ブローダービズ株式会社 CEO・代表取締役 林亨氏の理念

今年8月22日、第一勧業信用組合千田町支店と日本政策金融公庫江東支店国民生活事業が、最新鋭のコンピュータ・ソフトウェアを使用したAI画像・映像解析システムを開発している企業、ブローダービズ株式会社と協調、システム開発費用として6750万円の融資を行うという発表がなされた。

ブローダービズ株式会社は昨年7月にスタートしたばかりの社員僅か4名の会社だ。そこに一体どのような可能性が秘められているというのか。今回、CEO・代表取締役林亨氏にお話を伺った。

 

課題の多い食品製造業を変える新システム

「日本の企業はとにかく、新しい技術を取り入れることが遅い。世界中の企業が80%の信頼性があるのなら使ってみよう、と乗り出してくるのに、日本の企業だけは100%の信頼性がなければ手を出そうとはしない」

 

そう言い切るのはブローダービズ株式会社CEO・代表取締役の林亨氏。過去30年以上にわたって最新の科学技術を日本の産業界に紹介する事業を続けてきた。

 

「パソコン、DTP、マルチメディア、Inernet、RIA、そして今はAIと、新しい技術を産業化することをずっとやってきましたね」と話す。

 

ブローダービズ株式会社はソフトウェアの開発を専門に行う会社だ。今回、助成事業の対象となったのは「食品工場でのカメラによる衛生・安全AIシステムの開発」。

 

「今、AI技術を製造業で活用しようと考えた際、大体は製品の仕上がり具合の確認に使われるのがほとんどです。加工が図面通り精密になされているかとか製品に傷が付いていないか、などの点をチェックするために使われているわけです。」

 

だから、そこでは勝負しない、と林代表は話す。品質管理が徹底的になされているハズの日本の製造業界の中で、最もそれが立ち遅れていて、AI技術によってそれが早期に改善される可能性がある業種はどれか。

林代表がそう考えた時、最もそれが際立って目に付いたのが食品製造業だった。

 

「毎日、ほとんどの人がスーパーやコンビニで食品を買っている。しかし、その製造工場は驚く程、衛生・安全対策のIT化が遅れている。異物混入や回収騒ぎなどがひっきりなしニュースになる。これで本当に我々の口に入るものの安全が保たれているのでしょうか?」

 

実際に幾つもの食品加工工場を訪れた林代表は、その現実に驚かされたという。

 

「セキュリティが万全ではなく、外部から簡単に侵入できてしまう。また、手や体を消毒する場所から工場に入るドアが自動ドアではない所もあり、思わず『それでは消毒済みの手でドアノブを触ることになってしまう!』と叫びそうになってしまいました」

 

今回、開発中のシステムで特に大きなポイントになっているのが、侵入者や不審者への対策だ。

食品製造工場での毒物混入事件などは、外部からの侵入者の犯行も考えられるが、その多くは内部をよく知った人物や従業員による犯行だ。その動機は上司や会社への反発や人間関係など様々あるが、今までその防衛についてはほとんど現場任せになっていた。

 

「現場の担当者がいくら目を光らせても、そこにスキは必ずできてしまう。ではカメラを設置して監視したならどうか? 現在、ほとんどの工場にはもう監視カメラはあります。しかし、もし仮に何か事件が発生した時に、それから監視カメラに残された映像を一つ一つ確認・調査していく手法では、時間がかかりすぎる上に即時性に欠けます。しかし、だからといって人を使って常時監視するのではコストがかかり過ぎでしまう」

 

AIがリアルタイムで映像解析

このような食品工場の現状を改善するために現在、開発が進められているのが、AI技術を活用した異常認識システムだ。

 

「AIボード搭載カメラで、リアルタイムで映像を解析し、異常を察知します。例えば、AIが記憶している定型パターンと現状の違いを解析し『本来あるべきものか、それともあってはならないものなのか』を即座に判断し、異常状態を検知します」

 

ある毒物混入事件の事例では、工場内で働いていた人物が、自分の作業ラインとは別のラインに紛れ込んで犯行を行っていたという。いつも自分がいるラインではすぐに犯行がバレてしまうから、という犯罪者の心理が窺える。

その人が居るべき正しい「位置」なのか。その人が正しい「姿勢」なのか。その人に不正な「動き」はないか。人数は正しいか。

 

「こういった点をAIがリアルタイムで把握します。これによってよりスピーディーに問題を発見・解決することができるようになる。既に弊社で開発したAIシステムの小型化や解析速度のスピードは他社と比べて優位性があり、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構からその技術力を評価され、そちらからも助成金交付の決定を受けています」と林代表は自信を示す。

 

「今はこのシステムと、各製造業者を結ぶ代理店を探しているところです。私たちはソフトウェアの開発をしますが、実際にカメラを設置したりネットワークを構築したり、何よりメンテナンスをしていかなければ、システムを作っても意味がない。そういった実際の面を担ってくれるパートナーが必要です。それらも含めて来年2月には本格的にスタートできるように準備を整えています」

 

コンピュータと出会ったのは大学時代

「新しい技術が世の中の役に立つことを証明したい」と話す林代表。その信念の源はどこにあるのだろうか。北海道苫小牧で生まれ育った林代表は、日本大学理工学部に進学、上京する。

 

