人質こそ最大のチャレンジ

鋳物産業で知られる埼玉県川口市。その中でもひと際、日本の近代史に名を刻んだ中小企業がある。挑戦を繰り返し、今なお国内最高レベルの技術を維持し続けている経営者の胸中にあるものとは何か。

増幸産業株式会社 代表取締役社長 増田 幸也氏

 

幕末から受け継がれるチャレンジ精神

同社を訪問するとまず最初に目を引くのが、正門前に置かれた一台の大砲である。

 

「こちらはレプリカですが、18ポンドカノン砲と言って、幕末の嘉永5年(1852年)に当社初代の増田安次郎が津軽藩の依頼で製造したものです。当時日本では大型砲の鋳造は不可能とされていたのですが、日用品の鍋、釜、といった鋳物製品を作っていた初代が、どういう経緯を辿ったのか、西洋に負けない大砲を作り、黒船から国を守らなければならないと立ち上がった、その慧眼とチャレンジ精神には心から感服しますし、今、私の体の中にもそのDNAは生き続けています」

 

と、現在9代目の社長である増田幸也氏は語る。座右の銘は「一所懸命」。一つの場所を命をかけて守る。という意味だ。

 

「トヨタには『現状維持は衰退なり』という言葉がありますが、常に改善を繰り返し、新しいものに対して挑戦し続けた結果、技術革新が生まれる。私も特別意識してやってきたわけではありませんが、そういう生き方は我が家系の伝統なのかもしれません。私の父もどちらかというと町の発明家タイプで、いつも新しいものができないかと考えている人でした」

 

幸也氏の父である8代目社長の恒男氏は増幸産業のコア技術である超微粒粉砕機の基礎をつくり上げたまさにパイオニアである。

 

「父のことで一つ忘れられない思い出があるのですが、昭和30年代当時は、父が開発したお豆腐屋さん向けの製造設備が、たいへん人気があって売れていました。増幸産業(当時は増幸商店)といえば、全国に知らない豆腐屋はない、と言われていたほどだったのですが、後にとある代理店の方に話を聞くと『増幸さんの機械は売りたくても売れなかった』と言うのです。なぜかと尋ねると、修理するために部品を取り寄せても、穴が合わない、別のものを取り寄せても、それも合わない。だから結局修理できずに仕方なく他のメーカーのものを売るようになったと言うのです。他でも同じような話を聞いていたものですから、17年前に私が社長に就任してからは、とにかく品質向上はもちろん、標準化を図ることに注力しました。我が社は会社としての歴史は創業1922年と古いのですが、いわゆる製造業によくあるQC(品質管理)であったり、5S活動(整理・整頓・清潔・清掃・躾)といったことは、私の代から始めたことなのです」

 

超微小粉砕(摩砕)技術を支える、無気孔グラインダー

増幸産業が、粉砕機メーカーとして大きく飛躍することとなったのは、昭和30年代に入り、石臼で豆腐を作る際の粉砕工程に目をつけた東京大学生産技術研究所からの相談で、人造アスファルト開発プロジェクトに参加したのが契機であった。

 

「アスファルト材の研究のため、石炭を1000分の5ミリ(5マイクロメートル)まで微粒子化できないか、という依頼でしたが、当時使用していた石臼は、砥石内部に40%近い気孔があった。砥石の表面温度と内部温度の差が40℃を超えるとその気孔が災いし、熱膨張により砥石が割れてしまいます。

 

そこで代用できる石臼を世界中探しましたが、そんなものはどこにもありませんでした。すると父は、だったら自分で作ればいいじゃないかと、持ち前の技術屋魂に火がついて、そこから試行錯誤が始まったのです。そして10年の歳月をかけて、ようやく完成させたのが、現在も我が社の主力商品である『スーパーマスコロイダー』の心臓部であり、世界12カ国で特許を取得した無気孔グラインダーなのです」

 

当初は1分間に1500回だった回転数も開発を重ねるごとに3000回転、7000回転と進化し、現在では12000回転に到達、さらにこれまでは食品をグラインダー(砥石)にかけた場合、細かい気孔の内部に食材が浸透し、細菌の温床となる恐れがあったが、特殊な加工を施すことで砥石を無浸透にすることに成功、食品用超微粒粉砕機ではなんと国内シェアの70%を誇るという。

 

また、超精密カッティング方式や気流式による超微粒粉砕機を開発するこ

 

とで、対応できる素材の幅が格段に増え、ダイヤモンド以外のすべての物質が粉砕可能となった。

 

「プロのメーカーとしてせっかくお問い合わせ頂いたのに、その原料では対応できないとお断りすることだけは避けたかったのです」

 

「ISO」から「TQM」へ

そうした標準化への取り組みの中で同社が着目したのは、当時としてはまだ珍しかったISO取得への挑戦だった。

 

「当時はISOって何?という人が圧倒的で、知っている人でも大企業でなければ難しくて取得することはできないというのが常識でした。それを我々20人足らずの会社が挑もうというのです。まさにチャレンジ精神以外の何物でもありません。私は、なりは小さくてもいい、やっていることや製品は大企業にも負けない〝小さな大企業〟になりたいと常々語ってきました。だからこそ、我々はISO取得に挑戦したのです」

 

結果として取得までには5年間を要することとなったが、同社がISO9001を取得したことは当時、周囲からたいへん驚かれたという。

 

「嬉しかったのは、従業員のモチベーションが上がったことです。それから協力工場さんの見る目が変わり、お客様からの信用も得られるようになりました。実際、最初にISOを取得したいと思ったのは、私自身ISOの何たるかを知っていたわけではないのです。品質の世界標準について勉強していくうちに、これを習得できれば我が社にないものがしっかりと構築できるのではないかということで、だんだんと本気モードになっていったのです」

