駒沢化成株式会社|エンジニアリングプラスチック射出成形の匠『誰も成し得ないオファーこそうちの出番』
駒沢化成株式会社 エンジニアリングプラスチック射出成形の匠『誰も成し得ないオファーこそうちの出番』
◆取材:姜英之
チャレンジャー社長一代奮闘記
人生の折り返し地点を前に、金型と成形という分野で自身の新たな活路を見いだすため、駒沢化成株式会社を創業した代表取締役社長・河野八朗氏。以来40年あまり、座右の銘である「やればできる」という強烈なチャレンジ精神のもと数々のチャンスを活かして、自動車用機構部品や電気、電子部品の分野でエンジニアリングプラスチックの成形を中心に順調に業績を伸ばしてきた。
その結果、このほど神奈川県の認定を受け、本社と工場を集約するための不動産取得に関わる優遇税制の支援を受けることも決定。創業社長の駆け抜けてきた日々と、その成功の秘訣を探った。
当初から持ち得た高い技術力と開発能力を武器に斬り込む
自動車ドアロック関連部品(左)と、自動車関連部品(右)。自動車部品の成形は現在の同社の主力となっている。
「うちは開発型企業です」と開口一番、河野八朗氏(以下、同)。
どこの会社もできないことや、他社が二の足を踏む仕事を進んで受け、技術開発を行ってきた。その結集された姿が今の駒沢化成だ。それは立ち上げ当初のエピソードに如実に表れている。
「東芝さんの仕事でして、レコードプレーヤーにある透明なカバーの成形に携わるのですが、ブランドネームをうまく入れられるように、うち独自のアイディアで開発した金型が役立ちました。最初、東芝さんはうちが持っていった金型を見て半信半疑でしたが、何とか使ってくれと粘りまして」
それまでは不良品が3割だったのに、駒沢化成の技術でなんと不良ミス0・03%と飛躍的に生産効率がアップするという、金型業界の常識を覆す事態となった。製品となってアメリカに輸出する際、認定審査を行った輸出協会(※)の先生方からも驚嘆の声が上がったという。
「先生方から『これは凄い技術だ、ぜひパテントを取った方がいい』とまで言われました。その時東芝さんの方でも『パテントを取るのは待ってくれ、そのかわり今工場で流れている金型を全てお宅のものにするから』と必死。金型代のほかに当時700万円の報奨金もいただきました。それが発端とでもいいましょうか、大手さんも認めた画期的な発明だったのには間違いないですね」
※当時、基準を満たす輸出製品には「輸出協会」から認定証を受けることが海外で販売するにあたり有利に働いた。
薄さで勝負、自動車部品のコンペで圧勝
同社の手掛けた成形品の一部。現代ではロボットを使ってモノづくりを行うため、誤差100分の2、100分の3といった極めて精密な仕上がりが求められる。同社では自動車関連部品を中心に、住宅機器関連部品(右上:流調ボディ、右下:マニホールド、左下:KMUボディ)やその他の部品(左上)なども幅広く扱っている。
今、駒沢化成で大きな柱となっているのは自動車部品の成形だが、この分野に進出したきっかけは何なのだろう。
「トヨタのカローラⅡに搭載されたドアロックラッチという部品開発でした。4〜5社が参加したコンペティションでこの仕事を勝ち取ったのです。うちの場合、お得意先の大手金属会社さんがコンペに参加することになり、開発の依頼を受けました。コンセプトは、従来の金属特有の甲高いドアの開閉音を、消音効果があり、重厚感のあるものにしたいとのことでした」
従来は金属にウレタンの緩衝材を被せていただけの部品だったが、河野氏たちが考えたのは、ポリエステルエラストマーという素材を使って金属と一体成形すること。これはある程度の厚さがあれば簡単にできる技術だが、他の部品への影響やコスト面を重視すると、薄さわずか0・5ミリで成形することが必要だった。素材業者からも無理だという声が上がっていた。だが、成形と金型の両方の基本的な技術と知識があり、それらを駆使して行う樹脂成形に自信を持つ駒沢化成は見事にやってのけた。
まさに河野氏の主張する「挑戦する前から諦めていては何も始まらない。できないと思い込んでいることをやってみる。それが五分五分ならチャレンジする価値はある」という信念が活きた勝利といえる。
