株式会社 三朋 好きこそモノの達人成れ
生涯現役
「これまでもそうですが、今も未来に向けて種を蒔いています」
若い人に夢を語ってやんないと─。
とくに気負うでもなくこう言うのは、60有余年に亘ってモノづくりを続けてきた有限会社三朋(栃木県足利市)の代表取締役、麦倉門平氏だ。夢さえあれば少々のことには我慢も利くし知恵も湧く。長く続けられる。長く続ければスキルや財、企業価値も否応なくついてくるというわけだ。きわめて分かり易い話ではある。しかしそれはおそらく、世の多くのリーダー、とりわけ中小・零細企業の現場を仕切る人たちにとっては、二階から目薬にも似て直ちには肖(あやか)れまい。一方この人は、心の底からそう思い、そのまた夢を楽しむかのように目を細めて話す。その違いは何か……。
自然の摂理を組み込んだ
〝夢〟の工業用水処理繊維
まずはこの三朋という会社が、どういう会社かを手短に述べておこう。
鉄鋼や半導体、食料品など、水を大量に使う業界関係者ならご存知の向きも少なくあるまい。めっぽうスグレモノの工業用繊維、織物の数々を開発し、製造・加工している、小粒ながらピリリと辛い〝町の研究工場〟である。そのスグレモノの1つを紹介する。自然の摂理の応用によって、様々な工場から排出される汚水、泥水をものの見事に浄化、再生させる〝夢〟の水処理用充填材、「揺動床バイオフリンジ」だ。
そのつくりと仕組みは、簡単にいうとこうだ。タテ糸にポリエステル糸、ヨコ糸にアクリルの嵩高糸を使って織り込んだ立体状繊維である。ポリエステル糸は引張力が強く、撥水性が高いため汚泥が付着しにくい。一方のアクリル糸は逆に、親水性がきわめて高いことから汚泥が付着しやすい。この2つの相乗作用によって何が起きるかというと、汚泥が表面に付着するだけの他の接触材と違い、汚泥が繊維の深部にまで入り込み、強固に付着するという現象と、BOD(生物化学的必要酸素量)分解を繰り返すという現象だ。これが高効率の水処理を可能にすると同時に、食物連鎖を起こし、自己消化させることで汚泥の発生を抑えるという仕組みである。ちなみにこのバイオフリンジは、三菱商事の高性能・有機排水水処理ユニット、「DIA-P&F」にも採用されている。
他にも同様の仕組みを応用したバイオカーテンや、夏の暑さを軽減し、紫外線をカットするほか吸水性、速乾性にも優れた帽子・ヘルメット用の生地繊維、さらにはそれに通気性と弾力性を持たせたベスト用の生地繊維など、工事・作業現場におけるアメニティーを徹底追求した新素材を、次から次へと発表している。今どきなんとも珍しい元気でアグレッシブな会社なのだ。というわけで、
「多くの協力者、お客さんのお陰で、設立からこれまでずっと上り調子できました」(麦倉氏・以下同)
話は前後するがその設立は1995年。氏が47年間勤めた地元の老舗企業、モトミクロス工業を定年退職して起こした、まだ17年目の若い会社だ。その設立の経緯がまたいかにもこの人らしい。順を追って述べよう。
アンタ、人を二階に上げといて今さらハシゴを外すのかい?
氏が繊維の世界に飛び込んだのは、戦後間もなくの1948年。茂富織物(現・モトミクロス工業)入社時に遡る。足利は1200年も前から織物産業の盛んな土地柄で、足利銘仙や足利紬がつとに有名である。かつては市の至るところに織物工場があり、市街地を一望する中心部の織姫山には、その守り神、織姫神社がすっくと建ち、優雅な朱塗りの神殿は市民の崇敬の対象であり、誇りのひとつとされる。そんな環境に生まれ育った氏が、織物会社に入社したのは極自然な成り行きと言っていいだろう。
とまれ氏はそのモトミで幅広い業務に従事しているが、とりわけ開発・営業部門で頭角を現したようで、モノづくりばかりか、人づくり、顧客づくりでも八面六臂の大活躍だったともっぱらの評判なのだ。言うまでもなくトントン拍子に昇進、弱冠42歳で専務取締役にまで上り詰めている。大正年間創業の老舗企業としては、きわめて稀有な事例と言っていいだろう。で、話はそのモトミを定年退職するに当たり、いわばスピンアウトする形で、三朋を設立するに至った経緯である。
「麦倉さん、アンタ、人を二階に上げといて今さらハシゴを外すのかい、なんてお客さんに言われましてね」
冒頭に書いたように、氏は自らの仕事に夢を持ち、心の底から楽しんできた人だ。たとえ定年間近といえど、その楽しみをおいそれと手放すわけがない。当然、最後の最後まで顧客や協力会社を巻き込み、せっせと次の夢に向けた〝種蒔き〟をしている。しかもそのときの夢は、考えようによってはきわめてリスクの高い新事業だったという。これには社長も少なからず頭を抱えたようで、
「悪いがウチで続けるのは無理だ。退職する前に、君から皆さんに説明して断ってくれないかなんて言われましてね。仕方なく説明に出向いたところ…」
今さらハシゴを?
