藍澤證券株式会社 – 超リテール証券という新たなるカタチ あらゆる枠組みを超えたソリューションサービスで中小企業の課題解決に取り組む老舗の挑戦
相続や事業承継、あるいはマーケティングや販路開拓に悩みを抱えたとき、誰に相談するだろうか。
個人・中小企業が直面するさまざまな課題解決へ向けて真摯に取り組む証券会社がある。
今年7月に創業100年を迎える藍澤證券株式会社(東京都中央区)だ。
「より多くの方々から信頼され、『株屋』と呼ばれない証券会社になることを目指しています」
そう語る代表取締役社長の藍澤基彌氏。
証券業務の枠に捉われない自由な発想とソリューション力で新たな境地を開拓する同社の挑戦は、ともすると証券業界のイメージを一新する試みと言えるかもしれない。そんな同社の奮闘に迫る。
証券会社が開催する話題の「終活セミナー」
会場を埋め尽くす参加者から満場の笑いと拍手が起こる。即席の高座で演じられているのは真打の落語家による終活にまつわる創作落語だ。
一席終わり、続いて演台では税理士などの専門家による争族や葬儀についてのセミナーが始まった。先ほどまでとは打って変わり、誰もが真剣な眼差しである—。
藍澤證券株式会社(東京都中央区)と地域金融機関で共催するこの「終活セミナー」が、今、各地で人気を呼んでいる。
「どの会場も100名を超す応募があり、参加された方からはとても高い評価をいただいています」
そう語るのは同社の3代目代表取締役社長・藍澤基彌氏。
セミナーでは無料の相続税務相談や遺影撮影会なども実施、大学や医療法人と連携した健康に関する企画も人気だという。
「『より多くの人に証券投資を通じ、より豊かな生活を提供する』それが創業以来変わらない当社の経営理念です。しかし、最近ではさらに高いステージを目指し、より多くの方々のお役に立てるようなサービスの提供を行っています」
同社では6年前から証券投資の枠を超えたさまざまなソリューションサービスを展開し、相続対策や事業承継、ビジネスマッチングなどをサポートしている。
先の終活セミナーもその一環である。
今年の7月で創業100年を迎え、業界内では「アジア株のアイザワ」として知られる同社が次なる100年に向けて描くビジョンとは何か。
果たされていない証券業界の責務
バブル経済が崩壊し、低金利時代を迎えた当時、政府は「貯蓄から投資へ」のスローガンを掲げた。
しかし、20年来謳ってきたそのスローガンも最近では「貯蓄から資産形成へ」と切り替えるようになった。
これは日本の家計金融資産のうち株式・投資信託の占める割合が予想以上に伸びていない状況を受けてのことだ。
金融庁が発表した「平成28事務年度 金融レポート」では日米の家計金融資産を比較しており、過去20年間での両国の増加率が示されている。
それによれば、日本は1.5倍、アメリカは3,3倍である。この差はどこで生じたのか。
金融庁が着目するのが家計金融資産の構成比だ。
日本では約5割を現金・預金が占め、株式・投信は2割に満たない。
一方、アメリカでは現金・預金が約1割、株式・投信は5割弱となっている。
また、過去20年間の運用リターンによる増加率は日本が1.2倍であるのに対し、アメリカは約2.5倍、つまり、投資だけで金融資産を倍以上に増やしているのである。
「この事実は業界としても、当社としても社会的責任を十分に果たせていない証左であると考えています。つまるところ、我々は国民の皆様から信頼されていないのです。金融庁も証券会社の多くが目先の手数料収入にとらわれて顧客本位の業務運営を行っていないことを指摘しています。
では、我々は何をすればいいのか。どうすれば信頼が得られるのか。その課題に真正面から取り組もうと6年前からさまざまな改革に乗り出しました」
「正しい証券」を普及するために
同社の歴史は1918年に藍澤彌八氏が証券業を営む港屋商店を継承したことから始まる。
その後、彌八氏は一般取引組合委員長を経て、国策として株価をコントロールするための機関・日本証券投資株式会社を設立したほか、東京証券取引所理事長を務めるなど、戦後の証券業界の再興に尽力する。
同氏は晩年、継承時に多額の借財を抱えていた港屋商店を建て直すことができた理由を、そして長きにわたり証券業界に携わってこられた理由を「思惑をしなかった」からだと述べている。
