株式会社リガルジョイント – オゾン業界のパイオニアが 開拓する、新たな夢を見よ!
本誌が株式会社リガルジョイントを取材するのは、すでに7度目。
「もう話すことも……」と謙遜しつつ、訪問する度に新しい驚きと感銘を与えてくれるのが、代表取締役を務める稲場久二男氏という人物である。
今回は、約2年ぶりの同社訪問。久々、といっても過言ではない。
期待を胸に対面した筆者に用意されていたのは、予想以上の驚きであった。
約2年ぶりの訪問で
「約2年ぶり、ですかね」
開口一番、稲場久二男氏はそう語った。相変わらず、人柄が表れるような何とも穏やかな口調に筆者もほっとする。
同氏が代表取締役を務める株式会社リガルジョイントは、神奈川・相模原市を拠点とする中小企業。「生まれも育ちも相模原」である稲場氏が1974年、自身が30歳のころに立ちあげた。
いまや、地元有数の優良企業である。
いまさらな説明ではあるが、思えば本誌が初めて訪問した際の同社は一般的なモノづくり中小企業であった。
主力事業は精密機械、特に流量センサーやホース用継手、逆止弁をはじめとする流体関連機器の開発、および製造販売。
高い技術で定評はあったが、現在のリガルジョイントとは、だいぶ印象が異なる。
転機は数年前。環境ビジネスに本格的に取り組み始めたこと。ちょうど、本誌が初めて訪問した時期でもある。
次の時代を睨み、「未来は、環境事業だ」と見据えた同氏が「オゾンの殺菌力、脱臭力、漂白力、浄化力」に着目。
それがきっかけとなり、オゾンガスの製造装置の開発事業をスタートさせた。
やがて、独自の研究開発に成功。自社に雨水と自然の熱エネルギーを活用した「熱を放出しないビル」を建設するなど、世間からも目を引くようになり、あれよあれよという間に「オゾン事業といえばリガルジョイント」と言われるまでに成長した。
「この数年間は文字通りあっという間でしたね。時間が過ぎるのは本当に早くて、見逃していたことがあったのではないかと心配するほどです」
そう、目を細めてため息をつく。
おそらくそれは、それほどまでにオゾン事業に精力を傾けていた、という証だろう。そう伝えると、ぽつりと気になる言葉をこぼした。
「不思議なことに、何かを熱心にやればやるほど『次はこれを』と新たな欲が出てしまうものなんですよね」
東日本大震災にはボランティアとして参加
また、以前から紹介しているように、稲場氏は自社の経営だけではなくさまざまな公職にも就いている。
相模原市商工会議所工業部会長、同市産業振興財団理事などなど、挙げればきりがない。
当然ながら役職に就くのは、「偉くなりたい」わけではない。
同氏がそんなタイプではないのは、数分でも対面したことがあれば誰にでも分かるはずだ。
そこにあるのは、「地域のため、中小企業のため、人のために役に立てるならば」という、ごくシンプルな思い。そして、「自分が人に支えられてきたのだから、その恩返しになれば」との気持ちだけだ。
「大げさな話ですが、身体が動くうちは働いていたい。人様の役に立てる存在でありたいですから」
今年68歳の稲場氏が発するにはまだ早い話のように思えるが、そこには子息、純氏の存在があるのかもしれない。
すでにリガルジョイントに入社し、営業職として手腕を振るっている同氏は、誰が見ても後継者としてふさわしい人材に育ちつつある。
「そろそろ世代交代してもいいのかな、とは数年前から考えていました」
だが昨年、2011年は日本にとってまさに激動の年であった。穏やかに未来を見据えていた稲場氏にとっては、まさに胸が痛む出来事の連続だったであろう。
「円高やタイ洪水などの問題も決して無関係ではありませんが、何よりも東日本大震災ですよね」
リガルジョイントには、震災そのものから受ける影響はさほど大きくなかったというが、「相模原市として何かできることはないかと話し合い、当社としては支援物資を送ることになりました」とのこと。
詳しく聞いて、驚く。それは一般的に「支援物資」と呼ぶにはあまりに大きなものだったからだ。
「ちょうどタイミング良く、第2工場に使用していないコンテナが10機あったので、それを送りました。運べばそのままオフィスとして使えますからね。
コンテナは市がトレーラーで運んでくれたのですが、大きいものは解体して運びますから、私たちも現地に出向いて屋根などの溶接を手伝いました。久しぶりに汗だくになりましたよ」
