真空成形用金型の製造で高い知名度を誇る株式会社城南村田。同社代表取締役を務める青沼隆宏氏は、以前アメリカで会計士をしていた異色の経歴を持つ。なぜ彼は日本のモノづくり産業に注目し、その経営に携わることになったのか。

人の感覚を重視したモノづくり

株式会社城南村田。同社代表取締役を務める青沼隆宏氏

株式会社城南村田 代表取締役 青沼隆宏氏

東京都大田区の蒲田から羽田に至る多摩川に面した地域は、日本の高度経済成長を支えたモノづくり産業の中心地として名高い。その一角、JR蒲田駅から環状八号線を渡った地域は住宅と町工場が混在し、今も下町情緒を残している。

ここに社屋を構える株式会社村田青沼は、工業用やギフト用菓子のトレーなどの金型設計・製造、そして成形までを手がけている企業だ。

特にチョコレートやクッキーなどの高級ギフト用菓子のトレーについてはその高い技術力が評価され、多くの有名菓子メーカーを顧客に持つ。

実はギフト用菓子のトレーには高い製造技術力が求められる。菓子職人たちが作る美しく複雑なデザインの菓子をいかに美しく並べるかはもとより、微妙に違う菓子の大きさも考慮に入れたトレーを設計していかねばならないからだ。

「チョコレートやクッキーなどは、試作の時と比べて同じグラム数でも膨らんだり広がったり。大きさも各々まちまちになります。それを計算に入れなければならない」と同社代表取締役青沼隆宏氏は話す。

大きさがまちまちになる菓子を納めるトレーをなぜ作ることが可能なのか? 青沼代表はその秘訣について「頼りになるのは人の感覚」と言う。

「弊社が他の同業他社と違う大きな点が、今でも職人による『人の感覚』を重視しているところです。菓子は複雑に湾曲しているものがほとんど。ですからCADを用いて1つ1つのトレーを作成していくと、時間も費用も大幅にかかってしまいます。しかし熟練の職人がノミやカンナを使い、今まで積み上げてきた経験やノウハウを駆使して木型を削り出すと、時間や費用を節約になるだけでなく僅かに変化する菓子の形状も含めた成形ができる。深さや広さ、角度といった微細な部分まで菓子にピッタリとあったトレーを生むことができるのです」

デジタルとアナログの組み合わせ

依頼のあった光学レンズ企業の現場の課題を解決し、モノづくりを支えている。

オーダーメイドで企業の現場の課題を解決し、モノづくりを支えている。

「これらの職人、いわゆる木型師が作った木型を次に金型に起こします。ここで木型をスキャンしデジタル化する。一度デジタル化してから金型を切削することで高い品質の製品を提供することができる。デジタルとアナログの良い部分を組み合わせている、それが弊社の特長だと思います」

青沼代表はそう自信を示す。

実際に製品を製造する段階では同社の持つ真空成形加工の技術が光る。

真空成形は金型と製品の原材料になるプラスチック素材の間を真空にすることで金型と寸分違わぬ形に成形する方法だ。この方法では正確に成形するための吸引用真空口の位置や数などにノウハウが求められるが、そこには同社が蓄積してきた経験がある。

「これらの技術を駆使し、お客様からの様々な要望にも素早く対応することができます」と話す青沼代表に、顧客からの信頼も厚い。

「どうしてもギフト用高級菓子は小ロットの生産が多く、また値段・サイズの違いなどバリエーションも多くなりますし、季節やイベント事にも違うトレーが求められる。これらの要求に対し、弊社がきめ細やかに対応できるのは、職人を抱えていながらかつ成形製造まで一気通貫でできるからです。大企業では断られてしまうような短納期・小ロットの案件でも即座に対応できるようにスタッフも配置しています」

「私たち中小企業が大企業に立ち向かっていくには、そういったニッチなマーケットで戦う必要があります。そして弊社では戦っていくための技術の組み合わせ、そしてスタッフの組み合わせを常に準備しています」と青沼代表は話す。

会計士の経験を生かし家業の再建に立ち向かう

木型製作、金型製作、試作品製作までワンストップで対応

自社で設計から、木型製作、金型製作、試作品製作までワンストップで対応できるのが強み

現在、日本の真空成形用金型を扱う企業で、昔ながらの木型師も抱える企業は珍しい。

「私自身がアナログな技術が好きなこともあります。モノづくりが好きなのです」と青沼代表は話すが、意外にも代表本人は技術畑で育ったわけではなく、そもそも金型の会社の人間ですらなかった。

