お客様の「これが欲しかった」に応えられる 料理道具専門店「飯田屋」の「喜ばせ業」の秘訣
飯田結太 株式会社飯田代表取締役社長
第16回「勇気ある経営大賞」優秀賞を受賞!
2018年9月26日、東京商工会議所は、第16回「勇気ある経営大賞」の受賞企業5社(大賞1社、優秀賞2社、特別賞2社)を発表した。この「勇気ある経営大賞」とは、「過去に拘泥することなく、常識の打破に挑戦し、高い障壁に挑み、高い理想の追求を行うなど、勇気ある挑戦をしている中小企業またはグループ」に与えられる、栄誉ある賞だ。
受賞企業のなかでも、優秀賞に選ばれた株式会社飯田(東京都台東区)は料理道具専門店「飯田屋」を運営している100年企業であり、TVやラジオ、雑誌などの各メディアからも注目されている。今回は、代表取締役社長の飯田結太氏に、勇気ある経営の秘訣を伺った。
106年の歴史を誇る合羽橋の老舗企業
調理器具や食器、ショーケースなどの卸問屋が並び、「日本一の道具街」とも称される浅草合羽橋。この街の象徴である「金の河童像」の近くで料理道具専門店の「飯田屋」を営んでいるのが、第16回「勇気ある経営大賞」優秀賞を射止めた株式会社飯田(以下「飯田屋」)だ。
飯田屋は、1912年に創業し、106年の歴史をもつ老舗企業。創業当時は建具屋を営んでいたが、関東大震災や太平洋戦争などで取引先がなくなって以降は、惣菜店や精肉店などに対してウインドウショーケースを販売するようになった。3代目社長以降は日本で唯一といえる精肉店用品専門店へ変貌。およそ20年前のスーパーマーケット全盛期には、取引のあった精肉店の一部が焼肉屋や惣菜屋などの飲食店に鞍替えしたことに合わせて、飯田屋も、フライパンなどの料理道具から、のぼりやのれんなどの装飾品、コックコートなどの衣料まで、多種多様な飲食店用品を幅広く取り揃えるようになった。
2018年現在、飯田屋は、社員10人と小規模ながらも、220種類の卸し金や2000種類のおたまをはじめ、計8400アイテムの商品を取り扱う、合羽橋を代表する料理道具専門店へと成長している。その品揃えの豊富さから、プロの料理人たちをはじめ、一般の主婦たちにも飯田屋のファンは多い。
この飯田屋の6代目社長を務めるのが、現在、34歳の飯田結太氏である。
結太氏は、2009年に飯田屋へ入社、2017年には母・敬子さんの跡を継ぐかたちで社長に就任した。入社以降、数々の改革に取り組み、わずか9年間で飯田屋の売上をおよそ2億円もアップさせた敏腕経営者だ。その一方で、結太氏は、「料理道具のスペシャリスト」として、料理が楽しくなる料理道具の選び方を紹介するなど、TVやラジオ、雑誌での活躍も注目されている。
飯田屋が掲げる「喜ばせ業」の原点
飯田屋が料理道具専門店へと変貌し、その経営方針を「喜ばせ業」へとシフトさせるきっかけになった卸し金。現在、飯田屋では220種類の卸し金を取り扱っている。
飯田屋の経営方針は、一言でいえば、「目の前のお客様に喜んでいただくこと」だ。
「この経営方針を決めたきっかけは、7年前、和食割烹を営むお客様より、卸し金についてお問い合わせがあったときでした」と、結太氏は語る。
そのお客様は、「飯田屋の取り扱う卸し金のなかで、大根おろしでやわらかい食感を出せるものはどれですか」と尋ねたという。一般的に、大根おろしの食感は、フワフワした甘みの強いものから、シャキシャキした甘みと辛みを併せもつもの、ザキザキした辛みの強いものなど、5種類もある。これら大根おろしの食感は、卸し金の目の形ですべて表現できるのだ。
ただ、当時の飯田屋では飲食店用品全般を取り扱っており、料理道具は在庫の20%程度しかなかった。しかも、肝心の卸し金の取り扱いは、大、中、小とサイズ違いの3種類のみ。そこで、結太氏は、その3種類の卸し金で実際に大根をおろして、お客様に試食してもらったが、どれもお客様の求める食感とはほど遠かったという。
その後、結太氏は、お客様がお求めの卸し金があるか、複数の料理道具メーカーに問い合わせてみた。しかし、各メーカーからの解答は意外なものであった。
「どのメーカーからの返答も、『自社の卸し金がどんな食感になるかは詳しくはわからない』でした。取り扱い商品そのものに詳しいメーカーや卸売業者、小売業者は多いものの、その実際の使用感を他社製品と比較して、お客様に伝えることができる人は少ないのだと、痛感したのです」と結太氏。
