株式会社大商金山牧場|山形の農業全国発信
株式会社大商金山牧場 山形の農業全国発信!
◆取材:綿抜幹夫/文:小川心一
株式会社大商金山牧場代表取締役社長 小野木重弥氏
安全・安心を旗印に、6次産業化を強化
このところ、報道の頻度が落ちてはいるが、農業関係者にとってTPP参加は死活問題と言われている。だが、そんな窮地にあっても、地元でしっかり足場を固め、拡大に向けての力を蓄えている元気畜産企業が庄内にはある。将来の全国展開を目指して奮闘する大商金山牧場に小野木重弥社長を訪ねた。
事業承継の用意が周到だった創業者・父、小野木覺
創業35年目の総合食肉卸売企業・株式会社大商金山牧場は、山形県酒田市にある本社を中心に、その勢力を東北4県に展開中だ。地域に根差した営業姿勢で着実な発展を遂げている。
また、近年では養豚事業にも参入。山形県金山町の『米の娘ファーム』は自社牧場だ。その牧場で育てられている『米の娘(こめのこ)ぶた』は、栄養価はもとより、味においても高く評価される新たなブランド豚として東京にも進出している。
この進境著しい会社を率いるのが二代目社長・小野木重弥氏。会社を継いで4年になる。
「今思えば、私が会社を継ぐためのレールは、子供の頃からしっかり敷かれていたようです。世間では何かと大変な会社継承、後継者問題に関して父の戦略は見事でした。この会社ができた当時、私はまだ小学生でしたが、もうその頃から、来るべき事業継承を父は考えに入れていたんです。つまり、私はまんまと乗せられたわけです(苦笑)」
作戦は巧妙だった。
「父の仕事はとても面白そうに見えたんですよ。朝早く出て、夜遅くに帰って来る父でしたが、その顔は充実感にあふれていた。きっと私に、仕事ってのは面白いんだぞと認識させたかったんでしょうね。そして創業からわずか3年で借家住まいが大きな一戸建てに替わった。子供心に父の経営手腕を見た思いがしました。すごい社長だと思いました。そんな父が家督を継ぐのは長男の私であると事あるごとに周囲に喧伝していましたしね。私もすっかりそれが当然と受け止めていたわけです。いわば洗脳されていたんでしょうね(笑い)」
そして、社長交代のタイミングも実に用意周到だった。
「私が社長を継いだのは、父65歳、会社は創業30周年というキリのいいタイミングでした。その上、山形県の産業賞を受賞する栄誉を賜った年でもありましたし。本当のところ、父の希望としては60歳でのリタイアだったのですが、やはり創業社長がそう簡単に社業から離れるわけにはいかないものでして。もっとも、そういう時期から、私自身は覚悟を決めていたし、準備もしてきた。だから、継承は実にスムーズでした」
父である先代社長が作り、慈しみ育ててきた会社は、どこに出しても恥ずかしくないそれは立派なもの。
「創業当時のこの業界は、いわゆる3Kと言われるものでした。従業員を募集しても人はまったく来ませんでしたしね。今でも、その傾向は多少残っていますが。ですから、創業当時から我が社で働き、遠からず定年を迎える従業員こそ我が社の礎と言ってもいいでしょう。我が社で働いてよかったときっと思っているでしょうし、父がそういう会社に育ててきたものと信じています。だから、私もその志を継いで、従業員に喜ばれる会社にしていきたいと思っています」
そして父は豪胆だった
昨年、食品業界の一大不祥事として、誤表示と言う名の食品偽装問題が起こった。この業界、数年に1度は社会問題になるような大事件が発生する。BSE問題しかり、O─157しかり。
「昔に比べて安全・安心に対する社会的要請は、はるかに大きくなっています。我が社も以前は『5Sって何?』という状況で、衛生的な環境とは言い難かったが今は時代が違う。我が社は他の範となるような衛生管理を徹底しているのです」
『5S』とは職場管理の基盤づくり活動で、『整理・整頓・清掃・清潔・しつけ』の頭文字の5つの『S』をとったもの。もともとは製造現場において、安全や品質向上を目的として『整理・整頓・清掃』の3つを中心に『3S』活動として取り組まれてきたが、その後『清潔』と『しつけ』が加えられて『5S(活動)』として定着している。
「我が社も平成6年に酒田に加工場を建てた時、様々な改善を行ってきました。そのことが画期的だと評価されて学校給食などのご指名もいただくようになったんです」
先代社長は経済効率性優先で会社を大きくしてきたそうだ。掃除なども、翌日の作業に差し障りが出ないようにするものだった。だからこそ、他業界も行っているような『3S』、『5S』を定着させなければならなかった。一見無駄な経費に映るかもしれないが、その無駄なことが信用につながり、売上にもつながっていった。
新しい加工場建設後は、大手量販店との取引も始まり会社の成長が加速した。やはり、時代のニーズは安全・安心だったのだ。
さらに会社成長を加速させる大きな決断があった。
「先代が鶴岡市・酒田市の、と畜場合併協議会の委員を仰せつかった時のことです。その時、と畜場に隣接する工場を建設する話が持ち上がりました。当時の経済環境ではとてもじゃないが工場を新設するなんてと私は思いましたね。それならまず酒田の工場を使いやすくリニューアルするのが先と思っていました。だが、と畜場に併設された加工場があれば、それは他社を制する大きな武器になると先代が大号令をかけたんです。この決断が今となっては正しいこと、大きいことだったわけです。やっぱり親父には敵わないと思った瞬間でした」
だが、先代にやられっぱなしというわけにはいかないと、小野木社長は奮起した。
「その時は散々やり合ったのですが、父は工場の設計を私に任せてくれました。これは意地でもいい工場を作ろうと張り切りました。予算もスペースも限られた中で効率的な工場を作り上げたと自負しています。それに当時としては画期的なトレーサビリティシステムを導入しました。これがあれば、産地偽装など不可能です。自分たちの利益のためではなく、安全・安心を担保するシステムですから。世の中に先駆けてこれを導入したことで、更なる信用につながりました。ISO22000の取得などもそうですが、業界で常に一歩も二歩も先を行く企業として一目置かれる存在になれたと思います」
会社を引き継いだ今、これらの経験が現在の経営にも十二分に活かされている。
「安全・安心を社是として、企業理念や行動指針を策定しました。それは弊社サイト(別掲)で、ぜひご確認いただきたいですね」
夢へのチャレンジ・畜産事業への参入!
