株式会社マテリアル –取って付けた〝技術開発〟はいらない!?
自ら結果を出し、検証し、培ってきた、これが46歳の経営哲学だ
日本のモノづくりの中枢・東京大田区。アルミの販売・加工を手がけるマテリアルは、大田区の層の厚さを如実に実感させる優良企業だ。厳しい不況のさなか、好調な売上高を支えているのは、すべて自らの肉体と頭脳で事業と格闘し、築き上げてきた細貝淳一社長の強靭な経営哲学。自らのライフストーリーとともに、今日の日本のモノづくりに対する辛らつな批判とエールを語ってもらった。
20歳で決意、26歳で創業
見事な一代記と言っていい。まだ46歳ということを考えると、実はまだ途上もいいところだが、なにしろスタートが早い。それもあってのことだろうが、この年齢ですでに、磐石というか確固たる経営哲学が備わっているのだ。
幼い頃からお金で苦労してきました。両親が離婚し、母親に引き取られ、大田区にやってきたのが6歳の時です。それまでは父親が横浜で材木店をやっていました。働きながら学校に行かなきゃいけない環境だったので、通ったのは定時制です。卒業したところでいい会社には就職できないから、おそらく、手に職をつけるしかないだろうと思っていました。そこで15歳から働き出しましてね。最初は内装工事屋でした。私は今の嫁と出会ったのが中学1年の時で、まあベタな言い方ですが一目惚れってヤツです(笑い)。で、10代で初めて結婚を意識した時、『このまま職人を続けて手取り30万もらって、体が動かなくなったら働くこともできなくなって、いずれ介護されて……』みたいな将来予測が見えてきた。それがイヤで、いろいろ会社を転々としました。30~40社は動きましたかね。ようやく落ち着いたのが18歳。今の会社の前身です」
結果的にはそこにしばらく腰を落ち着けることになるのだが、ここでまた、世の現実の冷たさ、厳しさに直面する。
「18歳で入った金属の材料問屋は、私が入社した時、年商が7千万でした。ところが私が営業に出たら、翌年の売り上げが3億になった。『オレ、営業が大好きなんだな』と思いました。金属材料の塊が、加工業のお客さんに納めるとすごくきれいな形になるんですが、自分が100円で売った材料を加工した製品に対して、『これ、2万円で売るんだよ』って教えてもらった時は、何という世界だろうと思いました。そこで社長に『加工もやりましょうよ』と提案したのですが、まるで相手にしてもらえない。そしてある時、『そこまで言うなら、自分でやれ』と。言われた瞬間、『独立したい』と言い返していました。20歳の時です。結局、『ウチの息子が育つまで会社にいてくれ』と懇願され、それから6年間待つことになります。26で晴れて独立しましたが、まあその時の妨害もひどかった。お客さんに手を出すな、仕入れ先は全部ストップだ、などと言われて」
しかし皮肉なことに、この妨害がかえって功を奏すことになったという。妨害を指示された会社が、「あれだけ献身的に働いてきたのに不憫だ」と、いいお客さんを紹介してくれたのだ。
歳を取ってからならともかく、20代の6年間は非常に長い。ましてや15歳から働いてきた身であれば、20歳の決意を胸に飲み込んだままの我慢は、察して余りある。
その後、細貝社長にはもう1つ、今日につながる重大な「決意」の瞬間があった。
「平成14年頃でしょうか、ITバブルの頃です。当時は社員7名くらいでしたが売り上げは3億ほどあり、絶好調でした。ところがこれが一瞬で崩壊してしまった。というのも、当時ウチは二次請けだったんです。3億の売り上げのうち、2社で2億円ありましたが、その両方の会社から理不尽な理由で完全に仕事を切られました。1つだけ例を言うと、ある日、1200万円の集金のためにそこの会社を訪れたんですね。いつもは経理の人と話すのに、その日に限って、社長室に通される。すると、『細貝、悪い。中国に発注すると、おまえのところの7割引でできるそうだ。7年間面倒みたんだから、今回の1200万は値引きしてくれ』。当然、反論しますよね。『社長、言っている意味がわかりません。中国では、同じ納期でできるわけがないですよね。ぼくらは最先端の技術でやっているのですから、そう簡単に真似できないですよ』。この時、つくづく二次請けに嫌気がさし、これからは大手メーカーと直接やると決意しました。ちなみにその1200万は、訴訟を起こして、もちろん、勝ちました」
「技術開発で乗り切ろう」は夢物語!?
