木内孝胤前衆議院議員に訊く都知事選細川護熙元総理擁立の裏話
木内孝胤前衆議院議員(岩崎弥太郎の玄孫)に訊く!
都知事選細川護熙元総理擁立の裏話
◆取材・文:加藤 俊
前衆議院議員 木内孝胤氏
木内孝胤(たかたね)前衆議院議員は、奇しくも安倍総理と同じ成蹊中学・高校に通った後、慶応義塾大学経済学部に進学、卒業後は東京三菱銀行のロンドン支店、営業本部での勤務を経て、メリルリンチ日本証券に転職している。同証券にて投資銀行部マネージング・ディレクターとして活躍した後、政治家に転身というキャリアを持つ。投資家、実業家として、日本にはビジネスがしづらい、ひいては生活しづらい、生きづらい仕組みがあると感じ、これを糺し自由で公正な社会を実現するために政治を志したという。国際ビジネスマンとして前線に在り続け、その嗅覚を研ぎ澄ませ続けるためには、まさにバランス感覚、中庸といった姿勢は不可欠だったのだろう。ちなみに、三菱財閥の創業者で初代総帥である岩崎弥太郎の玄孫にあたる。
大きく爆ぜた花火の最後は悲しかった。
「日々感じていた街頭での熱気と本日判明した選挙結果との落差の大きさに、改めて努力が不足していたことを痛感するとともに、熱心に応援してくださった皆様のご期待に添えなかったこと、誠に申し訳なく思っております。」
2月9日、東京都知事選の開票結果を受けて、細川護熙元総理は都内事務所で敗戦の弁を語った。報道陣から焚き付けられたフラッシュのなかに浮かんだその顔には、無念さが滲んでいた。
多くの有権者にとって、何故、あのタイミングで細川氏が起ったのかは、最後まで判然としなかった。だからなのか、「原発即ゼロ」を最重要課題に掲げ、民主、結い、生活の3党から実質支援を受けたものの、宇都宮氏や舛添氏まで中長期の原発依存脱却を主張したことも重なり、細川氏は最後まで「脱原発票」を集約しきれなかった。
選挙から半年が過ぎた今、回顧するに、小泉純一郎元首相との二枚看板で街頭演説を展開した姿ばかりが印象に残る。今もってなお、この細川・小泉ラインとは何だったのかがわからない。
最近、この両者を繋げ、右傾化する政治に歯止めを掛けようと奮闘した人物がいたことを知った。その人物とは、木内孝胤(たかたね)前衆議院議員だそうだ。安倍政権による右傾化を危ぶむ人は多いが、木内氏もその一人。事実、「穏やかな保守」という旗を掲げようとしている。この国の行く末に何を思い、安倍政権への警鐘を鳴らすのか。都知事選の細川氏擁立の経緯から、現在の政治への危機感、そして国の在り方までを語って頂いた。
※創光事務所の見解ではなく、ビッグライフとしてのものであることを注記しておく。
聞き手:創光技術事務所の筒井潔所長、塩入千春シニア・アナリスト、西出孝二共同経営者
都知事選での細川元総理擁立の背景
筒井:我々、創光技術事務所は経営コンサルファームでして、過去に野党政党から資金集めや支部設立などマネージメントの相談を受けたことがあります。ただ、特定の政治的主義主張を唱えるものではありませんので、いずれの場合もお断わりしているのですが。そういった事情がありますので、今日のお話はあくまで中立的なスタンスでお聞きしていきたいと思います。
木内さんとしては、現在の政治の在り方は「穏やかな保守」が望ましいとお考えですよね。その文脈上で都知事選の細川護熙元総理擁立は、どういう目論見があったのでしょうか?
