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無人海底探査機江戸っ子1号 の開発秘話!

町工場の成功の秘訣は、日本のお家芸「共同開発」!

◆取材・文:加藤俊

杉野ゴム 杉野行雄氏 (3)
株式会社杉野ゴム化学工業所 杉野行雄氏
東京都内の区や市の中で、3番目に多い工場数を数える葛飾区。製造業のたいへん活発な地域だが、それでも近年は衰退を免れていないという。そんな中、新たな試みに挑戦し、広く注目を集めている人物がいる。杉野ゴム化学工業所杉野行雄社長だ。無人海底探査機「江戸っ子1号」の開発で一躍注目された杉野社長に、開発までのいきさつや意図、モノづくりについてをうかがった。

技術をオープンにし、皆で分かち合う

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最初に、江戸っ子1号のプロジェクトが始動する前夜の話から紐解こう。

舞台は多くの工場を抱えるモノづくりの街・葛飾。そこは、モノづくりの町としての勢いは衰え、目に見えて停滞していた。

「バブル期と比較して葛飾の企業数は半分に減ったと言われますが、実際はおそらく1/3以下でしょう。廃業届けを出さずに休業している企業がとても多いですから。街が静かになってしまいました」(杉野氏)

こうした状況下、なんとか街に活気を戻したい、と考えた杉野社長は、当時の常識では考えられなかったある行動に出る。同業者同士の共同開発だった。

 

「大手企業が下請け対策として、ごく限られたものしかやらせなくなりました。ですから、技術力はあっても、いざ他の分野に変わろうとしたらなかなか設備が運用できない。それに中小企業の側も、技術の流出を恐れて後生大事に抱え込み、結果、狭い技術がバラバラに存在しているだけ、という状態になってしまったのです。そこを変えようと思いました。共同開発なら、利益は少ないかもしれませんが、リスクも小さくてすみます

 

杉野社長は考えた。自分が培ってきたゴムの技術を積極的に若い人に伝え、そこから新しい動きが出てこないものかと。それでまずは「消しゴムを作ってみる」という講座を開いた。

 

しかし、これは業界からは猛反発をうけてしまう。

「自分たちの技術を、みすみす他人に教えるなんてどうかしている、というわけです。もうそんな時代じゃない。危機意識の持ち方が間違っていると私は主張しました。 で、半ば強引にやったのですが、そうすると色々な発見がでてくるワケです。ゴムの製造ノウハウひとつにしても、各社色々で知らない知識を得られる。大変勉強になったのです。気づけば、多くの方の理解を得るようになりました。

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それで消しゴムの後、もっと皆さんの役に立つものを、ということで、地震の時の家具の転倒防止ゴムをやりました。講座に来られる方々も、そもそもプロの技術者ですから、いざやる気になったらすごいスピードで開発が進みました。これを市販して利益を出すために、会社を作ったんですよ。日本総合防災アドバイス社といいます。こういう共同開発で頓挫するいちばんの理由は利益配当と仕事量の不公平感ですが、それをなくすため、皆さんに出資してもらい、利益が出たら配当する方式を取りました

 

現在では、安倍総理をはじめ、各方面から激賞されるなど、「町工場の期待の星」とも言われる「江戸っ子1号」プロジェクト。しかし、その開発には、前段階としてこうした数々の地ならしがあったのだ。

 

 

 「江戸っ子1号」は蛮勇だから良かった

秋の草

杉野ゴム化学工業所は昭和31年の創業。創業者は杉野社長のお父様・健治氏だが、昭和54年に急逝され、この時から2代目社長を務めている。ちょうど30歳で新社長に就任し、今年で64歳になった。

「私は子供がいないこともあり、家業を守るという発想より、グローバル化をめざしました。20年ほど前にすでに生産拠点を中国の大連に移し、そこから中国やベトナムとビジネスをしています。しかし疲弊する国内事情を見て、日本でもどうにかしなければいけないとの想いに駆られて……」

