ITでAI(アイ)ある世界を予言する ‐ 株式会社プロフィット
ITでAI(アイ)ある世界を予言する ‐株式会社プロフィット
◆取材:綿抜幹夫 / 文:渡辺友樹 / 撮影:高永三津子
株式会社プロフィット(prophet) 代表取締役 久世文夫氏
ワンストップでIT業務を受注できることが特徴の株式会社プロフィット。久世文夫社長は、前職の大手IT企業でOS開発からスーパーコンピューター、金融機関の第三次オンラインまで手がけた実績を持つ。
外資系からのヘッドハンティングを断って独立開業してから20年弱、「コンピューターは嫌いだと思った」「IT業界に来たいとは思っていなかった」と語る同氏の哲学とは?
嫌いだったコンピューター
数学教師を目指して東洋大学へ
建築会社を経営する父のもとに、4人兄弟の次男として生まれた同氏。長男は跡を継ぐのが当たり前の時代。長男は大学の費用も無条件で出してもらえるが、次男以降は勝手にしなさいという扱いだ。
同氏も大学進学のとき、兄とは扱いが違うことを身を以て知ることになる。その代わり、学部学科、その先の就職先まで好きに決められた。同氏は数学の教師になるために東洋大学工学部情報工学科に進学。当時新興の「情報工学」なる学がいったいどんな学問なのか、いまひとつ分かっていないまま、「学費が安いし、そこしか受からなかった」という理由での入学だった。
「行ってみて、ああコンピューターを勉強するのかって。しかも『俺、コンピューター嫌いかも』って思いました。0か1かで『まあまあ』がない、融通の利かない世界が自分には合わないって、確かにそう感じましたね」
バンドでメジャーデビューを果たした大学時代
高校までサッカー少年だった同氏だが、大学ではサッカーはせず、並行して打ち込んでいたバンド活動に力を注ぐ。小学校高学年でギターを始め、中学・高校でも文化祭などで演奏していたという。勉強そっちのけで精力的に活動をするうち、渋谷のライブハウス出演後の楽屋にスカウトが訪れ、大学2年でメジャーデビューを果たす。
しかし、メジャーの世界を経験するうち、自分自身が音楽を行う上での目標が達成できていないと感じる。「落ち込んでいる人は慰め、ハッピーな人はもっとハッピーにしたい」と考え、そのための最適なツールが音楽だと信じていた。世の中をより幸せにすることが目標で、メジャーデビューを目指していたわけではなかった。
「そのまま音楽の世界で嘘をついて生きていくこともできたけど、ちょっと嫌だったんです。あんまり嘘つきたくないなと思ったので、『目標達成できないんだから潔く社会人になれ』って、自分で自分に言いました」
人生のテーマは「世の中を幸せにしたい」
就職先は大手IT企業だった。やがて独立開業に至るITの世界は、音楽とはまったく異なる世界にも思えるが、実は「落ち込んでいる人は慰め、ハッピーな人はもっとハッピーに」という理念は現在まで一貫している。有名になりたい、金持ちになりたいという欲はまったくない。そうではなく、世の中をもっと幸せにしたい。
まずはクライアント、社員、そして社員の家族。そういった身近な存在をより豊かにし、より幸せに。そのために知恵を絞り、体力を使うことは何ら苦ではない。自身も、大学生を筆頭に4人の子を持つ父親だ。
「そんなに難しく考えて生きていないんですよ。子供も、生んで育ててみてびっくりしました。こんなにお金がかかるのかって。学費は高いし、メシもこんなに食うかみたいな。焦っちゃって。いつも『まじか』って後からびっくりする。それで、いま必死こいて働いてるんです」
技術畑で実績を残したサラリーマン時代
大手IT企業に就職
当時の就職活動は売り手市場。研究室にいる人数よりも、求人の方が多い時代だった。企業説明会に参加することもなく、就職活動らしい就職活動を経験しないまま、社会人になった。しかも、前述のようにもともとコンピューターやITは嫌いだった。
しかし、入社してからはOS開発やスーパーコンピューターなど、技術畑で豊富な経験を積む。OS開発者としてミドルウェア開発者との連携を密にするうち、自ずとミドルウェアの知識も得た。
やがて80年代後半、金融機関が第三次オンラインに莫大な費用を投じ始める。より利便性を高め、銀行ごとの特徴を顕在化させていこうとする取り組みだ。何百億円という投資に対して人が足りない状況で、技術力に加えて持ち前のコミュニケーション能力を買われた同氏は、事業部を鞍替えする。名だたる都市銀行からゆうちょ銀行まで、ほとんどの金融機関のシステムに関わったという。
「就職したとき、ITの会社って、なんだか無口で暗い人たちが大勢いて。友達もできず、独りでご飯食べて、中庭の芝生に寝っ転がって『これでいいのかな』って。
それに、売り手市場で就職して、社会を舐めてました。入れてもらったんじゃなくて、来てくれっていうから来たんだよみたいな生意気な新人でしたが、ある上司と巡り合えたのが大きかったですね。
何も言わずに休日出勤に付き合ってくれたり、夜遅くなると家に泊めてくれたり。お互いに憎まれ口を聞きながらも、ほとんど毎日一緒にいました。彼はいま、ある大手企業の常務になっていて、この6月にリタイアしたばかり。ケンカばっかりしてたけど、今でも付き合いがあるんですよ」
ヘッドハンティングを慰留され、前職の下請けとして独立
それらの実績を買われ、34歳のとき、外資系のライバル企業からヘッドハンティングの声がかかる。アメリカ行きの話だった。当時、日本のITはアメリカに負けていると言われており、なにくそという気持ちはあった。日本の名誉挽回とばかりに渡米しようと意気込んでいるとき、上層部から待ったがかかる。