木内:目論見と言われるとあれですが、社会全体が右傾化している中で、安倍政権の舵取りには危険なところがあると思っています。やはりブレーキをかけられる反対勢力を作らなければならなくて、それが細川元総理擁立に繋がっていたことも事実です。
ただ、現在の自民党の一強多弱に対して、野党再編すればいいのかと言うと、少し違いますね。単なる野党再編では意味がありません。それこそ、自民党から象徴的な人物が複数人出てきたうえでの政界再編に繋がらなければいけないという意識はあります。
塩入:それは都知事選で共闘した小泉純一郎元総理を念頭に置かれているのでしょうか。
木内:小泉元総理たちと一緒になることは素晴らしいことですが、それは難しいでしょうね。でも巨大与党に対抗するには、そうした自民党を巻き込んだ政界再編が必須です。
西出:実際に、今回の都知事選も、木内先生が裏で中心的な役割をしていたと言われています。そういった意味で、多くの方が感じたであろう何故あのタイミングで細川さんだったのかを教えてください。
何故細川元総理だったのか
木内:それについては、12月10日に熱海でご飯を一緒に食べていたからとしか、言いようがないのです。ただ、細川さんは、日本全体を覆う閉塞感や資本主義の行き詰まりを感じる中で、ある世代にとっては、文明転換の象徴的な人物です。何より、1994年に政治改革を実現して、ちょうど20周年という節目でした。これは、ある種の運命的な転換時期にあると感じたのです。
原発問題に関しては、保守とか革新というイデオロギー対立で捉えるべき問題ではないと考えているのですが、この点で、細川さんはリベラルな面もあるけど、一方で保守的な面もある、まさに中道なバランス感覚を持つ方です。それで懐が深い方でもあるので、適任だと考えたのです。
西出:しかし、脱原発のシングルイシュー選挙によって、保守・中道の脱原発支持派の票を集める戦略は、うまくいきませんでしたね。
木内:そうですね。残念だったのは、多くの方にとって、やはり76歳という細川さんの年齢がいくらなんでも高齢だと捉えられてしまったことです。これがたとえば60代半ばであれば大きく違ったのではないかと。このほか、細川さんは小泉さんと違い、総理を辞めてから16年の間、完全に政治の世界から引退していたため、20代や30代の有権者にはそもそも知名度がなかったという点も敗因だと感じています。
細川・小泉ラインはいかに作られたか
西出:木内先生が、細川さんと小泉さん、それから小沢さんの三人を結び付けようと画策したという話もありますが、何故、この三人を繋げようとしたのでしょうか。また、原発問題をはじめ、都知事選挙で何を訴えたかったのでしょうか。
木内:原発問題に関しては、細川さんは昔から慎重な姿勢をとっていました。小泉さんも、夏頃から講演会で原発反対と言い始めていました。
それで12月10日にお会いした時、その話になり、誰がいいですか、と。私は細川さんがいいのではないかとお薦めしたのです。そうしたら、ご本人の反応がまんざらでもなかった。同席者たちも同じ印象で、ひとりが翌日も細川さんに会う機会があり、言葉は悪いですけど改めて嗾けてもらったら、なかなか良い感触で、それで中川秀直さんに話がいきました。で、中川さんから小泉さんに話が行き、これは良い話だとなり、数日後に私のところに連絡が来たのです。
「こういうのはどうなるかわからないが、きちっと情報管理して、心の準備だけして、いざとなったら電光石火のごとく決断すれば、なんとかなるかもしれない。ひょっとしたらひょっとするぞ」というお話でした。
そうこうしているうちに、12月19日に猪瀬さんが辞めることになりました。
その時点で私がすべきことは二つありました。ひとつは、お金を集めて、準備すること。もうひとつは、土壇場で指揮が取れないでは話にならないので、知事選を戦った経験者を集めること。それで実際に、五人を集めた。東国原さんの選挙事務所の経験者と鳩山由紀夫さんの選挙チームの三人、それからもともと一緒の中島政希さんの五人。そこに秘書の方たちが加わり、十人ぐらいのチームを年末に立ち上げました。
西出:資金集めは順調に行ったのですか。
木内:いや、順調とは言えなかった。その時点では集まっていませんでしたから。ある程度の運転資金は私で捻出できますが、5千万~1億円はかかると見込んでいましたので。その後声をかけて回り、お金を集めて、選対を立ち上げたところまでは、確かに私が動いていました。
塩入:小沢さんはどのように関係されていたのでしょうか?
木内:小沢さんがどう絡むのかというと、ずっと相談はしていたのです。ただ、小沢さんに対するアレルギーがあるかもしれないから表立っては出てもらっていません。
塩入:それは、世論のですか?
