◆取材:橋本雄太 /文:大澤美恵 /撮影:周依琳

髙田忍 専務理事 公益財団法人日本数学検定協会

 

2018年11月、小学5年生の男の子が実用数学技能検定(数学検定)1級に合格したという衝撃的なニュースが飛び込んできた。数学検定1級と言えば、大学レベルの問題が出る階級である。彼は5歳から数学検定に挑戦し始め、小学1年生で高2レベルの2級に、小学2年生で高3レベルの準1級に合格していたという。

クラスメイト全員が同じ教室で同じ授業を受ける教育現場において、このようなずば抜けた能力を持つ子どもを見出すことはなかなか難しい。それを、公教育の現場以外で実現できる機会の1つが、数学検定なのだ。今回は、公益財団法人日本数学検定協会の専務理事 髙田忍氏に、Society5.0を踏まえた同協会の目指すビジョンについてお話を伺った。

 

数学へのモチベーションを高めるために始まった数学検定

30年前に、日本で数学嫌いが増えていることに危機感を抱いていた創設者・髙田大進吉氏は、数学の検定制度が世界にないことをうけて、生涯をとおして数学を学習する機会を設け、学習成果を主張するための検定制度の開発を開始した。当初は5階級で約260人の受検者だったものが、現在は幼児から大学レベルまで15階級が設けられ、2016年8月には累計受験者数がのべ500万人を突破した(※1)

数学検定を創設した父親のもとで育った髙田氏だが、やはり数学を嫌いになった時期があったという。

 

「小学生のとき、算数の授業中に『直角ってなんで90度なの?90って中途半端だから、100度のほうがいいのに』と先生に言ったんです。そうしたら、『直角は90度と決まっているから、90度と覚えなさい』という答えが返ってきました。その瞬間算数がつまらなくなって、イヤになりました」

その後、社会人になってしばらく経ってから父親から請われて協会で働くことになった。そのときに、ふと小学生の頃に数学が嫌いになったときの記憶がよみがえった。それで「なぜ直角は90度なのか」ということを改めて調べてみると、非常におもしろい事実がわかったのだ。

 

「太陰暦では、1ヶ月が29日か30日とされていたので、1年が約360日なんです。だから、360度が一番大事だと思われていたそうです。360って、2や3だけでなく、4、5、6、8、9、10、12でも割り切れる。考えてみたらすごいですよね。ピラミッドも底にある正方形は同じ角度の角が4つあるから、必然的に360度の4分の1ということで、直角が90度になったそうなんです。

当時360はすごい数と思われていたそうなんですが、90もまたすごい数と考えられていたということで、おもしろいなと感じたわけです。このことを知って、ぜひこのおもしろさを子どもたちにも伝えたいと思いました」

現代の教育では「なぜ?どうして?」の問いに対して、「これはこういうものとして覚えるんだ」という教え方がなされることが多い。しかし、それではせっかくの子どもの探求心を奪ってしまいかねない。さまざまな事象に対して子どもが疑問を持つのは当然のこと。周りの大人が子どもの「なぜ?」を真摯に受け止め、子どもの気持ちを大切にして一緒になって考えることが、数学好きを増やすことにもつながるのではないだろうかと髙田氏は予想する。

 

協会が掲げる3つのコンセプト

「数学を学びたい」「数学を使って何か新しいものを生み出したい」という人を増やすことは、協会の重要なミッションの1つだ。そのために、協会は、3つのコンセプトを掲げている。

 

1つめは、「数学の生涯学習化」だ。数学検定は、「級」という一定の指標を作ることによって、だれでも年齢問わずチャレンジして学習成果を測ることができる検定だ。1級に合格したらそれで終わりとせず、数学の「道」を極めるために1級をずっと受け続ける人もいる。

また、学習の効果を高めるために、子どもも高齢者もともに学び合う機会を設けるべく、協会では0歳から100歳まで一緒に楽しめるイベント「ゼロヒャク21」を展開している。

 

2つめに掲げているのは、「数学学習のデファクトスタンダード化」。人間が数を発見して以来、量や長さといった感覚を身につけて、建築物が生まれ、貨幣が生まれ、天体観測が生まれた。そのとき、必要な「物の量や数値」を表す万国共通の「単位」を作り上げ、言語は異なっていてもお互いがコミュニケーションできる状態がどんどんできていった。

つまり、数学にはひとつの言語性があるのだ。協会では数学検定という絶対評価としての指標を海外に広め、同じレベルかどうかを確認し合えるようなコミュニケーションツールとしてのデファクトスタンダードを目指すのだという。

 

3つめは、「算数・数学嫌いをなくし、算数・数学好きを増やす取り組み」だ。学校で習う数学は、設問があって、それに対して式を立てて答えるというのがスタンダードである。しかし、髙田氏は「数学の楽しさにはもっと違う魅せ方がある」と胸を張る。

たとえば、協会では江戸時代に庶民の文化でもあった算額を奈良の東大寺に奉納するイベントを行っている。算額とは、和算(算数・数学の問題)を絵馬に描き、神社仏閣に奉納し、参拝した人たちによって問題を解き合うもの。