社内の情報がライバル社へ渡ることを危惧しての慰留だった。それを突っぱねてまで移籍する気はなかったが、既に辞表を出してしまっていた。社からの提案は、独立した上で、下請けとしてそれまで通りの業務を続けることだった。
こうして、「もともと独立を考えるような野心家じゃなかった」同氏、36歳での独立開業となる。決め手となったのは、抱えていた部下のことだった。サラリーマンの身分では、部下たちを自分の力で守ることはできない。独立すれば、自分で守れる。
「移籍するとき、部下たちも連れて行っていいかって聞いたら、先方の取締役が二つ返事でいいよって言ってくれたんです。でも、外資系に対してなんとなく怖いイメージを勝手に抱いていて。転職したらすぐ部下を切っちゃうんじゃないかとか、いろいろ考えてしまったんです。負けず嫌いでしたし、アメリカで挑戦したい気持ちはあったんですが、部下たちを見捨ててまでっていう選択肢は、ぼくにはちょっとなかったですね」
得意分野はマーケティング
天気予報とマーケティングの共通項
毎年恒例の全体会議の様子(写真上・下)
自分たちの商品やサービスがどんなマーケットに求められているかを、売り手側がわかっていないことは多い。商品・サービス自体のアピールはできても、誰がそれを欲しているかをわかろうとしていない。同社が得意とするのはその部分、つまりマーケティングだ。
前職では天気予報のシステムを手がけたこともあった同氏は、「マーケティングと天気予報は共通する部分が多い」と語る。つまり、過去から現在のデータを分析する以外に手がない。
天気予報は、世界じゅうの気象情報のデータベースを持ち、それを日々更新していくことで近未来の天気を予報する。この作業を怠れば予報の精度は落ちるが、これはマーケティングも同様だ。ある商品が売れたときに、売れたことを喜んで終わりではなく、いつどこで誰に、なぜ売れたのか。さまざまな要素を分析することで、次の売り上げにつなげるのだ。
「マーケティングは分析力。しかし、それをヒューマンパワーで行うと、その人がいなくなったらダメになっちゃう。だから、それをすべてシステムにやらせるんです。そのサービスがどういう企業に受けるかをすべてデータベース化して、7億円の企業を46億円まで、受注率10%弱から40%台まで成長させたこともあります」
チケットの電子化
2013年の夏に引っ越してきた赤坂オフィス
生き馬の目を抜く業界で、同社が20年弱の間、生き残っている理由は、価格の競争力ではない。実際に、そう安い見積りは出していない。同氏が「ワンストップでできることが一番の強み」と語るように、同氏の前職での経験を活かし、サーバーからミドルソフト、アプリケーションまで、IT業務の全域に対応できることが最大の特長だ。
専門化・細分化の進むIT業界で、全域対応ができる企業は多くない。とはいえ、今はひとつのビジネスモデルが何十年というスパンで通用する時代ではない。「10年計画」などという言葉を発した時点で信頼に疑問符が付くほど、IT化社会は目まぐるしく変化していく。加速する時代に遅れず付いていくためには、新しい技術を吸収し、次のムーブメントを予測することが必須だ。
「弊社がいま進めているのは、チケットの電子化です。コンサートやイベントのチケットを、購入から入場までスマートフォンで『ピッ』で済むようにするんです。発券やモギリの人件費を削減できますし、紙の節約にもなります。さらに、電子化によってデータを蓄積し、マーケティングにつなげられるのが大きなメリットです。紙のチケットだと、お金だけが入ってきて、マーケティングはできないんです」
他責にしない生き方を
「自力本願」
こちらも毎年恒例、暑気払いのうなぎ!
少子高齢化社会を持ち出すまでもなく、ITが人間に取って代わることへのニーズは絶対的にある。業界が衰退していくことはないというのが同氏の考えだが、そうは言っても、胡座をかいていては生き残れない。クライアントからの要望に応えることは当然として、クライアントが気付いていないニーズを開拓していくことが必須だ。
「それをしないことは自分たちの怠慢」とまで言い切る同氏の言葉通り、現在の同社は潜在ニーズの掘り起こしによる売り上げが7割に上る。
「他力本願」という言葉が嫌いだという同氏は、本来仏教用語には無い「自力本願」という言葉をその対義語として愛用している。職場のせい、お客さんのせい、社会のせい、時代のせい……なにごとも人任せにしてしまうことを嫌い、すべて自分の責任と捉える。その上で人のために生きる人生こそが崇高であり、その結果として自分も幸せになればなお良い、そこに自分の喜びもあるという考え方が同氏の「自力本願」だ。
「生きていればいっぱいあるじゃないですか。家族が問題を起こしたり、社員が問題を起こしたり、不景気になってクライアントに問題が起きたり。でも、それをすべて相手のせいにしていたら、自分は成長できない。すべて自分のことと捉えて、正面から受け止め解決を考える。解決できないこともあるかも知れないけど、向き合ってなんとかしようとするのがぼくの基本姿勢です。社員にもそう教えていますよ」
◇
自分の力で世の中を幸せにしたい。バンド活動に明け暮れた学生時代から、その想いは一貫している。それを実現できるのは音楽だけではない。ギターからITへとツールを持ち替え、同氏はポジティブを奏でていく。
久世文夫(くせ・ふみお)氏…1961年、東京都新宿区出身。東洋大学工学部情報工学科卒業。IT企業への就職を経て、1997年に株式会社prophetを設立。代表取締役。
株式会社プロフィット(prophet)
〒107-0052 東京都港区赤坂5-4-15 ARA赤坂ビル
TEL:03-5575-3525
FAX:03-5575-3524
従業員数:32名(2015年9月現在)