岡谷熱処理工業株式会社 知恩報恩─恩を知り恩に報いる─

◆取材:綿抜幹夫

 

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岡谷熱処理工業㈱/代表取締役社長  西澤邦治氏

 

三顧の礼で迎えられた人情派社長の〝リリーフ投手魂〟

長野県諏訪湖の周辺には、モノづくり立国ニッポンを象徴するような精密機器の生産拠点が存在する。しかし、長引く不況や産業構造の変化から、撤退を余儀なくされる会社が後を絶たない。その地にあって、再び日本の製造業を世界トップに押し上げるべく、革命的新技術を開発したのが岡谷熱処理工業株式会社だ。その陣頭指揮を執る西澤社長を訪ねた。

 

人情派社長誕生!

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この時期、ワカサギ釣り客で賑わう諏訪湖周辺は、日本でも有数の精密機械や情報機器関連産業の集積地だ。諏訪湖を囲む長野県諏訪市、岡谷市、下諏訪町などには大企業やそのグループ企業の工場があり、周辺には下請け企業が数多く集まっている。

 

『東洋のスイス』と言われるこの諏訪湖畔で、金型の革命的熱処理技術で日本中に、いや世界に名を轟かせようとしているのが岡谷熱処理工業株式会社だ。50余年の歴史を誇るこの会社を率いるのが西澤邦治氏。創業家の出でも生え抜き社員でもない。人と人とのつながりに導かれ、たどり着いた社長の椅子だったという。

 

「私がこの岡谷熱処理工業に来て12年になります。もともとはNTTにおりました。長野県千曲市の更埴電報電話局の局長として赴任していた時、そこで知り合った人の中に森川産業という鋳物会社の社長がいらっしゃいました。その社長が20年ほど前、森川産業の新規事業である環境機器部門のために私をスカウトしてくださいました。私が担当したのは洗浄剤として使用される有機溶剤の回収リサイクル装置の営業でした」

 

工業製品などは、出来るまで油まみれになっているが、それを落とすための溶剤(トリクロロエチレン等)は人体に有害で、気化したものを室外へ逃がしていた。それを回収・リサイクルし、再び使用できるようにする装置を売りに行った先に、運命の出会いが待っていた。

 

「その装置の営業で岡谷熱処理工業を訪ねました。350万円もする装置です。当時の社長は購入しようとおっしゃってくださいました。一営業マンとしては黙って納品すればよかったのですが、この会社の規模でこの装置を使用しても、到底元が取れないことがわかったんです。そこで『社長、買っていただけるのは大変うれしいのですが、御社ではイニシャルコストも回収できません。お気持ちはありがたいが、購入はおやめください』と正直に伝えました」

 

顧客側から見れば、まさに顧客本位のいい営業マンだが、会社から見ればとんでもない話だろう。だが、良心には逆らえなかった。

 

「すると岡谷熱処理工業の社長は、『あなた、いい人ですね』とおっしゃる。私は『給料をいただいているのに、その会社の製品を売らないのは悪い社員ですよ』と申し上げました」

 

この一連の言動に痛く感銘を受けた岡谷熱処理工業の社長は、西澤氏を会社に迎えたいと申し出た。

 

「『我が社の専務になりませんか?』とおっしゃってくださいました。私は冗談半分、社交辞令半分と思いましたので、『御社には立派な専務がいらっしゃるじゃないですか』と申し上げ、辞退しました」

 

ところがその半年後、社長は癌で入院。ひと月後には若くして亡くなってしまった。岡谷熱処理工業の社長は未亡人が引き継いだのだが、しばらくするとその新社長が西澤氏を呼び出した。

 

「新社長は、『亡くなった主人からあなたのことを聞いていました。ぜひ専務になって欲しい』とおっしゃる。私としては森川産業に恩義もあるし、環境機器部門が軌道に乗れば、その社長にという話もありましたので『そういう人材をご希望でしたら、お取引銀行にでも声をかけたらいくらでもいい人を紹介してくれますよ』と進言しました」

 

新社長は、その進言に従って取引銀行の支店長クラスと面接を行った。だが、その年の暮にまた西澤氏を呼び出した。

 

「どうやら、銀行から推薦された人はお気に召さなかったようで、『2人と会ってみたけど実際に工場の中を見て回るような現場のわかるタイプじゃなかった』とおっしゃる。そこでまた、私をスカウトされようとしました。やんわりお断りしたのですが、それでも熱心に誘ってくださる。亡くなった社長から1回、その奥様である新社長から2回誘われて、いわば『三顧の礼』で迎えてくださるのは身に余る光栄と感じました」

 

だが、恩義ある森川産業との板挟み。思い切って、森川の社長にこのことを相談してみた。すると、

 

「森川の社長は『その会社は自宅から近いのか』とお聞きになった。私は『歩いて10分くらいです』と答えると、『家と職場が近いのはいいことだ』と」

 

遠回しなOKサインだった。これで意を決した西澤氏は、年明けに岡谷熱処理工業に出向き、お世話になりますと告げた。入社したのは2002年4月だった。
ところが、支給された名刺を見ると肩書きは『副社長』。まだ会社で何の仕事もしていないにもかかわらず、当初の約束より重い役目を拝命することとなった。

 

「私はこれからの仕事で、副社長にふさわしいのかどうかを判断して欲しいと申し出ました。そうでなければ専務にでも平取にでも降格してくださって結構ですと」

 

だが、その仕事ぶりや人柄から、降格などはあり得ない話だった。1年半後の2003年10月には社長に推された。

 

