株式会社西尾硝子鏡工業所 ‐ 中小企業が生き残り100年企業を目指すための、「西尾流」組織開発とは!?
株式会社西尾硝子鏡工業所 中小企業が生き残り100年企業を目指すための、「西尾流」組織開発とは!?
◆取材:姜英之(編集局長 兼 拓殖大学客員教授) /文:望月容子
戦略をやりきる組織にする!!
本誌では2013年1月号以来、2度目の登場となる西尾智之氏。この間に経済状況もだいぶ変わってきた。▶西尾硝子鏡工業所でも経営手法を大きく転換。中小企業としては希有な挑戦と思われていた組織開発(OD/Organization Development)を実施し、軌道に乗りつつある。今回は『ODネットワークジャパン2014国際大会』において、実例を披露し好評を博したという話を聞きつけ、西尾氏が考える組織開発の重要性に迫った。
活性化とは異なる「組織開発」への目覚め
NISHIOといえば、高品質なショーケースを制作する企業として知られている。1932年東京の大田区に創業以来、一般板ガラス・鏡の加工卸、内装工事を主業務にしてきた西尾硝子鏡工業所は、ご多分にもれずリーマンショックによる打撃を受けた。国内需要が激減し業績が悪化する中、事態を打破すべく、海外有名ブランド向けショーケース受注への挑戦を開始。新しい技術手法を確立するなど、クライアントの厳しい要望に応え続けた。今や「スーパーブランド」といわれる百貨店のテナント、ブランドショップなどでは絶大な信頼を誇る。
技術面の革新は目を見張るものがあった。だが……。
「中小企業が生き残るためには、〝組織開発〟が必要だと思うのです」(西尾氏、以下同)
よく耳にする言葉に〝組織の活性化〟というものがある。では組織開発とはどう違うのか。
「うちは5月に決算で6月に新しい事業年度を迎えますが、その時に1年間の事業計画及び3年5年先を見据えた中長期計画を発表します。それは戦略の話ですね。営業や技術、人事など各事業部署でするべき事を決めていく。ところが、なかなか立てた戦略通りにはならない。なぜかというと、一つはその戦略を行う意味がわからない。もう一つは戦略だけ提示しても具体的な戦い方がわからない。各個人はどのようにして仕事をしていくのか、落とし込みがされていないからです」
「戦略はあるけれど、それをやり切る組織形態になっていないことに気がついたのです。私が組織というものについて関心を持ったのは、その時でした」
それが2011年の大震災の頃。西尾硝子鏡工業所は3年連続赤字で、会社内も随分疲弊していたという。
「社員同士のコミュニケーションもままならないし、要は会社全体がトーンダウンしている状況で結構危機的な時期でした。そんな中でこれは組織開発が絶対必要だと思ったのです。社長1人が引っ張っていく形というのは大前提ですが、もっと社員の声を吸い上げないと。組織は活性化するだけではダメなのです。戦略をやりきれる組織にするということが一番のポイント、それが組織開発です」
同社が手がける高品質なショーケースは
海外の有名ブランド店舗でも採用されている
(上:シャネル/下:ルイ・ヴィトン)
家業からの企業への脱皮が不可欠
作業の様子
「よくありがちな話ですが、会議である方針が示される。ところが会議室を出た瞬間、『専務はああいうけれど、俺はほんとは反対なんだよなぁ』などと言う人がいる。この事態こそが戦略をやり切れない組織だと思います」
なぜ会議の場で深く意見交換することができないのか。それに対する西尾氏の見解は……。
「根底には『この人にはこのことを言ってはいけない』とか、『上司から睨まれたら首が危ない、だから自分の意見は言えない』とか、目に見えない力が働いているからでしょう」
その悪しき慣習を変えるために、西尾氏が行ったのはまず組織の変革だった。これは組織開発の手始めともいうべきプロセスで、
「父の後に会長職を務めていた母と、工場長だった叔父に勇退をしてもらいました」
それまで3期赤字が続いていたが、ある程度、経営は上手く回っていた。だが西尾氏には『4年目も赤字になってしまうと会社がもたない』という危機感があった。
「オーナー家の人たちが上にいると遠慮してしまって思い切った話ができないし、私自身、自分の力を発揮できなくて何となく中途半端。この状態をどこかで断ち切らないと納得ができないという部分もありました」
そこで次に数人の幹部社員を任命する。そのプロセスにおいて、彼らを中心に会社全体を巻き込みながら、ビジョン統合ミーティングを行うなど、様々な組織作りの施策を打った。特に社長と幹部社員同士の信頼関係構築と問題意識の共有については、大変苦労したようである。
「幹部同士が向き合って、それぞれが生まれてから育ってきた今までの環境などを全部さらけ出させるという方法があります。たとえば何かに失敗して萎縮した原体験とか、そういうものが各々の価値観を生んでしまう。いろんな要素が積み重なって今のその人が出来上がっている。それを否定するのではなく、全部受け止めて認める……実は自分の過去を話すのは本当に辛いことです。でも相手の価値観が理解できて、初めて組織開発がスタートするのです」
そこまでして何をやるのか。
「幹部全員の本質を知ることで、はじめて同じスタートラインに立つことができる。同じベクトルに向いて様々な意見を言うことができる。戦略をやり切っていけるのだ」という。
お互いを認めて本気で議論する。不協和音などがない状態でコンセンサスが得られる。簡単なようだが、実際にはかなりの労力と時間を要することだ。こうして幹部を育てながら、西尾硝子鏡工業所は新たなスタートを切った。
