三球電機株式会社 ‐ 経営は他力本願だ!! 自分に足りない能力は人を当てに!?
三球電機株式会社 ‐ 経営は他力本願だ!! 自分に足りない能力は人を当てに!?
◆取材:綿抜幹夫 /撮影:伊藤真
安倍政権になって増えた公共事業予算。しかし小泉政権以来の縮小傾向に歯止めが掛かったとはとても言えない。その意味では建設関連企業は未だ冬の時代にある。三球電機の主戦場、交通信号工事も例外ではない。
だが、この逆風下にあっても三球電機の業績は好調を維持。発注者から厚い信頼を獲得しているからだ。この信頼はどこからきているのだろうか……。
■好調企業の意外な真相 それは「依頼心」
「依頼心」。一般的にあまりよく思われない言葉だ。「依頼心を持ってはいけない」とか、「人に依頼せず、自分のことは自分で」とか、そんな風に教わったり言われたりするのが普通ではないだろうか。ネガティブにとらえられても仕方ない言葉である。
しかし、三球電機株式会社・笠原建二社長はこの「依頼心」の必要性・重要性を説く。自らの経営哲学の中心に据えてもいるようだ。その真意をぜひとも知りたい。笠原社長を本社に訪ねた。
まず、三球電機のことを簡単に説明しよう。
東京都練馬区に本社を構える三球電機株式会社は昭和36年創立。創立者は現社長・笠原建二氏の父だ。
主な事業は電気通信工事。信号機や道路照明などの工事を請け負っている。また、そういった交通施設の保守・点検業務も担当。社員数は約300人ほどだ。
昨今の公共事業減少で、三球電機も厳しい事業環境の下に置かれている。しかし、そんな中でも売上・利益とも堅調。それは発注者からの厚い信頼を得ているからに他ならない。
創立者である笠原太郎氏は佐賀の出身。満州鉄道に勤務していた。戦後、満州から故郷に引き揚げ、最初に起こした事業は履物商だった。
戦後の復興需要による炭鉱の繁栄が商売を軌道に乗せた。だが、それも昭和30年代までのこと。炭鉱の閉山とともに転身を余儀なくされた。
履物商の傍ら、満鉄時代の伝手もあって通信関係の仕事もしていたが、次はこれを新たな事業とした。だが、佐賀では大きな発展は見込めない。思い切って東京に進出したのが昭和36年。それから50年あまり。当初の電話や通信の仕事から、現在の主力は交通信号事業となった。
社名である三球電機、それは信号機の会社だから青黄赤色の三つの電球に由来するもの、と誤解されがちだ。だが創立当初、信号機は扱っていなかったという。実は「三球」は英語のThank youに由来する。社訓の中にある「総てに感謝すること」からきているのだ。
時代が後押ししてくれたのだろう。通信、電話の仕事で事業は軌道に乗ってきた。しかし、それだけでは更なる発展は望めない。新しい分野への進出を考え始めた昭和40年頃、信号機の仕事が舞い込んできた。社名である「三球」にまさにピッタリだ。そしてそれは新しい事業の柱となった。
創業者である父親から社長を継ぐように言われ、就任したのは平成2年。当時の会社は今とは似ても似つかない惨状だったという。そんなボロボロの会社を、父親から急に継げと命じられた。エンジニアであった笠原社長に傾いた会社の再建が託されたのだ。
■「生かされる会社」であることが存在意義
笠原社長の経営はこの規模の会社としてはかなり特異なものかもしれない。まず会社経営には欠くことができない経営計画だが、社長曰く、
「経営計画とか数値目標などとは全く無縁でやってきました。いわば行き当たりばったり経営と言えるかもしれません」
上(経営陣)から数字を押し付けて社員にプレッシャーを与えるよりも、社員に必要な能力を身につけさせることに注力しているのだ。会社の都合より、顧客のためになることこそ最優先という考えだ。
社長自身は、「経営者としての能力が低い」と謙遜する。そして、「足りない能力を補うためにあらゆる人の能力を当てにしてきた」と言う。
「私は臆病で猜疑心が強かったりもする。ネガティブ思考が強いんですよ。そんな私を補ってくれたのは妻であり、社員のみんなだったんです」
冒頭に述べた「依頼心」の所以だ。
「世の中、やたらとポジティブ思考を礼賛する傾向にあるが私はそうは思わない。コツコツとあまり物言わぬ職人気質の人間こそ信頼に足りると思っているんです。そういう人間は広く一般には受け入れられないかもしれないし、他所では通用しないかもしれないが専門の現場などで大いにその力を発揮してくれたりするものです。認めて任せれば思いもよらない能力を発揮するものなんです」
社長はエンジニアから経営に転身している。職人気質というものを十二分に理解しているので、社員が力を出し切るために何をどうするべきかを心得ているのだ。
「役人や政治家がけしからんと言う人も多いが、私はそうは思わない。いいところがたくさんあると思っています。そういういい人たちに助けられ、またそういう人たちに貢献することで私の会社は成り立っているんです」
依頼心は何も自分たちだけが持っているものではない。顧客の依頼心に応えること。それによって社会に貢献する会社が育っていったのだ。
社長は積極的に営業活動を行ったり、自身を売り込んだりすることを好まない。
「事前に計画を立て、イメージ通りに歩もう、あるいはお客様をイメージに当てはめようという気はまったく持っていません。我が社にお客様から受けた仕事を完璧にこなす能力があれば、こちらから働き掛けなくても仕事のほうからやってくるものです。社員たちが実際にお付き合いしているお客様=私の会社を頼りにしてくださる人のため我々に何ができるのか。それを磨くことだけが我が社の目標です」
