業態転換で目指したのは人を健康にする事業 整腸・消臭食品「シャンピニオン ゼリー・ニットーエル」 – 日東製薬株式会社
お腹の困り事を解決する「シャンピニオン ゼリー・ニットーエル」とは?
企業の業態転換は珍しいことではない。
企業の本業を尋ねた帝国データバンクの調査では、47・7%の企業が「創業時とは本業が変化している」と答えており、むしろ企業が長く存続するためには、市場ニーズに応じた柔軟な転換が重要とも言える。
今年で創業55年を迎える日東製薬株式会社も、そんな業態変更を経験した企業の1つだ。
初代社長の下、薬の製造・販売業からスタートし、時流にのって自動販売機事業に進出。
2代目に引き継がれた後は、「健康で潤いのある生活の創造」を掲げて、整腸・消臭食品「シャンピニオンゼリー・ニットーエル」の製造・販売拡大を進めている。
2代目社長・谷川正記氏に同社の歴史について伺った。
薬の製造・販売業からスタート
日東製薬株式会社の歴史は、先代社長である谷川氏の父・正治氏の代に始まる。
1920年生まれの正治氏は、終戦後、山之内製薬株式会社(現アステラス製薬株式会社)に入社。後にゼリア新薬工業の立ち上げメンバーとなった。
しかし、その看板商品であるコンドロイチン製剤「コンドロイチンZS錠」が世に出る1年前の1963年に、同社を退社。独立して、日東製薬株式会社を立ち上げたのだ。
誕生したばかりの日東製薬株式会社がまず手がけたのは、その名の通り、薬の製造と販売だ。
メーカーに依頼して薬を製造し、販売は薬局に社員を派遣し販売を手伝わせながら自社製品を売り込む方式で、滑り出しは上々。
着実に利益を出していくが、1965年に日本各地でアンプル入り風邪薬を飲んだ人が急死する、いわゆる「アンプル入り風邪薬事件」が起こり、稼ぎ頭のアンプル入り風邪薬が販売中止・全品回収となってしまう。
その影響は大きく、1965年の収支は1500万円の債務超過。当時の消費者物価指数は2017年に比べ約4分の1であったことを考えれば、現在なら1年間で6000万円を越す債務超過になってしまった格好であり、これではとても商売を続けていけない。
いきなりの廃業の危機である。
しかし、天は同社を見放さなかった。当時ブームを迎えつつあった栄養ドリンクを、手軽にどこでも買えるようにしてみないかという話が舞い込んできたのだ。そこから、同社の挑戦・第2幕は始まった。
パートナーを得て自動販売機事業へ
新生・日東製薬株式会社が始めたのは、栄養ドリンクの製造・販売をセットで行うことだ。
栄養ドリンクを作り、ドライブインや旅館においてもらうわけだが、正治氏は徐々に広まりつつあった自動販売機にも注目。
タクシー会社などへの設置をすすめ、この栄養ドリンク事業のお陰で社の立て直しに成功する。
ただ、自動販売機は先に機械を買わないと売り場を設営できない弱点があり、アンプル薬事件の後遺症で資金力に余裕のない同社には、そこが大きな負担になっていた。
だが、人の紹介で、ちょうど自動販売機の生産を始めようとしていた富士電機株式会社家電部門(富士電機家電株式会社)とつながりができたことから、事態は一気に好転。
1970年には、富士電機が資金、同社が人とノウハウを出して自動販売機オペレーターサービス会社「日東ベンディング株式会社」を立ち上げ、本格的に事業拡大に乗り出していく。
その陣容は、同社の直接の子会社が2社、富士電機との共同出資会社が2社、富士電機サイドの子会社が9社というもので、全国で自動販売機の運営・オペレーション事業を展開。
最盛期には本社と自社系列の2社だけで従業員約80人、共同出資の2社と富士電機サイドの子会社を加えると、約400人以上が働くグループを作り上げるに至った。
現社長・谷川正記氏への代替わりがなされたのは、ちょうどそんな時代のことだ。
「体によいもの」をコンセプトに新規事業を立ち上げ
谷川正記氏は1959年生まれ。
大学卒業後、車好きから一度は東京日産自動車販売株式会社に入社するも、正治氏に胃がんが見つかり、後の富士電機の副社長・永井隆氏に呼ばれたことで富士電機冷機株式会社(現富士電機)に転職。
現場で7年間働いた後、関係会社・日東パシフィックベンディング株式会社でも約2年勤務し、現場の作業やメーカーとの交渉、サプライヤーの窓口を担当した。
後、正治氏の引退に伴い、1994年に34歳で日東製薬株式会社の社長に就任。本社と2つの子会社を見る立場となった。
当時の同社グループは、自販機業務を手がける子会社2社が売上げの多くを占めていた。
そこで、「せっかく製薬という名前があるんだから、何か体にいいものを売りたい。自販機事業とは別に、日東製薬は日東製薬で独立した方がいいのではないか」と考えた谷川氏は、新規事業の立ち上げを決定。
健康食品・プロポリス製品の製造・販売を一度は考えたという。
しかしそこでもう一つ、候補に挙がってきたのが、当時その消臭効果が話題になっていたシャンピニオンエキスを使った製品だった。
検討の末、谷川氏は後者のアイデアを採用。