木内:いや、小泉さんのです。ただ、小沢さんは、著書「日本改造計画」で小泉政権の随分前から新自由主義を主張していましたし、そうした面で共生できる面はあった。
そして、細川さんと小泉さんに関しては、歴史認識が実は似ているのです。象徴的なエピソードがあります。細川さんが総理だった頃、アジアとの関係を問われた際に「反省が必要」と答弁したことがありました。そうしたら自虐史観だと自民党のタカ派の方たちに攻撃されたそうですが、そのときに小泉さんが来て、「あなたの答弁は正しい、みんな否定的なことを言っているが私はあなたに賛同する」と言ったことがあったそうです。
小泉さんは、靖国参拝のイメージがあるので、さもタカ派と思われがちですが、あれは不戦の誓いで約束したものであり、約束はどんなことでも必ず守る、信義を重んじる人だから、それを守ったのだと私は認識しています。つまり、きちっと反省するべきところはしてという根本的な歴史感は、細川さんと近い面もあるのです。
筒井:なるほど。しかし、三人の間を結び付けた木内さんがそのまま選挙の責任者にはなりませんでしたね。
木内:私に選挙の責任者はできませんよ。まず選挙を率いたことがない。都知事選は国内最大級の選挙です。その選挙を未経験者が率いることはできません。なので、経験者をトップに据えてやってくださいと。ただ、お金が絡んでいるうえ、限られた予算のなかで、どの作戦に注力するかの配分は決めなければならなくて、暫く中にはいたのです。
そうこうしているうちに、チーム内で主導権争いの喧嘩が起こり、私は間に入ってはいたもののトラブルになった以上細川さんに迷惑をかけるワケにもいかないので、撤収したと。それだけです。
この点は後の祭りですが、1月6日に出るのが決まって、14日に記者会見という非常にタイトなプレッシャーのなかで、写真のポスターのネガさえ上がっていないワケです。そうした状況下、全員の意見など聞けるはずもなく、独裁的に運営するしかなかった。
この人がトップって決めたら、「もういいですね、間違ったこともでてくるでしょうが、時間がないので、この人が決めたことにすべて従うというガバナンスでいいですね」と私も間に入ったまでは良かったのですが、選挙の考え方が異なるメンバーで集まったので、纏まりきることができなかったのです。
筒井:(選挙の先に)新党立ち上げも視野に入っていたと思うのですが。
木内:そうですね。都知事選挙に勝てば、そのまま新党を発表したっていいと考えていました。先ほども言いましたが、野党再編ではダメなのです。政界再編に繋がらないとね。
安倍政権への危機感
塩入:それでは今後の話についてお聞かせください。木内先生は我が国をどのようにしていったらよいとお考えでしょうか。
木内:私自身は、「穏健な保守」のチームがあっていいと考えています。穏健な保守というと、安倍政権への対抗として捉えられてしまい、リベラルな発言に聞こえるかもしれませんが、私はリベラルのつもりはないですし、あくまでも穏やかな保守であって、中道なチームを目指しています。
筒井:安倍政権については、どう思われますか?
木内:私は、安倍総理が言わんとしていることの幾つかは賛成できます。ただ、同時に危機感も持っています。とくに歴史認識に関しては。中国と難しい関係のときに、アメリカという最大の同盟国から疑問視される外交を展開していることは理解に苦しみます。
日本は、歴史認識を転換させる気だと疑われています。現実問題、日本は不幸にも敗戦してしまった国です。もちろん、戦争に至った経緯は複雑な要因が絡んでいたのだと思います。日本としては無理やり戦争に仕向けられたと考えたい節もある。
欧米列強がアジアを植民地化したなか、アジアの盟主として、同胞たちを開放するという思いを持ちながら活動していた方が、実際に大勢いたのだと思います。戦火を交えるにあたって、崇高な大義もあったのだと声高に叫び、侵略一辺倒の歴史認識を修正したいという思いが、安倍総理の行動の前提にあるのでしょう。心情は私も分かります。
ただ最初に戦争を仕掛けたのが、日本であることは、通告が結果的に遅れたという事情があるにしろ、事実です。何より、アジアに対して日本が行ったことは人数の問題ではなく、やはり客観的に反省すべき点はあると思います。もちろん、過大に言われたり、誇張されたりしているところは、「それは違う」と毅然と主張していかなければなりませんが。
ただ、「日本は何もしていない」とか「正義のためにやったのだから仕方なかった」とか、そういった当時の歴史的背景をもって仕方ないと抗弁する論調は、私はちょっと誤解を招くと思いますし、これは諸外国の理解を得られるものではありません。
塩入:例えば、戦後の償いとして行われてきたODAに関しては、もっと日本国民も誇りを持って主張してよいはずですよね。
筒井:今の日本は孤立しつつあるという見方もあるようですが、この見方についてはどう思いますか?