 

同社ではその後、ISOの理念を発展させる形でISO9000ならぬTQM(総合的品質管理)9000活動を打ち出し、さらに5S活動に「しっかりした仕組み」を加えた「6S活動」とし、超ISO企業となるべく、研鑽に励んでいる。

 

そして「5S活動というと、ともすれば会社の美化運動と受け取られることも多いのですが、頭の中も5Sしなければ、本来の意味は達成されません」と、増田氏は付け加えた。

 

「私はよく『人質(ジンシツ)』という言葉を使います。人質(ヒトジチ)ではありませんよ(笑)。物に質があるように、人にも質があるのです。電話のとり方一つ、郵便の送り方、宛名書き一つにしても質がある。例えば、誠意のない文字、文章で手紙を出してしまったら、受け取った相手はその手紙の封さえ開けないかもしれない。行為の全てには、その人自身の質が試されているという意味です。

 

心が変われば、態度が変わる。

態度が変われば、習慣が変わる。

習慣が変われば、人格が変わる。

人格が変われば、人生が変わる。

 

これは、会社のトイレにも貼ってある簡単な四行なのですが、読んでみれば至極当たり前のようなことでも、世の中を見渡せば、心が変わらないために態度が変わらない人が圧倒的に多い。そういう人は同じ注意を何度も受ける人です。一回注意されたらその悔しさを忘れずに二度と注意されない、それが向上心というものです。

 

それには一所懸命という行動が伴っていないと受け入れてはもらえない。苦労が伴うかもしれませんが、苦労も一所懸命やれば、そのうち楽しくなってくる。仕事とはそういうものです」

 

個性は個性として尊重することは確かに大切なこと。だが、増田氏は「我々中小企業の場合は、それだけでは足らない」と指摘する。

 

「右向け右と言われた時に全員が一斉にパッと右に向く機動力、小さな会社にはこれがどうしても必要です。そのために個々の質を上げることが大事になってきます。ですから私は『人材』ではく『人財』として従業員を育てていきたいのです」

 

会社改革のために、自分改革を断行! 

「我々は現在かなりのレベルまで来ているという自負がありますが、同時にこの程度の会社は探せば他にもまだあるとも思っています。さらにワンランク上の会社になるためには、皆で変わる必要がある。そのために何をするべきか。結論から言えば、それにはまず、私自身が変わらなければならないということです。だから今年の私の目標は『自分を変える』なのです」

 

増田氏には昨年、大反省したことが一つあったという。

 

「今までは自分が、コーチングをしているつもりだったのが、全てティーチングに過ぎなかったと気付いたのです。仮に私が『これをやろう』と言ったら、従業員はその場ですぐに嫌とは言わない。すると私は全てわかってくれたものだと勘違いする。1カ月後に再度打ち合わせをしてみると、こちらの満足行く結果とは程遠いものしかできていない。その人が力不足な訳ではない。それでつい『やる気がないのか』と口に出してしまう。だから今までは職場にもピリピリとした雰囲気があったと思います。その点に関しては、私自身、本当に反省しています」

 

そこで増田氏を中心に会社全体で新たに取り組み始めたテーマが「遊び心」だ。

 

「正確さを求めるのは大事ですが、ともすると、四角四面、杓子定規になりがちです。すると傍から見れば『素晴らしいけど、大変そう』に見えてしまう。それを『素晴らしい、しかも楽しそうだ』に変えていきたい。そこで皆に協力をしてもらい、アイデアを出し合って勉強会を開いていますが、考えてみれば勉強会というネーミングがすでに硬いですよね(笑)。この間も私と管理職も含めて、ワークショップでかぶり物をかぶってみましたが、皆、一所懸命でしたよ。みんなが笑ってくれなくてもいいんです。私たちが本気で何かを変えようと努力していることが伝わればまずは大成功だと思っています」

 

同社では6年前にアンケートをとって就業規則、賃金体系から退職金規定まで、すべてを見直し、年功序列でも完全成果主義でもない、その中間でいこうと決めた。その理由が、中小企業と大企業との大きな違いは何かと考えたときに、中小企業は社員同士の競争が少ないということだった。

 

「大企業は決められた数のポジションを目指して何人もが切磋琢磨します。そこで私は皆に『うちは大相撲型組織だと思ってくれと』言っています。つまり、大相撲は一番上の横綱になれば陥落しないけれども、大関でも二場所負け越せば陥落してしまう。でも翌場所で10勝以上あげれば復活できる。役職でも同じことです。成功しても失敗してもずっとポジションが変わらなければ、皆、嫌になってしまうし、その人にとっても励みにならない」

 

緊張感があるからこそ頑張れる。不幸にして降格してしまったとしても、また次に頑張るぞと言えるような風通しの良い風土をつくっていきたい。そうしないと中小企業はもたないのではないか、と増田氏は提案する。

 

「私も本心では降格なんて言いたくはないのですが、一度皆の総意で決めた以上、それを行なわなければ組織として強くなっていかない。逆に昇格した人達もいるわけですから、上を目指す者にとっては大きな励みになっています」

 

経営者自ら先陣をきって生き様を見せつけるその姿に、中小企業経営のある種の理想を見た気がした。

 

増田幸也(ますだ・さちや)

1956年、埼玉県川口市生まれ。明星大学機械工学科を卒業後、増幸産業に入社。1995年、新工場竣工と同時に39歳で社長に就任。現在に至る。

 

増幸産業株式会社

〒332-0012 埼玉県川口市本町1-12-24

TEL 048-222-4343