株式会社 右川ゴム製造所|4代続く道経一体の経営術 「三方よし」の経営哲学で百年を生き抜く。
株式会社 右川ゴム製造所 4代続く道経一体の経営術
「三方よし」の経営哲学で百年を生き抜く。
◆取材:綿抜 幹夫
明治30年創業の最古参ゴム製造会社 株式会社 右川ゴム製造所 右川清夫 会長
百年企業に学ぶ・苦しい時こそ何をすべきか
厳しい不況の中、中小零細企業は、常に存亡の危機に立たされているといっても過言ではない。実際に多くの会社や工場が消えていくいっぽうで、実はこの国には100年以上存続している企業が5万社もあるというデータが存在している。この事実をどう受け止め、学んでいけばいいのか。ゴム製品というニッチな分野をつかさどりながら100年を生き延びた右川ゴム製造所の右川清夫会長に話をうかがった。
117年続く右川ゴム・危機に奮闘する母の姿で開眼
創業は明治30年。右川ゴムの歴史は実に117年にも及ぶ。企業の歴史を語る際、しばしばリーマンショックやバブル期、高度成長などエポックな時期のことが話題に上るが、右川ゴムの場合は敗戦を挟んで大正、明治、いやそれどころか、創業者・右川慶治氏の生年まで視野に入れれば、江戸時代末期の万延元年(1860年)にまで遡ることができる。
「創業者で私の祖父にあたる慶治は、親の勘当を受けて京都の丹波(現在の亀岡市)から単身、裸一貫で出てきた男です。当初は医者を志して独学で医師免許を取得し、鐘淵紡績に嘱託医で入りました。その後、医師としての立場から聴診器のゴムを見て、『もっと品質の良いゴムはできないものか』と考えるようになり、ゴムの研究と工場建設を思いたったようです」
こう語る右川清夫会長は、右川ゴムの社長としては3代目。初代(創業者)が慶治氏、2代目が会長の父・洪輔氏、3代目が清夫氏、そして4代目(現在の社長)が会長の長男である誠治氏だ。
長い歴史の中で最も困難な、そして多感な清夫氏の記憶に刻まれることになったのは、やはり第二次世界大戦の爪痕と戦後の風景だったという。敗戦直後の苦労と努力は父母ともに並大抵のものではなかったが、特に強い印象を与えたのは母・民子さんの姿だった。
「父は戦後復興に際して、中小企業を一生懸命盛り立てようと、組合をいくつも立ち上げては参加していました。しかし、自分の会社の経営に関してはあまり得意ではなかったようです。社内を固めていたのはむしろ母で、男勝りとも言える気丈な性格と奮闘で、右川ゴムはずいぶん、持ち直したと思います。あたり一面焼け野原になる中で、かろうじて工場の高い煙突1本と祖父の代からある大きな金庫だけが焼け残りました。何としてでもあの煙突からもう一度煙を出してみせる。そのために汗水流してがんばる母の姿を見て、私自身も全力で工場を手伝わなくてはという気になりました」
限りなくゼロに近い状態から立ち上がり、清夫氏を学校に通わせるまでに業績は回復する。進学先は学習院。そう、今でも皇族が通う教育機関として広く認知されているあの学習院だ。敗戦後まもない時期に学習院に行くというのは、そうそうできることではないだろう。
「いやいや、そう大げさなことでもありません。戦後、学習院も庶民に門戸を開放し始めた時期ですから。私の尊敬する哲学者の安部能成先生が、ようやく大学までお作りになった頃です。私は中等部、高等部とわりあい好き勝手にやらせてもらい、時々家業を手伝っていました。ところが私が大学1年の時に父が得意先から不渡手形をもらって苦境に陥る事態になったんです。そこで私も休学してそのピンチを共に支える役目を担い、その時期に父も経営に関して新しい考えに目覚めて、会社がまた良い方向に転換していきます」
自社経営の枠を超えゴム業界と社会のために尽くす
右川ゴムが敗戦直後の混乱に次ぐ困難を克服するにあたっては、一つの指針となる出会いがあった。モラロジー研究所の教えである。
「不渡手形をつかまされて債権者管理状態になった時、父は懇意にしていた同業者から、『右川さんは経営について、今までとまったく違う考えで出直したほうがいい』とアドバイスされました。そこで柏市にあるモラロジー研究所に講義を受けに行くことになります。企業の社会的責任をはじめ経営のモラルなどについて学び、やがてモラロジーに精通した方に会社の経理を見ていただくようになって、回復していきました」
公益財団法人モラロジー研究所は、今も広く企業研修やセミナーなどに利用されている社会教育団体。日本語に訳せば「道徳科学」となる「モラロジー」を総合人間学として創建したのは、法学博士の廣池千九郎氏だ。
「廣池氏の提唱する考えに『三方よし』というのがあります。これは自分もよし、相手もよし、さらに第三者もよし、人と人との関係はそうでなければならない、というものです。いかに聡く利益を上げるかではなく、道徳と経済が分かちがたく結びついた道経一体の経営を成すこと、それがその後の私にとっても根本になっていきました」
