永井機械鋳造株式会社|若き女性社長の挑戦 父の遺志を継ぎ、新しい鋳造業の創造へ。世界初! 廃材利用で環境に優しい「ECOMONO」
永井機械鋳造株式会社 父の遺志を継ぎ、新しい鋳造業の創造へ。
◆取材:姜英之
世界初! 廃材利用で環境に優しい「ECOMONO」
かつて「キューポラの街」と呼ばれた埼玉県川口市は、鋳造業の盛んな土地である。時代の変化とともに現場も様変わりする中、最近、ある1つの交替劇があった。新たに登場したのは、33歳の若き女性社長。交替の裏側にある試練とその克服、新しい鋳造業の創造に向けた抱負など、永井機械鋳造の西澤禅さんに話をうかがった。
「オレはこのメンバーでずっとやっていく」
進路を決めた父の一言
幼い頃からどれほど工場に慣れ親しみ、従業員から「しーちゃん」と呼ばれて可愛がられていようと、自らが社長を継ぐとなると話はまったく別である。しかしその機会は突然やってきた。永井機械鋳造の4代目社長は、先代の右腕だった専務ではなく、次女・西澤禅に決定する。
「病気が見つかった後も、父がいなくなるとはまったく思っていませんでした。父の葬儀はとても寒い日でしたが、たくさんの方が参列して下さいました。その時、専務から『ほんとにかわいそうですが、ある意味今日が、〝後継者がここにいます〟というお披露目になりますからね』と言われたんです。当時はその言葉の意味が理解できず、悲しみの他に何か胸の中に違和感を覚えました。今となればあの時の専務の想いを汲み取ることができるのですが。でもその言葉を聞いたせいか、私は、『泣いちゃダメ、いや、泣いてもいいけど崩れてはいけない』と、強く思っていました」
西澤禅さんはそう語る。日本の製造業、とりわけ鋳造業においては、女性が代表取締役に就くのはきわめて稀である。まして禅さんは、次期社長になるどころか、そもそも海外生活の機会を探していた人だった。
「コンテナ船を扱う船会社に就職して船のオペレーションを担当していました。また、海外の船会社でインターンシップを希望し、渡豪していた時期もあります。大学で国際コミュニケーションを学んだので、海外との接点を持てる仕事に就きたかったんです。父がちょうど還暦の誕生日を迎える際、遊学先から一時帰国をしました。その時、たいへん恥ずかしい話ですが、海外生活で少しお金を使いすぎてしまい、次の渡航に向けて父の会社のゼオライト事業部でアルバイトをさせてもらうことにしたんです。そこから〝働く父の姿〟を目の当たりにし、影響を受け始めたように思います」
折しも、リーマンショックの煽りで製造業はガタガタになり、永井機械鋳造も苦境に立たされていた時期である。禅さんの意識も次第に変化し、そして決定的な瞬間を迎える。
「会社の伝統行事である〝初午〟の日に、父が従業員さんの目の前で『オレは誰1人リストラしない。これからもこのメンバーでずっとやっていく』と言ったんです。その熱い想いにわが父ながら、『かっこいい!』と衝撃を受けました。これが、父をサポートしたい、父の仕事のお手伝いをしたい、という気持ちが芽生えた瞬間であり、完全帰国を決めた理由です。これを機にアルバイトではなく、正式に入社させていただくことになりました。あの時父は、自分に言い聞かせていたのかもしれないなと思います。『この川口の地場産業の火を消したくない』とも言っていましたから」
写真上:同社の伝統行事「初牛宵宮祭」では毎年先代と親子で叩いていたという「初牛太鼓」 写真下:工場内に飾ってある先代:西澤 敏雄氏(前列中央)とスタッフの集合写真
父と一緒に働くことのできた日々は3年に満たない。もっと多くの時間を共有し、たくさんのことを学びたかった。しかしそれでも、禅さんは1人ではなかった。
「毎日を共にする従業員さんたち、家族、そして父が親しくさせていただいていた友人や仲間の方々が支えてくださいました。私にとっては〝第二の父たち〟です。鋳物のことを何も知らない私のために、電話1本で駆けつけてくれたり、相談にのってくれるような方々がいて、直接アドバイスを受けられることは、本当にありがたいことだと思っています」
世界初・廃砂リサイクルによる人工ゼオライトの開発で、
さらに環境への意識が高まる
取鍋を2つ使用して鋳込む「二丁出(にちょうだし)」
永井機械鋳造は今年、創業50周年の節目を迎える。社名の「永井」は創業者・永井政一氏の姓によるもので、禅さんの父・西澤敏雄氏は初の外部社長(創業者の妹の息子なので姓が違う)。敏雄氏は平成8年から3代目社長を務めていた。
会社は鋳造部、製缶事業部、ゼオライト事業部に分かれ、鋳造部は世界共通の登録商標でムラのない高品質な「ミーハナイト鋳鉄」を取り扱う。そして禅さんがアルバイト時代から一手に企画・製造・販売を手がけていた「ECOMONO(エコモノ)」は、人工ゼオライトを使用した消臭&調湿剤である。永井機械鋳造の人工ゼオライトは、世界で初めて鋳物の廃砂をリサイクルして製造した逸品として高く評価されている。
ポプリのサシェ、雑貨感覚で楽しめる置型消臭・調湿ポット、シューズキーパーなど、さまざまな「ECOMONO」商品を展開している。購入はこちらから
地球にやさしい「ECOMONO」を販売する企業の代表として、環境に対する禅さんの意識は相当に高い。
「私が幼かった頃、川口の空は灰色でした。昔からここに住んでいる方々は理解されていますが、なにしろ川口は今、東京のベッドタウンですから、どんな街かを知らずに越されてくる方々も少なくありません。当社は住宅地の中にありますから、環境に配慮のある都市型工場を目指しています。例えば工事をする際も、『いついつまで工事で騒がしくなります、申し訳ありません』といったご案内はもちろん、近隣の住民の皆さんとなるべくコミュニケーションを取るよう心掛けているつもりです」
