後継者不足が課題。町工場を救うため、創業社長の長女が立ち上がる

 日本のモノづくりを支えてきた町工場。金属加工をはじめ、世界的に見ても高い技術力をもち、「オンリーワン」の技術や製品を持つ工場は数多い。平成の時代、新興国の台頭による国内産業の空洞化やリーマンショックによる打撃など多くの苦難に襲われ、乗り越えてきた町工場だが、令和の今、直面する課題が後継者不足だ。

東京商工リサーチの調査によると、2020年に全国で休廃業・解散した企業は4万9,698件。2000年の調査開始以降、最多を記録した。休廃業・解散した企業の41.7%の代表者の年齢は70代で、社長の高齢化と事業承継の困難が大きな要因。*高度経済成長期に独立・開業した事業所が多い町工場が後継者不足の苦難に直面していることは想像に難くない。

**2020年「休廃業・解散企業」動向調査 : 東京商工リサーチ (tsr-net.co.jp)

東京・品川区で昭和40年10月に創業した有限会社ウンノ研磨工業所もそうした町工場のひとつ。製品づくりに欠かせない切削工具・工業刃物の再研磨・再加工の技術を磨き上げ、多くの顧客から厚い信頼を得てきた会社を存続させるため立ち上がったのが、創業者で前社長の吽野岩男氏の長女・渡辺礼子氏だ。同社の歴史と「継承の物語」、そして将来の展望を渡辺氏に伺った。

会社とともに成長した少女がプロゴルファーの夢をあきらめ、入社するまで

ウンノ研磨工業所設立の2年後に生まれた渡辺氏。会社の成長と歩調を合わせながら子ども時代を過ごした。

「父は現場で作業、母は配達と帳簿づけ。文字通り二人三脚で始めた会社です。当初は青物横丁にある知り合いの工場を間借りしてスタートし、私が小学校にあがる時に南大井に越し、同じエリア内で移転したのが現在の社屋です。父は仕事が好きで、工場で真っ黒になりながら働き、いつも一生懸命。仕事はなるべく断らず、納期を守ることでお客様の信頼を築きながら少しずつ会社を大きくし、500社くらいからお声がけいただくほどの規模に成長しました。現在、従業員は16人です」

有限会社ウンノ研磨工業所 代表取締役社長 渡辺礼子氏

懸命に働く両親の背中を見ながら育った渡辺氏だが、将来会社を継ぐことは意識したことがなかったそう。

「父は『継がなくてもいいよ』とは言っていましたが、言葉の裏側に期待は見え隠れしていましたね。家での父はときどき仕事の愚痴みたいなことを言うことも。仕事には波がありますから、落ちた時は気持ちがふさいで『疲れた。畳もうかな』とぼそっとつぶやいたり。それを聞いて、『大変なんだな』と思っていました。製造業に近接する分野の工業高校の化学科に進学したのは、家業にメリットがあるかも、という気持ちはありましたが…。』

在学中にファッションに興味が芽生え、卒業後は服飾の専門学校へ。就職はアパレルの販売会社を選び、流通の分野でのスペシャリストを目指すも、会社の上司に連れていかれたゴルフにはまったことが転機になった。退社してキャディとして働きながらプロゴルファーを目指して約10年奮闘するが、ケガをきっかけにゴルファーの道を断念。夢破れしばらくは働く意欲も失いかけていたが「食べていくために」両親の会社に事務職として入社したのが32歳の時のこと。

「退職金で自分の強みになることを身につけようと考え、町のパソコン教室に通い、そのスキルで社員にしてくれ、と頼みました。当時の私は、結構わがまま放題の娘で、父もイヤだったのではと。以前から実家に戻る時は配達や電話番を手伝っていましたが、遅刻をしたり周りに迷惑ばかり。入社は認めてくれましたけれど。私もいわば生活のためでしたし、会社を継ぐなどという気持ちは全くありませんでした。」

左:代表取締役社長 渡辺礼子氏 右:創業者で取締役会長の吽野岩男(父)氏

左:代表取締役社長 渡辺礼子氏 右:創業者で取締役会長の吽野岩男(父)氏

入社後はパソコンの導入を進めて請求業務の効率化やネット環境の整備などに尽力。34歳で結婚し、渡辺姓になってからも変わらず働き続ける中、業務の改善を通して少しずつ会社のあり方を考えるようになったそう。

「現場のオペレーションも『もっとあそこをこうすれば』と思うようになりましたが、父やベテランの職人さんに教えていただく立場でしたから、あまり自分から突っ込んだことは言えませんでしたね」

経理担当の役員になったことが転機になり、事業承継を決意

大きな転機となったのが、3年前、お母様が担っていた経理の仕事を引き継ぐため、常務に就任したことだ。経営の根幹である経理の責任者という立場になり、会社の行く末を考えるようになったそう。77歳になった父上も後継ぎを考えるようになり、当初、生産現場で父と共に働く渡辺氏の義理の弟に声を掛け、現場での力量を評価されている俊英の社員だけにオファーを出したことも。しかし、「先輩職人の上に立つ自信がない」と固辞されるという経緯もあった。

「そんなころ、東北方面への社員旅行があり、貸し切りバスで私が観光ガイドのマネ事のようなことをしていたのですね。社員の笑顔を見渡せる位置で話しているうちに、『この人たちにずっとウチで働いていて欲しい、この笑顔を途絶えさせてはいけない』という気持ちが強く湧き上がってきました」

常務になる時に社員の前で挨拶し、「家業から企業にしたい」と抱負を述べた渡辺氏。気負いもあっての発言だったが、そこに気持ちが追いつき、「父はもう80歳目前、誰かがやらないといけない」「経理をやっている自分なら会社全体を見渡して考えることができる。自分がやろう」と決意が固まったのだ。とはいえ、当初はスムーズにはいかなかったそう。