『社会に貢献する創造の泉になろう』という経営理念はまったくぶれることがない。そして、会社の主役はあくまでも社員だと力説する。
「会社にとって主役は社員であり、その主役に私は依存しているといっても過言ではないんです。私にない能力を持っている社員にね。そういう意味で、経営者が前に出たところで何の意味もないと思っているんです」
主役である社員をとことん大切にするのが三球電機。それは60歳を超える高齢社員の人数にも表れている。
「我が社は社員数約300人ですが、そのうち60歳以上が約50人もいるんですよ。年金が支給されるまでの生活のため、ってことはもちろんあるんですが、お客様との信頼関係もあるんです。あの人に頼みたいって名指しの仕事も少なくなくて。知識や経験の豊富な人材は活用しなくてはいけません」
では、社長自身の役割は何なのだろうか。
「私は他力本願でいいと思っているんです。他力本願で何かを達成できること自体、素晴らしい能力だと思っています。お客様や社員に支えてもらっている、儲けさせてもらっている私は、こういった人々をどうサポートしていけるのか。どう奉仕していけるのか、それを考えることが私の役目なんです」
周りを活かすことで、その力を集約する。どうやら依頼心の肝はこのへんにあるようだ。
「人はよく、自立心を持て、自立心が大切だとおっしゃいますが、私は依頼心こそ重要だと思っています。人は誰かに能力を認められ、頼られるとその能力をより以上に発揮するものなんです。私にはできないことがあなたにならできると頼ることが大切なんです」
社員を信じて頼ること、そして顧客からは信頼を得て頼られること。依頼心とは信頼という強固な地盤の上に成り立つ共存共栄の関係なのだろう。
■信頼を得るための人づくりとは
では、その信頼を築きあげていくための人材育成はどういう理念で行われているのだろうか。
「人は本来、誰かに引っ張り回されることを好まないものです。私自身、誰かにリードされるのは大嫌いな性質ですので、人を引っ張りあげようと思わないんです。人は育てるものではなく、育っていくもの。上から誰かに教わったりするのは本当の勉強ではありません。自ら進んで学んでこそ身に付いていくものです」
会社は学校ではなく、社会に貢献し、生かされるための場所。だから社員を決して子供扱いにはしない。
「私は社員に問います。大人とはどういうものなのかと。自分のことは自分で責任をもってするのが大人だ、などという者もいますが、私に言わせればそんなのはまだまだ子供。他人様のために何かをするのが大人なのです」
この考えが経営理念を実践する会社作り、人材作りの根幹をなしているのだ。
そして、当然自らを律することも忘れてはいない。
「自由とは、自らにとって由(よし)とすることを行うと思われていますが、本来、世の中にとってよいことは、誰がやってもよい、ということが自由なんです。私は会社の中でこの当たり前のことをやっているにすぎません。先人たちの教えをただ実践しているだけなんですが、今はこの当たり前をないがしろにするから行き詰る人が多いのでしょう。私は国のため、社会のために勉強し、働いていると言えるし、会社もそのために存在すると思っています」
■「三球電機」の次代を担う後継者には……
技術者だった自分がまさか後継指名されるとは思わなかった現社長。それでも、経営を健全化し、安定した実績を上げるまでに育て上げてきた。このバトンをどうつないでいくのであろうか。
「会社の後継は息子に決めました。本人はやりたくなかったようですがね。私の持論としては、いやいややるほうがうまくいくんですよ。なりたくてなるような後継者はたいがいうまくいかないものです。いやだからこそ考える。
前任者=親に反発して独自のことをやるようでなければ成功はおぼつかないでしょう。息子は、会社が談合のペナルティを受け、業績が大幅に落ち込んでいるときに大学院を辞めさせて入社させました。これも当時はいやだったことでしょう。今は取締役となって頑張っていますよ。息子は私と違って新しい知識も大いにあるので、いろいろ意見してきますが、親に反発してくるようでなければ同じ仕事をする意味がない、見込みがないんです。
社員にも世間にも言っていますが、あとを継ぐ者は憎たらしいくらいがちょうどいい、と考えています。これは嫉妬の裏返しで、期待の証でもあるんです」
*
遠からず、笠原社長が全幅の信頼で、新社長に「依頼心」を寄せる日がやってくるに違いない。■
世の中にとってよいことは誰がやってもよい─。
笠原氏のこの信条は、昭和36年の創立時に、実父・笠原太郎氏(創立者)が万感の思いを込めて制定した、同社の社訓に由来すると言っていい。紹介しておこう。
※この記事は、2013年2,3月号に掲載された記事を再構成したものになります。
プロフィール
笠原建二(かさはら・けんじ)氏…昭和21年6月28日満州に生まれる。昭和44年東海大学工学部通信工学科を卒業後、父親の会社である三球電機株式会社入社。平成2年7月代表取締役社長に就任。その手腕で会社を優良企業に再生した。趣味はゴルフ、おしゃべり。
三球電機株式会社(本社)
〒176-0021 東京都練馬区貫井5-24-18
TEL 03(3970)3911
http://www.sankyu-denki.co.jp
従業員数:299名
年商:49憶0,860蔓延(平成29年5月期)