大商金山牧場は、もともと食肉のカット事業がスタートだった。しかし、創業以来の大きな野望があった。それは生産から加工、販売までの一本化。そのための牧場経営は夢の実現に必要不可欠な事業だった。そしてその夢は平成20年、金山最上牧場開場で現実のものとなった。
「この牧場でブランド豚の『米の娘ぶた』を飼育しています。父は農家の長男でしたが、祖父は農業の複合経営の走りのようなことをやっていた人だったそうで、循環型の農業経営で注目されたそうです。そんな祖父を見て育った父は、当然のように創意工夫の人なのです。だからこそ、いつか養豚をやりたいという夢を持っていました。しかし、これは大きな賭け。だが、夢を具体的なビジョンとして見せることに長けた父は、従業員はもとより、地元なども上手く巻き込んで事業化に成功しました」
今時、養豚業者としての新規参入は珍しいことだ。最後発と言ってもいいだろう。事実、生産者数は激減している。だが、出荷は微減で留まっていることから、生産者減・規模拡大という業界の潮流があった。
「業界全体としては、新規参入者を閉めだす閉鎖性はまったくありませんでした。むしろ新しい仲間として迎え入れてくれる空気があった。飼料メーカーや繁殖用豚の養豚場などが惜しみなくノウハウを提供してくださったおかげで、最新最高の技術が身に付きました」
そうして送り出された自慢の豚肉、それが『米の娘ぶた』という、当時はまだ無名のブランド豚だった。
「この『米の娘ぶた』が2010年の食肉産業展のコンテストで最優秀賞を受賞しました。さらに去年の春に開催されたグランドチャンピオン大会で初代グランドチャンピオンに輝いたんです。まさに快挙でした」
これを機に子会社だった有限会社金山最上牧場を合併、株式会社大商金山牧場が誕生した。
「農業会社としての位置付けを手にし、生産から販売までを統合した地域に根を張る会社に生まれ変わったわけです。TPPの問題などを含め、困難な時代の難しい舵取りを私が任されていると実感しています。社長の責務として、TPP参加後に業界で起こり得ることに備えて、今から準備をしていかなければなりませんね」
では、具体的にどんなビジョンを描いているのだろう。
「我が社としては、差別化された高付加価値商品で生き残りを果たしていく。豚肉は安くて美味しい貴重なタンパク源です。これが牛肉並みに高くなってはやっぱりおかしい。だからこそ、一般庶民の手の届く範囲の中でいかに上質で美味しいものをお届けできるか。これを追求していきたい。また、我々がまだ手にしていない、一般消費者に直接販売するルートの獲得も喫緊の課題と言えるでしょうね。大規模なネット販売や、実店舗も考えなければならないでしょう。まずは主戦場たる東北の日本海側をしっかり押さえたいですね。この地域は人口減少のトレンドにあるにせよ、地元を死守してこその、先の展開も開けてくると考えています。限られたリソースで何ができるか。重点商品は何か。重点エリアはどこか。今は『米の娘ぶた』をメインに付加価値の高い加工品などに展開し、地元を中心にまず足元をしっかり固めますよ」
そう語る小野木社長の自信はゆるぎない。先代譲りの大胆さと智謀を武器に、まずは東北平定を目指す。そしてその先に見据える全国展開も決して夢物語ではないだろう。
プロフィール
小野木重弥(おのき・しげや)氏…昭和43年山形県生まれ。札幌学院大学商学部中退。岩手県の食品メーカーに就職後、日本ハムの食肉学校で学び株式会社肉の大商入社。平成21年代表取締役就任。
株式会社 大商金山牧場
〒999-7762 山形県東田川郡庄内町家根合字中荒田21-2
TEL 0234-43-8629
http://www.taisho-meat.co.jp/
◆2014年4月号の記事より◆
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