「思惑」とは、証券などを将来の値上がりや値下がりを見込んで、つまり「思惑」で売り買いする「思惑売買」のことであり、いわゆる「投機」と同義である。
「戦後は父・吉雄が二代目に就任しましたが、彌八も吉雄も投機は扱わず、もっぱらお客様の取引のお手伝いをすることに心血を注ぎました。
当時、証券会社は『株屋』と呼ばれ、株の相場の変動で財を成す会社が多く存在し、極端な言い方をすれば、自社が儲かりさえすればいいという考えの会社も少なからずありました。
そうした中、父は『より多くの人に証券投資を通じ、より豊かな生活を提供する』という経営理念を踏襲し、株式中心の委託売買業務を推進しました」
吉雄氏は大手企業などの大口の顧客を対象としたホールセールではなく、個人や中小企業などの小口の顧客を対象としたリテール取引に軸足を置き、フェイス・トゥ・フェイスの営業スタイルを徹底した。
同時に営業員の地位向上に注力し、教育研修を積極的に実施した。
「父は誠実にお客様と接し、お客様からのご注文を媒介した適正な対価によって収益を上げる、そうした『正しい証券』の普及のために日々取り組んでいました」
失った信頼の回復を目指して
基彌氏が代表取締役社長に就任したのは1979年のことである。
それまで受け継がれてきた経営スタイルやビジネスモデルをさらに確立するため、同氏は銘柄分散によるリスク回避を行いながら、同時に長期保有に向いた銘柄によって安定したリターンが得られるサービスを取り揃えるなど、顧客目線に立った営業方針を徹底する。
「長期投資は売買の回数が少なくなるため、証券会社の収益にはあまり繋がりません。しかし、お客様にとってはより高い投資成果を得られる可能性が高くなります。
そして、もう1つ、私が最重要課題としたのが預かり資産の増加です。
お客様の資産を少しでも多く増やしていくことこそ、我々の使命であると考えました。
ただ、証券市場は景気の変動を直接的に受けやすく、まさに山あり谷ありです。
バブル景気で沸いたころ、3万8000円台を付けた株価は、バブル崩壊後には8000円を割り込み、預かり資産を大きく毀損してしまったことがありました。結果的にお客様の信頼を失い、会社としても厳しい状況に追い込まれました」
時代は失われた20年に突入し、経済が低成長を続ける中で同氏は信頼を取り戻すために試行錯誤を重ねた。
その1つが、長きにわたり受け継がれてきたフェイス・トゥ・フェイスの営業スタイルをさらに徹底、進化させることだった。
「我々にはこれまで培ってきたノウハウや知識があります。ですから、必ずお客様のお役に立つことができるという自信を持っていました。
問題は失ってしまった信頼でした。
当社は創業以来、お客様の豊かな生活の実現をお手伝いすることを主眼に営業を続けてきました。それならば、そうした伝統に則り、お客様がお困りになっている金融に関するあらゆる相談に乗ろう。
あるいは、お客様の将来の生活に少しでも有益な情報を提供しよう。あるいは、お客様が仕事でお困りになっていることを手助けしようと、証券業務以外のサービスであっても積極的に取り組むことにしたのです。
最初は手探りでしたが、徐々に評価していただけるようになり、やがてこの取り組みを戦略的・戦術的に徹底させようという機運が高まりました。そこで打ち出したのが超リテール証券というコンセプトでした」
「株屋」のイメージを払拭したい
創業者の彌八氏は自著『私の履歴書』(財団法人アイザワ記念育英財団)の中で、自身が希望する証券取引が行われていない創業当時の業界の有り様について、「うそをついて金もうけさえすればそれでいい」と考える業者が多かったと回想している。
翻って現在、インターンシップを利用する大学生に同社が証券業界のイメージを尋ねると「博打」「破産」という言葉が返ってくるという。
専務取締役・角道裕司氏はそうした状況に強い危機感を抱く。
「大学生は〝なんとなく〟そうしたイメージを持っているという程度ですが、高齢の方の中には実例をもって我々のことを『株屋』とおっしゃる方もいらっしゃいます。その度に株屋のイメージが決して今は昔ではないことを痛感しています。
超リテール証券の〝超〟とは、英語でいうところのスーパーではなくビヨンド、つまり〝超えていく〟という意味です。
従来の証券業務の在り方を超える新たな存在となり、お客様に喜んでいただくことを第一に考え、株屋と呼ばれない、本当に信頼される証券会社になる。そうした思いを込めて、当社では超リテール証券を目指すことを目標に据えています」