その後も東レデュポン(東レと米国デュポンとの合弁会社)とともに開発したプラスチック素材が評判になった。押し出し成形(金型から原料を押し出すことによって成形する方法)で使う従来の素材ではなく、軟化する温度に加熱したプラスチックを金型に押込み型に充填して作る、その際に不可欠な車種成形用の素材を作り出したのだ。
「どこか日本の会社で出来ないかということで、うちに話が持ち込まれました。言葉でいうのは簡単ですが、これが難しい。成形できるような粘度がどの程度なのか。毎週日曜日は東レデュポンさんの技術スタッフと一緒に実験を繰り返し、約1年間かかって作り上げました」
苦労して出来上がったプラスチック素材は大手金属会社を通して、トヨタや日産、HONDAなど日本の主だった自動車メーカーに供給している。
他社ではできないことを成し遂げる強み
「うちは他社が受注できない仕事を引き受け、開発に力を注いで地道にやってきた会社。他社には追従できない100分の2とか3の細かい誤差の樹脂部品を作るのは『駒沢しかない』と言われています」
なぜ誤差がわずか100分の2といった精密な成形品が求められるのか。それは現代のモノづくりがロボットを使って様々な製品を作るためだ。人間では手の感覚に頼ることができるが、ロボットの場合は融通がきかないので精度が重要となる。つまり、小数点以下の誤差しか認めないという精度が求められるのだ。
「うちに発注してきた会社でも自社で金型成形工場を持っているところはあります。でもできない。他社が投げ出してしまうことも、技術的に高いレベルを持っている駒沢では『チャレンジして何とかやろうよ』と、社員が全員そういう気質でいるんです」
もちろんその自信の裏付けには、精密な金型ができる工場の存在がある。このほど神奈川県から優遇税制を受けるのは、山梨をのぞいて相模原に3つある工場を1つに集合し、本社機能もその中に含めようという事業計画である。精密な金型ができる工場をブラッシュアップし、さらに効率化を計るものだ。諸経費を削減し、その分で開発や技術にさらに力を注ぎ、お客様に還元しようという考えがある。神奈川県が応援してくれたことに加え、金融機関のバックアップもあった。
「これはありがたい話ですね。日本のモノづくりに携わる多くの企業が苦労している中、行政から認められた上に、良好なお付き合いのある城南信用金庫さんは、斬新なチャレンジを後押ししてくれましたから。おかげで先頃、無事に新工場予定地の用地買収ができました」
エンドユーザー向けの商品にも
オリジナルな機能が満載
一般家庭向け商品「Aらま〜」(あらま〜)。電気の使用状況や使用電力のピークを知ることができ、節電対策に役立つ。
駒沢化成の製品は自動車部品などが中心なため、日常で消費者が目にする機会はほとんどない。だが最近、駒沢化成では一般家庭向けの商品を開発した。その経緯を伺うと、
「大震災と原発事故後、一般家庭でも節電をしようという機運になりましたよね。それは3年半経った今も続いている。皆さんは必要のない家電製品のスイッチをこまめに切るとか、節電の方法はある程度わかっていらっしゃる。でも、どの程度節電できるのかといった目安まではわからない。そこで先ほども話に出た城南信用金庫さんですが、その中にある白梅会という集まりのメンバーとうちとで『節電ができるかどうか、ひと目でわかるものを作ろう』ということになりまして」
開発したのは家庭用電流報知器、その名も『Aらま〜(あらま〜)』。いつもどのくらいの電気を使用しているのか、使用電力のピークがどれくらいなのかなどを知ることができる装置だ。たとえば30アンペアで設定した場合、使用電力が30アンペアを超えるとブザーで知らせてくれる。どの家庭も電力会社と基本料金契約を結んでいて、今は50アンペアや60アンペアで契約している家庭も多いという。ところが実際は30アンペアでも十分だそうだ。契約を変更するだけで1年に約1万円の節約になる。