古のこの文化を、協会は現代風にアレンジし、「算額1・2・3」と称し、大仏にちなんだ問題をつくって全国から毎年解答を募集している。

たとえば、「大仏様が東海道五十三次を歩いたら何日かかるか」という問題では、大仏の身長や予想される歩行速度から答えを割り出す人もいれば、それぞれの宿場町で1泊していくと考える人、念力を使えば一瞬で到達すると考える人もいる。そういったイベントなど楽しく数学を学べる場を通じて、数学にもっと魅力を感じてもらえることを狙いとしているのだ。

算額1・2・3 過去の例題

「考え方は自由なので、どんな答えがあってもいいんです。大人も子どもも一緒になってディスカッションをしたり、あれこれ考えを巡らせたりして、問題を解くプロセスを楽しむことこそ意義があると思うんですよね。協会としては、小さい頃からこういう楽しい数学に触れられる機会をどんどん作っていきたいなと思います」と髙田氏は言う。

 

数学は日々の生活の中に溶け込んでいる

数学と言えば「受験数学」を思い浮かべたり、「数学って何の役に立つの」と思う人も多いだろう。しかし、実は身の回りには数学を使ったものであふれていることにお気づきだろうか。あなたの目の前にあるスマートフォンやパソコンも、その中には数学がぎっしりと詰まっている。

たとえばスマートフォンの画面はX座標、Y座標である。つまり、数学は知らず知らずのうちに身近なところに存在しているのだ。それに気づかない人が多いのは、「文系と理系が安易に分かれていることの弊害も大きい」と髙田氏は言う。

 

「特に、文系の私立大学では入試で数学の試験が課されていないことが多いですよね。そのためか、数や割合の概念があまり身についていない学生が増えているように感じます。だから、『文系・理系に関係なく最低限の数学リテラシーを持って社会に出てほしい』と経済界・産業界から学生に向けて発信してほしいですね。

先日、経団連の中西宏明会長が若い人材の育成と大学教育の改革に向けた提言の中で、『ビッグデータやAIを活用できる人材を育成するため、数学を全学生の必修科目に』と発言されていました(※2)。私たちはこれを大変重要な提案であると受け止めています」

 

今、日本の教育に必要なこと

教育制度の改革が急務である日本とは対照的に、中国の上海では、政府の資金援助のもとで5~15歳くらいのずば抜けた才能を持つ子どもたちが集められて、創造性を育むためのSTEAM教育(Science Technology Engineering Art Mathematics)を受けている。日本でもようやくSTEM教育(Science Technology Engineering Mathematics)が始まろうとしているが、世界に後れをとっていることに、髙田氏は危機感を募らせる。

 

「今の教育は同じような能力を身につけさせるために、落ちこぼれをなくそうとしています。それはそれで重要なことなのですが、一方で、『エリートを生み出してはいけない』という風潮もあります。そのため、冒頭で紹介した数学検定の1級に合格した11歳のお子さんのように、できすぎる子もまた学習困難者なんです。そのできすぎる子どもたちをいかに見出し、育て上げていくかを考えなければならない時代に来ています」と髙田氏は言う。

このグローバル社会の中で、将来を担う子どもたちのために、今、協会として何ができるか。その答えが、検定を通して数学的な素養を持つ子どもたちを全国から見出すことだ。どの学年の子が、どの級に合格しているかはシステムですぐにわかる。

そのデータを生かして全国にいる数学が得意な子どもたちが、音楽や英語など他の分野で優れた能力を持つ子どもたちとコミュニケーションが取れるようになれば、そこから新たなものが生まれたり、さまざまな広がりが見えたりするのではないかと髙田氏は予想している。

 

スポーツとは違って、数学ができる子はとかく「変わり者」に見られがちだ。しかし、そういった偏見が子どもの好奇心の芽を摘んでしまうこともある。1級や2級に楽しんで合格できるような子どもをもっと増やすためには、経済界・産業界・一般社会を含めすべての人があらためて数学の必要性に気づき、理解するところから始めなければならない。協会には、一般の人と経済界・産業界を結ぶ数学の「語り部」として役割が、今後ますます求められるだろう。

 

(※1:参考:日本数学検定協会「数検」30年のあゆみ<https://www.suken30th.net/history/>)

(※2:「経団連『数学は全学生必修に』 若手育成で提言」『日本経済新聞』2018年12月4日電子版<https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38525230U8A201C1EE8000/>)

【プロフィール】

髙田忍

公益財団法人 日本数学検定協会の専務理事。

大学卒業後、建築業界を経て入職。先代の退任後、専務理事に就任し現在に至る。

大仏にちなんだ文章問題を出題して全国から解答を募る「算額1・2・3」や、全世代交流プロジェクト「ゼロヒャク21」を実施し、算数や数学の楽しさを広く世に伝える活動を展開している。

 

【団体情報】

公益財団法人 日本数学検定協会

所在地:〒110-0005 東京都台東区上野5-1-1 文昌堂ビル6階

電話番号:03(5812)8340

設立:1999年7月

事業内容

●数学に関する技能検定の実施、技能度の顕彰及びその証明書の発行

●ビジネスにおける数学の検定及び研修等の実施

●数学に関する出版物の刊行及び情報の提供

●数学の普及啓発に関する事業

●その他この法人の目的を達成するために必要な事業

https://www.su-gaku.net/