その具体的な方策として6年前から開始したのがソリューションサービスだった。
高齢者や事業主などの顧客に対して網羅的なサービスを提供し、外部の各種専門家と包括的に連携することで顧客が抱えるさまざまな課題を解決する、それがこの事業の概略だ。
「お客様第一という当社の理念に共鳴し、同じ志を持った税理士法人や監査法人、弁護士などの専門家とともに事業承継、M&A、販路拡大、ビジネスマッチング、相続対策などを行っています」と同氏。
2013年には金融商品取引業者として初となる経営革新等支援機関の認定を受け、経営分析、マーケティング、事業計画の策定支援、各種助成金申請の支援など、より広範に、そして強力に経営課題の解決をサポートする態勢を整えた。
「まずはコストを意識することなく気軽にご相談して欲しいと思っています。その象徴として、各地で終活セミナーなどのイベントを開催し、どなたでも申し込める相続や事業承継の個別相談会を無料で実施しています。
聞かれたことにしか答えないなど、専門家の不誠実な対応に不満を抱かれている方はたくさんいらっしゃいます。我々は無料だからといってそうした対応はせず、提案型のソリューションを徹底しています」
当初、相談会を無償で行うことに反対する意見もあった。
しかし、「株屋」のイメージを払拭するためにも、無償で、しかも取引先であるか否かに関わらず実施することを決断した。その判断が吉と出るか凶と出るか—。
ソリューションサービスで得られるものとは?
相談会で最も多いのは相続に関する悩みだという。特に遺産相続をめぐって親族同士が争う「争続」の悩みは深刻だ。
「誰にも相談できず、一人で悩みを抱え込んでしまっている方が非常に多くいらっしゃいます。そうした方の話を親身になってお聞きするだけで、皆さんホッとした表情をされます。あるいは、離れた場所で暮らすご兄弟のもとに我々が外部の先生と一緒に赴き、兄弟仲を取り持つこともあります。
『藍澤さんのおかげで喧嘩にならずにすんだ』と感謝の言葉を頂戴することも多いですね」と角道氏。
ソリューションサービスを実施することで得られる最大の利益は、この「感謝」だと同氏は話す。
「お客様一人一人に寄り添いながら、さまざまなご提案を行い、その結果としてお客様から感謝の言葉を頂戴する。それは営業員の仕事に対するモチベーションとなり、それがきっかけで次の取引に繋がることもあります。
たとえ当社にとって直接的な利益にならなくても、より多くの人々に喜びを提供することが我々の存在意義だと思っています。
そうして積み上げたお客様との信頼関係の中で、我々のことを『株屋』と表現する方々は徐々に減ってきていると感じています」
さらに具体的な成果がある。
それは相続時にほかの金融機関に流出する預かり資産の割合が減ったことだ。フィデリティ退職・投資教育研究所が2017年に発表した調査によると、地方銀行の預金などが相続時に流出する割合は全国平均57.6%だという。これは地方に住む親の遺産が都市部の親族の口座に移ることが原因とみられている。
同社でも同じような状況が続いていたが、最近では流出を1割前後にまで抑えられるようになった。さらには、相続時に新たに契約が決まるケースも増えているという。
すべては「株屋」のイメージを払拭したいという同社の真摯な姿勢がもたらした結果である。
垣根を超えた業務提携を
顧客を第一にしたソリューションサービスを続ける中で、同社の志に共鳴する金融機関との出会いがあった。
2015年に西京銀行(山口県周南市)と、2017年に第一勧業信用組合(東京都新宿区)と、それぞれ包括業務提携を結んだのである。両者とも独自のアイデアで地方創生に取り組み、積極的に中小企業を支援することで知られる地域金融機関である。
「証券会社とほかの金融機関が部分的に提携する例は近年、増えています。
しかし、我々が求めるのは銀行に自分たちの商品を売ってもらうことだけではありません。あくまでクロスボーダー(地域や交流範囲を超える)で包括的に連携し、その地域の人々のより豊かな生活を実現することです」と藍澤氏。
提携後は起業家を支援するためのビジネスプラン・コンテストを共同で開催、またそれぞれの取引先の販路拡大やビジネスマッチングなどを実現している。
