石山ネジ株式会社 ‐ 若い社員に責任を持たせ、工程ごとの管理を徹底。
石山ネジ株式会社 ‐ 若い社員に責任を持たせ、工程ごとの管理を徹底
◆聞き手:綿抜幹夫 /文:渡辺友樹
石山ネジ株式会社 代表取締役 石山 朗氏
「社員数名の職人技で年商数億円とか、小さな町工場が世界のシェアの80%を占めるとか、そういう技術はうちにはありません」。テレビのドキュメンタリー番組にでもありそうな、その手の話はここにはないと先手を打つように語るのは、東京都目黒区に本社を構える石山ネジ株式会社の石山朗社長だ。
しかし、東京本社のほか、横浜市港北区にも横浜工場を持ち、社員数は30名。特別な技術を持たない同社の現在がいかにしてあるのか、むしろ興味が湧いてくる。
卸売業から製造業への転換
─まずは御社の沿革から、詳しくお聞かせください。
石山:昭和40年頃から個人で事業を行っていて、ラジオやカメラのいわゆる「四畳半メーカー」にネジを卸していた先代社長(現会長)である私の父が当社を創業しました。昭和43年のことです。かつて町工場というと、四畳半の家の中で「父ちゃん、母ちゃん」が耳に赤鉛筆を挟んで競馬のラジオを聞きながら仕事をし、夕方にはパチンコや赤ちょうちんに……という家庭内工業の世界でした。創業時の当社は、そういった小さな町工場からネジを買い、マージンを取ってメーカーに卸すという業態でした。自社で生産は行わず、こうした卸売業を1990年代後半まで、20年ほど営んでいたんです。
しかし、当然といえば当然ですが、そうした昔ながらの町工場で作られる製品は品質が悪い。一方で、時代が進むにつれ、お客さんからの要求レベルは上がっていく。そこで、当社は90年代後半に、このような商品を扱っていても商売にならない、自分たちで作るしかないと、製造業に業態を変更しました。1台目のNC旋盤の機械を買ったのは平成14年、2002年のことでした。
1台目のNC旋盤を導入してから約12年。現在の横浜工場にはNC複合旋盤が並ぶ。 石山ネジのマシニングセンター
なお、その頃から、単価利益の小さいネジの生産は行っておらず、主として金属の機械加工を手がけています。現在加工している製品は、半導体を使った装置の部品が6割ほどで、残りの4割は医療機器や通信機器の部品になります。
「中小企業的」ワンマン体制からの脱却
─お話にあったような、かつて数多く存在した家庭内工業が日本の成長に貢献してきたことは確かです。しかし、時代の変化につれてその品質では産業を支えるのは難しくなってしまった。こうした背景があって、御社は卸売業から製造業への業態変更という舵を切ったのですね。では、製造業としての御社の強みは何でしょうか?
石山:町工場というと、社長、つまりその家の「親父」自身が職人であり、同時にすべての工程を仕切り、すべての窓口となり、すべての決定権をもち、生産から品質管理まで唯一の判断基準となるという、社長がいなければ何ひとつ回っていかない会社が殆どです。しかし、こうした昔ながらのワンマンなあり方の町工場に対して、困っているお客さんはとても多い。
そこで、当社はそこからの脱却を図りました。つまり、私がいなくても仕事が回るようにしておくということです。おそらく、こうしている今頃も横浜の工場にはひっきりなしに電話がかかってきていると思います。社長である私が取材を受けていて不在でも、業務に支障はないということなんです。
さらに言えば、私は社長ですが、実際に機械を使って加工・生産する技術は持っていません。大学卒業後、いずれ当社を継ぐつもりで、そのための勉強として同業他社に就職したのですが、このときも営業マンでしたし、私は自分には営業が向いていると思っています。実際、現在は当社の専務である弟が石山ネジの社長で、私は同じ建物内に作った営業に特化した別会社の社長、という時期もありました。
工程ごとに部門を分け、管理を徹底
横浜工場内部の様子。
─なるほど。時代の変化に対応して生き残っていくためには、旧態依然としたワンマン的町工場では難しいということですね。製造業だからと言って、社長が技術者である必要すら無いと。それらを踏まえて、御社では具体的にどのような体制を取っているのですか?
