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文星閣が生み出した『水なし印刷』こそ、 時代が求める最高の環境対策だ!

株式会社文星閣 代表取締役 奥 継雄氏

◆取材:綿抜 幹夫

 

風景 (19)

人が生きていく限り、必ず環境に負荷をかけてしまう。だからこそ、それをできるだけ軽減しようとするのが昨今の『エコロジー』運動というものだろう。だが、そんな概念が確立するずっと前から、新しい印刷方式で環境対策を訴えていたのが株式会社文星閣だ。社運を賭して開発した『水なし印刷』の普及にかける思いを伺った。

中興の祖は父・隆雄。その思いがこもった我が名は継雄

bunsei04工場内の様子

東京都大田区にある株式会社文星閣は、創業大正元年。古い文献によると明治33年には開業していたとの記録もある。残念ながら会社にはその当時の古い資料はなく、開業の頃の様子は分からないらしい。しかし、百年を超える歴史を誇る老舗印刷会社であることは間違いない。

 

その老舗を30歳の時に継承した奥継雄氏は5代目社長にあたる。ずっと一族が会社を守ってきた。

株式会社 文星閣 奥継雄 社長 (6) -

「父から会社を継いだのは21年前です。曾祖父が創業し、祖父が2代目、伯父が3代目で、戦後父が4代目として会社を復興しました。そして私という流れです。確かに古くからの会社ではありますが、今日の文星閣を形作ったのは昭和23年に会社組織として復興した父でした。いわば中興の祖が父だったわけです」

江戸 町並み

会社継承が生まれた時から決められた宿命だと言うことは、名前の『継』という文字からも窺い知れる。

「曾祖父、並継は江戸末期から明治にかけて活躍し、大成した人物です。大蔵官僚などを経て財を成しました。その名から一字頂いての継雄だそうですが、幼い頃から『会社を継ぐんだぞ』と言われてきました」

そのための修業の一環としてか、継雄社長は15歳の時にはすでに会社でアルバイトを始めている。

 

「かれこれこの会社で35年以上も働いているので、すでに定年後の嘱託社員なんかと『同期』ということになるんですよ。ですからこの年齢で一番の古参社員ということになりますね。丁稚奉公じゃないが、若くして印刷の『いろは』を学んで、あっという間に30となって会社を継いだ。父はその頃、もう70代も後半で、これ以上は待てないというタイミングだったのです」

しかし、この社長交代劇、時代があまりにも悪かった。  「時はまさにバブル崩壊後。工場の土地建物や印刷機の設備投資で巨額の借金を抱えての5代目就任でした」

まさに嵐の船出だった。

 

 

人心を一新し、直間比率逆転で生き残る!

bunsei05昨年導入した国内で3台目の新台印刷機

社長就任当時、会社は立派な営業部隊を擁し、クライアントとの直取引が売上の大部分を占めていた。他の印刷会社から来る、いわゆる下請け仕事は少なかった。

 

株式会社 文星閣 奥継雄 社長 (5) -

「確かにクライアントから直接のご発注をいただく方が利益率は高いですし面白い仕事もできるのですが、この直取引を維持していくためには、営業や企画、デザインといったスタッフに人件費がかさみます。それにそのスタッフが一定以上の水準にないと、クライアントからの信頼も得られない。それなら利幅は薄いが下請けに徹して確実に利益を上げたかった。私自身、職人上がりの経営者なので、工場の強みもわかっていましたしね。だから、下請け工場のナンバーワンを目指そうと考えたんです」

この方針転換には、新社長としての考えとは別に、切羽詰まった事情もあった。

 

「社長が代わって、先代社長が右腕と頼んだ二人の重臣が潔く身を引いてくれました。あるいはバブル崩壊後の、業界や会社の変革を予期していたのかもしれませんが、きっと私がやりやすいように配慮してくれたのだろうと思います。その結果、私より社歴の長い営業マンは皆さんそれに倣って退職された。当時はそれが悲しかったし、会社にも大きなダメージになりました。顧客を持って辞めた営業マンもいましたからね。

しかし、高い人件費の社員が辞めたことは経費削減という意味では助かりました。会社から仕掛けたリストラではなく、自然発生的に組織を再構築することができたわけです。この人の流失があったからこそ、下請け仕事に舵を切る決断ができたんです」

何より、巨額の借金を抱えてまで建てた工場を活かし切ることこそが生き残るための最善策だった。結果的にこの方針転換で、売上のメインは下請けの印刷に変わり、『直間比率』は完全に逆転した。

 

「高校生の頃から印刷機を回し、大学生の頃には夜勤要員としてこの工場で働いてきた私としては、機械を遊ばせてはいけないというのが身に染みて分かっていました。安くても、下請けでも機械を回し続けることこそがこの世界では大切なんです」

この地道な取り組みが功を奏し、ここ3期は増収増益を記録しているという。

 

 

切り札『水なし印刷』の普及に賭ける!