シャンピニオンエキスを梅味のゼリーに入れて食べやすくし、腸内に発生するガスを除去することで排泄物やおならの臭いを消す消臭食品「シャンピニオンゼリー・ニットー」として製造・販売を開始する。
ただ作ってはみたものの、最初は販売に対しそんなに積極的ではなかったと谷川氏は言う。
「当時、消臭ブームは今が絶頂という感じで、これから入っていった所で、一般消費者には売れないだろうと思えたんです。
ただ、自販機事業のパートナーである富士電機さんたち古河グループの中に日本ゼオンさんという会社があり、その傘下にゼオンメディカルさんという会社がありまして。そこに、人工肛門(ストーマ)の保有者向けに必要なパーツを売っている人がいたんです。
偶々その人その人がこの商品をとても気に入ってくれ、人工肛門を使っている人をケアする看護師さんたちの集まりで紹介してくれたんですね。それで結構人気になって、喜んでくれる人がいるならと扱っていくことにしたわけです」
挫折と再出発
本社の新規事業創出に成功した新社長・谷川氏は、続けて主軸である自販機部門でも改革に着手。
管理ソフトやネットワークの導入などを通じて、昔のままのやり方を改善し、業務効率のアップに取り組んでいく。
しかし、事はそう簡単にはいかなかった。
カリスマ社長を引き継いだ2代目が古参社員と対立するのは事業承継の常だが、社内の派閥やしがらみ、今までのやり方への固執は予想以上に強く、改革は頓挫。
数年間試行錯誤を重ねた後、谷川氏は遂に自販機事業を担う子会社2社を売却し、日東製薬株式会社のみでやっていくことを決意するに至ったのだ。
その決断を谷川氏は「私に力がなかったということですね。反対する人は全部切ってでも断行すればよかったかなと今なら思いますが、当時は新しい人が来てくれるのかという不安もありました」
と振り返るが、日東製薬株式会社一本でいくことへの抵抗はなかったという。
その理由は「〝シャンピニオンゼリー・ニットー〟は、ストーマをお持ちの方の間では少ないながらも確実にニーズのある商品でした。
また、永久的なストーマを持ち身体障害者手帳の交付を受けている人は、市町村から日常生活用具の給付を受けることができる〝ストーマ装具給付券〟という制度があるのですが、同商品は対象に選ばれてもいました」とのニーズと信頼があったからだ。
ただ、予想に反した逆風もあった。
地方自治体の財政事情悪化や他のストーマ装具の価格上昇などにより、2000年頃から給付対象から同商品を外す市町村が増加。それでも購入してくれる人は多いものの、売り上げは多少落ちてしまった。
そんな現状への対策として谷川氏が行ったのは、シャンピニオンゼリーニットーの成分を見直し、腸内環境を整える乳酸菌やオリゴ糖を追加したこと。
「お腹の調子も整えてくれる」製品にすることで、ストーマ使用者とその家族という範囲を超えて、広く一般の消費者へのアピールを始めている。
介護現場での利用を阻む壁
おならや排泄物の臭いを抑え、腸内環境を整えてくれる製品であれば、一般向けにアピールする前に、高齢者介護の現場にアピールすれば需要があるのではないかと思える。
確かにそうなのだが、実際に今介護を受けている人に食べてもらうには別のハードルがある。
「介護を受けている人に食べてもらうには、周りの人がその必要性を認めすすめてもらうことが不可欠です。
ただ、実際に介護に携わっている人たちは、ご家族の意向に外れたことはできません。
そしてご家族は、排泄物に関しては〝自然なものを処理すればいい〟と考える方が多いので、なかなか商品が普及しにくいんです」と谷川氏。
一般向けにPRしているのは、そういう事情もあってのことだ。
必要とされる場所に確実に届けたい
社会の高齢化に伴い、介護現場だけでなく排泄やおならのトラブルに悩む人の数は、今後も増えていくことが予想される。
そんなニーズのある所に確実に商品を届けることで、悩みを解決することが、今の同社がめざす所だ。
「尿漏れパッドはここ10年ほどで急速に普及しましたが、その先に排泄のコントロールができなくなり、オムツになった時の排泄物やおならの臭いはまだ注目されていません。
でもおしっこと同じように、悩んでいる人、モヤモヤしている人は必ずいるはずですし、また若い人でも排泄で困っている人はいます。どうすればその人たちに届けることができるのか、それを模索しているところです」
その答えは簡単ではないかもしれない。しかしもしパズルが解けたなら、多くの困り顔が笑顔に変わることだろう。
●谷川正記(たにがわ・まさのり)
1959年、東京都文京区生まれ。
東海大学文化社会学部広報メディア学科を卒業後、東京日産自動車販売株式会社に入社。
父の病気を機に1年後に富士電機冷機株式会社(現富士電機)に転職し、7年間務めた後、関連会社・日東パシフィックベンディング株式会社を経て、1994年に日東製薬株式会社の社長に就任。現在に至る。
●日東製薬株式会社
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