オビ 企業物語1 (2)

株式会社ハムロン・テック – シェア90%以上を誇る防水試験器メーカーに訊く国内唯一の「歪検出方式」開発秘話

◆取材:綿抜幹夫 /文:渡辺友樹

 

株式会社ハムロン・テック 代表取締役、 株式会社理学相原精機 代表取締役 相原章彦氏株式会社ハムロン・テック 代表取締役、 株式会社理学相原精機 代表取締役  相原章彦氏

X線計測装置の製造を手がける下請け企業が「自社製品を作って自分で値段を付けたい」と立ち上げたのが、防水試験器メーカーの株式会社ハムロン・テック。国内唯一の「歪検出方式」で圧倒的なシェアを誇り、40年の実績を刻む。亡き父の遺志を継ぐ相原章彦社長に聞いた。

 

株式会社ハムロン・テック設立まで

 国内唯一の「歪検出方式」防水検査装置メーカー、株式会社ハムロン・テックは、同氏の父である故・相原久直氏によって昭和48年(1973年)に設立された。

 東京都下にある分析装置メーカーの社員だった久直氏。昭和38年(1963年)、久直氏は独立し、東京都西多摩郡羽村町(現・羽村市)に「羽村精機製作所」を創業する。このとき羽村精機製作所の自社製品開発部門として設置され、事業化に伴い分離する形で設立されたのが、株式会社ハムロン・テックだ。

 ハムロン・テック分離後の昭和50年(1975年)、羽村精機製作所は株式会社羽村精機へと発展。しかしその翌年、病を得た久直氏は50歳の若さで急逝してしまう。これを受けて、羽村精機は久直氏の会社創業への貢献を記念し「株式会社理学相原精機」と改称。父を亡くした息子の章彦氏は高校生だったため、両社は叔父が引き継ぐことになる。その後、今から27年前に章彦氏が三代目を引き継ぎ、現在は株式会社ハムロン・テック、株式会社理学相原精機ともに、章彦氏が代表取締役を務めている。

 

NOKグライナーOEM機「WPC8002」NOKグライナーOEM機「WPC8002」

下請けの悲哀

 自社製品開発の裏には「下請けの悲哀」があった。自分たちの製品を作って、自分で値段を付けたい。久直氏は、口癖のようにそう言っていた。当時、創業時から手掛けていた機械とは別に、自分たちで開拓したある顧客から防水試験器の部品加工の仕事を請けていた。この顧客が倒産したことが契機となった。倒産し、いくつかに分裂したうちのひとつのグループから、一緒にやらないかと誘われたのだ。この誘いを受けて立ち上げたのが、ハムロン・テックだ。社名は羽村の地名に因み、ハイカラな雰囲気で流行だったカタカナの「テック」を付けた。羽村精機と異なる方向の名前にしたのには、元請けの目を逃れる意味もあった。

 当時の下請けは、言うなれば「徒弟制度」。親分の言うことを聞く代わりに、自分や家族を守ってもらう。その代わり、勝手なことをすればどうなるか分からない。口を開けて仕事を待ち、言われた通りに加工する。厳しい納期とコストダウンの要求はいうまでもない。この身分から脱するには、自社製品を作るしかなかったのだ。久直氏が「羽村精機製作所」創業の段階で、自社製品開発部門を設けたのにはこうした想いがあった。

 

全くの偶然から一流大手企業が総代理店に

 こうして、技術者を呼んで、人も増やし、いよいよ防水試験器の開発に本腰を入れ始めた。ある時、技術者がそれまでになかった防水試験の方式を思い付いた。実験もうまくいった。特許を取得し、自社だけの装置が誕生するかも知れない。製品化に向けて力が入る中、久直氏とこの技術者の2名で、開発に必要なコンプレッサーを買いに行く機会があった。電車に乗って向かった先は日本オイルシール工業株式会社(現・NOK株式会社)。コンプレッサーの使い途として新方式の話をしたところ、担当者の目の色が変わった。「この装置は売れる。販売をうちに任せてくれないか」。OEM販売を持ちかけられたのだ。当時、時計産業はスイスが世界一。日本がその座を奪う前である。NOKはスイスのグライナー社を巻き込み、新ブランド「NOKグライナー」を立ち上げる。当時15〜20名という規模で全く営業力のなかったハムロン・テックは、NOKと日本の販売総代理店契約を締結し、この腕時計用防水試験器を3000台販売。メーカーとして自立する大きな足がかりとなった。

 

(左)WPC試作機 (右)「エアリークテスター」自社製品第1号機(左)WPC試作機 (右)「エアリークテスター」自社製品第1号機

画期的な防水試験を開発

 ここで、この画期的な防水試験の方式を簡単に説明しておこう。

 まず従来の方式は、風船に例えると分かりやすい。風船に穴が空いていて、空気がシューシュー漏れているとする。空気が漏れれば、風船は萎んでいく。萎めば、中の圧力は落ちる。これを逆から考え、圧力が落ちているのを見て、漏れていることを知るのが従来の方法。「差圧方式」、一般に「リークテスタ」と呼ばれるものがそれだ。

 これに対して、同社の技術者の発想はこうだ。風船から空気がシューシュー漏れているということは、風船が萎むということ。同じ理屈で、例えばカプセルの中に試験をしたい腕時計を入れる。カプセルの外から空気の圧力を加える。カプセルの中は大気圧のため、ベコッと凹む。このとき、もしも穴が空いていれば、中の方が空気の圧力は低いため、穴から中に空気が入っていく。つまり、凹みが戻ってくる。この「凹み」と「戻り」を測定すれば、漏れているかどうかが分かるのではないかという考え方だ。

