株式会社ニットー
雇用を守るためにも飽くまで横浜で続けたい
ヒト・モノ・カネとは言うが、突き詰めると経営はやはりヒトである。モノ(機械や部材)とカネ(資金や経費)を活かすも殺すも、結局はそれを扱うヒト次第だからだ。何を今さら分かり切ったことを、とは言うなかれ。分かり切っているからこそ、逆に忘れがちになるのが人間の常ってものだ。そこで読者諸氏に是非とも紹介したい人物がいる。弱冠39歳にして、60歳を優に越した達人(ヒト)を含む、40人近い職人(ヒト)集団をガッチリひとつにまとめているばかりか、次々と友好的M&Aに踏み切りながら、それでいていわば全員野球を実践している中小モノづくり企業の敏腕社長、藤沢秀行氏である。
キーワードはズバリ〝パートナーシップ〟──、これだ。
大切なのは社員との一体感 一艘の船を皆で漕ぐ
まずは氏の、大まかなというか基本的な人物像から紹介しよう。
1967年に父親が創業し、現在はプレス金型、プレス板金、機械加工に治工具・設備を主な営業品目とする金属加工品メーカー、ニットー(本社・神奈川県横浜市)の二世社長である。それも1階が作業場、2階が住まいという、絵に描いたような昭和の町工場の息子として生まれ育った、折り紙付きのモノづくり企業家だ。ちなみに出身大学が横浜国立で、卒業後の3年間は日本発条(同)の本社に勤務し、新規事業を担当している。その意味では同じ二世社長でも、よくいるそこらのボンボン社長とは〝ラベル〟がまるで違うと言っていい。
ラベルが違えば当然、中身も違う。その中身の違いを窺わせる、入社当時のエピソードをひとつ紹介しよう。ただしここは、取材時のICレコーダーに記録された筆者と氏のやり取りを、そのまま再現するにとどめておきたい。筆者の得た感触をベースに〝作文〟すると、どうしてもヨイショしてしまいそうな気がしてならないからだ。
─日本発条といえば、日本を代表する大手バネメーカーですね。その本社となると人も技術も設備もかなり洗練されていると思いますが、そんなところから、こう言ってはなんですが、実家とはいえ町の小さな工場に入られて、やだなーとか、驚いたりしませんでした? ある程度歳がいっていればともかく、当時はまだ25歳ですから。
いえいえ(笑い)。だって子供の頃から馴染んできた環境ですからね。確かに汚いというか散らかって足の踏み場もないほどでしたが、そんな風にはまったく思いませんでした。とはいっても、そのままでいいとも思いませんでしたよ。モノづくりだからといって、モノだけつくっていればいいという時代ではありませんから。第一お客さんが認めてくれないじゃないですか。そこで皆に、その辺のところを分かってもらえるように丁寧に説明して、まずは整理整頓をし、作業環境をきれいにするところから始めようってことにしたんです。
─なるほど。でも反感は買ったでしょうね。理屈はその通りでも、いきなり帰ってきていきなりそんなことを言われたんでは、何だこいつってなりますから。とくに古い人たちは。
それが全然違うんですね。嬉しかったですよ。それはそうだと皆が理解してくれましてね。その後は誰もが率先してきれいにするようになったんです。それまでほとんど口を利くことがなかったから知りませんでしたけど、実はちゃんと考えているんですね、皆も。となると、何をやるにも話は早いじゃないですか。いっしょにやればいいんですよ。何でも企画立案の段階から。もちろんときにはトップダウンも必要でしょうけど、それは本当に重大な決断を迫られたときだけですよね。それより一体感ですよ。一艘の船を皆で漕ぐような。現にですね、2年ほど前に皆で議論して企業理念を新たにつくったんですが、毎朝、皆でそれを唱和するんですよ。もちろん言い出したのは僕ではなく社員です。嬉しいですよね。
繰り返すが、経営とはとどのつまりヒトをどう活かすかである。一見、他愛のない話のようにも見えるが、これは紛れもなくひとつの〝リーダーシップ〟と言っていい。強いリーダーシップが求められる、なんて未だにもっともらしく宣(ノタマ)フ手合いも言論界にはないではないが、そんなのにはもうとっくに辟易しているという識者も、近年はけっして少なくない。今むしろ求められているのは、弾力性に富んで、少々のことではポキッといかない〝しなやかなリーダーシップ〟だというのだ。何ら屈託を感じさせず、時折りはにかみながら楽しそうに話す氏を見て、筆者はそのことを頭にふと浮かべたが、読者諸氏は先のやり取りを読まれて、どのようなことをお感じになっただろうか。
これまでの「BtoB」一辺倒から「BtoC」にも
しかしおそらく氏は、自らのリーダーシップをほとんど意識してはいないだろう。それが証拠に、ICレコーダーのデータからは、何度聞いてもリーダーのリの字も聞こえてこない。むしろ頻繁に氏の口を衝いて出るのは、〝パートナーシップ〟なる言葉だ。それも緊密で互いに忌み憚ることのない、社員との、そして取り引き先とのパートナーシップだという。
「飽くまでも日本で、この横浜でモノづくりを続けていきたいんです」(藤沢氏、以下同)
唐突なようだが、実はこれもパートナーシップに繋がる話だ。
「これまで何度か、いっしょに海外に拠点を出さないかというお誘いをいただきましたが、いずれも丁重にお断りしました。理由はふたつありまして、ひとつはやっぱり地元に対する愛着です。僕もそうですが、皆この横浜が本当に好きなんですよ。もうひとつは雇用ですね。こんな小さな会社でも、経営している以上は雇用を守り、1人でも2人でも毎年増やしていく責任があると思うんです」
