株式会社黄山美術社 文化遺産で日中交流

文物展を通して架け橋に 私は日中の変圧器だ。

◆取材:綿抜幹夫

 

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株式会社黄山美術社/代表取締役社長 陳 建中氏

尖閣問題に象徴されるように、日本と中国との関係は、良好な状態にあるとは言い難い。しかしながら、両国が長年に渡って築き上げてきた交流の歴史に思いを馳せ、今また新しい文化交流の構築に取り組んでいる人がいる。中国の古代「文物」を中心とする美術展の企画運営などを手がける黄山美術社の陳建中社長に話をうかがった。

 

■来日し、念願の「文化」の仕事に就く
古来、日本の文化は中国から深い影響を受けてきた。歴史をひもとき、今日まで遺されている数々の美術品、書物などを見ればそのことは明らかである。しかしその後の発展によって、日本が中国に向けるのは専ら安価な労働力等を求めての経済的な視線になってしまった。

 

「すぐお隣の国なのに日本はこんなに発展している。そのことはとても不思議ですし、自分の目でしっかり見てみたいという気持ちがありました。そして日本に来て私が基本的に感じたのは、中国の文化と日本の文化は、根底ではそう変わらない、という認識です」

 

1991年、35歳の時に陳建中氏は来日する。まず2年間、日本語学校に学び、その後、城西大学の経済学部へ。卒業後、同大学にいた尊敬する張紀潯先生から渋谷の東急東横百貨店で「大中国物産展」が開かれていると聞き、スタッフに応募したことから道が開けた。

 

「卒業して貿易会社に就職しましたが、私が本当にやりたかったのは文化の仕事でした。張先生に教えていただいた物産展で、私は日本人が書道にたいへん興味を持っていることを知り、中国の書の本は日本でも需要があることを理解しました。文物展に来られるお客様は皆さん、ワクワクしておられます。私は、『中国5千年の歴史は深い! 間違いない!』と確信し、文物展を中心に日中の文化交流を主軸とした仕事をやっていく自信ができたんです」

 

安徽省出身の陳さんは、故郷の黄山から名前を取り、自らの会社・黄山美術社を興す。国宝クラスの重要な逸品ばかりの文物展を企画することを目指した。中国国家文物局の大物と渡り合い、日本では5大新聞社をはじめ、主要なメディア各社の協力体制を取りつける。1つのプロジェクトの立ち上げから終了まで、短くとも3年はかかるという壮大な規模の仕事だ。

 

「中国の各美術館に点在している芸術品を、企画テーマに沿って丹念に集めるのは、とても時間がかかります。それぞれの担当者にあたり、時間をかけて説得しなければなりませんから。2002年の会社設立当初は、文物展の際の記念グッズ販売で利益を上げていましたが、今ではトータルなプロデュース能力を買われて会社が成り立っているのです」

 09B_Chine_kouzan01大三国志展来場者100万人突破セレモニー/国家文物局副局長・董保華氏(左から4人目)と、創価学会会長・原田氏(左から6人目)が参観した「大三国志展」/「海外文物回帰文化交流基金」設立の調印式(隣は中国対外友好協会、李小林会長)

 

■「三国志」人気に目をつける
陳さんが手がけた文物展の好例を一つ、紹介しよう。2008年5月に東京富士美術館で開催し、大きな話題となった『大三国志展─悠久の大地と人間のロマン─』である。

 

「日本で『三国志』は、大変人気がありますね。三国志時代というのはわずか40数年しかなく、その時代の文物を集めるのは並大抵のことではありません。しかしそこを何とか努力して集め、また明、清時代に書かれた『三国志』に関する物語も集めました。

さらに重要なのは、例えば焼き物などの上に書いている文字ですね。『桃園の誓い』は、『桃園結義』とも言われますが、『三国志演義』などの序盤に登場する劉備・関羽・張飛の3人が、宴会で義兄弟となる誓いを結び、生死を共にする宣言を行ったという逸話のことです。また空城計(くうじょうけい)は兵法三十六計の第三十二計にあたる戦術で、こうした文言も大切です。加えて、日本の皆さんがお好きなのが関羽、諸葛孔明などの人物像。これら『三国志』関連の文物を可能な限り一箇所に集め、結果全国で百万人もの来場者の企画展という、大成功を収めたのです」

