株式会社鳳機工 –「覚悟」をもって挑む
大手を下支えする確かな技術力で念願の新工場が落成
匠の技を持つ、とりわけ小さな会社には、そこに至るまでの深い格闘の歴史が必ずある。取引先の倒産という不運に見舞われながらも類稀なバイタリティと高い技術力で再起を果たし、今年3月に新工場を立ち上げたとある企業の軌跡に迫る。
技術の高さが最大の営業力
福島氏にとって、モノづくりへのこだわりについて語る上で欠かせないエピソードがあるという。
当時、鳳機工では東芝の仕事を受注する機会があった。だが部品調達の人物は中でも一番見る目が厳しいとされる人物で、その人が現れただけで取引先の人間は皆、震え上がってしまうほどだったという。
緊張した福島氏には一抹の不安があった。完成した製品には、まだ満足できていない部分があったのだ。
「出来上がったものを見せて『この部分は仕方がないんですよ』と言った時に、その方が『福島さん、もう、モノづくりはやめた方がいいね』とおっしゃったんです」
限られた条件の中で最大限の努力をしたつもりだったが、有無を言わさず否定された。だが「その言葉で本当に目が覚めた」と福島氏は語る。
〝これが限界〟から、いかにそれを克服して、相手を納得させられるだけの製品をつくることができるかが本当の勝負だと気付いたのだ。
「当時の工場では最善を尽くしたつもりでしたが、『このぐらいだろう』という思いが少しでも頭をよぎってしまったことをプロとして本当に恥ずかしく思いました。それからは自腹で資金を捻出して、リベンジして改めて見てもらったところ、「これですよ、これを見せて欲しかったんだ」と相手を唸らせることができた。そこで初めて『優秀な営業マンよりも商品そのものが営業をするんだ』ということを学ばせてもらいました」
良い製品を納めることによって、人を通して質の高さが広まり「それなら今度はあそこに頼んでみようか、次はこれもできるか相談してみようか」と次の仕事にも繋がる。
東芝とは取引を開始してから3年目の2008年に機械加工の品質認定証を取得、現在も第一の得意先である。
「とにかくあきらめないこと」。この経験がなければ、もしかしたら福島氏は今こうして第2のスタートさえ切ることができていなかったかもしれない。
武道の精神はモノづくりにも通ず
福島氏の真摯にモノづくりに向き合う姿勢の原動力、それはどこからきたものだろうか。
もともと同社は大田区に工場を構えていたが、2004年に取引先の倒産に巻き込まれる形で工場を手放さざるを得なくなったという苦い過去がある。
「わずか3人の会社で約1億の負債を抱えることになってしまって…。弁護士の先生からも一度会社を整理した方がいいのではないかという話もいただいたのですが…」
長引く不況下で連鎖倒産は増加の一途を辿っている。すべてを手放してゼロからやり直すとしても道理は立つはず…。しかし、福島氏を思いとどまらせたのは、幼少の頃より続けてきた「空手道の精神」だったという。
「師範代まで務めて『苦しいときに苦しい顔をするな』と、大学や警察、社会人のクラブなどで教えたりしていたものですから、他人様に迷惑をかけたまま自分だけが楽になるという道はどうしても選べなかったのです」
それから6年間は『自分たちの力でやり遂げる』という一念だけで1日18~20時間、真冬でもコンクリートの工場に寝泊まりしながら、1年のうち、364日は休まず働いてきたという。
そして「迷惑をかけてしまったところにも責任を果たすことができた」段階でようやく工場を売却、2009年に君津の地に来てわずか2年で新工場を立ち上げるに至った。
内情を知っている人からは「この短い期間でよく工場をつくることができたね」と感心されたという。
しかし、いくら自己鍛錬してきたとはいっても、精神論だけでこの苦難を乗り越えてきたわけではない。
「持続力という部分では、私でも1年に1回ぐらいは疲れて立ち止まりたいと思う時もありました。ですが、その時私の心を支えてくれたのが、現在の妻であり、家族なのです。妻はタイ出身なのですが、一人で日本に来て他に身寄りもなく、頼りになるのは私だけなのです。そんな時に、私が立ち止まって、この先どうするんだと迷っている姿は見せられないという思いが、折れそうな私の心を奮い立たせてくれました」
