株式会社プリンシプル ‐ モノづくり日本の心で、産業機器、医療機器、メンタルヘルス産業に感動を
株式会社プリンシプル ‐ モノづくり日本の心で、産業機器、医療機器、メンタルヘルス産業に感動を
◆取材:綿抜幹夫 /撮影:寺尾公郊
エンジニア人生の集大成!オリジナル製品のメーカーを目指して
長年エンジニアとして大手企業などでモノづくりに携わってきた中西高義氏は、30代で立てた人生プランに沿って、54歳の時に起業した。「自分が納得してお客様に満足してもらえる商品を作りたい」というその一存で設立した会社は10年で急成長。電子機器の受託開発からスタートしたその取り組みは、環境・エネルギー分野やFA事業、医療分野へとその幅を広げ続けてきた。今後は医療用の内視鏡を中心にした洗浄消毒・乾燥・滅菌装置とメンタルヘルス機器、産業用の自動塗布装置をコアに、さらに挑戦と進化を続ける企業へと変貌を遂げて行く。
兄の進言と自らの努力で切り開いたエンジニアの道
高校卒業後、大手の神鋼電機株式会社(現シンフォニアテクノロジー株式会社)伊勢工場に入社した中西高義氏は、しばらくして会社に籍を置きながら鉄鋼短期大学(現産業技術短期大学)電気工学科で学ぶ機会を得た。
「数学専攻の理学博士である兄からは『このままではいかん、もっと勉強しなければダメだ』と厳しく言われていましたから(笑い)。24歳の時に短大で集中して学べたことは良かったのですが、とにかく勉強がとても大変でした。数年遠ざかっていた英語や数学、物理など忘れていることが多かったですからね。追試の連続でしたが、なんとか短大の卒業時の成績では上位トップスリーまでに入っていました」
見た目のスマートさとは異なる負けず嫌いの性格が功を奏した形だ。その後、周囲の反対を押し切って株式会社三鈴エリーという三菱化学の子会社に転職。ここでもまた電子機器業務の前には、初めて経験する化学系プラントの計装業務や、アフリカのナイジェリアにあるNNPCプラントへの1年間の出張も経験した。この1年間が、中西氏の世界観を大きく変えるきっかけになったという。
その後、情報通信グループという新しい部門を立ち上げてもらい、電子・通信機器関係の技術開発に15年ほど携わる。ここでは、大手通信機器メーカーの機器開発から商品までやりきることを経験した。この時に学んだことは、人の和の重要性と、絶対あきらめないということだった。
「今でもその時に蓄積したノウハウが非常に役立っています」
人生を学んだ人間関係と「小石の理論」
「三鈴エリーは、人材教育に力を入れる企業でした。経営とは、営業とは、多くのことを学びました。その間に学習したことがあります。情報というのは情に報いるということですよね。だから人間関係の基本的なところには『情報が存在する』ということです。さらに、自分で責任を持つことがいかに大切かという、〝自分責任論〟ということも学びました」
もう一つ考えて考え抜いてたどり着いた独自の理論があるという。
「私はそれを『小石の理論』と言っています。具体的には〝小石は常に足下にあって踏まれてもなくなることはないし、足下でしか見えない。それと同じように物事は下からの目線で見ないと見えてこないものがある。それをさらに飛躍して考えると聞き手上手になる〟ということ。私はこの理論をずっと言い続けています。それが私の原点ですから」
三重大学の起業支援を経て、マイウェイを行く
その後、三鈴エリーを退職し、商品開発を中心とした中小企業で12年ほど開発、商品化、営業、経営を学び、ついに一国一城の主となった。起業したのである。
「私は32歳の時に死ぬまでの人生プランを作りました。未来に向けた年表のようなものですが、それには『○○歳の時に車を買う』とかいろいろ綴ってあって、その中には『52歳で会社を作る』という項目があったのです。子供たちも独り立ちする時期であり、自分の好きなこと、好きなモノづくりをやりたいと思ったのです」
予定より2年ほど遅れたが、54歳になった時に今のプリンシプルを立ち上げた。
「最初は2人でした。立ち上げ当時は漠然といろんな製品を作りたいと考えていましたが、資金もありませんでした。そこで知り合いだった、当時三重大学の副学長の方に、三重大学には起業支援をするキャンパス・インキュベーションという制度があると教えられたのです。それならば費用も掛からないし、研究開発も、先生との共同研究などもいろいろできる。その頃にたまたま電子機器開発製品の発注もあり、同時にモノづくりもできるという一石二鳥の環境でした」
タイミングも良かったのだろう。ともかく審査を経て無事に大学内のインキュベータ内に本社を設立した。
三重大学に入った理由は2つ。1つはベンチャー企業が大学と研究連係をしていることで信用が得られること。それは大手企業との取引口座が得られることでもあるし、銀行からの融資も受けられることにもつながる。2つ目はオリジナル製品を研究開発して作ってみたいという願望が叶う可能性があったこと。その結果、
「最初の2年間は日銭稼ぎで電子機器の受託開発など様々な方面に手を広げましたが、3年目になってやはりそれじゃダメだと、原点に戻ろうと、ようやく自分のやりたいことに絞りました。それが医療関係です。医療関係の製品を開発するのにあたって、まず薬事法の知識もなかったのでまたまた勉強しました。医療に関してのルートもなかったし、薬事認可資料の書き方もわからなかったので。
2年かけてようやく医療機器製造業(一般)と医療機器製造販売業(二種)の許可がおりました。ちょうどその間に商社から消毒機開発の話がきて、簡単にできるだろうと受けたのですが……」