稲場氏はさらりと話すが、もちろん容易なことではない。
改めて感じた〝国〟への疑問
「何百箇所にも溶接を施して、へとへとになって、帰ってきたら久しぶりに大風邪。寝込みながらも、こういうカタチで、自分の能力を生かせるようなボランティアもあるのだな、と思いましたね」
被災地でボランティアをして過ごした数日間は、稲場氏にとってどのような時間だったのだろうか。
その表情から見て間違いないのは、何か大きなものを得た、ということだろう。
やがて相模原に戻ってきた同氏を待っていたのは、連日報道される原発問題だった。
「これはもう、東日本大震災以前からの問題ですが、この国の政治はどうにもこうにも間違っていますよね。それが昨年の震災を経て、ますます露呈してきた。このままでは『国には頼れない』との思いが強くなる一方ですよ」
原子力発電の安全神話は脆くも崩れ、各地で電力会社への批判が相次ぐ。
震災発生から約1年が過ぎ、日本はいま、運営方法も含めて「エネルギー」について根本から考え直すべきときを迎えている。
だが、現実はなかなか進まない。
国は責任を押しつけ合うだけ。団結すべき政治家たちは、ののしり合い、互いの足を引っ張ることばかりに注力しているようにしか見えない。
大手民間企業にしても、昨年から続く円高、タイ洪水などの影響で自分たちの身を守ることでいまは精いっぱい、あるいは正論を述べることはできても、そこに行動が伴わないのが現状であろう。
言い切ってしまえば、いま、この国を牽引できる力を持つ者、有識者のなかには、未来のエネルギー問題を真剣に考え、皆が納得できるような明確な答えを出せる人材がいないのだ。
「どうにかしなくては、このままでは日本は崩壊してしまう」
「引退」を考えていた稲場氏の脳裏に、「最後にこれだけはやらなくては」との強い考えが浮かんだ。
「それは、オゾン事業とはまったく別の新規事業。なんとなく思い描いていたものが、この1年でカタチになってきた。必要に迫られて、というのもありますが」
そう、現在、稲場氏が進めんとしている事業、それが燃料電池関連事業である。
新規事業で、目指した意味での〝ジョイント〟を実現
「進行状況などの具体的なことは、まだお話しできません。
ただ燃料電池そのものというよりも、それをいかに蓄電していくかということを、私たちは考えています。
燃料電池に関しては大手がすでに取り込んでいますが、重要なのはそのエネルギーをいかに蓄え、効率良く使用できるか。そのためには、いままでにない新しい技術を生み出さなくてはいけないのです」
そこに、リガルジョイントが参入しようと言うのだ。勝算について尋ねると、ただただ、にこやかに返すのみであったが、続けて次のように話してくれた。
「燃料電池事業を成功させ、業界全体を盛りあげていくために工業会や新しいネットワークの設立、構築を考えているのです。
一つひとつの力は小さくても、組めば強大な勢力になる。当たり前なことですが、いまはそれを見せつけることも必要なのです」
思わず、こちらの期待も膨らむ。
そこで筆者はふと、以前稲場氏がリガルジョイントの「ジョイント」の意味を教えてくれたことを思い出した。
「ジョイントもつくっているので、そちらと思われがちなのですが、本当の由来はネットワークの意味のジョイントで……」
本来、目指していた意味での「ジョイント」。それがようやく実現しようとしているのだ。
そして最後に、「世代交代については、遅くとも今年中を考えています。逆をいえば、それまでにこの新規事業を完了させなければならない。できれば、軌道に乗るところまで見たいと思っているのですが」と締めくくった。
かつて環境ビジネス、オゾン事業をスタートする際に「第二創業」と呼んでいた同氏。
満を持してスタートする新規事業は、リガルジョイントの「第三創業」となるのか。
今後の同社の動向に、注目していきたい。 ■
稲場 久二男(いなば・くにお)氏
■略歴…1944年、神奈川県相模原市生まれ。高校を卒業後、ガス会社入社。サラリーマン生活の傍ら、夜学で学ぶ。
1974年、リガルジョイントを設立。
相模原市商工会議所工業部会長、相模原市産業振興財団理事などの公職も多数兼務。
●株式会社リガルジョイント
〒252-0331神奈川県相模原市南区大野台1-9-49
TEL:042-756-7567