と、白い眼で見られたというわけだ。しかし根っからの仕事大好き人間である。それならそれで、
「至極もっともだ。よし分かった。リスクは私が取る。こうなったら報恩の精神で、第二の人生にじっくりと取り組んでやろうじゃないか。とまあ、そう決意して会社を興したわけですよ」
もうお分かりだろう。その新事業こそが今や押しも押されもせぬ三朋の大看板、先に夢の…と書いた、工業用水処理繊維の開発と製品化、である。
未来を見据え、未来のために種を蒔く
それにしても氏の話には、〝夢〟〝未来〟〝種を蒔く〟というワードが頻出する。
冒頭の─夢を語る─もそうだが、同社の経営方針にも、─常に未来を見据え、いつも未来のために種を蒔き、時代に求められるモノづくりをする─とあるのだ。
一見、抽象的でボヤッとした感じもなくもないが、実はその中にこそモノづくりの神髄があると氏は言う。
「ただ目先の利益を求めるだけではいずれお客さんに見放されますし、お客さんが求めてもいないモノをつくってもそれはただの作品であって、世の役に立つモノ、つまり製品とは言えません。そもそもそういう企業は生き残れないでしょう。ではどうするか。常に今起こっている現象を直視し、そこから未来を予測し、そうなると何が必要とされるのかを考え、そのために早くから種を蒔く。つまりいろんな意味で先行投資を惜しまないことですよ。もちろんその全部が全部、成功するとは限りませんが、少なくとも夢は描けますし、モノづくりが楽しくて楽しくて仕方がなくなります」
なるほど。20年近くも前にリスクを覚悟で新繊維開発会社を立ち上げたのも、顧客の期待を裏切ってはいけないという氏の義侠心も然ることながら、まさしく今日の水処理需要をしっかりと見据えてのことなのだろう。
ちなみに同社は現在、東京学芸大学と連携して、次の時代に向けた製品開発に余念がないという。同社が開発した新素材、「ウェーブメッシュ」の、これも種蒔きである。
「ウェーブメッシュは、特殊な糸を波状に織り込むことで空気の流れる層を形成し、冷却効果を生むのが特長です。これに学生たちの自由な発想を取り入れて時代を先取りした製品をつくることが目的で、早ければ年内にも発表できると思います」
この仕事がホントに好きで、
夢を持った社員に仕事を出して移譲していくのが好ましい
ついでながら同社は先ごろ、「平成23年度栃木県フロンティア企業」の認定を受けている。県内の企業で、卓越した技術や市場占有率の高い製品を保有するとともに、他の模範となる活動を実践しているとして知事が認証した企業に与えられるライセンスで、新規事業に対する助成金や、融資などがうんと楽に受けられるようになるという。同社の〝種蒔き〟に一層の拍車が掛かること請け合いだ。
最後に事業承継、後継者についての考え方を訊ねてみたが、ここでもやはりこの人らしい答えが返ってきた。
「ハハハ。生涯現役ですよ。これまでもそうですが、今も未来に向けて種を蒔いているところですから。でも現実問題としていずれ考えないといけないでしょうね。ただそのときでも、判で押したように親から子供に承継するというのは感心しません。技術や事業の承継という意味では、この仕事がホントに好きで、この仕事に夢を持っている社員に会社をつくってもらって、そこに仕事を出しながら移譲していくという形がもっとも好ましいんじゃないでしょうか。そういう人だったら少々のことがあっても我慢が利くし、知恵も湧くし、仮に失敗しても、クヨクヨしたり人を恨むこともないでしょうしね」
好きこそモノの達人(上手)成れ──。
久しく忘れていた言葉である。■
麦倉門平(むぎくら・もんぺい)氏
1933年、栃木県足利市生まれ。県立足利高校卒業。1948年、茂富織物株式会社入社。主に開発・営業畑を歩きモノづくり、人づくり、顧客づくりにまい進する。1967年取締役、1975年専務取締役を経て、1995年同社を定年退職。同年、有限会社三朋を設立。代表取締役に就任、現在に至る。
有限会社三朋(さんぽー)
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〈事務所兼工場〉
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