株式会社手造り屋 -逆転の発想と尽きることないこだわりから生まれた「大豆の声聞く、豆腐づくり」
未来をつくる原点回帰!
モノづくりにとって、もっとも大切なのは「欲張りであること」だ。それは「儲けたい」との思いではなく、「『良いものを生みたい』という思いに、妥協をしたくはない」といった欲である。言い換えればその気持ちがない者に「本物」をつくる資格などないだろう。そして今回出会った経営者は―「とんでもなく欲張り」―な人物であった。
「本物」を生むために
なかなか著しい回復を見せない日本経済に対し、本誌上でも多くの中小企業経営者たちがたびたび「国が悪い、政治が悪い」とその本音を吐露している。確かに、そう叫びたくなる気持ちも分かる。しかし、果たしてそれだけでよいのだろうか。きれいごとを言うようだが、誰かのせいにするのは簡単だ。それよりも、いま必要なのは国民一人ひとりにも何かしらの努力。いや、実際に行動はできなくとも、せめて深く考えてみることが大事なのではないか、と筆者は思う。
「何事においても、考えることは大切ですよね。『なんとなく』の思いで起こす行動やモノづくりは、結局、浅はか。そこから『本物』は生まれません」
筆者の思いを代弁するかのようにそう切り出したのは、今回訪問した株式会社手造り屋の代表取締役社長、岩﨑勉氏。
「私たちにとっての『本物の仕事』とは、『本物の豆腐づくりをする』という意味。確かに景気も良くないですし、東日本大震災の影響も少なからずあります。ですが、経済が回復したからといって私たちの製品が売れるとは限りません。大切なのは努力とこだわり。切磋琢磨してお客さまに『本物の豆腐』を提供することです」
同氏が自ら説明するように、手造り屋の主力事業は豆腐とその関連製品の製造、販売。本社工場を構える埼玉・桶川の地から口コミで評判を高めている。
「基本的に考え方の合う企業さんと、話し合いを重ねたうえで販売契約を交わすことにしています。営業をせずとも、声をかけられることも多いですね」
大手をも魅了する最大の特長が素材、製法に対する強いこだわりだ。味は当然のことながら安心、安全にも絶対の自信を見せる。
「こだわり」に、こだわる
岩﨑氏に「こだわり」の具体例を尋ねると「社名に『手造り屋』と付けた以上は、手づくりには絶対のこだわりをもたないといけませんよね」と口にしたのち、誇らしげに「技術もコストもかかりますが、大豆も契約した生産グループから確かなものだけを仕入れていますし、機械は極力使いません。
グラインダーと呼ばれる自動機ではなく石臼を使用することで、アミノ酸や果糖含有量が高くなり、味だけではなく栄養価も優れたすばらしい豆腐ができるのです」と話してくれた。
こちらも嬉しくなるほどの、なんとすがすがしい答えだろう。社名はもちろんのこと、岩﨑氏は自らの「勉」という名にふさわしい人物のようだ、と思わず笑みがこぼれてしまいそうになる。
だが、同氏の秀でた点はそれだけではない。それが製品には強いこだわりを抱いているが、「良いものをつくれば、いずれは認めてもらえる」といった、いわゆる頑なな職人気質の持ち主ではないこと。
「市場の動向はきちんと見定めているつもりです。かつ、お客さまに押し付けるような、自分よがりな製品をつくってはいけないと思っています」
その一例が、商品のラインナップの広さ。豆乳やおからを活用したドーナツやソフトクリームなどのスイーツ類も豊富だが、同じ「豆腐」のなかにも「値段の設定を3段階に分けています」と言う。
その理由は、「より幅広い層の方々に試していただきたい」ためだ。
「飛行機のシートに例えていうならば、ファースト、ビジネス、エコノミー。こだわりの度合いに差はありますが、結果としては『同じ乗り物』に乗っているわけですから、『レベルを下げている』のではないのです。たとえば、大豆の差。完全無農薬か、低農薬か、有機肥料栽培か、といった具合に分けられていますが、どの大豆も同じように大事に育てられているのです」
こういった同氏の柔軟さや発想力は、モノづくり経営者としては稀有であろう。それは大学で経済を学んでいたとの、この業界でいえばめずらしい学歴であることだけではなく、元来のもって生まれた気質であるようだ。
前身は、まったく別の「畑」
「同社の前身は、もともとは私の父が営んでいた肥料、飼料、雑穀の販売業。豆腐の製造を始めたのは私の代になってからです。だから、いわゆる2代目とはちょっと違う考え方なのかもしれませんね」と岩﨑氏。
同氏の父、岩﨑健太郎氏が個人事業として岩﨑商店を開業したのは、太平洋戦争が勃発する以前であった。その後、1951年に前述の肥料、飼料等の販売をスタートすると同時に法人化し、「一時は大手商社が特約店に名を連ね、経営は常に右肩上がりであった」そうだ。
だが、その時代も長くは続かなかった。情勢の変化や法律の改正、農協との絡みなど、さまざま原因がもとで徐々に売上も減少していく。