「30アンペアにセットしてブザーが鳴ると、使い過ぎだから必要のない電源は切ってください、という合図になります。自主的な節電目標も立てられるし、電力会社との契約アンペアの適正も知ることができるわけです」
製品はいいものだし、使って役に立つことは間違いないとの自信がある。
「市販価格は1万円。契約アンペアの節約1年分で相殺できて、2年目以降はそのまま節約につながる。城南さんは口切りで一千台を買い取ってくれました。お客様のサービスにしたいからと言ってね。これからは一般家庭への販売方法を考えないと。技術は専門だけど、販売は素人だからね(笑い)」
父親譲りのDNAがその行動力の支え
今でこそ、駒沢化成を開発型企業として一目置かれる存在にまで発展させた河野氏だが、福島県郡山市に生まれ社会人として上京したのは18歳の時だったという。
「私は旧制の商業学校出身で、卒業と同時に、出来たばかりの公認会計士制度の士補という資格が得られた。そのこともあり、東京にいる郷里の先輩が三生製薬という製薬会社に誘ってくれました」
懐かしそうに河野氏は語る。
「製薬会社では原価計算システムを作ったりして事務方で5年、その後は購買関係を担当していました。その当時の製薬会社で扱う薬の原料はすべて動植物でしてね。動物や植物、魚からビタミンを抽出していたわけです。肝油なども扱っていましてね。そうすると油火災に備えなければならなくて……消火剤になる原料を求めて、人には言えないような苦労もしましたよ」
製薬会社の関連企業に脱脂綿やホータイを販売していた大手製薬会社があった。商品の中にはガラス製のスポイトが付随した子供用シロップもあり、そのガラス製のスポイトとの出会いが、それ以降の河野氏の運命を変えるものとなった。
「シロップを飲む時に、ガラス製のスポイトだと子どもは噛んでしまって危ないと。すでにガラスに代わる安全な素材として樹脂が注目され、製造されようとしていた時代です」
これからは樹脂加工の時代、金型の時代がやってくると確信した河野氏は、18年勤めた製薬会社を辞め、しばらく大田区にある工場で金型の勉強をさせてもらった。
「職人さんが作った金型のメリット、デメリットがわかるように、設計図の読み方も全部独学で覚えた。必死でしたね。そして成形技術に詳しい人と一緒に駒沢化成を立ち上げた。その時も3年間は石にかじりついてでも頑張ろうと、死にものぐるいでした」
自動車部品を扱うきっかけとなった大手金属会社との関係も、創業当時の大変で且つ、懐かしい思い出となっている。
「私はそこに1年間通い詰めましてね。誰にも相手にされないけれど、毎日午後1時になるとロビーや商談室にいる。そんな時にチャンスは巡ってきた。他の出入り業者がやろうとしない仕事を請け負って、それをやり遂げたのです」
困難にぶつかった時「やればできる」という、河野氏のチャレンジ精神は父親譲り。厳格ですべてに公平だったお父上は、戦後自分が苦しいときでも他の人が生活できるような術を考え、並大抵とは思えない行動力をもって実行された。その背中を見て育った河野氏にはチャレンジャーとしてのDNAがしっかりと受け継がれているのだろう。
「その後は主力の自動車部品に特化して、順調にやってきました。モデルチェンジが盛んに行われた時代でしたから。ただこの数年の自動車生産拠点は海外に出て行ってしまって、国内生産台数は600万から700万台と全盛期の3分の1になりました。その中でも生き残りをかけて仕事をしなければならないわけで。とにかくやっぱり技術力と『うちが競争に残るぞ』という気持ちでなんとか、今に至りました」
3年前には上海に製品検査のための合弁会社を設立。今後の駒沢化成は、前述のように国内では工場と本社機能の一元化が計られ、開発型企業としてますます邁進していくと思われる。誰もやらないことだからこそ、自分がやってやる……と、80歳にしてなお意気盛んな河野氏のさらなる手腕に期待したい。
駒沢化成の新たな船出の成功は、苦境に立つ日本全国のモノづくり中小企業に限りない勇気と励ましを与えることだろう。 ■
駒沢化成 株式会社
〒252-0226神奈川県相模原市中央区陽光台4-6-4
℡ 042-758-9611
http://www.komazawa.co.jp/