経済金融研究所 加藤隆一 所長(元 財務省国際金融局開発金融課課長補佐)|日本の伝統的な精神文化に経済・経営立て直しのカギを探せ!
経済金融研究所 加藤隆一 所長(元 財務省国際金融局開発金融課課長補佐)
日本の伝統的な精神文化に経済・経営立て直しのカギを探せ!
◆取材・文:加藤 俊
「コンサルタント」に対する不信感を持つ企業は多い。
色々な自称〝○○コンサルタント〟がいるけれど、結局は「カネがかかるだけ」。先日も、ある経営者に知り合いのコンサルタントを紹介しようとしたら、「外部の人間やコンサルタントに何ができる!欲しいのは仕事だけだ。奴等が大きな仕事をもってきてくれるかい?」と詳しい説明をする前から、懲り懲りといった体だった。まさに、羹(あつもの)に懲りて、膾(なます)を吹く。一度、痛い目にあった企業の恨みは深い。
昔はコンサルタントといえば、それだけで偉い専門家という高尚なイメージがあった。それが今では、有名コンサルティングファームや一部の専門家を除けば、個人事業主か、役職のない平社員の箔ツケ、と言い切りたくなるほど、酷い連中が目立つ。多分、皆さんも経験があるだろう。商工会や同友会などの付き合いで、そうした偉い先生のオハナシを拝聴しても、「そうは言ってもねえ…」と嘆息するだけで終わることが。
なにか実践したって、結果は前と同工異曲。やる前から、わかりきっている。結局、コンサルタントなんて、頼らないで済むなら、それに越したことはない。ただ、そうなると、経営幹部がしっかり勉強をして自ら対応するほかない。その際、経営者としての心構えが重要になってくることは言わずもがなである。
今回取り上げる経済金融研究所は、そのあるべき〝心構え〟を学ぶことができる研究所である。
「混迷する日本経済経営を再度輝かせるには、過去に困難を乗り切った日本の思想に立ち戻ることが必要です。新しい問題も我々の源流から考えると本質が見えてきます」という所長の加藤隆一氏の言葉が物語るように、方法論としては「日本古来の思想や伝統精神を経営に活かす」ことを掲げている。
平たく言えば、「神道」や「仏教」などの思想を経営に活かすということらしい。
「なんだ、神頼みか!」という言葉が聞こえてきそうだが、日本の精神文化を理解することが、リーダーとしての心構えにどう作用するのか、また、経営にどう役に立つのかは、組織を率いるリーダーである以上、どこかできちんと向き合うべき性質の問題ではある。かの渋沢栄一翁はじめ、一昔前の経営者が当たり前にもっていた心構えを〝今だからこそ〟学んでみるのも悪くない。
ちなみに、代表の加藤隆一氏は、元大蔵省で華々しいキャリアを歩んできた人であり、元金融証券検査官でもある。加藤氏に日本の伝統精神と経営についてお話しを伺った。
聞き手:創光技術事務所の筒井潔所長、塩入千春シニア・アナリスト
日本の伝統的な思想の本質
筒井:そもそも日本古来の思想とは、どういったものなのでしょうか。
加藤:日本には、「八百万の神」と言うようにたくさんの神様がいらっしゃいます。こうした神様がいろいろの形で現れていらっしゃるという考え方、そしてそれらの神様を敬う気持ちをもつことが日本の伝統的な思想です。
さらに重要なのは、我々一人ひとりの人間が、「神様になりうる」可能性を孕んでいることへの理解です。皇室のご先祖をお祀りしている伊勢の神宮を始め、全国の神社の神様は、古事記などの記述によれば、現在の我々に繋がっているわけです。先祖の存在が理論的にありうるのですから、神々の存在は疑うべくもありません。また、世のため人のために素晴らしいことをされた方は神様になれます。
例えば、明治神宮であり、東郷神社、乃木神社、靖国神社などがそうですね。日本各地に多数ある八幡宮も、応神天皇さまをお祀りしているわけです。つまり、日本人であれば、神様は身近な存在であり、誰しもが神様になりうるワケですから、ひいては自分にもその可能性があり、この考え方を自らを高みにもっていく原動力に据えなさいということがいえると思います。 これが大乗仏教の、全ての者が仏となりうるとする「如来蔵」思想や、儒教の祖先崇拝によって深められ日本の独自の考え方を形作ってきたといえます。
塩入:そのような考え方は、西洋のキリスト教文化には見られませんよね。
加藤:異なる部分があるのでしょうね。キリスト教における聖人(セイント)は、尊敬の対象ではあっても、畏敬の対象や神様そのものではありません。
それから、もうひとつ「誰もが神様になりうる存在なのだから、誰もが尊重されなければならない」という重要な考え方もあります。私はこの考え方が、普段意識されることはなくても、日本において極めて犯罪が少なく、他の国に比べて、お互いを無条件で信頼し合う国民性を生んだ要因になっていると考えます。
こうした日本古来の考え方を理解した上で、他の宗教を理解すればよいし、たとえ信仰を離れてみたとしても、自らの規範意識の礎に敷いてほしいのです。
塩入:なるほど。確かに、普段生活するうえでも、「○○の神様」という言い回しをよく耳にします。〝営業の神様〟や、〝経営の神様〟などですね。
日本古来の思想を経営に活かすとは!?