ともあれその一件を除き、創業(1992年)以来これまで、同社は極めて健全かつ順調に成長してきている。その背景には、常に先を見据えた細貝社長の弛まざる経営革新があったようだ。とりわけ象徴的なのが、2006年に断行した従業員の精鋭化である。
「当時の業績は悪くなかったんですが、かといってこのまま大して問題意識を持つこともなく毎日を過ごしていては、いずれ競争力のない会社になってしまうという危機感を覚えましてね。そこで従業員一人ひとりにヒアリングし、モノづくりをやっていく覚悟や素養があるかどうかを、改めて確かめてみたんです。そしたらやっぱり、向き不向きってあるんですね。そこでそういう人たちと真摯に向き合い、話し合って、新たな就職口を斡旋するなどして、違う道を進んでもらうことにしたんです」
結果として50名以上いた社員が、これによって約30名にまで絞られたという。くどいようだが、傾きはじめてからリストラを始める凡百の経営者とは違い、好調時だからこそ手を打ったところが重要なポイントである。単なる人減らしとはわけが違うと言っていい。この経営哲学は一貫しており、企業が本来あるべき姿を、細貝社長は常に追求してやまないのだ。
「そもそも、今ある程度の収益を上げている中小企業は、それなりに高度な技術を持っているはずです。にもかかわらず、『他社にない飛びぬけた技術を開発しよう』とあっちに手を出し、こっちに手を出しするのはどうかと思いますよ。第一、それで利益が上がるという確約があるならともかく、まったくありませんからね。経営というのは確実に利益を出していかなくてはならないものなんです。だから、夢物語のような技術開発にかまけているヒマがあるなら、もっと他に、一層の効率化とかコスト削減とか、まずは優先すべきことが必ずあると思うんです」
もちろん、技術開発そのものを否定するわけではない。いわば世間に対する言い訳のような、取って付けた技術開発を信仰する暇があったら、その前にやることがあるだろうというのが細貝社長の信念であり、哲学なのである。
顧客と対話できるか、他社と連携できるか。
さてそれでは、悩める日本の中小企業はどこをめざしたらいいのか。
「まずはお客様のニーズをとことん研究するべきでしょう。その情報が入ってこなければ、高度な技術も自己満足に過ぎません。私は技術というものには、例えば100分の1の精度の穴があればいいのに、勝手に1000分の1の精度の穴を作ってしまい、『いやあ、けっこうコストかかっちゃって。だから高く買ってください』と言っているような側面があると思っています。ですから、100分の1が求められている時には100分の1を、1000分の1が必要な時にはそちらを提供できる技術力を備え、お客様に『この場合、1000分の1なんて必要ないですよね』というディスカッションができる立場にならなければいけません。それぞれの会社にあわせてカスタマイズできることが、一番の武器になると思います」
もう一つ大切なのは、いかに柔軟に他社と連携できるか、だという。
「自分が持っていない技術は連携で乗り切ればいいんです。仕事が多い時にどうシェアするか。そう考えれば、事業も販路も広がります。自社ですべて完結させようとすると、支払いに追われてロクなことになりません」
それにしても、まったくブレないこの思考能力は、どこからやってくるのだろうか。
「私は自分が創業者ですし、まったく学ぶ先達もいなかった一代の人間です。すべて自ら結果を出し、検証して進む道を決めてきました。その過程で学んできたことはやはり、原理原則が第一だということです。例えば、大手が成長路線から平行路線になったら、必ず生産調整に入ります。その時、こちらの設備がマックスで人数もマックスだったら、落ちた分だけ債務超過になるでしょう。だから常にアンダーで損益分岐点を考えます。そういう基本原則を貫くことが重要なポイントだと考えています。それとやはり、何でも前準備が必要ですね。いつも綿密に事業計画を立てろとまでは言いませんが、準備のない技術は単なる机上の空論で、何の役にも立たないと思いますよ」
自らを世の中に放り投げ、鍛えに鍛えた30年。一度目には認定だけで終わった大田区の「優工場」も、5年後には見事、最高の栄誉である「総合部門賞」に輝いた。負けず嫌いでもあるのだ。
「定時制の高校時代、野球で全国大会まで行ったことがあるんですよ。あの時ですね、もしかしたら自分にも何か、人の役に立ったり、特別なことができるかもしれないと思ったのは」
最後に、今後にかける思いと何か経営のヒントになることをひとつ、と水を向けたところ、次のような答えが返ってきたので紹介しておく。
「今は将来に向けたいろいろな基盤をつくっているところで、それを50代で生かしていけたら、と思っています。そして60代になったら……少しは自分の時間を持てるかなと(笑い)。ヒントといわれてもね。あまりおこがましいことは言えませんが、あえて言うなら、何事も準備が大事ということですかね。とにかくどんなことでも、しっかり準備してから始める。これが肝要だと思いますよ」
細貝淳一(ほそがい・じゅんいち)
1966年、東京都大田区生まれ。八潮高校卒業後、松田塗装に入社。その後、転職ののちサカイメタルを経て独立。1992年に有限会社マテリアルを創業(1996年、株式会社に)し、今日に至る。2010年、東京商工会議所より「第8回勇気ある経営者大賞」優秀賞を受賞。
株式会社マテリアル
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