日本総合防災アドバイス社の設立で弾みがついた杉野社長は、大きな夢を抱くようになる。深海

「日本の周りの海に、微生物などとんでもない資源が眠っていることがわかったんです。しかしそれを手がけているのはJAMSTEC(独立行政法人海洋研究開発機構)だけで、なかなか前に進んでいない。『じゃあ、われわれ町工場の力を合わせて海底探査機を作ってしまおう』と考えた。

杉野ゴム 杉野行雄氏 (1)

大阪で『まいど1号』ってありましたでしょう?あっちは宇宙ですが、あれに触発されたことも大きいですね。当初は誰も相手にしてくれませんでしたが(笑い)、東京東信用金庫の支店長だけがえらく感激してくれました

 

さらに、芝浦工大、東京海洋大の産学連携コーディネーターと会うと、「ムチャクチャなアイデアだが、一つの起爆剤になりそうだ」と好感触。しかし専門家のアドバイスがいるだろうと、その場でJAMSTECに電話をしてもらい、後日、訪ねることに。JAMSTEC側は思いがけない申し出に喜び、「開発の手伝いをしてくださるなら、大歓迎です」。

そう、誰もが、何か新しい展開が始まるのを待ち望んでいたのである。

 

 

シリコンバレーに乗り込んでいきたい

ヘルメット

「JAMSTECで整備中の深海探査機を見せてもらったのですが、部品がほとんど海外製。日本では買える人がほとんどいなくて、採算が取れないのですね。そこでわれわれは、ガラス製で、思い切り安価な探査機に賭けることにしました」

 

海外製で利用されているチタンだと、数千万円以上かかるところが、市販のガラスを使えば数十万円で済む。ガラスだからそのまま使えば、カメラと照明を入れたら撮影ができる。あくまで市販できることが肝心なのだと杉野社長は考えた。

そこで「ウチもやりたい」という会社が現れ、企業は4社になった。気が付けば、JAMSTEC、芝浦工大、東京海洋大、東京東信用金庫、さらに技術協力でソニーまで加わった一大プロジェクトになっていった。

 

夢の海底探査機はその名も「江戸っ子1号」と名付けられた。様々な試験を順調にクリアし、この9月、房総沖でいよいよ、8千メートルという本当の深海実験が控えている。実験に成功し、市販化が実現すれば、日本の海洋資源の実態や魚の生態がより明らかになるだろう。

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そして杉野社長の目は、次はシリコンバレーを向いている。

「あそこにはアイデアがいくらでもあります。そこにわれわれの技術を売り込む。具現化するのはわれわれだ、という自負を持っています」

 

「深海に関して、ド素人だから良かった、大きな夢が持てた」と語る杉野社長。

共同開発という手法は、本来、この国のお家芸のはずではないかと檄を飛ばす。

「弱者が集まって何か大きな目標を達成しようという共同開発、これができるのは日本だけだと私は思っているんです。日本はもともと農業国です。共同して山を開墾し、田植えを行ってきました。苦労も報酬も分かち合える民族性がある。その原点に立ち返って、さあ皆さん、同業の方たちと共にがんばってみませんか

 

自分の会社だけではどうにもならない大きな山も、共同開発でなら動くかもしれない。これからの時代を生きるヒントの1つが、確かにここにある。

 

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杉野ゴム 杉野行雄氏 (2)

【プロフィール】

杉野 行雄(すぎの・ゆきお)氏…1949年、東京生まれ。日本大学生産工学部卒業後、父が経営する杉野ゴム化学研究所に入社。79年、父・健治氏の急逝に伴い、2代目代表取締役に就任し、現在に至る。

 

株式会社 杉野ゴム化学工業所

〒125-0063 東京都葛飾区白鳥1-4-9

TEL 03-3691-5732

http://www.sugino-gomu.co.jp/

町工場・中小企業を応援する雑誌 BigLife21 2013年9月号の記事より

2013年9月号の記事より
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