 

クオーツ・液晶の普及による国内での需要増

 時計大国スイスで飛ぶように売れたこの防水試験器だが、ある時点でほぼ行き渡り、それ以上売れなくなる。このタイミングで提携先との契約を打ち切り、以降は同社が自由に売れるようになった。

 折しも、日本の時計産業はクオーツ時代に入ろうとしていた。同時に、カシオが液晶の販売を始めた。当時は、クオーツ・液晶ともに、内部の仕組みの原価は1万円ほどだった。今は2〜3千円であるから、数倍である。中身が高価なため、歩留まりが悪いと非常に痛手ということになる。それ以前の機械時計は、中に水が入ったものも解体してドライヤーで乾かし、再度組み立てて使うことができた。しかし、クオーツや液晶は一度浸水してしまうと二度と再生できない。高価な上にデリケートなのだ。こうした事情から、セイコー、シチズン、カシオという名だたる国内時計メーカーが同社の製品を大量に購入することになる。

 スイスでの販売が終了したタイミングで、今度は日本で時計の産業革命が起こり、需要が激増。これが、二つ目の波として同社を軌道に乗せることとなった。

日系腕時計メーカー全社で採用された、時計量産用5連式WPC「WPC8003」日系腕時計メーカー全社で採用された、時計量産用5連式WPC「WPC8003」

 

下請け「徒弟制度」時代の終焉

 久直氏の時代には、下請けは前述のように徒弟制度さながらで、そこからの脱却が悲願でもあった。しかし、章彦氏の代になって10数年過ぎた頃、この徒弟制度が崩壊した。今から15年ほど前であるから、バブル崩壊を受けての流れであろう。大企業が、自分たちにぶら下がっていればなんとかなると思われても困る、もう親分・子分の関係ではない、という立場を取るようになったのだ。これによって国内の受注環境は激変した。

 それまでは、どの大手企業にも下請け同士の「協力会」があり、宴会やゴルフに精を出していた。「仕事が来るのは分かっている。あとはいかに仲良くしていくか」がテーマだった。久直氏らも、創業時からそんな環境の中にあった。しかし、15年前からは元請けにぶら下がっていれば何とかしてもらえる時代、売り上げが落ちても泣きつけば仕事をもらえる時代ではなくなった。

 必然的に、章彦氏らも自社製品に依存していく比率が高まっていく。もちろん、現在でも元請けとの関係は良好だ。今ある仕事が来年なくなるわけではないとはいえ、安心して胡座をかいていられる時代ではなくなった。

最新モデル「WPC6500」(スマートウォッチ用WPC)最新モデル「WPC6500」(スマートウォッチ用WPC)

 

真似できない技術力

 理学相原精機が創業時から扱う分析装置などの理科学機器は、極めて特殊な分野。景気の波にも左右されず、空洞化も起こりにくい。ICや半導体のように、10年前とは桁が違う進歩を遂げる世界ではない。投資をすればすぐに新しいものができるわけではなく、手で磨いたり、バリを取ったり、そうした従来の技術の積み重ねで、何十年とかけてわずかばかり進歩させる世界だ。もちろん、材料や刃物、ベアリング、測定具、加工機械の性能など、昔に比べて遥かに良いものになっている。それでも、章彦氏が会社を継いだ27年前と、仕事の内容は殆ど変わらないのだという。章彦氏は「我々が作っているのはローテクなハイテク製品」と表現する。

 同時に、理学相原精機、ハムロン・テックともに、多品種少量生産の機械を扱っていることも大きな武器だ。部品加工など一般的な下請け企業は、同じモノを何万個・何十万個と生産・加工する中で、たった1個の不良品をなくす努力をし、1秒・1ミリを削っていく壮絶なコスト競争を戦っている。しかし、同社の製品は材料費よりも加工費の方が高い。つまり付加価値がある。「どこそこの国に出せば半額でできるといわれるが、そこには目に見えない、図面に表せないノウハウがある」と語る章彦氏。永年培ってきた技術と経験に対する自信の表れだ。技術を持っている企業は強い。

 亡き父は「自分で値段を付けたい」という思いから自社製品を開発した。メーカーとしての歩みも半世紀が見えてきたが、時代の流れを的確に計測する章彦氏の視線に漏れはない。どこにも真似のできない技術力を武器に、歴史を刻み続ける。

 

オビ ヒューマンドキュメント

◉相原章彦(あいはら・あきひこ)氏

昭和34年(1959年)東京都生まれ。日本大学を卒業後、専門学校に進学。一般企業への就職を経て、平成元年(1989年)入社。平成5年に株式会社ハムロン・テック、株式会社理学相原精機の代表取締役に就任。

 

株式会社ハムロン・テック

〒190-1222 東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎東松原2-24

TEL 042-568-0181

http://www.hamrontec.co.jp/

 

株式会社理学相原精機

〈本社工場〉

〒190-1222 東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎東松原2-24

TEL 042-568-1211

〈瑞穂工場〉

〒190-1232 東京都西多摩郡瑞穂町長岡3-10-5

TEL 042-568-7670

http://www.rigaku-aihara.co.jp/

 

2015年6月号の記事より
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