ではどうするか。しかしこればかりは、言うは易く行うは難し、である。ましてや中小モノづくり企業にとって、このところの経営環境は悪化する一方だ。現に依然として、有効求人倍率は超低水準で推移している。
「発想を変えたんですよ。取り引き先とは、仕事を出すとか受けるといったこれまでの関係ではなく、それぞれが得意とする技術なり販路なりアイデアなりを持ち寄って、忌憚なく相談し合い、意見を出し合いながら、新しい市場を開拓できるだけの製品づくりをいっしょにやっていく。そんなパートナー関係になればいいじゃないかって」
聞くとこれが、思いのほか順調に運んでいるようだ。詳しくは後段で述べるが、ここ5年くらいの間に進めてきたM&Aの効果が、俄然、威力を発揮し出したというのだ。
「企画、開発から試作、完成品まで一貫してできるようになったんです。あとは販路ですが、これも今、あらゆるチャネルを通じてパートナーを集め、調整しているところです」
早い話が自社製品である。となるとこれまでのBtoB一辺倒から、BtoCにもビジネスのパイを広げたことになる。ある意味で革命的な出来事と言って言い過ぎではあるまい。
「すでに今までのモノづくりを根本から見直す段階にまできています。皆のモチベーションもこれまでにも増して上がってきましたし。思いもしなかった相乗効果ですね」
ちなみにその自社製品の第一弾は、アップル社のiPhoneやiPadを応用した遊び心いっぱいの装置だという。詳しい製品情報を知りたい向きは、同社HP(別掲)をお訪ねありたい。
筋金入りのパートナーシップ しなやかなリーダーシップ
ということでその一貫体制の糸口ともなったM&Aだが、氏の話によるとこうだ。
「2006年から立て続けに3社、吸収合併しました。といっても敵対的なそれではまったくありません。いずれも後継者問題とか経営難などで、廃業や転業を検討していた元の取り引き企業です。簡単に言えば、消え去ろうとしていた技術をうちが引き取ると同時に、そこにいた人たちの雇用を守ったということですね。その意味では手を差し伸べた格好ですが、結果的にはうちにも少なからぬメリットがありました。さっき言いましたように、事業の幅と間口がグンと広がりましたからね。プレスひとつ取っても、今では設計から製造、検査、品質管理まで、ワンストップで対応できる体制が整ってきましたし、それに金型だけだとどうしても波がありますが、その辺りのリスク・ヘッジにも十分になっていると思いますよ」
ちなみに前述した氏と筆者のやり取りの中で、氏が述べていた企業理念を新たにしたというのは、このM&Aによって、それぞれ違う企業風土、企業文化の中で育ってきた人たちが、一堂に会したことに起因する。
「全員に共通する何がしかの価値観がそこにあって、全員が同じ方向を常に向いていないと、一艘の船を全員で漕ぐなんてことできないじゃないですか。だから古参も新参もいっしょになって、自分たちで企業理念をつくってもらったということです」
せっかくだから、読者諸氏にも唱和?していただこう。
【企業理念】お客様にとって頼りになるパートナー企業として満足と信頼を提供し続ける 働く1人ひとりが、やりがいと幸せを実感できる企業を目指す より高いレベルの技術を目指し、常に新しいことへのチャレンジをし続ける |
パートナーシップも、ここまでくると筋金入りと言うほかない。聞けばなるほどとは思うが、企業理念の制定を社員全員に委ねるなんて、3人か5人の寄り合い企業でもない限り、前代未聞と言っていいだろう。いわゆる〝強いリーダーシップ〟の下ではあり得ない話である。筆者が〝しなやかなリーダーシップ〟と言った意味も、これでお分かりいただけたのではあるまいか。
日本の伝統的職人芸、匠の技術を次世代に伝えたい
それにしてもこれほどの弾力性というか、強靭な神経はどこから生まれたのか。
「やはり、父の背中を見て育ったことですかね。性格はまるで違うんですけど、この仕事がめっぽう好きなことと、変なこだわりがないという点が似ていると言えば似ているかも知れませんね。とにかく父は仕事を絶対に断らないんですよ。それがどんな無茶な依頼でも、まずはやってみようですから。変な話ですが、僕も油塗れになっていたり機械を回したりしているのが大好きでしてね。小さい頃なんか、職人さんの背中越しに、ずっとその指先ばかり見ててもまったく飽きなかったくらいです」
最後に、将来の夢、若しくはライフワークについて訊いてみた。
「ずっと気になっていることがありましてね。機械が発達したのはもちろんいいんですが、このままだと日本の伝統的職人芸というか匠の技術が、消えてしまうんじゃないかと心配しているんですよ。例えば加工した鋼鈑の表面を指でサッとなぞるだけで、100分の1ミリの誤差まで分かって直せる技術だとか、微妙な音の違いを聞き分けて機械の調子を見分けるとか、自分だけのこだわりの工具をつくる技術とかですね。工具って面白いんですよ。いっぱい工夫が詰まっているんです。そんなこんなを、次世代にしっかり伝えていくのが、僕の夢と言えば夢ですね」
なるほど。そういうことなら目先の人件費削減のために、世界地図なんかと睨めっこしている場合じゃない。そこらのボンボン社長と違うのは、どうやらラベルと中身だけじゃなく、原料からしてまるで違うと言っていいようだ。
藤沢秀行(ふじさわ・ひでゆき)
1973年、神奈川県横浜市生まれ。横浜国立大学を卒業と同時に日本発条株式会社入社。3年間勤務した後、1998年、家業(株式会社ニットー)に入る。2006年、創業者(実父)の跡を継いで代表取締役に就任。
株式会社ニットー
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