営業方針として、下請けにシフトする以前から、技術的な方向性として、ある革新的な印刷手法に着目し、そしてその実用化に向けてずっと注力してきた。それが『水なし印刷』と呼ばれる新しいオフセット印刷の方法である。

そもそもオフセット印刷は水と油(印刷のインク)の反発作用を利用する印刷方法。そこから水を取り除くことは極めて異例の方法論と言える。

 

「我が社では1982年くらいからやり始め、1985年に製品化に成功しました。この当時、水なし印刷に取り組んでいたのは日本では我が社を含め数社だけだったと思います」

この水なし印刷、その最大の利点は二つ。一つは水を使わないので有害な廃液が出ないこと。そしてもう一つは網点が水で滲まないので印刷が非常にクリアなこと。細かいものを表現するためには大変優れた印刷方法と言えるだろう。

 

「今でこそ、世を挙げて環境環境と言っていますが、当時の印刷業界でそんな動きは皆無でした。これを業界内で先んじて取り入れておけば、あるいはナンバーワンになれるかもしれないという思いもありましたね。しかし、今現在でも業界に5%程度しか浸透していないのが実情です

いいことずくめのこの水なし印刷だが、なかなか普及しない背景には、その特許を東レが一手に握っているという事情がある。

 

「印刷業界における製版フィルムなどの資材は富士フィルムやAGFAが大手ですが、既存の水あり印刷のためのもの。これが水なし印刷の普及を妨げています。やはり大きな既得権益を崩すのは、どの業界でも難しいものですから」

 

しかし、奥社長は手をこまねいているわけではない。

「私が音頭を取って水なし印刷の協会を作り、普及を図っています。水なし印刷は我が社の、そして私のライフワークと言っていいもの。今では大企業が行っているCSR活動の報告書などは、水なし印刷で環境負荷をなくすという動きがありますが、そこにシンボルマークとして『バタフライマーク』を掲出し、その証明としているんです」

bunsei03水なし印刷で印刷された印刷保証マーク。B02というのは同社のPINナンバー。

水なし印刷のシンボルとして使っている蝶々の図柄は『オオカバマダラ』という種類だ。オオカバマダラは世代を超えて渡りをすることでも有名で、カナダの国蝶、米国ミネソタ州ほか数州の州蝶にもなっている。また、この蝶は『環境のリトマス試験紙』と言われるほど環境に敏感なため、公害や開発の影響で、エサとなる樹木が無くなり、その生息域も年々少なくなっている。 だからこそ、この蝶を印刷物に載せることで世界中に環境問題を訴えたいという願いがこめられているのだ。

 

「今やエコに敏感な顧客からは『文星閣の水なし印刷』で刷って欲しいというご指定で仕事が舞い込んでくるまでになりました。この蝶々のマークを印刷物に載せたいという希望があるからでしょう。現在、日本で百社程度、このマークを使うことのできる印刷会社があります。私はその印刷会社の団体である日本WPA(日本水なし印刷協会)の副会長をやっています。このマークの知名度が上がれば、ますます水なし印刷が普及していくことでしょう」

徐々にではあるが、確実に水なし印刷は広がりを見せている。

 

 

業界の社会的地位向上のために……

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奥氏が社長に就任して20余年。経営方針も社内に浸透したし、社を挙げて推し進めている水なし印刷にも充分な手応えがある。だが、会社の今日があるのは先代社長の先見性が大きかったと思い知らされると言う。

 

株式会社 文星閣 奥継雄 社長 (7) -

我が社が生き残れた最大の要因は、23区内にこれだけの規模の工場を持っていることです。どの業界でも郊外移転が常ですから、立地のアドバンテージは計り知れないものがあります。そうこうしているうちに、周りの印刷会社が倒産、廃業に追い込まれていって、結果としてその仕事が我が社に回って来るようになっている。まさに残存者利益というものでしょう

 

この業界はとにかく薄利多売。設備投資も大きいので、いまさら新規参入する企業はない。だからこそ、必死に生き残った文星閣にはそのご褒美とも言える残存者利益がもたらされたのだ。 ようやく自社の行く末に、一定の目処は立った。この先はもう少し大所高所に立った、業界全体の地位向上のためのアクションも起こしていきたいと奥社長は考えている。

 

 

「印刷業界は、『印刷屋』と半ば蔑まれる社会的地位の低い業界だと私は感じています。欧州などでは印刷業の社会的地位は高い。それは歴史の差かもしれません。何と言っても『聖書』を刷るという役目がありますからね。その点でいけば『読売』と『浮世絵』という庶民文化から発展した日本の印刷は、地位が低いことも頷けるんです。明治大正期には、官報は服役中の受刑者が印刷していたという記録もあるくらいですし。事実、私がこの世界に入った頃は、印刷の職人には怪しげな人が多かったものです。もちろん、今はそんなことありませんけどね。

 

今後は顧客からお願いしますと言われる商売がしたい。そのためにも水なし印刷に賭けたんです。環境にいい、社会貢献ができると顧客に勧めることで、これまでの印刷にない付加価値をつけているわけです。時代の先頭に立っているという自負を、社員共々持って臨んでいます」

 

この先、印刷業界の市場はますます縮小していくだろう。しかし、そんな市場にあってもなくならない需要は必ずある。文星閣の水なし印刷こそ、そう遠くない将来、業界のスタンダードとして君臨しているかもしれない。その日のために奥社長の普及活動は続く。

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●プロフィール/おく・つぐお氏…昭和38年東京都大田区生まれ。駒澤大学卒業。大学卒業と共に文星閣に入社。30歳で社長就任。日本水なし印刷協会副会長、東京都印刷工業組合理事、日本印刷産業連合会 環境優良工場表彰制度 審査委員長。

 

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●株式会社 文星閣

〒146ー0085 東京都大田区久が原2ー12ー12

TEL 03ー3754ー8370

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2014年4月号の記事より

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