筒井:さて、ではもう少し踏み込んで、そうした日本古来の思想を企業経営に活かすとは、どういうことなのかをお聞きしたいです。
加藤:先ほども少し触れましたが、どんな人も神様になりうる、それは我が身も同じなのです。だとすれば、いかなる難局においても活路がない筈がない。神様になりうる道は、誰の前にも開けているのだから、万事休したという状況下でも、どこかにそこに繋がる、アイデアや知恵が落ちている筈なのです。
この考え方、ひとりの人間としては小さな存在だとしても、実は本来的な能力を神様から与えられているはずだ、という感覚をもって経営にあたってください。会社がうまくいくためには、こうした精神文化を受け継ぐことです。これができない会社は、長期的に見ると、大企業でも不祥事や事故、業績の悪化などに繋がります。
たとえば松下幸之助はたいへんに信心深い人でしたし、さまざまな宗教に興味を持っていました。東洋哲学などの勉強を、経営者ないし、組織が行っていた間は特に不祥事はでてこないものです。しかし、いつの間にかその習慣がなくなってしまうと、これが不思議なのですが、何かしら問題が表に出てくる例が本当に多いのです。
筒井:それは何故なのでしょうか。
加藤:理想や企業理念とでもいうべき基準をもつことで、企業は方向性をもつことができるわけです。宇宙の真理とでもいうべきものを、たとい把握できなくとも意識するだけで判断に迷いが少なくなるのではないかと思います。自分の行いが宇宙の真理に合致しているか、たとい、完全に合致していなくとも、自分のできる範囲で努めていくと道が開けてくることがあります。
逆にいえばそのように省みることがなくなったときに、間違いが起こり、問題がでるのでしょう。人間が宇宙の真理に反したり、道徳に反したりした場合は、いままでそれに基づき順調にいっていた経営が破綻するわけです。ですから道徳と経済は合一するという渋沢栄一翁の考え方は平成の現代でも通用するわけです。
「できれば、神道や仏教を中小企業経営者のみなさんにもぜひ体験していただきたいですね。鹿島神宮などの神社に行くと、空気が明らかに違います。たとえば上遷宮(ジョウセングウ)という儀式においては神様の存在を私のような者でも確かに感じることができます。これは神様のいらっしゃる場所を改築・修繕するために、一時的に仮の場所にお移りいただき、改築・修繕の済んだ後にもとの場所にお戻りいただくわけですが、このときに神様の存在、理系的に言うならば「エネルギー」の移動を感じるのです。
一昔前までは、東洋哲学を組織として学ぶのはごく当たり前のことでした。だからこそ、国益を考えて経営にあたる偉大な経営者が輩出され、成長を遂げる企業も多かった。
かつての三越やトヨタ、ホンダなどは、大失敗する可能性があっても、リスクを承知の上で、日本のためになるならばやる、という気概をもっていましたし、それが大きな成長を齎しました。たとえばある先進的な機械を我が国に持ってくるならば、事業としては失敗するとしても、それだけで価値があるじゃないか、日本のためになるのだから、と考えました。
しかし、現在では思想は軽視され、この種の学問が企業経営に活かされることは少なくなったようです。精神論ないし、信仰は教育や企業の場ではむしろ忌避されます。当然、その背景にはさまざまな経緯があり、現在の形の方が良い部分もあるのでしょうが、一方で失った面があるのもまた事実です。そして、我々が日本人としての本質の拠り所をどこに求め、どこに見出していたかを考えると、この失った面の意味の大きさを感じずにはいられません。現代社会を覆う閉塞感は、こうした欠落に起因しているのではないでしょうか。
筒井:なるほど。日本ではある種の精神性や信仰といったものへのタブー化が顕著ということはありますよね。アメリカでは今でも多くの人が、日曜日には教会に通っていますよね。それに、かの国では、寄付の精神も盛んですし。一方で日本式経営には、「金儲け=悪」という歪んだイメージもあるように感じます。西洋文化が入ってくる過程で、「ビジネス」や「ボランティア」といった言葉が、少し歪んで解釈され、入ってきてしまったというか。
