常識を逸するアイデアで業界に新風を吹き込んだ装置メーカー

「中小規模だが、離れた場所に親会社がある。主力取引先は大手部品メーカー」。

これだけを聞けば、おそらく多くの中小企業経営者が「なんと恵まれた企業、なんと羨ましい条件の経営者だ」と思うはずだろう。

例に漏れず、筆者もその一人であった。しかし、百聞は一見にしかずとはこのこと。今回ほど、そう身をもって感じたときはない。

 

 

リーマン・ショック後に訪れた、さらなる衝撃

「君、社長にならないか」

その人物が親会社のトップにそう声をかけられたのは、2年半ほど前のことだった。

それは勤めていた先が親会社の「一工場」である立場を離れ、「一企業」として独立し、2年が過ぎたころであったという。

 

親会社は同族経営が主流。

関連会社とはいえ、代表にプロパーの社員が選ばれたのは名誉であり、実績をつくりあげた証だ。通常であれば、両手を挙げて受けるべき辞令である。

だが彼は苦笑しつつ、当時の率直な感想を次のように話してくれた。

「正直な話、素直に心底嬉しいとは思えませんでした」

タイミングこそ違えば、確かに喜ぶべき話、ではある。しかし、当事者であればためらうのが当然だ。

 

考えてみてほしい。「いまから2年半前」とは、2009年前半ごろ。

その当時の日本経済がどのような状況であったか、皆さんはまだ忘れてはいないだろう。

2008年10月。絶対的な存在であった米大手証券、リーマン・ブラザーズ社の経営破綻が生じた。そこから引き起こされたのは世界規模での大不況、いわゆるリーマン・ショックだ。

直後、2008年内にも市場には十分過ぎるほどの混乱が見られたが、それは一時的なものではなかった。このことは、いまであれば誰もが知っている。

 

年が明けてからも、日本経済に回復の兆しはなかった。

日経平均は今年3月の東日本大震災後より低い、終値ベースでの8300円割れを記録。その影響は同年の決算状況にもはっきりと表れていた。

 

「それまでの業績がかつてないほど好調であったため、落差が激しかったですね。月並みですが、悪い夢でも見ているかのようでした」

厳しい表情でそう振り返るのは今回訪問した設備メーカー、株式会社カサイテクノの代表取締役社長であり冒頭の「人物」、瀧本好美氏である。

 

 

 

引き受けた心の奥にあるものは

リーマン・ショックの余波は、日本の製造業、特に中小モノづくりに対し、いやらしいほどジワジワとその「闇」を広げていった。

おそらくそこから生じたのが物理的な不況だけではなく、「モチベーションの低下による景気の悪化」もあったためであろう。

 

筆者が思うに、常に強気な経営を続けている大企業ほど不意打ちに弱い。

中小企業に比べ、突然の不況に対する臨機応変さがないのだ。それが結果として、安直な「生産縮小ムード」へとつながった。

そんな大手メーカーに沸き起こったネガティブ志向がゆっくりと下請けに流れて、いまなお、中小モノづくりに影響を及ぼしているのだ、と考える。

 

だが、そんな話をいまさらしても仕方がない。

「まあ、恨み言を述べても意味がありません。お客さまがいる限りは常に100%の完成度でモノをつくり、あとは目の前にある課題をクリアできるよう、必死で努力するだけですよね」

瀧本氏もそう語る。そのはっきりとした考えから、やはり中小モノづくりは強いと再認識させられた。

 

またすでにお気付きのように、結果として同氏は親会社からの辞令、代表取締役社長の職を受け入れた。

決して「すんなり、二つ返事」ではなかったようだが、「この業界に入り40年近くが過ぎていましたから、何か恩返しができるかもしれないという思いもありました。単純に自分を指名してくださったことに対して感謝の念を抱いたというか、『よし、やってやろう』と奮起したというか。どの道、突っぱねるようなことはしなかったですね」と穏やかに答える。

古くさい言い回しだが、そこには「愛社精神」も存在していたのかもしれない。

 

カサイテクノの親会社とは、愛知・北名古屋市に本社工場を構える株式会社カサイ製作所。

主力事業は、自動車用スイッチメーカーだ。同県で自動車製造が盛んになり始めた時期、1957年に誕生した老舗である。創業者である同社の先代会長、葛西正男氏が一代で個人事業から、現在のように4工場と関連会社を抱える中堅企業にまで成長させた。

一方のカサイテクノは、紆余曲折を経ていまがあるのだが、それを説明するのは現在同社を牽引する瀧本氏自身の歴史を振り返る必要がありそうだ。

 

 

 

「私は生まれてから還暦を迎える今年まで、この地からほとんど離れたことがないのです」

カサイテクノが本社工場を置くのは、長野・駒ヶ根市。「東洋のスイス」とうたわれる諏訪からも近い、壮大な自然に囲まれた地域である。何よりも自慢はまだ新しい社屋。

「外見から、〝脱・町工場〟を目指したのです。窓を大きくして、社内から見る外がキャンバスのようになるよう、工夫しました。ここでお金を使い過ぎたので、親会社も呆れているかもしれませんが」

 