「もともと主婦だった社長は、信頼出来る人間に社長を任せたかったようでした。ですが、私はまだまだ新参者。『社長をお支えしますから、このままでいいじゃないですか』と固辞しました。ですが、社長の気持ちは決まっていたようです。結局社長には代表権のある会長になっていただき、私が社長に就任しました」

 

翌年になると代表権を会長、社長が持つようになり、さらにその翌年には会長が非常勤となって、一人西澤社長が代表取締役となった。
人との縁を大切にし、相手の立場に立って行動してきたことでたどり着いた社長の座だった。

 

改革・改革・改革
岡谷熱処理工業の主たる業務である熱処理は、簡単に言えば鉄製品に熱を加えて冷やすことによって金属の組織を変え、製品の硬さや靭性などを増すことである。よく知られた例としては、刀鍛冶が刀や包丁に『焼き』を入れる作業。あれが熱処理だ。
「私が社長になった頃、会社の状態はあまりよくありませんでした。タガが緩んでいたと言っていいでしょう。それでも業績はトントンを保っていた。だからそれまでは改革に着手できなかったようです。外様の私はしがらみがない分、手を突っ込みやすかったのかもしれません。綱紀粛正、改革を6~7年続けました」

 

その効果もあって就任当時3億弱だった年商は現在約4億。この間のリーマンショックや長引く不況を思えば大躍進と言っても過言ではない。西澤社長の改革は、会社内部に留まらず、熱処理の技術にも向かっていった。

 

「『熱処理をすると金属は必ず歪むもの』というのがこの世界の常識でした。しかし、異業種から来た私にとって、業界の常識に縛られる理由はなかった。その歪みは絶対に解消できないものなのか。解消する方法は本当に存在しないのか。常識を疑うところから始めてみました。熱処理によって起こる歪みは、金型にかかわるすべての業者にとって手間やコストがかかる問題。それを解決したいと思って始めた技術革新、それが今日の『Gsyori(G処理)』として結実しました」

 

業界の常識に凝り固まってしまった社内だけで、その常識を覆す新しい発想は生まれないと考えた西澤社長は、産学官の連携に活路を求めた。

信州大学工学部、長野県工業技術総合センター、長野県中小企業振興センター、岡谷市工業振興課を巻き込んだプロジェクトチームを発足。一定の方向性が見えたところで経産省が行っている支援事業に応募した。

 

「平成21年度に『ものづくり中小企業製品開発等支援補助金』で、開発費の3分の2が支給されたので、3千万円を投じて(内補助金2千万)歪みの出ない熱処理法開発に着手。平成22年度、23年度に『戦略的基盤技術高度化支援事業(サポイン)』に採択されて、製品化できました。これが金型の業界にとって画期的な技術『Gsyori』です。私は世界一の技術だと自負しています」

 

その高い精度によって熱処理後の歪みは30分の1にまで抑えられ、後の工程でかかる時間やコストが大幅に縮小した。また、製品の長寿命化というメリットももたらしている。

 

優れた技術故の悩み

『Gsyori』技術が確立し、実際に稼働を始めた昨年から、徐々にではあるが、この画期的な熱処理を求める顧客は増えていった。

だが、革命的とも言える優れた技術にもかかわらず、普及のスピードは遅いとも感じられる。

 

「もともと歪むことを前提に、その後の研磨等を準備している金型屋さんにとっては、歪みがないとその準備、すなわち職人が余ってしまうことになります。また、どんなに優れた技術でも、人間が持つ保守的な考えを打ち破るのは容易ではないということでしょう」

 

さらに次の一手もすでに打っている。『Gsyori』開発の後、力を入れているのが歪み修正装置『ULFLAT(アルフラット)』だ。

 

「この『ULFLAT』があれば、それまで必要とされた職人の高い技術がなくても簡単に歪みを極小化できます」

 

しかし、『Gsyori』も『ULFLAT』も、業界に大きな変革を起こせるだけのポテンシャルがあるだけに、その展開が難しいと西澤社長は悩んでいる。

 

「これを安易に販売してしまったら、他所が弊社と同等の技術で簡単に熱処理を行うことができてしまうことになります。また、アフターサービスにかかるコストや手間も今のところまったく見当がついていません」

 

技術や装置を販売するのか、それとも従来通り熱処理を請け負うのか。まだ方向性は定まっていない。

 

最後のご奉公は「大政奉還」

11_OkayaNetsu03「琵琶湖周航の歌」の作詞家として知られる小口太郎(長野県岡谷市生まれ)の像の前にて

岡谷熱処理工業を立て直しただけでなく、世界に打って出られる技術の開発に成功した西澤社長。残る大事業は後継者育成だ。

 

「私に声をかけてくださった前社長には跡取り息子がいらっしゃいます。現在30歳ですが、彼がこの岡谷熱処理工業に入社して2年。私としては立派に継がせてあげたいと思っています。ただ、まだ若いですし経験が足りませんから、いい『番頭』を補佐に付ける必要があるでしょう。ですから、今はその番頭育成に力を注いでいるところです」

 

どこまでも縁と恩を大切にし、自らをリリーフ投手に位置づける〝人情派社長〟だが、どうやら〝お役御免〟は、まだまだ先のようである。

 

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●プロフィール
にしざわ・くにはる氏…1941年長野県長野市生まれ。高校卒業後、電電公社入社。働きながら公社内の大学部で学ぶ。1992年森川産業入社。2002年岡谷熱処理工業に入社し、2003年同社社長に就任。

●岡谷熱処理工業 株式会社
〒394-0033
長野県岡谷市南宮1-5-2
TEL 0266-23-4610

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