内心は内視鏡を洗うだけと思っていた機器開発は、試作すること3回、3年掛かってようやく完成。足掛け5年で販売できる商品となったわけだが、
「とにかく時間がかかりました。この製品を通じて改めてモノづくりの深さを実感し、人とのネットワークの必要性も痛感させられましたが、新たにいい教訓を得ました」
ヨーロッパを起点に世界へ
他の事業も徐々に立ち上がってきて、世間的に見れば順調に歩んできたと思われるプリンシプルも苦労の連続だったことがわかる。さて、その成長戦略は今後どのように変化していくのだろうか。
「2012年の暮れに津市や三重県主催でヨーロッパに視察に行く機会がありまして、その時に知り合ったフランスにある内視鏡関係のベンチャー企業を率いる社長と意気投合いたしました。その社長には日本にも来てもらいまして、お互いの技術を見せ合い、じゃあ一緒にやろうということになりました。技術提携したのです」
この取材の3週間前にも中西氏はフランスに渡っている。その企業との具体的な取引き、新商品についての商談のためだ。欧州の人間は文化的にみんなでやろうという仲間意識のスタンスがあるということを実感した。技術力と商品力があれば欧州とも貿易ができるという実績を作っておきたいと考えたことが、いよいよ実現の運びとなった。
「やはりこれからは世界のベンチャーとの連携も必要。私は日本の若い人に国内だけでなく、もっと世界に目を向けることを学んで欲しいのです。また、いくらネットワーク時代になろうとも、やはり自分の足で情報は取るという基本動作が重要であると実感しています」
メーカー志向のもとは、『迷ったら「イエス」と答える』こと
「私のモットーは、問いがあったときは『すぐにイエスと答えること』。戦略は『まずやることで、意志決定をする』、戦術は『無限大にある。その戦略を具現化する方法である』という3つです」
3年前にFA関係の仕事をしていたある会社からM&Aの話があった時も「イエス」だった。わずか一週間で工場を探して移転させ、仕事を再開させた。その決断力や行動力は人並みはずれたものを持っている。これまでの様々な苦労や経験がそうさせたとも言えよう。
「新しいことに挑戦するときはいつも、悩み苦しみながら経験や失敗を重ね、自身と向き合わなければ成し遂げられません。けれど、その先には必ず楽しさや幸せがある。これまで新たな出会いによってアイディアが生まれ、チャンスへとつながっていく、そんな多くの場面に遭遇してきました。個人も企業も、すべては出会いとチャンスの繰り返しだと私は思っています」
プリンシプルの今後の目標はなんだろう。
「今はまだ仕事全体の9割方が受託設計製造です。この割合を5割までもっていこうと思っています。私の夢でもあるメーカーを目指したいのです。その考えは今年の初めに私の中できちっと形になりました。『モノづくりは日本の心、産業機器から医療機器まで感動してもらえるような機器を構築しながら世界に貢献しよう』と」
まずひとつの柱となる医療機器については、内視鏡洗浄消毒・乾燥滅菌機とメンタルヘルスの分野、とくに脳波と自律神経関係に特化したオリジナル商品を開発・製造・販売していくという。洗浄消毒といっても介護施設や家庭でも注目されている空間除菌などいろいろある。現にプリンシプルでいま製造販売しているものは耳鼻咽喉科用の内視鏡消毒機だけだが、内視鏡についてでさえ泌尿器・気管支・消化器用など、開発テーマは多岐に及ぶ。
さらにまだまだ改良したり、新しい機能を付加し、大きな問題にもなっている看護士のワークライフバランス向上にも役立つ商品開発も決まっている。またメンタルヘルス分野では、画期的な脳波測定器を開発した。これは脳のセルフチェックによって健康生活を追求できる機器で、短時間で人の資質を客観的かつ正確に評価する機器として、企業や介護施設、病院、学習塾など各方面から注目を集めている。
加えて本誌11月号で登場した野村由美氏が代表理事を務める日本エナジーテラピー協会との連係も視野にある。
産業機器では自動車関係を中心としたグリス塗布装置、プライマー装置、各種自動検査装置の開発・製造を推進している。
具体的にメーカーとしての目指す姿とは?
「うちは研究開発型の中小企業です。資金調達はとても大変ですが、コアになる消毒装置と塗布装置は自社設計・製造をしています。ただ、いろいろな開発依頼はこれからも積極的に受けていく方針です。『イエス』の姿勢は変わらない。開発、試作、評価までは社内で行い、量産になる場合は他の企業に製造は依頼するが、検査は社内とするスタンスです」
最後に、エンジニアとは何かを聞いてみた。
「ひと言でいうと『自然を愛する人間以外には開発設計ができない』。たとえ雑草ひとつでもきちんと観察しないとその絵は描けないですよね。つまりしっかりとした観察眼をもって、下から目線でモノを見ないと開発設計はできないということです。物事の原点はいつでも自然なのです」
今年で創業10周年を迎えるプリンシプル。社名の示す意味通り、いつも原点に立ち戻り、『原理原則』を貫く姿勢から生まれる製品で、世界に貢献して行くことだろう。
株式会社プリンシプル
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TEL 059-392-7841
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〒514-0102 三重県津市栗真町屋町1577
津市─三重大学連携企業成長支援室内