そこで、結太氏は、各メーカーから卸し金を購入し、それぞれの卸し金で作った大根おろしの食感を自分たちの舌で確かめてみた。この調査結果をもとに10種類の卸し金に絞って、お客様に再度提案。幸運なことに、そのお客様は、再提案した卸し金のひとつを気に入り、成約に至ったのである。
結太氏は、当時を次のように振り返る。
「お客様が選んだ卸し金は単価5000円と、当時、ぼくたちが取り扱っていた商品のおよそ2・5倍も高価なものでした。それでも、お客様は、飯田屋の努力を評価してくださって、ニコニコ笑顔で『探していた卸し金はこれだよ!』と喜んで、その卸し金を購入してくださったのです。この業界では値切りが常識だったので、ぼくたちにとってはとても新鮮な驚きでした」
このときの成功体験から、結太氏は、お客様を喜ばせるため、料理道具に関するあらゆるニーズに応えるべく、取り扱い商品を料理道具に特化させた。その在庫品数を1600アイテムから8400アイテムへ5倍以上に増やし、そのなかから目の前のお客様に最適なものをお伝えするようにしたという。結太氏は、自らの仕事について、次のように定義している。
「飯田屋の仕事は、一言でいえば『喜ばせ業』であると思っています。『喜ばせ業』とは、目の前のお客様に喜んでいただくために、商品とお客様をつなぎ合わせることです」
この経営方針の転換が奏功し、飯田屋の業績は好転。そして、今回、「勇気ある経営大賞」優秀賞の受賞に至った理由のとおりに、飯田屋は「お客様の『これが欲しかった』に応えられる、料理道具専門店へ」と成長したのである。
社員の働きやすさに配慮した4つの改革
飯田屋の店内の様子。計8400アイテムの料理道具が所狭しと陳列されている。
結太氏は、経営方針の転換により飯田屋の業績回復を果たしただけではなく、社内改革でもオリジナリティあふれる4つの方法を採用している。
飯田屋の第1の改革は、「売るな」という営業方針だ。「売上ノルマ0円」を掲げる結太氏は、こう語る。
「売上ノルマがあると、未達分を埋め合わせるために、お客様のニーズに合わないものを販売してしまうことになるからです。たとえば、鍋をお求めの方がいるとしましょう。鍋は、一般的に分厚いもののほうが、料理も美味しくなり、価格帯も高くなります。しかし、その分、重量が重くなるので、力のないお年寄りの方には扱いづらくなるのです。こうなると、お客様に本当に喜んでもらえるかは、わからないですよね」
目の前のお客様を喜ばせた結果としてついてくるのが、売上であり、利益である。この「売上ノルマ0円」という営業方針は、「喜ばせ業」を掲げる飯田屋だからこその信念と自信の表れといえるだろう。
第2の改革は、「予算の決裁ルール」だ。「お客様に喜んでもらうため」という条件つきではあるが、社員たちは上長の決裁なしに自由に予算を使える権利を有している。
その金額も、部長・課長は年間2000万円まで、正社員は年間500万円まで、と非常に大きい。とりわけ、パートタイマーの従業員も年間300万円の予算を使うことができるので、非常に大胆な改革といえるであろう。
第3の改革は、「160時間ルール」と呼ばれるものだ。これも、目の前のお客様を喜ばせるためには、社員たちは月間160時間――つまり、1日8時間の業務時間を20日分――も、他の仕事を放棄してもよい、という取り決めだ。この160時間ルールによって、従業員たちが目の前のお客様に集中して接客できるようになった結果、営業のクォリティも高まったという。
第4の改革は、「2万回ルール」という社内コミュニケーションの決まりだ。これは、「社員たちは2万回まで同じことを上長や同僚に質問・確認してもよい」というもの。結太氏は2万回ルールについてこう解説する。
「社員たちは、自分のために質問・確認しているわけではなく、目の前のお客様のために質問・確認しなければならない立場に置かれるケースが多いのです。質問・確認される社員の側も、答える際、言い方を注意しなければならず、社内コミュニケーションの円滑化・活性化に繋がっています」
このように数々のチャレンジングな改革を行った背景には、結太氏の苦悩があった。飯田屋の売上が上がったことで、結太氏は、社員の昇給や福利厚生の充実、休日の増加など、労働環境の改善も行っていたにも関わらず、社員の退職が止まらなかったという。