徐々に見えはじめた「西尾流」組織開発の本質
その成果はどうなのだろうか。
「赤字を解消して、戦略をやりきる組織になるにはなかなか。2011年の6月からスタートして、私の中では最初の半年間が勝負だなと思っていました」
西尾氏は上半期が終わった段階で、一千万以上の経常利益を出す心づもりでいたという。
「シミュレーションをすると、その前の1年より売上高を18パーセント伸ばさないといけない。かつ粗利益が62パーセントと、結構ハードルは高い。小さな仕事でも必死になって取り、経費削減するなど、かなり社内努力もしました。実際半年経ってみて、当初の目標を上回る利益が出ていました」
これはイケると思った西尾氏は、翌年1月から採用活動をスタートさせた。
「今までは従業員の数を増やせない状況でしたが、利益が出てきたおかげで、将来のことを考えられるようになったのです」
ところが利益が上がっていることが社内に伝わると、社員の中に生活への安心感からか、気持ちが緩むような雰囲気が広がった。
「社長である私の緊張感は全く緩んでないわけですよ。でも〝今〟を見ている幹部と〝先〟を見ている私とでは危機感の差が生まれてしまう。そうするとコミュニケーションがうまく取れず、圧力で部下を萎縮させるような状況になってしまう。組織を改革する前に戻ってしまうのです。だからまた原点に戻って話し合いをして解決する。二歩進んでは一歩下がる、という感じの一年目でした」
二年目になると、社員全員の合宿を実施した。
「社員が22〜23名だったので、みんなが思っていることを言い合い、聞くことができるチャンスでした。たとえば幹部社員への不満もあったと思います。要は幹部社員といっても今までは平社員。それが突然社長に抜擢されて幹部になって、給料も上がった。他の社員からすると迫力がないとか、頼りないとか……。問題意識の高い社員などは、幹部が答えたがらないような突っ込んだ話をして、幹部を萎縮させる場面もありました」
これには西尾氏も反省する。
「幹部の人たちが自分の言葉で喋っていない。主体性とか主観を伝える覚悟ができていないのではないか。その原因は、社長の自分にもあるのではないか。もう一度幹部と社長のあり方を考えなければならない……そういうことの繰り返しです」
また、小さな約束を守らない、忘れてしまっても〝すみません〟のひと言ですませてしまうとか、諦めてしまうそんな人間関係は、組織を崩してしまうことになる。
「期日を守ろう。できなかったらその理由を話そう。決めたことを守るとかは、実はすごく大切なこと。小さな約束すら守れないようなら、大きな戦略など達成できるわけがないのです」
組織開発のためには、コミュニケーション能力を高めるべし
とかく中小企業では社長個人の力が大きく、何でもやってしまいがち。ところが社長は万能な人ではなくスーパーマンでもない。得意な分野もあれば不得意な分野もある。
「会社を興す人は、営業ができる人か技術がある人ですよ。営業に長けているから仕事をとってきて会社をまわすことができる。技術が優れているから独立する、という人がほとんどです。でも、これからの中小企業に必要なのは、『社長一人で引っ張るのではなく、経営チームとして会社を良くしていく』、そうした組織開発をするべきでしょう」と強調する。
一進一退を繰り返して3年が経った。
「ようやく組織としていろいろな戦略をできるようになりました。と言ってもまだまだ課題が多いです。特にコミュニケーションの問題ですが」
いい例が100年企業を目指す理由だ。
「『企業が長く続けばいいと思うから』では社長の独りよがりです。これを『長く続いて業績が安定すれば、社員の人たちが安心して生活できます。だから100年企業を目指すのです』と言えば、主体は社員になりますよね。同じ内容の話でも、誰に向かって話すのかを見定めること。組織開発に重要なツールとして、コミュニケーション能力も重要だと考えるわけです」
最後に、西尾氏が考える組織開発の理想について訊いてみた。
「私が試行錯誤しながらやってきてわかった組織開発とは『お互いの価値観を認め合って議論を交わし戦略をたてる。的確なコミュニケーション力を駆使して戦略の意味を伝え、全員でやりきる組織にする』ということです。そして今後は将来を見据えて、経営力を持った人材を育成していく。組織開発の仕上げとしては大きな任務だと思います。これができた会社は100年とはいわず長く続いていくでしょう」
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以前取材した時よりも自信に満ちあふれているように見えた西尾氏。それは一人で何もかも背負っていた時とは異なり、組織がしっかりできてきて余裕が生まれたからだという。時間ができれば社外の様々な人に出会う。情報を得て社内にフィードバックし、戦略に活かす。その好循環がさらなる飛躍へと結びつくに違いない。
プロフィール
西尾智之(にしお・ともゆき)氏…1967年東京都大田区生まれ。1991年青山学院大学法学部卒業。同年住友商事入社。父親の死去に伴い家業を継ぐべく1993年事実上の後継者として西尾硝子鏡工業所に入社、専務取締役に就任する。2000年代表取締役社長就任。
株式会社西尾硝子鏡工業所
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