こうして清夫会長が大学を卒業する頃にはだいぶ余裕もでき、「まだ若いのだから少し外で学んできなさい」ということで、ブリヂストンに入社。ところがほどなく、また次の困難が待ち構えていた。
「私の一番下の弟が、急逝してしまったんです。当然、両親はたいへんな悲しみようで、『おまえ、右川ゴムに戻って手伝ってくれないか』ということになりました。それで専務として入ることになります。結局、ブリヂストンにいたのはわずか2年3カ月でした。しかし私が入社した1959年はブリヂストンが100人くらい採用した年で、今でも毎年5月9日に『59会』というのをやっています。この歳ですからさすがに人数は半分に減りましたが、独立して社長になった人、国会議員になった人などもいて、なかなか面白い会です」
右川ゴムに戻った清夫氏が3代目社長に就任するのは昭和46年。それまでゴムマリや野球ボールで成長してきた会社は自動車用窓枠ゴムの生産に重心を移し、それが軌道に乗り始めた頃である。3代目社長の時代になり、道経一体の考えの下、墨東ゴム工業会の会長職をはじめ、日本のゴム業界のために尽力する日々がスタートする。
受け継がれる「三方よし」の哲学は経済から外交まで通ず
右川清夫会長は、117年続く企業の会長職以外に、実に多彩な顔を持っている。まずは先に述べた墨東ゴム工業会の会長職を長く務めたこと(現在は後任者に継承)。会社が墨田区鐘ヶ淵から埼玉県八潮市に移転して以降は、八潮市商工会の理事を務め、特にクリーンプロジェクトチームと称して、清掃を中心とした環境美化活動に取り組んでいる。さらに、法政大学経営フォーラムの副会長職も重要な責務だ。御歳81歳を超えてなお、実に多忙な人なのである。
「戦後のゴム工業は、組合活動で助けられて大きくなってきた側面が強いんです。例えばある特殊な新製品ができた時、自分の会社だけで作って売ればたしかに儲かるかもしれませんが、それよりもみんなでやって利益を共有しようじゃないかという伝統があります。父も組合には力を入れてきましたし、私もその伝統に対して敬意を表す意味で、まとめ役をやってきました。
八潮の清掃活動は、弊社の経理を見てくださっている会計事務所が人材教育の一環として駅前の清掃をおこなっていることに影響されて始めました。実は今朝もせがれ(誠治社長)と一緒にやってきたところなんですよ。そして法政大学の経営フォーラムは、『日本でいちばん大切にしたい会社』という名著の著者であり、7千~8千社に及ぶ中小企業を尋ね歩いて研究されている坂本光司先生とお付き合いがある関係で、先生が発足させた中小企業の集まりをお手伝いしているというわけなんです」
百年企業という大河に身を委ねてきた経験がそうさせるのだろうか、会長の言葉は明瞭で淀みなく、しかもけっして急ぐことなくゆるやかに流れる。「この方ならば」と、日本の中小企業が置かれている現在の姿、さらには政治についてなど、いささか大所高所からのご意見をうかがいたくなった。
「私は経営者にはやはり哲学が必要だと思います。戦後教育で育ってきた人が多いせいか、独自の手腕を発揮して危機を乗り切る力もなく、また私どもが基本理念としている『三方よし』の考えのように、核になるものを何も持たずに経営をされている方が多いような気がします。政治に関しては私ごときがあれこれ言うこともありませんが……。私は安倍首相のお考えには概ね、賛成なんです。しかし、『いかがなものか』と思う点もないではありません。靖国参拝は、いかにも性急すぎました。反対の立場の人々や、中国、韓国に対してもう少し意識的であるべきです。経済面では今後、中国抜きにやっていくことは不可能ですし、経済が政治に及ぼす影響を、低く見積もってはいけません」
ここにも見事に「三方よし」の考えが反映されている。思い返せば、弊誌2011年2月号に掲載した右川誠治社長のインタビュー記事には「トップ自ら、雑用を進んでこなす」として、こう記されていた。「会長は、いまでも朝早く来ては社内の掃除をしていますからね。トイレ清掃を行うと、偉ぶる感情を抑えることができます」。
苦しい時こそ社内を見つめなおし、日々、清潔を保ち、独りよがりの経営を避けて共存共栄の道を探っていく。ここに、すべての中小企業経営者が学ぶべき、百年企業の尊い実践がある。
〈プロフィール〉
右川 清夫氏(うかわ・きよお)…1935年10月、東京墨田区生まれ。学習院大学政経学部経済学科卒業後、ブリヂストンに入社。わずか2年3カ月の勤務の後、専務取締役として右川ゴムへ。1971年に3代目代表取締役に就任し、2009年、長男の誠治氏に4代目を託し、会長職となる。
株式会社 右川ゴム製造所
〒340-0834 埼玉県八潮市大曽根290番地
TEL 048-995-7481
http://www.ukawa-rubber.co.jp/
◆2014年7月号の記事より◆
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