加藤:日本の神道、儒教、仏教は金儲けを否定していませんし、優れた経営を行うためにもお金はとても大切です。たくさん稼いで、きちんと税金を払って、社会に返していくことに勝ることはありません。世のため人のために生きるというのは神道、儒教、仏教いずれでも大切なこととされています。もちろん道に外れた利己主義は許されるものではありません。脱税まがいの行為をするとか、必要な経費をケチるかとかそういった方向で考えるのではなく、社会のためにどんどん儲けて還元しなさいというものです。
忙しい人ほど必要な東洋哲学の英知
塩入:BigLife21記者の加藤俊氏からお聞きした話ですが、町工場や中小企業では、実は世界的なシェアを持っていたり、尊敬されていたりするような職人であっても、キャッシュフローはギリギリで、後継者もいないといった課題をよく抱えているようです。そうした一分一秒とて無駄にできない経営者たちでも、儒学や日本古来の思想を学ぶことは可能でしょうか。
加藤:日本経済がデフレ基調を脱却しているにも関わらず、製品価格の引き上げをするなどの努力をしていない企業があります。業態にもよりますが、あるべき真実のあり方とは、よりよい製品を適切な価格で販売することであり、価格は安ければいいというのは間違いです。「技術はトップ。販売はわからない。」というのは企業として不健全です。世界に誇る技術を持っているにも関わらず、利益が上がらず後継者が育たないというのに安住してはいけません。「このような素晴らしい技術をもっている会社だからこそ、どのようにすれば利益をあげ、社会に貢献できるか。」ということを日々考えるべきです。
東洋哲学は暇人のための学問ではありません。日々真剣に生きた人々が積み重ねた歴史がそこにあります。もちろん教える人、学ぶ人が真剣な努力を重ねてこなければ古典が生きてこない恐れは十分ありますが、だからこそ、それを学ぶことによって実際の経営に際しても適切な智慧が出てくるのでしょう。
逆にそのような意識がなく、日々忙しいを口にするだけでは、会社経営者としては何か不自然なことで忙しくしているのではないかと反省すべきかもしれません。忙しいとは心を亡ぼすということです。自分がする必要のない仕事を作りだし、「将来を考える」という経営者がしなければならない仕事を放棄している言い訳をしている場合はないでしょうか。
仕事がたくさんあれば、心を亡ぼすのではなく、心を十分に活用すること。そのために心を十分落ち着け、真実を求める時間を少しでもいいので設ける必要があるのではないでしょうか。小さい心で不安に苛まれるのではなく、心をより大きくして問題を解決していこうと努力すると、別の視点が開けることがあるのではないでしょうか。
また、中小企業を支援するという観点では、銀行や金融機関にも、こうした眼力を持つことが求められます。十分に人物を見極める。今はピンチでも、見込みがあるかどうか見抜き、その企業が世のため人のためになるかを判断する。もちろんその結果として貸さないことが親切になることがあります。かつてはそうした胆識がなければ金融機関のトップや支店長にはなれませんでした。しかし今は、バランスシートと担保しか見ていないような人が少なくないようです。
方向性の見えない時こそ正しい方向性を求める
塩入:日本での経営と西洋の経営、失うべきでない日本らしさということを考えたときに、我々日本人は、西洋に憧れて無理に西洋文化ばかり取り入れていても苦しくなってしまうというか、本来的に東洋の思想が馴染みやすいのかも知れませんね。たとえば、西洋のバレエは美しく優雅で私も好きなのですが、理想を追求すると日本人の骨格にはどうも合わないところがあります。一方、東洋のヨガは形式的な美を追求するのではなく、呼吸法を重視したり瞑想的であったり、自己との対話であるところが多くの日本人に馴染みやすいというように。