「私が父のあとを継いだのは、そんな時期でした」と、岩﨑氏は懐かしそうに目を細める。
いまから37年前の1974年、社名をスターフーズと改めた岩﨑氏は、豆腐製造業をスタートさせた。製造業のなかでも豆腐を選んだのは、「肥料類のように、寡占化の波に襲われにくいのではないか」といった考えから。「ひらたくいえば消去法であった」と笑うが、現在の成功を考慮すれば「先見の明があった」と言っても過言ではないだろう。
いまさらながら、寡占化とは「少数の供給者が市場を支配すること」を指す。価格競争や技術競争、サービス競争が起きにくいため、古参の供給者からすれば安定的ともいえるが、その分、新規参入が難しく、言うなれば「発展しない分野」となってしまう危険性があるのだ。
「肥料、飼料業界はまさにそうでした。売上の減少で経営が困難になったことが事業転換を図った最大の理由ですが、少し嫌気がさしてしまった部分もあります」と同氏は寂しそうに目を細める。
ところが、近年になってその波は少しずつ豆腐、大豆製品業界にも訪れつつあるという。
「私たち、手造り屋はどうすべきかと考えました。『需要があれば衰退しない』のは明確です。では、どうすればいつまでもお客さまに求められる製品を提供できる企業でいられるのか、と」
岩﨑氏は顧客のため、社員のために考え続けた。やがて一つの結論に達するのだが、その答えを教えてくれたのは、原料である「大豆」そのものであったという。
思いを言葉にすることで、実現へと近づける
「たどり着いたのは、『原点回帰』でした。元に戻るということです。それは私たちが起業したころ、初心という意味ではなくて、『本来の豆腐づくり、本物の豆腐づくりをする』といった意味」と岩﨑氏。
豆腐の始まりは中国とされている。日本における豆腐の歴史は遣唐使によって伝えられたものが最も古く、奈良時代。それから江戸時代中期に至るまでは、いわゆる高級食材であったが、以後から徐々に一般の町民の口にも入りやすいものとなった。
同氏は、「そのころ、原料となる大豆を栽培するのに農薬なんて使っているわけがないですよね。凝固剤も、機械もない。すなわちすべてが手づくり。そのゆるぎない『原理』に立ち戻ってみることにしたのです」と力強く語る。
それを教えてくれたのが、特別栽培ですくすくと成長する大豆だった。
「契約しているある農家さんも言っているのですが、『きちんと育てると大豆が応えてくれる、大豆の声が聞こえるようになる』と。素材を生かす意味でも、手づくり。とはいえ急にすべてを変えたわけではなく、15年ほど前から自動凝固機等を用いるやり方から方向転換し、徐々に切り替えてきました。その甲斐あって、いまでは製造する『職人』の腕の水準も確実に上がっています」
そのころから岩﨑氏は方針や考えを言葉にし、社員に伝えるようになっていった。素材へのこだわり、顧客への思い、毎日朝礼で唱和している「誓い」も同氏の手によるもの。手造り屋には、このように同氏が書き綴ったたくさんの言葉で溢れている。
「どんなに良い考えを持っていても、それは言葉にしないと人には伝わりませんよね。自分自身も忘れてしまう」と照れくさそうに笑うが、思いは社員にも顧客にもきちんと届いているはずだ。
また、同氏が現在抱く「原点」とは昭和20年代ごろとのこと。
「ちょうど、私が子どものころですよね。いまの世代には伝え、教えていかないと分かるわけがありません。だから、頻繁に勉強会などを開いているのです。ある懇親会で自民党の石破茂政務調査会長にお会いしたときも、ちょうどそんな話が出て『昭和20年代のころに戻るべきだ』とおっしゃっていて。背中を押されたわけではありませんが、『ああ、やっぱり』と再確認しました」
本来、あるべきカタチに戻る。言葉にするのはたやすいが、それを実現するのは相当な努力が必要だ。
「まあ、『言葉』にしてしまったからには、実現しないと。それにいまは本当の意味で安心、安全とは何かを理解していない方も多いですから、そこからきちんと伝えていきたいですよね。その上で、手造り屋の豆腐を選んでいただきたいと思っています」
穏やかななかにも、芯の強さを感じる岩﨑氏。だからこそ、さらりと言うその台詞がなぜかずっしりと重く感じられた。
一方、多くの経営者が悩む後継者は「娘が控えていますから、私はバトンタッチをするまでできる限り、やり尽くしていきたい」と心強い。未来へつなげるための、原点回帰。進化し続ける手造り屋の今後に、期待せずにはいられない。
岩﨑勉氏(いわさき つとむ)
1937年、埼玉県生まれ。
1959年、立教大学経済学部経営学科を卒業後、家業である岩﨑商店に入社。1974年に2代目代表取締役社長となり、同時に社名をスターフーズとする。1990年に社名を現在の手造り屋に変更し、現在に至る。
株式会社手造り屋
〒363-0062 埼玉県桶川市赤堀2-11
TEL 048-728-2046