石山:当社は、管理部門、営業部門、加工部門と、工程管理から品質管理までを部門化しています。社員30名のうち、生産に携わる社員はその半数ほど。残り半数は、管理部門や営業部門に属しています。
そして、社員を適材適所に配置し、責任を持たせるんです。すると、それを意気に感じて頑張ってくれる。たとえば当社には6名の女性社員がいますが、女性を管理部門に配置すると、女性ならではの極め細やかさで、漏れやミスのない丁寧な仕事をしてくれる。コスト削減や無駄の排除も徹底して実行してくれます。このように、当社では意識的に若い社員にもどんどん責任をもたせ、部門ごとの仕事を任せています。
中には、そこまでの責任を負うつもりはないと、辞めていく社員もいます。それはそれで良いんです。しかし、当社の社員には、責任ある仕事を任されることでやりがいを感じて欲しいと思っています。
特別な技術がなくても成長できる
横浜工場で活躍中の女性社員の皆さん。
─脱ワンマンな体制を整え、若い社員に積極的に責任を与える。これは企業組織として非常に健全なあり方だと感じます。石山社長ご自身は、実際にどのような効果を感じていますか?
石山:当社で生産加工している製品には、高度な技術が必要なものや、他社には難しい部品もあるにはあるのですが、言ってしまえば、〝当社にしか作れないようなもの〟はありません。しかし、仮に誰でもどこでもできる部品だとしても、工程ごとに管理を徹底していることで、お客さんは当社を「石山に任せておけば、良い品質の商品を、納期通りに、適正な価格で納品してくれる」と信頼してくれ、「石山でなければ困る」と発注してくれるのです。逆に言えば、業界的に、それができない会社がまだまだ多いということです。
社員の平均年齢は30代半ば
─特別な技術がなくても、信頼を積み重ねていくことで成長できる。これは他の中小企業にとっても大きな励みになるように思います。では最後になりますが、石山社長ご自身の経営者としてのあり方も含めて、今後の抱負についてお聞かせください。
石山:特に経営者としてとか、そういったことを考えたことはあまりなく、目の前の仕事をこなしてきただけですし、これからも、お客さんの要求通りのものをしっかり作っていくつもりです。現在の社員30名は、1台目の機械を買った2002年以降の10年間ほどで集めた社員ばかりで、平均年齢は30代半ばです。若い彼らは、就職難と言われる世代で、履歴書から苦労してきたことが窺える者もいます。しかし彼らの目を見れば、仕事を任せられる人間かどうかは分かります。良い就職先に巡り会ってこなかっただけで、優秀な者は多い。
当社に入って、所帯を持った社員や、住宅ローンを組んだ社員もいます。そういう社員たちを見ていると、彼らを大事にしなきゃいけない、路頭に迷わせるわけにはいかない、と強く思うのです。
後記
この話の後、石山社長は「仕事ばかりじゃなく、息抜きや趣味も大切」と続けた。会長は写真が趣味だといい、取材場所となった応接室には見事な風景写真の数々が飾られていた。また、石山社長自身の趣味も写真で、編隊飛行するブルーインパルスを捉えた一枚をやはり応接室で見ることができた。一方、社員たちの趣味は、クルマ、パソコンの自作、中にはバンドを組んでCDを出している社員もいるとのこと。ここで興味深いのは、同社には、近年になって声高に叫ばれるようになった「ワークライフバランス」を重視する価値観が、トップ以下に自然と共有されていることだ。
さらに、中小企業の大半が直面している、高齢化や後継者不足の問題についてはどうだろうか。同社は平均年齢30代半ばで、25歳になる社長の息子、未来の3代目も既に社員として働いており、10月には第一子が誕生予定だという。強固なファミリーを形成している若い同社には、高齢化や後継者不足の心配すら、当面は不要のようだ。
製造業の世界にあって、同社の持つ「時代の先を行く感覚」がことさら輝いて見える。
この職場に巡り合えた社員はきっと幸せだろう。
プロフィール
石山朗(いしやま・あきら)氏…1961年、東京都生まれ。東海大学教養学部卒業。同業他社への就職を経て、25歳のとき石山ネジ株式会社に入社。現在、父である前社長を継いで代表取締役。
石山ネジ株式会社
〈本社〉
〒152-0002 東京都目黒区目黒本町2─6─9
TEL 03─3710─1661
http://www.ishiyama-nezi.co.jp/
〈横浜工場〉
〒223-0057 神奈川県横浜市港北区新羽町878
TEL 045─717─8886