加藤:そうですね。安岡正篤先生も、旧制一高時代に西洋だけの学問に疑問を持たれ東洋の学問を研究されました。過去数千年積み重ねられた我が国をはじめとした東洋の英知がそこにあったわけです。昔の日本人だったら、解決方法を知っていたようなことを現代の日本人は忘れてしまっている点もあると思います。
こうした意味でも、日本古来の精神文化を今一度見つめ直し、精神面から立て直していくことは必要でしょう。西洋の学問を学ぶにしても、そのような基礎がなければ表層的な物しか得られない恐れがあります。
方向性の見えない時代だからといって、そのまま立ち止まるのが正しいとは思えません。現代の問題は我々現代人が一番良く知っていると考えがちですが、過去数千年の聖人賢人の英知に勝った知恵を有しているでしょうか。仮に同じ程度の知恵を有していたとしても現代の問題を過去の聖人に問いかけてみるのは必要かつ有益です。そしていつの時代でも正しい方向性を示した聖賢、神仏に代表される宇宙の真理を把握していた人物に恵まれた我が国のあり方に感謝の念が湧いてきます。
我が国では江戸時代においては、大旦那が見込みのある者を養子にしたり、自分のところで使ったり、また先の大戦前までは才能ある人に身銭を切って面倒を見る文化がありました。今日こうした文化が薄れているのかもしれませんが、非常に大事な心がけです。また、その仕組づくりにビジネスチャンスがあると思います。広い視野をもった人が世のため人のために何ができるか考える必要があるということです。
筒井:確かに、今日の日本社会、日本経済には漠然と、どことなく満たされないというか、飢餓感のようなものが蔓延しているような気がします。中小企業の経営者たちを見ていても、そうした雰囲気を強く感じます。こうした、どこか満たされない感覚への対応方法としても、本日お話いただいた、日本人が古来から持っていた精神性というものは大きなヒントになるような気がします。今日はどうもありがとうございました。
塩入:見方を変えれば、今の日本は西洋と東洋とどちらの文化・思想にも親しむことができる点で、非常に恵まれているとも思えます。物質的にも豊かになりましたし、満たされないものばかりを追うのではなく、有るものに感謝し、本来の姿に気付く必要性を感じました。どうもありがとうございました。
加藤 隆一氏(かとうたかかず)…国家公務員採Ⅰ種試験法律職合格。昭和63年より大蔵省(現財務省)に勤務。国際金融局開発金融課課長補佐、財政金融研究所研修部教官(財政制度、公務員倫理)、関東財務局金融証券検査官、インドネシア共和国経済担当調整大臣府経済政策顧問など歴任。平成19年「日本の精神文化を経済経営に活かすこと」を目的とする「経済金融研究所」の設立に関与。現在、所長。仏教を東方学院、儒教を斯文会(湯島聖堂)などで学び、鹿島神宮などで禊修行などを経験。米国ペンシルベニア大学法科大学院法学修士・特別研究生。
経済金融研究所
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●インタビュアー プロフィール
筒井 潔(つつい・きよし)氏…経営&公共政策コンサルタント。慶應義塾大学理工学部電気工学科博士課程修了後、外資系テスターメーカー、ベンチャー企業、財団法人等勤務を経て、合同会社創光技術事務所所長。
塩入 千春(しおいり・ちはる)氏…合同会社創光技術事務所シニア・アナリスト・理学博士。京都大学理学部卒。総合研究大学院大学博士課程修了。理化学研究所研究員等を歴任。2013年9月より現職。
◆2014年7月号の記事より◆
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