁護士と共にTECCの運営に携っている倉持麟太郎弁護士は警鐘を鳴らしている。
「経営者の方々に『労務関係』への意識を持っていただく必要があります。もともと、アーリーステージの起業家の特性として、資金調達には熱心だが、労務管理やコンプライアンスに対する意識が薄くなりがちです。中小企業こそ、コンプライアンスを放置するのはリスクです。トラブルが起きてから対処するのではなく、如何に未然に防げるか。そのためには、法の知識も必要です」(倉持)
彼らは、まだ30代の若手弁護士ではあるが、従来の敷居の高いイメージの弁護士像とは異なる「新しい」弁護士像を語る。要は、「企業のコンプライアンスへの意識の向上」という彼らからのメッセージも込められているということか。「弁護士を身近なものにしたい」という思いも垣間見ることができる。
日本の産業構造が変わり、大小問わず多くの企業がグローバルな世界で戦うことが求められる時代、弁護士や社労士などの士業サービスが身近なものになることは望ましい(高い手数料にはなんとかなってほしいが……)。
企業誘致という政府・東京都の狙いと「新しい」弁護士・社労士たちの思惑とが交錯する線上で、経営者や労働者の相談に日々対応しているTECC。両者の狙いが絵に描いた餅に終わらず、実益を生むことを願う。
■TECCに込められた弁護士の想い
雇用労働相談センター事業に携っている多田氏・倉持氏に予防法務の重要性、そして弁護士としての想いをインタビュー!
―これまであらゆる相談を受けた過程で、様々な素晴らしい経営者の方ともお話をされてきたと思います。特区への進出を考えている方々へのアドバイスも兼ねて、高い意識を持たれている方々に共通する特徴があれば教えて下さい。
倉持 この事業をやっていて感じた共通項は意識の高い人ほど経営計画だけでなく、「労務関係」にも配慮が行き届いているということですね。これは創業1年目だろうと、大企業であろうが労務関係をキチンとしようとされています。「文言一つ変えれば紛争は起きなかったのに…」というケースが本当に、沢山ありますので経営者の方は「法務のディフェンス」について真剣に考えて欲しいです。
多田 ディフェンスというのは言い方を変えれば「攻めのコンプライアンス」、実は会社の成長にも繋がります。従業員が安心して健康的に働ける環境を作る会社は、着実に成長しますよ。21世紀においては「人」を大切にする企業こそが成長します。特にベンチャー・中小企業は、素晴らしい人材が活き活きと働いていることが成長に直結するので、労務管理への意識が一層、大切になります。
倉持 我々は事業を通じて紛争を未然に防ぐだけではなく、間接的にですが円滑な事業展開もサポートしていることにもなりますね。本事業を通じて起業されようと考えている経営者の方々に労務コンプライアンスへの意識を持っていただきたいです。
―意識変革を起こすために考えられている活動計画をお話いただけますか?
多田 弁護士を増やし、価格や質の競争を活発にすることで、多くの市民が弁護士を利用しやすい環境を作ります。弁護士を増やせなんて言うと、自身の収入の低下を心配する同業者の多くからも反対されることもあります。しかし、社会の正義を実現すべき弁護士が自らの既得権益を守ることに熱心になっては、国民にとっては悲劇です。
他にも市民の多くが、いまだ弁護士の利用方法を十分に知らないという問題もあります。我々供給側である弁護士自ら弁護士との関わり方を提案し、意識を変えていくべきです。相談費用の点などでも敷居を下げることで、リーガルサービスの利用者を増加させ、法の光が社会の隅々に広がる社会にしたいです。
―費用の問題は、「雇用ルール」の明確化の阻害に繋がっていますか?
多田 例えば雇用条件の相談のために数十万円とか数百万円とか請求されたら、気軽に弁護士に相談できないですよね。大手事務所のように高い報酬をとる事務所もあれば、一方で我々のように気軽に相談できる街の弁護士まで、サービスに選択の幅がないと、法律サービスが市民の手から離れてしまいますよ。
倉持 実際、当センターに相談にきた米国の方が「アメリカよりも弁護士費用が高い!!」と怒っていましたよ。価格が高いという事はそれだけ選択できるリーガルサービスが少なく競争が起きてないということすよね。
―アメリカではベンチャー企業でも手が届く価格で法務サービスを提供しているのですか?
多田 企業の規模によりますが、そうですね。弁護士費用がストック・オプションで支払われるケースもあります。アメリカでは小さな会社でもスタートの時点から、弁護士のリーガルサービスを受けているので、それだけ弁護士というものが身近な存在のです。諸外国ではスタート時点から、日本よりも業務に集中しやすい環境を作れるのです。一方そういう環境の整っていない日本は、国際競争力の低下を招く一方です。今後は、弁護士をより市民に身近な存在にする必要があります。
■経済成長と共に弁護士の働き方を変える
東京圏雇用労働相談センターは、海外企業やベンチャー誘致の活性化だけでなく、市民とリーガルサービスの関わり方を変革する可能性を秘めた事業だ。今後、東京圏に進出したいベンチャー企業・海外企業はTECCに相談することで、雇用に関する法務リスクを排除した上で業務に集中することができる。
本事業に参画する弁護士・社労士たちが活発に活動することで、法律サービスをより身近なものにすることができる。東京圏雇用労働相談センターの今後の活動に注視したい。
【取材の協力にあたり、住友生命保険相互会社の鈴木優氏に尽力頂いた】
多田猛(ただ・たけし)氏…1979年6月30日兵庫県生まれ。2002年京都大学法学部卒業。社会人経験を経た後に2011年一橋大学法科大学院修了。2013年TTC法律事務所設立。2014年弁護士法人Next設立代表弁護士。得意分野はベンチャー企業・中小企業を中心とした企業法務全般、子ども・教育に関する法律問題。
倉持麟太郎(くらもち・りんたろう)氏…1983年1月16日 東京都生まれ。2005年慶應義塾大学法学部法律科 卒業。2008年中央大学法科大学院 修了。仁平総合法律事務所を経て、弁護士法人Next所属。弁護士活動と並行しながら研究会での発表、市民学習会も開催中。
東京国家戦略特区 東京圏雇用労働相談センター
HP: http://t-ecc.jp/
Facebook: https://www.facebook.com/ecctokyo
〒107-6006 東京都港区赤坂1丁目12番32号 アーク森ビル JETRO本部7F
TEL:03-3582-8354
E-Mail:info@t-ecc.jp
◆2015年6月号の記事より◆
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