環境への配慮については、実はもう1つ大きな理由がある。
「鋳造業の心臓部分である電気炉の更新をしたんです。父の誕生日である1月8日に電気炉を搬入してもらい、命日の1月19日に初吹きと呼ばれる更新完了のお披露目を行いました。いずれ電気炉の部品の供給は困難になる恐れもありましたし、老朽化した設備を使い続けて事故が起きたら手遅れになりますから、計画的に早めにやってしまおうと考えました。
更新にはかなりの費用がかかりますので、経済産業省へ補助金の申請をさせていただきました。結果、無事に採択され工事までたどりつきましたが、やはり受け継いだ借入の他に、自分の名義で新たな借入を作ったことになるわけです。この借入で気合いが入りました(笑い)。
代表としての意識が芽生えたのはそこからでしょうか。自分の意志でやった最初の大きな仕事だったと思います。他の土地に移転することも考えられなくはないのですが、ここで電気炉の更新をしたということは、『永井機械鋳造はこれからも川口でやっていきます』と宣言したようなものですね。ですから、これからの環境に適した、より都市型の鋳物工場のスタイルを見出し、確立していかなければならないと思っています」
平成26年1月19日に行われた「初吹き」。電気炉を入れ替え後、初めての出湯の様子。
いつも父に『見られている』
川口に留まり、より働きやすい地場産業をめざす
電気炉の入替という大仕事を成し遂げた禅さん。しかしご本人は「モノクロの世界がセピアになった程度。到底、カラーの世界にはほど遠い」と謙遜し、気を引き締めている。
「私にとって父は、どんな時にも助けてくれるスーパーマンでしたから、父がいないという現実を受け入れられていませんでした。今もまだ、時々、父ってどこかにいるんじゃないかな?と思う時もあります。それくらい父はいつも近くにいて、見守ってくれていると感じています。判断に迷っている時、しばらく考えているうちにふと答えが出てくるのは、父が何か伝えようとしてくれているのかなと思います。
代表としてあまりにも未熟ではありますが、つらいと思うことはありません。私にとっては父がいないということが最大の痛みなので、それ以上のことはないんです」
危機にあっても川口のことを考え、地場産業である鋳造業の火を絶やさないよう、努力していた父・敏雄さん。その遺志は、着実に禅さんに受け継がれている。
「川口の方の雇用を広げていきたいと考えています。会社と家が近いってすごくいいことじゃないですか。仕事もプライベートも大事にできるし。『頑張って稼ぎたい』と思ってくれる社員さんたちの気持ちに応えられる会社にしていきたいです。若い方にはとくに、この工場を自己実現の場にしてほしい。
『3K』と呼ばれる仕事ですが、そのイメージを払拭したいです。鋳物屋は、暑くて暗い工場の中で真っ黒になってモノを作っている。そんなあいまいなイメージを持たれているのであれば、職人一人ひとりの〝手〟こそが日本のモノづくりを支えているという、はっきりと明るく前向きなイメージに変えていきたいです」
多くの中小企業にとっての検討課題である海外進出に関しては、極めて冷静でブレない姿勢を持っている。
「経済産業省が中小企業の海外展開を推進していますが、私は国内で勝てないものが海外で勝てるのだろうか?優秀な職人さんを連れて行っても、日本との距離で、日本と同様の管理ができるだろうか?という疑問を持っています。管理が甘くなれば、いくら安価に作れるようになったとしても、きっと品質に問題は出てきます。
同じ品質を海外で作るにはお金も時間もエネルギーもかかる…、となればきっと国内も海外も結局は中途半端になってしまうのではないか?など、まだまだ自分の中で海外進出を決定できる程の理由が見つからないのです。だから海外進出について今は考えていません。
それよりも、今すぐできることにもっと力を入れ、より社内の体制を強化し、国内のスキマを狙い続けて高付加価値な鋳物作りを極めていきたいと思っています。もともと少量多品種の規模ですし、それを得意としてきたわけですから、これからもそこは変えずに続けていきます」
この先、禅さんがどう舵取りしていくのか、従業員が、川口の街が、そしてあの人が見守っている。
「何よりも、いつも父に『見られている』感じがするんです。ですから私は私の生きざまを見せなければ、と思います。できなかった親孝行を、ずっと空で見ている父に、これからしていくつもりです」
日本の製造業の地力はこのようにして培われ、脈々と受け継がれてきたのだ。その流れが絶えることのないよう、切に願いたい。
故小渕恵三元総理による工場見学の様子
●プロフィール
にしざわ・しずか氏…1981年4月、埼玉県川口市生まれ。学習院女子大学国際文化交流学部国際コミュニケーション学科卒。コスコ・コンテナラインズジャパンで船のオペレーションを担当、その後、渡豪。2009年、永井機械鋳造に入社。2012年2月、代表取締役社長に就任し、現在に至る。
●永井機械鋳造 株式会社
〒332-0032 埼玉県川口市中青木3-6-22
TEL 048-251-5260
http://www.ngi-c.co.jp/
●「ECOMONO」ホームページ
http://ecomono.jp/
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