紺屋製紙株式会社 ‐ 下請けを脱し、ユーザーへの直接販売をめざす老舗製紙会社の挑戦
紺屋製紙株式会社 代表取締役 山本久也 氏
紙製品で暮らしに喜びを届けたい
棚にズラリと並ぶのは、色とりどりの手芸用紙バンド。広い店内には、ミニバッグに小物、アクセサリーとかわいい紙バンド雑貨・紙雑貨が並び、店舗中央に設けられたワークスペースでは、実際に紙バンドを使った小物作り体験もできる。
JR新富士駅の商業施設・アスティ新富士内の人気カフェ「カミレオン58」は、そんな一風変わったカフェだ。店舗を営むのは、60年以上続く老舗製紙会社・紺屋製紙株式会社。「モノ作り」のイメージが強い製紙会社が、なぜカフェを始めたのか? そこには、4代目社長・山本久也氏の戦略と挑戦の物語があった。
産業用紙と家庭用紙 両方を製造・販売する 老舗製紙会社
紺屋製紙株式会社は、明治時代から製紙産業が栄えていた紙のまち・富士市で1957年に誕生した会社だ。現社長である山本氏は、初代から数えて4代目にあたる。
創業当初はちり紙や紙紐原紙の製造を中心としていたが、社会環境の変化に伴い、公共の場のトイレなどで使われる手拭き用タオルペーパーの需要が増えてきたことを受けて、1971年からタオルペーパー事業部を追加。注文に波のある家庭用紙と波の小さい産業用紙、両方の製造を行うことで、生産高の安定化に成功した。
現在は、工業製品の包装や梱包に使われる産業用クレープ紙、紙バンド製品やタオルペーパーなどの家庭紙の3種類を、本社とグループ工場・会社5社で連携して製造・販売。グループで年約30億超の売り上げを上げている。
環境への配慮から誕生した自社ブランド
製紙業界はここ30年ほどの間、楽とはいえない状況が続いている。人口減少やOA機器の普及による紙需要縮小を受けて、富士市の紙・パルプの製造品出荷額も、1991年の約6035億円をピークとして減少に転じ、2015年には約3分の1強の約4313億まで落ち込んだ。中小零細企業の中には、廃業した所もある。
そんな中で、紺屋製紙株式会社が順調に業績を拡大してこられたのは、第一に、扱う商品と種類とその品質に、同社ならではの強みがあるからだ。
「うちは昔から、タオルペーパーと産業クラフト紙という、あまり大手がやらなそうなものをやってきましたから。今、雑誌用のザラ紙の需要が減り、ザラ紙メーカーがタオルペーパーに来たりはしていますが、産業紙や特殊な紙はまだまだニッチな需要がある分野。十分私たちが商売する隙間があります。これらは爆発的に量が出ることはありませんが、いろいろ工夫しながらやっていますよ」と、山本氏。
一方、品質についての同社の強みは、山本氏の父である先代社長・山本尊久氏の「環境問題について語る時は、地球全体のシステムを考慮しなければならない」とのポリシーから、いち早く環境を重視した原材料選び・設備を確立したことにある。資金的に決して簡単なことではなかったが、「ここぞという時期には、資金的に無理をしてでも対処するべき」との尊久氏の信念に基づき、10年以上前に、リサイクル紙を原資として高品質・多品種の製品を作ることができる抄紙機(ルビ:しょうしき)(紙をすくための機械)・N2号を導入。
この設備投資と創意工夫により、100%再生紙を原紙としながら、パルプから作ったものと同等のソフトな手触りを持つ商品の生産に成功したことが、自社ブランドの確立と他社との差別化につながった。
山本尊久氏
海外拠点成功の鍵は現地スタッフへの敬意
今や同社グループ売り上げの6分の1弱を占めるベトナム工場も、先代社長の時に種がまかれたものだ。きっかけは2003年の東南アジアへの視察で、訪れたベトナム北部の海岸都市・ハイフォンの工業団地に海外拠点を置くことを即決。
約1haの広大な土地に工場を建設し、日本の本社で作った原紙を船で運び、工場でタオルペーパーや紙バンドに加工して、できた製品を再び日本に運んで販売する仕組みをスタートさせた。工場に日本人は常駐せず、運営は工場長以下すべて現地のスタッフに任せるのが同社のやり方。2008年には第二工場も完成し、年々その存在感を高めている。
脱・下請けをめざす4代目社長の挑戦
このように、時代の変化をうまく取り入れ、対応することで道を切り開いてきた同社。さらに変化の速度が増している社会の中で、2011年に社長のバトンを受け継いだ山本氏が、今取り組んでいるのは、ただ依頼を受けてモノを作るだけではなく、自分でマーケットを探り、作りながら販売もしていく提案型企業への挑戦だ。
「製品を作って卸問屋に入れて……という従来の方法だけでなく、我々の作った製品を、直接ユーザー様にお届けすることをやっていこうとしています。これからは下請けではなく、自分で値段を付けて販売していける会社にしたい。そんな思いで今いろいろ工夫しているところです」
