株式会社上林鉄工所 ‐ 反転攻勢の時が来た!更なる攻めの経営を
株式会社上林鉄工所 ‐ 反転攻勢の時が来た!更なる攻めの経営を
◆取材:綿抜幹夫
「鉄工所」と聞いてイメージするのはごくごく小さな町工場。暗い工場内では溶接の火花がやけにきれいに見えたりして。だが、上林鉄工所はちょっと違う。屋号からは想像もできない大型の装置類を、設計から据付まで一貫して行っているのだ。世間の不景気をしり目に業績は順調。更なる拡大のための布石も打ちつつある。地元の名士でもある3代目社長に好調の要因を聞く。
3・11が転機に……
「我が社はお客さんを選んで仕事をしています」
このご時世に、何とも強気な経営姿勢だ。だが、尊大に構えているわけではない。従業員の、技術者としての確かな腕と製品のクオリティが会社を支えているからだ。
株式会社上林鉄工所は1956年(昭和31年)に創業。当初は修理工場としてスタートしたが、現在は製缶、機械の2部門からなり、粉体(セメント、石膏、石炭灰等)の貯槽や輸送設備関連機器の設計、施工に50年以上の実績がある。設計から製作、運搬、据付までを一貫して請け負うことができるのが強みだ。
「一昨年くらいから顧客を選んでいるんですよ。と言うか、選ばざるを得ない。会社としての受注能力がありますから。それにコスト競争に巻き込まれても会社は伸びないですしね。売上至上主義じゃ、我々のような中小企業は立ち行かないんです。優良な顧客と付き合ってこそ、自社も伸びていく」
忘れもしないあの2011年3月11日。東北地方太平洋沖地震。東北から関東にかけての東日本一帯に甚大な被害をもたらした。当然、上林鉄工所の顧客も大きなダメージを受けた。
最大の顧客である太平洋セメントも例外ではなかった。東北の太平洋沿岸にある工場は大打撃を被った。震災直後からその復興のため、上林鉄工所も奮迅の働きを示したのだ。宿泊する場所もなく、日々の糧すらままならない被災地域でのメンテナンスの依頼。鉄工屋の本業ではなかったが、太平洋セメントの東北地方協力会会長をやっている以上は、馳せ参じないわけにはいかない。
壊れた設備からセメントをかき出して取り壊し、新たな設備を作り直す。放射能に汚染される危険もあったが、かまっている場合ではなかった。それこそ必死で仕事をこなした。当座の売上に大きく貢献するわけではなかったが、ひたすら頑張った。
結果的に震災は大きなビジネスチャンスとなった。会社は利益を産み出す体質に変わっていった。そうなると現状の規模では仕事を回しきれなくなってくる。
「ここ(工場敷地)は約千坪の土地があるんですが、本当はできれば倍欲しいくらいです。当然工場の規模も倍欲しい。生産をもっと上げたいんですよ。この3月には3人の新入社員を迎えます。マンパワーももっとアップしないと」
みんなで頑張り、その頑張りには必ず報いる
確かな技術とその行動力があったればこそ、震災復興のチャンスをつかむことができた。それはワンマン経営ではないフラットな社風によるところも大きい。もちろん、従業員におんぶに抱っこということではない。全員がその役割を全うしているからだ。
「経営者として、従業員と家族の幸せを第一に考え、その上で地元にも貢献する。そのためにもっと売上利益を上げたいと思っています。何より従業員の給料を増やしたい。我々は技術者で、モノを産み出す仕事をしているんだから、本当はそこいらのホワイトカラーよりもっといい報酬をもらっていいはずなんです」
実際、従業員をどう遇しているのだろうか。
「うちは利益が上がればすぐに従業員に還元します。例えば去年の決算時、チャーター便で香港マカオに社員旅行に行ってきました。従業員のモチベーションが上がりますよ。そして今年の1月もバンコクに行ってきたばかりです」
もちろん、そういったいわば〝ご褒美〟ばかりではない。業務の上でもやる気を引き出す方策をとっている。
「中小企業というとワンマン経営で、何事もトップダウンということが少なからずあるようです。我が社は酒田の鉄工所の中では一番早くISOを取得し、全従業員の意識を高めるようにしています。従業員が自身で個々の作業における目標時間を設定していて、それを工場長クラスがチェックしています。効率的な工数管理を実践して、利益を上げているわけですが、それは従業員自身のやる気によってなされているわけです」
従業員の技術も見逃せない。技術は商品であり、武器でもある。