昨年末には同社が仲介役となり、西京銀行の防府支店(山口県防府市)で開催された物産展に第一勧業信用組合が提携する各地の信用組合が協力し、それぞれの地域の産品を出品するなど、まさにクロスボーダーでの事業支援が行われている。
「どうしても地域金融機関は営業エリアが限られています。当社は17都道府県に67店舗を展開し、より広範囲での活動や支援が可能です。
さらにクロスボーダーという点では、我々はアジア株式の取扱市場と取扱銘柄数では国内で最大水準を誇っており、強固な海外とのネットワークを持っています。
そうしたことから両金融機関の取引先に対して海外進出支援も行っています」
希望の宅配人として
同社の包括業務提携はこれだけにとどまらない。
2015年に静岡大学(静岡県静岡市)、2016年に徳山大学(山口県周南市)、2017年に近畿大学(大阪府東大阪市)と協定を締結、これにより西京銀行などの取引先も含め、さまざまな産学連携を実現している。
特に静岡大学と取り組むクロスボーダー型インターンシップは昨年、内閣官房まち・ひと・しごと創生本部から証券会社として唯一の表彰を受けている。
同インターンシップは就業を目指す学生に対し、同社の店舗網や西京銀行などの取引先などと連携して地元静岡と遠隔地の2つのエリアで研修を行うもので2015年から展開している。
角道氏はこうした状況を次のように説明する。
「最近では商標登録した『クロスボーダー・ソリューション(垣根を超えた問題解決)』というキーワードを掲げ、我々がお客様の不安を取り除く『Hope Courier(ホープクーリエ=希望の宅配人)』となり、地域や交流範囲を超えて個人・中小企業に向けたさまざまなコンテンツを提供しています。
当社は規模としては中堅企業になりますが、中堅証券会社という概念を持っておりません。
他社と比較出来ない、従来の証券会社ではない新たな存在として超リテール証券を目指し、より多くの皆様に喜んでいただきたいと思っています」。
次なる100年、超リテール証券への道程
同社では現在、チームワーク型の組織運営の構築を目指している。
長らく代表取締役社長として藍澤氏が多くの采配を振るってきたが、社員の主体性を尊重するコーポレート・ガバナンスを従来以上に意識しているそうだ。
同氏にどんな心境の変化があったのか。
「現在、多くの社外パートナーと家族のような関係性を築き、そのネットワークはこれからも拡大する予定です。
そうした状況を考えたとき、お客様第一という方向性はしっかりと社内で共有しつつも、単なるトップダウンではなく、より多くの知恵が集められる体制を形成したいと思っています。そうしたチーム経営を実践することで、今以上にお客様一人一人のニーズや悩みに的確に応えていく。
その積み重ねがやがて超リテール証券の実現につながるものと考えています。その結果、業界全体のレピュテーション(評判)向上に貢献できれば、それは望外の喜びです。
そして、これまでと変わらない対面重視の理念を貫きながら、お客様のため、社会のためになるサービスを提供し続けていきたいと思っています」
今年の7月で創業100年を迎える藍澤證券。彼らにどんなイメージを抱くだろうか。その答えは読者一人一人の胸の内に委ねよう。
あるいは、次なる100年に向けて歴史を刻む同社の歩みこそが、その答えとなるのかもしれない。
「株屋」と呼ばれなくなる日を目指して—超リテール証券を志す同社は、着実に、誠実に、新たなる一歩を踏み出そうとしている。
・藍澤基彌(あいざわ・もとや)氏
1942年生まれ。1965年、慶應義塾大学を卒業したのち、日本勧業証券株式会社(現みずほ証券株式会社)入社。
1973年に藍澤證券株式会社常務取締役、1979年に同社代表取締役社長に就任。
その後、日本証券業協会副会長、同社代表取締役会長などを歴任。現在に至る。
・角道裕司(かくどう・ゆうじ)氏
1958年、奈良県生まれ。1982年に大阪大学を卒業後、株式会社富士銀行(現株式会社みずほ銀行)に入行。
同行証券部長、証券・信託業務部長などを歴任したのち、2010年に藍澤證券株式会社に入社。
常務執行役員などを経て、2017年に専務取締役、戦略企画本部長兼戦略企画部長に就任、現在に至る。
・藍澤證券株式会社
〒103-0027 東京都中央区日本橋一丁目20番3号
TEL:03-3272-3111