オビ 企業物語1 (2)

東北東ソー化学株式会社 ‐ 大手のブランド力を活かしながら東北の地でリーダーを目指す化学メーカー

◆取材:綿抜幹夫

 

東北東ソー化学 株式会社 代表取締役社長 吉川哲央

東北東ソー化学 株式会社 代表取締役社長 吉川哲央(よしかわ・てつお)氏…1954年生まれ。1979年慶応大学法学部卒業後、東洋曹達工業株式会社(現・東ソー株式会社)入社、営業部勤務。1995年南陽工場にて物流企画担当。その後名古屋支店、大阪支店を経て、2012年に東北東ソー化学株式会社・代表取締役社長に就任。

前身の鐵興社は酒田を拠点に苛性ソーダや塩酸、さらし粉などを製造していた。その後大手企業の東ソー株式会社との合併を経て1983年に分離独立、現在の東北東ソー化学株式会社となった。今は東北地方を中心に暮らしに欠かすことのできない無機化学品や、フラットパネルディスプレイ(FPD)用原料を製造販売するなど、事業を展開している。

東北の地に根ざした化学メーカーが生きる道とは何か、就任3年目を迎えた吉川哲央社長を直撃した。

 

ローカルにはローカルのやり方がある

「わが社は電解事業で成り立っています。基本的に塩水を電気分解し苛性ソーダ・塩素を生産して販売する電解事業というのは、本来ローカルな事業ですが……。私はもともと親会社の東ソーにいて、グローバルな電解事業を展開していました。その中で育ってきた私が、こちらに来て最初に感じたのは『地場産業として生きるべきだ』ということです」

日本全国には、25社30工場ほど電解事業の会社がある。意外に少ないと思われるが、実は多すぎるという。世界的なレベルでは別として、日本の狭い国内で着々と成長を遂げる企業が多いという不思議な業界らしい。それは地方ごとの需要に応えた結果だろうか。ともあれ、

「地場の企業としてどのように事業展開していくか。意識するのは地場の他社企業がどのように生きてきたかを検証して、いいところは取り入れて実践しなければならないという点。それが今の私の課題です。グローバルな展開を目指す親会社に相談しても、我々の参考にはならないし、親会社とは違う生き方をしないと生き延びることができないですよ」

 

東北東ソー化学が東ソーから分離独立して31年。水銀法による生産方法の転換を迫られたり、時代に合わせた事業整理を行ったり、為替の変動による影響で相当額な負債を抱え込むなどさまざまな問題が起きつつ、その都度なんとかクリアしてきた。さきの負債もようやく2012年にゼロになった。東日本大震災では石巻の工場が被災し、肥料事業からも手を引いた。撤退したことで売り上げは小さくなったが採算的にはプラス面になった。中身的には足腰が強くなった。需要的にもユーザー的にもターゲットは東北だと、再認識したのは、大震災後の疲弊した状況を目の当たりにしたからだ。

「私が来たのは2012年で震災後、需要がなかなか元に戻らない非常に厳しい時でした。それでもうちは東北では規模も大きく、大手ブランドというメリットもあります。信頼も信用もある会社ですから、それらを大事にしていきたいと思っています。この地域でわが社の必要性を感じてもらえるために尽力を尽くしますよ」

 

〝郷に入れば郷に従え〟ということわざがあるが、親会社出身の吉川社長がここまで柔軟な発想ができる原点はどこにあるのだろう。

「東ソーではずっと営業畑を歩いていましたが、15年ほど経った時に山口にある南陽工場に転勤になりまして、物流企画という工場の中の塩や石炭などの搬出搬入のすべてを担当しました。規模が大きいために手段として船を使うのですが、南陽工場ではプライベートの桟橋が20近くありましたから、港の管理なども経験しました」

それまでモノを売ることがメインだった営業の仕事から一変。おかげでモノの計算から投資の仕方などを学び、仕事に対する視野が広がったという。現在の役職に就いた時も、自分に化学製品のモノづくりの指導ができるのかと疑問に思ったが、専門のことは専門家に任せて人の活用を考える方にシフトした。最初からマネジメントに徹したのだ。

「もともとが関西人なので、地元の人にいかに機嫌よく仕事をしてもらうか、そのことしか考えてないですね(笑い)。今が1番面白い時、この東北の地でどうやって儲けようかと。何十年も地元に根付いて旗振りをやっているような感覚を持ちます」

なるほど、関西人のDNAのなせる技?なのか。

 

 

元気になって儲けて、地域に還元する

2年前に就任してから、商工会議所にはよく顔をだす。そこで見えてきた問題点は、若い人の流出と酒田市全体の活気のなさだ。

「こちらにきてひしひしと感じたことは、人が少ない、メーカーが少ない、ということ。就職の求人数だけは多いが県外がメインになる。就職のために若い人の半分は県外に出て行って、3年以内に約7割の方が辞めるという変な現象になっています」

 

酒田をはじめ地方都市の共通問題に働き手の県外流出がある。地元に残りたいという志向はあるのに、就職するとなるとチャンスが少なく、県外に出て行かざるを得ない状況にある。そこを繋ぎ止めるために、行政が中心となって企業誘致を推進しているが、なかなか成果が出ていない。

「10月のさかた産業フェアを見て、我々の仕事に興味を持つ人が多いことがわかりました。優秀な人材には少しでも化学という事業に目を向けてもらいたいし、地元で就職してもらいたい。だからうちでは毎年新卒を採用しています。来年は5人の新人が入社します」と、若い人の県外流出を少しでも食い止めようという東北東ソー化学の姿勢が垣間見える。

 

また、次代の担い手となる子供の減少も問題だ。

「たとえば、子育て支援。女性陣からのお叱りを覚悟でいわせてもらうと、この山形県、いえ酒田だけでいいのですが、女性には結婚したら出産子育てに専念してもらい、本来働いてもらえるはずの女性の賃金分は夫が勤める企業が支払う、そして子供が生まれたら養育費も会社が支払う。せめて酒田だけでも市と連携してそういう仕組みができたらいいなと思います。男が子供を産むわけにはいかないですから。酒田市はその取り組みをアピールして県外から人を集める、人の流出を防ぐ……ということが実現できると、少しは活気が出てくるのではないかなと考えています」

 

大胆な発想を持つ吉川社長は、ほかに大手ブランドをもつ企業として、地方の活性化についてはどう考えているのだろう。よく一企業だけでなくて、大手といえども技術を持っている中小企業と連携をしているケースも多いが、

「もちろん連携していくのはいいことだと思いますが、この酒田では化学会社はとにかく少ない。そういった中で連携するのは非常に難しい状況なのです。それよりも我々のような企業はまず元気にならなければならない。酒田の企業みんなで手を携えて一緒に半歩しか進めないような状況ではなく、我々が率先して一歩でも二歩でも進んで引っ張っていかなければならない。そのためにはまず東北エリアで儲けさせてもらう、そして還元していくという考え方を持っています。ただ、まだ還元するまで儲けていないので、今後に期待していてください」

 

一度は大手企業が参入して、独立採算とはいえ中小企業の経営に影響を残した。こうした企業の存在は、地域活性化を求める地方においてリーダーとしての役割を期待するところが大きいのではないか。行政に頼るのではなく、東北東ソー化学のように大手をバックに持った中小企業が元気になれば、きっとその波は地域全体に広がっていく。

 

オビ ヒューマンドキュメント

東北東ソー化学 株式会社

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℡022-213-9001

2014年12月号の記事より
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