「当時、熱中していたのは音楽。ドラムをやっていました。大学3年生まではほとんど授業にも出ずにずっとドラムを叩いていました。だから単位もギリギリ(笑い)。4年生になって研究室を選ぶ時に、自分の興味も近かったので建築音響、音響デザインを選んだ。そこでコンピュータに出会ったのがきっかけでした」

 

コンサートホールなどの音響を設計に反映させる音響デザインの分野では、早くからコンピュータを使った方法が取り入れられていた。

その新技術と、自身の関心もあった研究分野にのめり込んだ林代表は、3年生までとは正反対に、今度は研究室に朝から晩まで入り浸る毎日になる。

 

「それで、卒業後も大学に残って研究の道へ進もうかとも思ったのですが、他にも優秀な人もいたし、まだ音楽の道に進むことも考えていた。ただ学費は無いし、とりあえず働かなくてはならないな、と考えていました」

 

手っ取り早く収入を得られるならトラック運転手でもいいな、と思い教授にそのことを話したという。「話した時は何も言われませんでしたが、後から人を介して話を聞いたら『アイツは何を考えているんだ、何とかしろ』と怒っていたとか(笑い)」。

 

「トラックだけは止めてくれ、と言われて大学に残ることになったのですが、収入は欲しい。そこで『君はプログラムを書くのが早いから』と紹介されたバイトが先輩が始めたソフトウェアの会社だった」

 

日本産業界にコンピュータを根付かせるために

こうしてソフトウェア開発業界に足を踏み入れた林代表。

折しも1980年代中頃。既にアメリカではスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツが時代の寵児となり、コンピュータを使った新技術が注目され始めていた時代だった。

日本にもそうしたアメリカの動向に注目していた人々がいた。アスキーの西和彦や、ソフトバンクの孫正義などだ。

 

「結局、大学院へは進まず私と同じようなコンピュータの魅力に取り憑かれた同世代の人々と離散結合しながら仕事をしていました。その中で孫正義さんや西和彦さんとも出会い、彼らと同じ業界で1992、93年くらいまで、アメリカのソフトを導入する会社を立ち上げたり、様々な事業を行っていました。

アメリカのソフトウエア会社が日本法人を立ち上げるお手伝いもしましたね。社長になって欲しい、とも言われましたが断りました。私は社長やりたいわけではなかったので(笑い)」

 

林代表の仕事の転機になったのは93年頃だったという。

「それまではソフトを売る仕事をしていましたが、どれだけ売ってもそれが産業に活かされなければ意味がないと思うようになった。それで、企業にソフトを使ってもらうための仕事をしようと思ったのです」

 

商社という商社を全て廻って企業にソフトを販売する仕事を提案していった林代表に、興味を示したのは三菱商事だった。

その頃三菱商事はアップルの代理店をしており、アップルのコンピュータのビジネスマーケットへの販売支援を手がけることになる。

 

「市場を独占的に持っていた。当時は三菱商事のコンサルタントとして日本の産業界にコンピュータを根付かせる仕事をしていました。シリコンバレーから会社を連れてきて、三菱商事に投資させて米国市場で上場させる、ということをいくつもやりました」

 

「作った会社は10を超え、残っているのは4つだけ。閉めた会社はたくさんあります」と当時を述懐する林代表。

 

「成功より失敗のほうが多いです。それには市場の問題もあると思いますが。とにかく先端の技術をドンドン取り入れたいから、市場の要望より先んじてしまうことがある。2005年から2007年まで北京で仕事をしていた時も上手くいきませんでした。当時の中国はまだまだ国際経済とはかけ離れた商習慣を持つ社会だった。そこに足元を救われてしまった。今では法整備も進んでいるし、海外の企業も進出しているからもっと上手くやれたでしょうね」

 

常に先を見据えて動き続けている林代表。そのフロンティアスピリットの淵源を、その笑顔から垣間見えた。

 

自由自在ソフトウェア開発し提供できる会社

「今回の会社はソフトウェアの開発のみをする会社として作りました。現在4人のスタッフがいますが、皆以前の会社から一緒にやっているいる、この業界で20年以上共に働いてきたパートナーたちです」

 

そこから生み出したソフトを最適な代理店に任せ、開発したアプリケーションを次々に適した会社に渡していく。そういうビジネスモデルを作っていきたい、と林代表は話す。

 

「何故ならばそうすることで『的確なタイミングで、的確なソリューションを、的確なチャンネルに』落としていくことができるからです。組織の利害に左右されず、個人の自由を確保しながらそれをしていく。このモデルを確立・維持していきたい」

 

今、来年2月のスタートに向け、急ピッチで開発を進めているという。

「スタッフは皆、24時間仕事に没頭して飽きないメンツ。この仕事が好きでやっている人だけですね」

長年イノベーターとして最前線に立ってきた林代表の矜持がそこに見えるようだった。

 

<プロフィール>

林亨

1969年北海道出身。1983年日本大学理工学部卒。大学卒業後、コンピュータソフトを開発するとともに、米マクロマインドなどと契約し、アメリカで開発されたソフトウェアの輸入する事業を展開する。93年、ミディシティを設立、三菱商事と提携し日本産業界に最新のコンピュータ技術が導入されることに貢献した。株式会社ビジネス・アーキテクツの99年創業から18年間の経営を経て、2017年、ブローダービズ株式会社設立、以後現職。

 

<企業情報>

ブローダービズ株式会社

〒135-0064 東京都江東区 青海2-5-10 テレコムセンタービル東棟14F

Mail:thayashi@broader.biz