 

順調に事業を拡大しているかに見える黄山美術社。しかし、いくら会社が努力しても、どうにも動かすことのできない世の流れというものがある。いまだに解決の糸口が見えない尖閣諸島問題は、陳さんの仕事に確実に影を落としている。
「日本側に『こんな時期に中国の文物展、できるわけがない』という気持ちがある。中国側にも『今さらなぜこの国宝を日本に持っていく必要があるんだ?』という不信感がありますね。そこで私は上層部の人を説得するわけです。『この特別な時期だからこそ、文化交流は大事なんです』と。中国人民対外友好協会にも手紙を書きました。『文化交流を続けていかないと、中国、日本はこの先、もっと困ったことになりますよ』。幸い対外友好協会側も、『わかりました。これからもちゃんと応援します』とお返事をくださいました」

 

 

■日中の架け橋となれる独自性
黄山美術社は唯一無二の会社であり、今のところ誰にも真似のできない事業を展開している。陳さんは、そう言って胸を張る。

「黄山美術社は、日本で中国の文物展ができる唯一の会社です。ある新聞社のインタビューで『業界でのポジションは?』と聞かれたので『競合他社がいません』と答えました。すると、『では最大手ですね?』と言われました。『競争相手がいないのだから、そう言っても間違いではないかもしれないですね』と、答えておきました(笑い)」
今、世界中に4千万人の華僑が存在すると言われ、そのネットワークは大変強力なものがある。しかし陳さんの仕事は人脈やビジネスセンスだけではどうにもならない。日中両国の歴史と文化の理解、文物の深い理解があって初めて成り立つ仕事なのだ。知識や教養はもちろん、政府要人に信頼される人間性、そして何より、文化交流を通じて、自らが両国の架け橋になろうという使命感がなければできない事業だろう。

陳さんには、黄山美術社の他に「海外文物回帰文化交流基金」日本側主席という顔もある。これは、「中国友好和平発展基金会」と黄山美術社が提携して行う試みだ。

 

「中国は、世界中でも最も文物流出の多い国の一つです。文物の海外流出は中国文化の損失というばかりでなく、世界人類と文化遺産の観点から見ても大きなマイナスであることは明らかです。情報収集や回収事業を通じてこれをなんとしても食い止めることも、私の大きな仕事の一つなんです」

 

陳さんが現在取り組んでいるのは、漢字を総合的に紹介する「漢字展」だ。

 

「中国と日本だけが、今、漢字を使用している世界でただ二つの国です。これは非常に強力な共通点です。日本の皆さんの漢字に対する興味は、とても大きなものです。テレビのクイズ番組には必ず漢字の問題が出題され、また日本漢字検定能力協会が主催する漢字検定を受検する人は、年間にしてなんと130万人にものぼります。漢字こそ、両国の文化交流の要です」

「漢字展」では、知られる限り最古の漢字であり、漢字の源流と言われる亀甲獣骨文字に始まり、それぞれの時代に漢字がどう発展し、変化し、そして今の漢字になったか、そのストーリーを作りたいのだという。

 

「当初はほんの2~3年学んだら帰るつもりでした」という陳さん。それがすでに20年を超える滞在となり、今や文物展は黄山美術社なしでは考えられないほど重要な存在になっている。
「ある方が、こんなふうに言ってくださいました。『中国と日本では電圧が違うから、互いの電化製品をそのままでは使用できない。しかし、変圧器があれば可能だ。陳さん、あなたはさしあたって、文化の変圧器だね』と。これは私にとってたいへんうれしい言葉であると共に、私の仕事や使命を、とてもよく表している言葉だと思います」

 

尖閣問題で日中間が揺れる今、ここに粘り強く、文化の力で橋を掛けようとしている人物の誠実な仕事を見た。

 

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09B_Chine_kouzan02 (2)プロフィール
陳 建中氏…1956年、安徽省生まれ。来日して城西大学経済学部に学び、卒業後、貿易会社勤務を経て、2002年に黄山美術社を設立する。同社代表取締役社長のほか、中国友好和平発展基金会・海外文物回帰保護基金の日本側主席を務めている。
株式会社 黄山美術社

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