そして現在、工場長を務める子息の存在も大きいという。
「親としては決して逃げないという姿勢を、自分の生き様としてきっちりと見せることができたのは良かったと思いますね。だからこそ、今も『本当のプロ』を目指して会社を支えてくれているのだと思います」
東芝の担当者からも
「頑固者であなたにそっくりだ。だけど良いものををつくる」
と、もっぱらの評判だという。
再出発の地として君津を選んだ理由も、様々な人々との結びつきがもたらした結果だった。
「大田区で工場を処分した後に、知り合いが君津で自動車の修理工場の跡地を持っていましたので、『良かったらうちの工場を使わないか』と、安いお金でその跡地を使わせてもらったのです。他にもある商社さんが、『うちの機械を使ってよ、お金は払える時でいいから』と、1年半ぐらいはタダで使わせてもらいました。新しい工場を作ることができるようになったのはそうした方々の善意の賜物です」
「妥協せず。継続は力なり。」
昨年12月には高い技術力が認められ、千葉県の経営革新計画の承認も得ることができた。また商工会議所の支援のもと、工場の竣工と共に君津、木更津地域では珍しい大型の5面加工機を導入した。福島氏は
「他にないような機械を入れることで特色を出していくことは大事なこと」
とその意義を強調する。
「お客様にいいものを提供しようという思い、そこから生まれる充足感と、それらを継続していくという気持ちを常に忘れなかったことが良い結果を生んだのだと思います。これからもお客様に『さすが』と言われるようなプロフェッショナルなモノづくりをしていきたいと思っています。簡単に言うと悪いものを出荷しないということです。万に一つも不良品を納めない。そうした一つ一つの積み重ねが信頼を生んでいくのです」
良い製品とは決して会社の規模だけで決まるものではないというのが福島氏の信念だ。現に鳳機工では同じ製品を他に30人規模の会社、200人規模の会社と競い合っても「鳳機工さんが抜群にいい。次からは全てお任せしたい」
と言わしめたことがあるほどだ。
「当社が得意としているのは焼き入れの技術。熱処理後の真直度の技術においては今のところ抜きん出ていると言えます。今後はどんな材質でも対応できるようにして、それをいかに維持していくかですね」
日本のモノづくりの根幹を支えている
のは大企業を支える町の小さな下請け企業。だがその大半は、正当な対価も要求できないような弱い状況に立たされているのが現状。
そんな中でも福島氏は
「いいものをつくればお客様もいい値段を出してくれるというのが交渉の第一前提」
だと言う。
「良いものをつくり続ければ、これだけ下さいという言葉も力を持ちます。逆にいい加減なもの出して『何だ、この程度で』となれば、結果要求したいこともできなくなるのです。だからこそ『こんなものでいいだろう』というものを絶対につくらないという心構えが大事なのです。うちでつくって納めた品物が、例えば東芝などの名前で世界に出て行く。それぞれの担当が手抜きをしないで『プロの仕事』をしてきたからこそ、日本のモノづくりは世界に認められたのです。我々の仕事は、どんなものでも図面に忠実に、いや、図面以上の品質を目指して、とにかく良い製品をつくるということに尽きるのではないでしょうか」
そして今後の展望については、
「会社を大きくしていこうとはそれほど望んでいません。ただ製品に対する信頼を高めるためには10~15人ぐらいの規模まで拡大できれば理想ですね。それでも、あくまで大手の下支えとなるような、お客様に必要とされる会社であり続けることが絶対条件です。私の背中には従業員とその家族、みんながついていますから、さらに気を引き締めて前に進むのみです」
成功から学ぶより、失敗から学んだ人物の方が遥かに強い。そして、その価値は年月を経るごとに高まっていくに違いない。
福島照雄(ふくしま・てるお)
1947年生まれ、東京都世田谷区出身。工業高校機械科を卒業後、商社等に勤務。23歳の時に独立。1975年、大田区で鳳機工を設立し、代表取締役に就任。2009年千葉県君津市に移転、2011年新工場を立ち上げ、現在に至る。
株式会社鳳機工
〒299-1142 千葉県君津市坂田336―10
TEL 0439-50-8809