瀧本氏は、団塊の世代より少しあとの1952年生まれ。地元の工業高校を卒業した後、地元の企業に就職した。

「学んでいたのも実務的なものでしたから、ごく当たり前に機械工になりました。こう見えてもなかなか腕がよくて、技能検定では県内1位の成績を収めたりしたのですよ」

そう話す姿は、まるで少年のようだ。いまでこそ社長職に就いているが、元来モノづくり、現場が好きでたまらないのだろう。その思いが、自然とこちらにまで伝わってくる。

 

しかし、人生とはうまくいかないものだ。

「長く勤めているとこちらの思惑通りにはならないことがありますよね。結果的に管理や営業など、さまざまな職に従事するようになったのです」

それに不満を感じていたわけではない。だが入社から17年ほど経ったころにふと、転職を思い立った。

「35歳ですから、男として何か節目的なものを感じていたのかもしれません。入社したのは小さな加工メーカーでした。私の培った営業力を買ってもらえたようで。小さい分、任されることも多くて勉強になったのですが……」

なんと、数年後に倒産。

「あの屈辱感、悲壮感たるや、言葉では表現できないですね。会社をつぶすということの罪深さ、意義がよく分かりました」

 

しかし、落ち込んでばかりもいられない。ともにしのぎを削って働いてきた仲間と「どうしていこうか」と考えた末、取引先であったカサイ製作所に話を持ちかけてみることにした。

「自分たちならば、このようなモノがつくれます、とアピールしたのです。ダメもとでしたが、同社の現会長がそれを採用して、工場を借りてくれることに。それが、カサイテクノの前身となるカサイ製作所長野工場の始まりでした」

 

ゼロからのスタート。それは、逆に瀧本氏に対して良い意味で肩の力を抜かせ、「自由」を与えた。

やがて顧客からの「こんなの、できない?」といった未知の要望に対し、柔軟な発想で次々と製品を開発していく。

 

 

私がトップでいる限りは……

現在、同社の主力製造品の一つが車載用コネクター組立機である。

最大の特徴は異品種に広く対応できる汎用力。一般的にプレスの金型、成形やドリル等の治工具の取り替え、組立部品や部材の切り替えなど、「段取り替え」と言われる作業が短時間で行えるのだ。

 

「もともと、私たちの専門ではなく、『理論上、そんなものはできない』と言われていたのですが、それを可能にしてしまった。おかげでその専門業界から半ば総スカンを食らいかけたこともありました」と瀧本氏。

それは逆恨みもいいところだが、「業界には業界のルールがある。仕方ないですよ」と苦笑する。

 

しかし、「最近になって、業界の方から『あなた方のような企業に新風を』と歓迎してくださるような声も聞かれて」と感慨深げに語る。

 

これによる利点は、トヨタ自動車の生産方式として知られる「ジャストインタイム生産システム(Just In Time=JIT)」を可能とすること。

「実は、最も大きな取引先がトヨタ関連の電装部品メーカーなのです。それが直接関係しているわけではありませんが、おかげで効率よく生産できるようになったと言われるようになりました。お客さまに喜んでいただけることが何よりですからね」

11月に開催されたビッグサイトの展示会ではロボットを出展

JITとは、ひらたくいえば「必要な物を、必要な時に、必要な量だけ生産する」ことである。

モノづくりの基本ともいえる考えでもあり、だからこそ難しい。それを実現する設備をつくりあげたことは、「世界とも戦える武器を手に入れた」と同等、といっても過言ではないだろう。

「つくりあげた企業はウチだけ、とは言い切れませんが、利便性とともに『公表して販売している』のはおそらく一社ではないかと思います。これが広まれば、私が考える目指すべき日本のモノづくりも見えてくるはずです」

 

同氏が理想とするモノづくりとは、「多品種多量」。

特殊な一品ものの製品はもちろん、量産も日本国内の工場で担う。それが実現できれば「どこに脅かされることもなく、世界と対等に渡り合えるはず」と話すが、「それが、かつてのモノづくりだった」と少々、寂しげだ。

 

やがて、2009年に前述の通り代表取締役社長に就任。かつては「賞与が月給の8カ月分だった時代もあった」が、いまはそんなことは言っていられない。

瀧本氏は最後に、「あとから聞いた話だと、どうやら一度、カサイ製作所としては当社を売却する準備を進めていたとか。私がトップでいる限りは、今後も絶対にそんなことはさせませんが、さらなる利益を出して驚かせたいですね」と強気に締めくくった。

 

モノづくり40年の技術力と、長野・駒ヶ根の自然で培った強い意志。その二つをもつ瀧本氏が牽引する限り、カサイテクノの未来は明るい!

 

 

●プロフィール

瀧本好美(たきもと・よしみ)氏

1952年、長野県生まれ。

1971年、地元の工業高校を卒業後、2社で技術、営業力を培う。

1993年、勤めていた企業の倒産を機に、カサイ製作所に入社。2006年、同社長野工場独立とあともにカサイテクノに移籍。

2009年、同社代表取締役社長に就任し、現在に至る。

 

株式会社カサイテクノ

〒399-4117長野県駒ヶ根市赤穂15-503

TEL :0265-83-4160

URL:http://www.cek.ne.jp/~nakasai/

 

 

本記事は2012年1月号掲載記事をもとに構成しています。