「父には『社長をやらせて欲しい』と単刀直入に言いました。『何でだ』『みんなわが社で一生懸命働いてくれて生活している。お客様にも迷惑かけられない。お父さんの代で解散というわけにはいかないでしょ。若い社員も入ったばかりなのに』。父からすぐに色よい返事をもらえなかっただけではなく、家族全員、社員たちとも対峙することに。想定はしていたんです。それまでチャランポランな人間だったのに、急について来い、と言っても難しい。みんなにそう思われていたのなら自分を変えなくてはならない。それまでの重役出勤から朝は定時には出勤し、父がずっとしていたトイレ掃除を引き継ぐことから始めました。今も続けています」

事業の拡大、そして新しい時代の象徴に。念願の新工場を設立

2020年12月に社長に就任。いきなりの大仕事が新工場の設立だった。茨城に所有する土地に工場を建設するプランは、渡辺氏が常務就任時に打ち出していたことで、借地に建つ東京の工場だけではなく、建物も土地も自社所有の新しい工場を建てることは、事業の拡大はもちろん、会社にとって大きな意味のあることだと考えたからだ。

「この先の時代は会社にとって、新工場は象徴的な存在にもなります。皆の前で宣言したことで、私だけではなく父の夢にもなりました。当初は5年後計画を立て、2022年に着工で動いていたのですが、土地の許可が予想以上に早く下り、資金繰りもコロナ禍による融資や助成金でチャンスが巡ってきて、一気にたたみかけよう、と2020年の着工で今年開設することができます。工場の新設にお金はかかりますが、運転資金は確保できる算段でこの1・2年をしのいで3年目には赤字を脱却する企業にしていければと考えています」

統括工場長と右腕的な存在が改革の支えに

念願の新工場だったが、当初は雇用の問題も勃発。対応に追われる渡辺氏の力になったのが義理の弟にあたる東京の工場長。先代社長が一度は後継者に白羽の矢を立てた人物である。コロナの影響で業績も低迷続き、雇用もまとまらない時のありがたい行動に『休みも返上して東京と茨城を往復し、お客様の信頼を失わぬよう、身を挺してやってくれて、どうしてそこまで頑張れるの?』と聞いたら、『お客さんが待っているから。会社のためじゃないよ、お客様のために頑張る』。父が何よりも大切にしてきた『お客様のために』、利他の心を完璧に自分のものにしている。現在は東京と茨城の統括工場長に就任し、頑張ってくれています。私も全幅の信頼を置いています」

彼の行動のお陰でほかの社員にも変化が

現在、渡辺氏が模索しているのが現場の改革。同社では、創業以来ひとつの機械をひとりが担当する単能工のスタイルを守っていたが、何かあった時に替えがききにくいなどの弱点があった。そこで、ひとりの人間が複数の機械を扱う多能工化に乗り出すことになったのだ。
「創業以来のスタイルを改革するのは、大きなチャレンジですが、力になってくれているベテラン社員のN氏の存在が大きい。彼は、以前、父とぶつかる事もあり、反抗的な人なのかな、と私もずっと思っていたんです。ところがじっくり話を聞いてみると、すごく会社のことを考えてくれていて、アイデアもたくさんあるし、裏付けもある。それゆえに、昔気質の父とぶつかっていた事もわかりました。そこで、統括工場長の下につく東京本社の技術責任者に抜擢しました。若い社員の指導にも力を振るってくれて、私の右腕的な存在です」

たしかな技術と「利他の心」で町工場の未来を切り拓く

新しい体制を模索する渡辺氏だが、ウンノ研磨工業所の根幹は先代社長の時代から変わらないと語る。顧客の多彩なニーズに応えるたしかな技術力がそれだ。
「新品の切削工具は価格も高く、費用も莫大です。再研磨した工具を使用することで、コスト面や資源の削減を可能にします。50年以上の歴史を持つ会社ならではの知識と技術で、コスト低減をご提案しています。弊社は、お客様の多彩なニーズに応える設備を有しているのはもちろん、自動研削盤ではむずかしい部分を職人によるきめ細かな加工技術で対応できるのが強みです。現在は産業テクノロジーの進化に伴い部品も小型化、切削工具も極小径のものに移行しているが、熟練の職人の手作業ならでは技術が貢献できるところはまだまだ大きい」

リーマンショックで打撃を受け、そこから盛り返し、オリンピック決定後は上り調子だったが、新型コロナの影響で売り上げが半減。多くの中小企業と同様、2020年はウンノ研磨工業所にとって厳しい年となった。だが、渡辺氏の表情は暗くない。その理由とは。
「最近、弊社の理念を作成したんです。父の思いを何とか形にし、社員に感じて欲しいと考えてきてはいたのですが、明文化されていなかった。そこで、父の言葉を思い出しながら書き起こしていくと、工場で額に汗を流し、納品に間に合わるために常に努力していた父の姿が目の前に浮かんできて、あ、これがあればうちは大丈夫、と確信しました」

その理念が「お客様を一番に 笑顔と挨拶で 利他の心」

「私の時代になり、社内の体制が変わっても、父が示し続けた姿勢は変わらない。社員が共有し、常に意識してくれるよう、最近紙に書いて壁に貼り出しました。この理念をもって、新たな町工場にチャレンジしていきます」

<プロフィール>

渡辺礼子

1967年生まれ。 1999年に有限会社ウンノ研磨工業所入社。 2020年12月代表取締役社長に就任。

 

有限会社ウンノ研磨工業所
https://www.unno-gt.co.jp

〒140-0013 東京都品川区南大井5-8-3

TEL:03-3766-1566