木内:そうですね。ちょうど4月の終わりに外国人記者クラブで、「穏健な日本の政治について」という話をする機会がありまして、各国大使館の方たちやジャーナリストの方たちと意見交換する機会があったのですが、やはり安倍総理に対する何とも言えない危機感を持っている方が〝意外と〟多かった。
中国や韓国の方たちがそういった反応をするのは分からなくもないのですが、それ以外のアジアの国の中にも懐疑的な見方をする国があるのです。彼等は日本に対して友好的で、別に日本が攻めてくるとは想っていないですが、意味もなく中国やアメリカを挑発して、日本が何をしようとしているのか分からないと彼等の眼には映っていて、場当たり的で戦略性はない、このままいくと危険なのではないかという見方がされていました。
外国の中には安倍政権と本当にうまく付き合っていけるのかと、懐疑的な目で見る国がありますし、私自身はそう見られることに危惧を感じています。
塩入:発端は、昨年末の靖国参拝でしょうか。しかし、今年初めに開催されたダボス会議では、安倍総理のスピーチが国内外から非常に高い評価を受けたと思います。ところが、歴史認識に対して日本とは相違がある中国や韓国のみならず、同盟国であるアメリカまでをも挑発しているような印象を他の国に与えているとしたら、国際関係の難しさを感じますね。
木内:ええ、それから、憲法改正についても、解釈改憲というものとはまったく異なる次元で、憲法そのものを変えようとしている。これにも違和感があります。
私は、平和憲法については、理念自体は大切にするべきと思います。ただ、時代の移り変わりの中で、国防の観点で障害になる点は、法整備をきちんとすべきかと。実際にこれまでも何回も解釈改憲は行われてきました。これは正しいことですよ。
ソマリア沖で海賊に襲われた場合、昔はそれを守れませんでした。イラクではオランダ軍キャンプに滞在しながら、オランダが攻められても守れない。カンボジアのPKO活動の件など、細かく解釈改憲されてきていますよね。これはどちらかというと、内閣法制局自体がいくらなんでも杓子定規というか融通が利かなさすぎるのです。
しかし、今回の話は、根本から違います。それこそ根本を変えてしまう話で、国の方向性としてそれを目指すのであれば、きちんと議論をして〝国民の多くが賛同するのであれば〟憲法自体を改正すればいいのです。国の課題の優先順位を考えたとき、何故、今、解釈改憲をそこまでしなければならないのか意味が分かりません。
憲法は、サンフランシスコ条約締結後、吉田茂氏が総理大臣に再登板したときに見直しておけば良かったのかもしれませんが、むしろ、今のタイミングで行うことで、日本をより不安定な状態に置いているとさえ思います。
筒井:木内さんは政治的には「穏やかな保守」を唱えておられますね。
木内:ええ、穏やかな保守というのはですね、……(次号に続く)
[次号]今求められる「穏健な保守」という考え方
[連載第二回]「私は資本主義に対して、ある部分では懐疑的というか、これで良いのだろうか、という一抹の不安を覚えています。「会社は株主のもの」に代表される資本主義の考え方は、ROEの向上など短期的な利潤追求が行き過ぎる面があります。近年、日本でも貧富の格差は広がる一方です。いまの考え方では、こうした多くの問題を解決できないのです」
[連載最終号]世界の中で存在感のある日本を目指して
[連載第三回]政府による税、社会保障の再分配は非常に大きなテーマでしょう。日本は再分配がものすごく小さな社会です。再分配がきちんと行われているようでいて、そうでない。訳のわからない非効率なことが多い。農協や医師会、建設業界などの特定の団体にお金が集中して流れています。
●写真右から2人目:木内 孝胤(きうち たかたね)
1966年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、東京三菱銀行(ロンドン支店、営業本部等)、メリルリンチ日本証券(投資銀行部マネージング・ディレクター)勤務を経て、2009年、衆議院議員選挙に当選。衆議院外務委員会理事、衆議院財務金融委員会、衆議院沖縄・北方問題特別委員会、民主党企業団体対策副委員長、民主党政調会長補佐を歴任。2012年、衆議院議員選挙に落選。同年、政策フォーラム「日本の選択」を設立。
・木内孝胤 オフィシャルサイト:
http://takatane.com/
・政策フォーラム「日本の選択」:
http://j-sentaku.net/
●創光技術事務所インタビュアー
写真左:筒井 潔(つつい きよし)
経営&公共政策コンサルタント。1966年神奈川県生まれ。慶應義塾大学理工学部電気工学科博士課程修了後、外資系テスターメーカー、ベンチャー企業、財団法人等勤務を経て、合同会社創光技術事務所所長。
写真左から二人目:塩入 千春(しおいり ちはる)
合同会社創光技術事務所シニア・アナリスト。理学博士。京都大学理学部卒。総合研究大学院大学博士課程修了。理化学研究所研究員等を歴任。2013年9月より現職。
写真右:西出 孝二(にしで こうじ)
ビジネスプロデューサ・公認会計士・税理士。慶應義塾大学理工学部電気工学科卒。カリフォルニア大学バークレイ校留学。1983年に創栄共同事務所を設立、代表に就任。2010年4月より、合同会社創光技術事務所共同経営者を兼務。