「社員に退職理由を聞いてみた際、恥ずかしながら『あなたと働きたくない』と言われてしまいました。当時のぼくは、社員のミスやクレームが起こった場合、その社員自身の責任だと考えていたのです。しかし、ミスをしたくてミスをする人はいません。そこで、ぼくは、社員のミスやクレームの原因は、それが発生する社内環境にあると考えを改めたのです。社員も自分が幸せになるために働いているのであって、社員が働きやすい環境づくりこそが、経営者の仕事と気づきました」と結太氏は振り返る。
このように自らの短所を指摘されて、大胆な社内改革を決断できる経営者は少ない。まさに、「勇気ある経営」にふさわしい英断といえよう。
将来も受け継がれる飯田屋のDNA
結太氏が行った大胆な社内改革の結果、飯田屋では社員たちの定着率が向上。現在、社員同士がニックネームで呼び合うほど、社内の雰囲気は明るくなったという。
そもそも、結太氏は、家業である飯田屋を継ぐつもりはなかったという。明治大学商学部在学中には、ホームページの制作会社を起業。しかし、社会人3年目の25歳のときにその制作会社を人に譲って、飯田屋へ入社した。結太氏は、そのときの心境をこう語る。
「もともと5代目社長の母からは『自分の好きなことを夢にしなさい』と言われてきました。しかし、9年前、飯田屋は売上が落ち込み、社員が大量離職するなど、母が苦しむ姿を目の当たりにすることが多くなりました。そうなると、やはり『母を助けたい』という気持ちが、自分の夢になったのです」
当時は、アマゾンや楽天などEコマース(インターネット通信販売)が一般的になり、飯田屋のようにリアル店舗をもつ物販店は斜陽産業と考えられていた。もともとホームページの制作会社を経営していた結太氏も、かつては飯田屋の未来について不安をもっていたが、今ではその考えを改めたという。
「現在、飯田屋は、自社ホームページを制作する以外に、インターネットを利用していません。確かに、Eコマースは非常に便利です。しかし、誰しも、実際の商品の使用感を確かめることができず、買い物に失敗したという経験があるのです。飯田屋にいらっしゃるお客様のなかにも、Eコマースで失敗したからこそ、専門家の意見を聞いて買い物がしたいと慎重になっている方も少なくありません。そのようなお客様を大事にすることが、ぼくたちの仕事です。今となってはEコマース業界が右肩上がりになればなるほど、飯田屋にも多くのビジネスチャンスが巡ってくると考えています」と、結太氏は飯田屋の「喜ばせ業」に自信をのぞかせる。
そもそも、結太氏は、かねてから先代の母・敬子さんより「目の前の方を大事にしなさい。喜んでいただけるよう、仕事に励みなさい」と言われてきた、という。つまり、「喜ばせ業」とは、代々受け継いできた飯田屋のDNAの表れなのだ。最後に、結太氏は飯田屋の将来についてこう語る。
「現在、飯田屋は、『料理道具をつかって、目の前のお客様を喜ばせることに長けた集団』です。しかし、いつか料理道具を使わなくなる時代が来るかもしれません。そのとき、飯田屋は、飲食業や宿泊業など業態を変えているかもしれませんが、今と同じく『喜ばせ業』をやっていると思います」
時代の変化に合わせて、100年以上の歳月を生き抜いてきた飯田屋。これからも結太氏の掲げる「喜ばせ業」を守りさえすれば、将来、どのような事態に直面しても、飯田屋は発展し続けるだろう。
100年以上の歴史をもつ株式会社飯田は、社員数がわずか10人にもかかわらず、日本一の道具街・浅草合羽橋を代表する料理道具専門店「飯田屋」を営んでいる。写真は、飯田屋の店舗前にて社員全員で記念撮影したもの。後列右から3人目が6代目社長を務める結太氏で、前列右から2人目が先代社長(現・会長)の敬子さん。
飯田結太……1984年、東京生まれ。明治大学商学部在学中に、ホームページ制作会社を起業する。大学卒業後、3年間の社会人経験を積み、2009年に株式会社飯田へ入社。2017年には、同社の6代目代表取締役社長に就任。TBS「マツコの知らない世界」やNHK「あさイチ」、日本テレビ「ヒルナンデス」など多数の情報番組で、料理道具の伝道師としても活躍している。
株式会社飯田
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