ここで山本氏が注目したのは、同社のビジネスの主役であるタオルペーパーではなく、産業用の紙紐から生まれた手芸用の紙バンド。グラデーション鮮やかな色鉛筆のようにカラーが豊富で、アイデア次第で小物入れにぴったりのカゴやバッグ、インテリア、アクセサリーまで手作りすることが可能な、子どもから年配者まで誰でも簡単に楽しめるグッズとして人気のアイテムだ。
インターネットショップ「蛙屋」をオープンし、紙バンドの作品紹介や作成キットの販売を始めたのに続き、2016年には、一般ユーザー向けに手芸用紙バンドをはじめ、紙にこだわったDIY・文具・手芸用品を提案・販売するグループ会社「紺屋商事株式会社」を設立。
続いて2018年には、JR東海道新幹線新富士駅の商業施設「アスティ新富士」内に「紙と富士山」をコンセプトにした紙バンド・紙雑貨の店「カミレオン カフェ 58」を開店。1ドリンク2時間600円(子どもは300円)とお手ごろ価格で、作り方を教えてもらいながら紙バンド手芸が楽しめるスポットとして、地元のテレビでも紹介されている。
努力の甲斐あって、カフェには静岡県内のみならず、全国各地から来客があり、紙バンド手芸の人気も少しずつ拡大。紙バンド製品の直販は、まだ細いながら、これからの同社を支える新たな柱となりつつある。
時代を経ても「社員の幸福度が一番」との経営方針は変わらない
一方で時代が変わっても変わらないのは、先代から受け継がれた「社員の幸福度増進が一番」とする経営方針だろう。「当社は、経営理念の最初に社員の幸福度増進をうたっている会社。これは先代社長が決めたんですが、社員の為にやっていこうという理念で臨めば、社員も会社の為に頑張ってくれる、との思いで経営しています」と山本氏は話す。
その根底にあるのは、利益の最大化のみでなく、社会的信頼に応え、社会に対する責任を果たすことを第一とする「倫理経営」の精神だ。6万7000社が加盟する「倫理法人会」の一員であり、社員も社長も一緒に、仕事に対する向かい方や倫理的な考え方を学んでいるのも同社の特徴の一つ。また、派遣社員は1人もおらず、ブラジルやウルグアイなど南米出身者が約3分の1を占めているのも、会社の組織としてもユニークさにつながっているという。
紙を素材としてみんなに喜ばれる物を作りたい
提案型企業への挑戦のその先、長期のミッションとして山本氏が掲げているのは、100年企業をめざして会社を存続させていくことだ。世の中の変化スピードは上がっており、国内の紙の売り上げは減少傾向にある。しかし、だからといって紙の未来が暗いとは思わない、と山本氏は言う。
「プラスチックやフィルムは便利ですが、近年ではマイクロプラスチックによる海洋汚染や生態系への影響を考えて規制しようという動きもあり、紙の方が自然ではないかと見直される流れも出てきています。スターバックスやマクドナルドがプラスチック製のストローをやめ、紙ストローに変えるというニュースもありましたよね。自然への負荷が低いという点で、紙の良さはまだまだ訴えられると思います。
うちの強みでもある古紙再生技術もですが、日本の紙の技術は海外でも一目置かれている所。今後、自然への負荷が少ないもので生活しようとの動きが強まっていく中で、紙の良さが見直される時はきっと来ると思いますし、紙の良さを広めていきたいと思うんです」
しかし同時に、紙という素材が評価されることと、同社が継続していくことは別問題だとも言う。
「大事なのは、みんなに必要とされ、楽しいな、明るいな、嬉しいなという喜びを提供できる会社であること。うちが生き残れるか否かは、紙の需要が伸びるか否かより、その点にかかっていると思います。だからこそ、今めざしているのは、紙を素材としてみんなに喜ばれるものを作り上げていくこと。繰り返しになりますが、そういうライフスタイル提案型企業へのシフトというのが、今後生き残っていくためのキーワードではないかと思います」。
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紙は昔から人々の生活になくてはならないものであり、紙コップから段ボール、雑貨、アクセサリーまで、時代に沿って多彩な製品が生み出されてきた。今後、社会がどのように変わるとしても、紺屋製紙株式会社の手により生み出された紙製品は、変わらず私たちを喜ばせてくれることだろう。
【プロフィール】
山本久也 (やまもと・きうや) ……静岡県富士市生まれ。静岡県立富士東高等学校卒業後、観光関連の職業を希望し、熱海市でホテル勤務などを経験。後、日本エンドレス株式会社に入社し、営業をはじめビジネス全般の経験を積む。1990年に、ラップ株式会社設立に合わせて先代社長である父・尊久氏に呼び戻されたことで、同社に入社。2011年より先代に代わって紺屋製紙株式会社、ラップ株式会社、ベトナム工場の代表取締役となり、現在本社とグループ5社を率いる。
【会社情報】
紺屋製紙株式会社
〒417-0061 静岡県富士市伝法3199