「例えば火力発電所を作るプロジェクトがあるとします。すると全国から技術者が集まってくるんですよ。このプロジェクトに参加すると、『そちらにパイプ専門溶接の技術者は何人いますか?』なんて問い合わせがあったりするわけです。うちは、人の派遣はやっていませんが、技術はまさに武器となるわけです。この業界は資格社会。我が社の従業員の中には最高で14の資格を保持している者もいます。技術者を育てるのもいわば立派な投資で、リスクもあるがやらないわけにはいかない。特に溶接の技術は3年に1回実技をやって更新します。1度取れば永久に使えるってわけじゃないんです。ですから常に若い人を入れて技術を高めていかないといけないんです」
社長自身が特に力を入れ、注意を払っているのはどんなことだろうか。
「私が最も腐心しているのは資金繰りです。中小企業にとって、最も大変な部分だと考えています。我が社では社長・専務・部長・経理の女性社員の4人でお金の流れを見ているんです。社長一人だけでは、私に何か起こったときに会社がお金で行き詰ることがありますから。取引先に関する入出金はもちろん、従業員の半年先までの個人明細を出して管理しています。私が銀行に行って説明するのは月に1度。銀行とは長いお付き合いでお互いに信頼感があると言えるでしょう。私は真面目で決して浮気をしませんからね(笑い)」
好調な業績を更に伸ばすためには人材が肝心だ。今いる従業員だけではなく、未来を担う若者にも投資や教育は惜しまない。
「3月に入ってくる新人には、学校にいるうちに図面がきちんと読めるようにしてこいと言ってあります。図面はこの仕事の基本。図面があれば、それがどこであれモノは作れるわけですから。もちろん必要な資格は入社後に会社でちゃんととらせますよ」
未来への布石は着々と打たれつつあるのだ。
真面目に。筋を通して
社長は3代目。初代社長は創業者である父。そして2代目社長は母である。そうやって受け継いできた会社を、今日のような体質に変えるのにどのような苦労があったのだろうか。
「親父が創業社長で、私が東京から呼び戻される頃には60名を超える従業員がいました。しかし、うちの仕事を専業としている社員は少なくて、農業との兼業社員が大勢いました。すると田植えと稲刈りの時期は休むんですよ。忙しいときに休まれると困りますし、何より不公平ですから辞めていただきました。今、従業員は20数名です」
従業員に対して高いロイヤリティを求め、それは待遇で報いる。もちろん、銀行とのお付き合いでも同様だ。
「我が社が窮地のときに手を差し伸べてくれなかった銀行とは、以降一切取引をしません。最近業績がよくなったためか、いろんな銀行がやってくるんですよ。でも、絶対相手にしません。メインはここ、サブはここ。ずっと変わらないんです」
会社の内外に対して、真面目に、そして筋を通して接してきたからこそ、今日があるというわけだ。
では、会社の現状はどんなものだろうか。
「我が社の売上は3本の柱で構築されています。最も大きいのは太平洋セメントの仕事で、系列会社も含めて請け負っています。これが全体の3割くらいですかね。次が建築金物の仕事。今、500坪の木造体育館の金物を納めています。これが全体の2~3割。そしてあとは従来のお客さんですね。機械加工と製缶を交えた仕事です。
我が社がもっとも得意とするところで、うちの工場で検査をして、OKをとって、塗装も施して、すべてアッセンブリして納品することができる。現地に据え付けてくれというオーダーにも応えることができる。この一貫性が我が社の大きなアドバンテージであり、だから仕事がくるんです。製缶だけ、機械だけじゃなかなか仕事がきませんから、これが我が社の最大の強みと言っていいでしょう。今は年商3億円くらいですが、大切なのは売上の大小ではなく、その内容。利益を生まなければ意味がないですからね」
社長はこうして仕事にまい進しながらも、地元愛に溢れている。酒田市の様々な団体や集まりの会員や会長を務め、各種の会合やイベントにも積極的に参加している。
もし、酒田の祭りを見に行く機会があれば、そこで社長自慢の〝きやり〟を聞くことができるだろう。
上林直樹(かんばやし・なおき)氏…昭和23年1月生まれ。酒田工業高校機械科卒業。中央工学校の機械設計を出て町工場で修業した後、24歳で上林鉄工所に入社。昭和61年に3代目社長に就任し、現在に至る。
株式会社上林鉄工所
〒998-0073山形県酒田市松美町3-56
℡0234(33)2233
http://www1.ocn.ne.jp/~kanba/
従業員数:20人
年商:2億6,000万円(2013年3月期)
※この記事は2013年2.3月号の記事を再構築したものです。