「私の実家はこの蒲田にもほど近い品川区戸越で紙問屋を営んでいました」

青沼代表の祖父が戦後すぐ、1949年に創業した紙問屋城南洋紙店が青沼代表の実家だった。そこに1970年に生を受けた青沼代表がまず志したのは会計士の道だった。

「大学卒業後、会計士として生業を立てようと考えました。日本の会計士事務所で4年ほど働いた後、更にアメリカに渡って3年半アメリカの会計士事務所で実際に勤務していました」

アメリカで暮らしながら、いずれは帰国して家業の紙問屋を継ぐことになると考えていた青沼代表の下に急報が入ったのは2001年のことだった。

「実家の紙問屋が、大口の得意先が倒産した煽りを受けて経営難に陥ってしまった。それで急遽帰国し、実家を継いで経営の立て直しをしなければならなくなったのです」

帰国して実家の状況を見た青沼代表は、まず金融機関からの借入をなんとかしなければならないと思い立つ。銀行に赴いて会社の状態を包み隠さず説明し、返済の繰り延べを頼んだ。次に徹底した業務の効率化と利益率の向上。会計士としての経験がものをいった。

「会計士の感覚で仕事をしていましたので、紙屋の感覚はありませんでしたね。必死で経営再建に奔走した結果、3年で何とか再建のメドが立つまでになった」と青沼代表は話す。

しかしその3年間は、同時に製紙業界の限界を感じた3年間でもあった。

IT化、ペーパーレス化が進むとともに日本の製紙業界は近年縮小が続いている。2000年に総量約3,182万トンの生産量を誇った国内製紙業だったがその後下降に転じ、2010年には2,736万トン、そして2017年は2,651万トンにまで下落した(経済産業省調べ)。

「それに」と青沼代表は続ける。

「紙の業界はメーカーとの縛りが強い。問屋は営業を受け持つエリアが決められていて、たとえそのエリアの売上が悪くても別のエリアに拡大することができません。紙の使用量は徐々に減っているのに事業の拡大を図ることもできず、どうすることもできないのです。これは未来が無いなと思いました」

金型業界に飛び込んだきっかけはM&A

株式会社城南村田 代表 青沼隆宏氏

青沼隆宏氏はアメリカで会計士をしていた異色の経歴を持つ

業態を変えなければジリ貧になってしまう。そんな不安を抱いていた時に、銀行からM&Aの話を持ちかけられたことが金型業界へ踏み入れるきっかけになった。

「蒲田に株式会社トーマックという金型メーカーがあるのですが興味ありませんか、と聞かれたので、これはチャンスかなと考えた。当時株式会社トーマックは後継者がいなくて困っていた。それで先代のオーナーと話をしてM&Aをしました。この株式会社トーマックが木型師を多く抱えていたので、弊社はアナログとデジタル両方の強みを持つことができたのです」

こうして2005年に株式会社トーマックを株式買取、2006年に改めて株式会社城南村田として船出した同社だったが、直後にリーマンショックが襲いかかる。そして2011年の東日本大震災。

「この10年は苦労の連続でしたね。リーマンショックの時は金型の売上が半減しましたし、震災の時は製紙工場が被災して紙が無くなった。そういった中で、改めて木型師の持つ技術の高さやアナログの強さに気づき、道筋が見えてきた」

「弊社にはずば抜けて優れている技術があるわけではありません。他と違うのは『組み合わせ』です。それで他社ではできないサービスを提供していく」と話す青沼代表。

昨年はコロナ禍の下、いち早くフェイスシールドを製造し2万枚を提供して注目も集めた。また地元の六郷工科高校の生徒をインターンシップで受け入れるなど、後進技術者の育成にも力を入れている。

……青沼代表が会計士として培ってきた鋭い感覚。それがデジタル化・効率化だけでは計ることができないアナログの魅力を再発見し、私たちに教えてくれている。

株式会社城南村田の皆さん

株式会社城南村田の皆さん

青沼隆宏

1970年生まれ。大学卒業後、日本・アメリカの会計士事務所で勤務。2001年に帰国し株式会社城南洋紙店に入社、2002年に代表取締役就任。2005年に株式会社トーマックを株式買収し2006年、株式会社城南村田と改称。現在同社代表取締役。

株式会社城南村田

〒144-0053 東京都大田区蒲田本町1-9-7

Tel:03-5744-3555 Fax:03-5744-3557

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