株式会社環境浄化研究所 – 原発がなくなると、 暮らしも産業も 環境対策もたちまち 行き詰ること明々白々
「想定外、想定外と言いますが、その想定外のことまで視野に置いて研究するのが我々科学者の役割です。その意味で10年以上も前から議論し、指摘もしてきたことです」
福島原発に万一のことがあったときの、放射能流出の可能性である。
言葉の主は、旧日本原子力研究所で長く放射線化学の研究に携わり、現在は原子力の民生利用に数々の製品を開発し、世に送り出している環境浄化研究所(群馬県高崎市)の代表取締役社長、須郷高信工学博士だ。
無論、原発に関していえば推進論者である。しかしその言葉からも分かる通り、俗に言う御用学者ではない。
その須郷氏がこの事態を受けて何を考え、何を訴え、何をしようとしているのか。いわゆる原子力村のお歴々も、反原発を叫ぶアジテーターの方々も、しばしその話に耳を傾けられたい。
失敗から何ら学ばない関係者は即刻退陣せよ
人は失敗から学ぶ、という。もちろん他人の成功例から学ぶという〝効率的な〟方法もないではないが、より現実に即してという意味では、同じ学びでもその深さにおいて前者には到底、及ぶべくもない。
どんなケースであれ失敗そのものは辛いことだが、同時にそれは、またとない貴重な学びの機会でもあるということだ。失敗は成功の母、といわれるこれがその所以である。
しかし、と分かっていながらまた同じ失敗を繰り返すのが人の常でもある。何故か。脳科学者の茂木健一郎氏によると、理由は主に次の2つだそうだ。
「1つは記録を取っていないこと。何をやって、どういうプロトコル(方法や手順)でやった結果が、どうなったか。その記録と結果の対照表がなければ、失敗を解析して学ぶことができない。
今つは心理的障壁だ。人には失敗するとどうしてもそれを忘れたいという心理が働く。この障壁がなかなか乗り越えられない。だから失敗に対してきちんと向き合うことが難しくなる」(要約/NHK・プロフェッショナル仕事の流儀より)
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そこで本題に入ろう。
誤解を恐れずに言う。
須郷氏の話を聴いて益々確信したが、昨春から今にかけて東北の人たち、いや、(自覚があるかどうかは別にして)この国とこの国の民を苦しめているあの忌まわしい福島原発事故は、紛れもなく〝失敗〟である。
誰の失敗か。直接的には東電の失敗だが、東電にそうさせた行政府の失敗であり、行政府にそれを許した政治家の失敗であり、議会制民主主義である以上、そういう政治家を国会や政府に送り出した、国民の失敗でもある。
しかるに今現在、その失敗のツケを払わされているのがひとり東北の人たちだけ、というところにこの問題の難しさがあると言っていい。
要するに東北以外の人たち、とりわけ東京に住む東電の経営陣や官僚、政治家たちに(失敗した)という意識がない。寝る間もないほど対応に追われていたのは確かだが、何ら実損となるツケを払わされていないからだ。
あるのはおそらく、(千年に1度の天災が選りによって俺の時代にくるなんて)という怨嗟の念だけだろう。したがってこの失敗から、彼らは何も学ぼうとしない。学ばないのであれば、いずれまた同じ失敗を繰り返すことは必定だ。したがって原発を任せるわけにはいかない。
ちなみに前出の茂木氏は、こうも言う。
「自分の失敗に気付いてなお学ばないとすれば、それは心理的な理由によるところが多い。それ自体が機会の損失だ。その時間が長引けば長引くほど、取り返しのつかない事態になりがちである」
即刻、ご退陣いただくほかない。
許せない!人々の恐怖心を煽る心ない〝科学者〟
それはそれとして、言わずもがなだが復旧・復興は待ったなしである。
「もちろん補償は大切です。きちんと、それも速やかに行う必要があります。またボランティアも大切です。去年の漢字に〝絆〟が選ばれましたが、それに恥じない素晴らしい活動だったと思います」(須郷氏、以下同)
しかしそれらは、言ってみれば単なる〝富の分配と労力の分担〟に過ぎない。俗に言う血止め、対症療法である。並行して、しかも着実にやらなければならないのは、
「今現在、あの建屋の中で何が起きているのか。それは何故起きたのか。
1日も早くそれらを科学的に検証し、除染や冷却、溶炉や電気経路の回復といった根本治療を施すとともに、2度と同じことが起きないよう新たなプログラムを立てて、速やかに実行することです。これは国の仕事であると同時に、我々科学者の責務でもあります」
にも拘わらずと前置きして、須郷氏はその温和そうな風貌にも似ず、怒りを露わにする。
「視聴率や発行部数を稼ぎたいメディアに乗せられたか、このときとばかり売名行為に走ったかは知りませんが、科学者を名乗る大学教授があることないことを、それも、放射線を青酸カリや猛毒のサリンなどと同等に扱って、人々の恐怖心を煽っているんですね。
これは如何にも暴力団員のような風体をした輩が、善良な市民の喉元に凶器を突き付けるのとまったく同じで、とても許せる行為ではありません」
放射能は確かに怖い。したがって万が一とはいえ、放射能を流出する可能性のある原発などというものは、なくして済むならなくすに越したことはない。
しかしなくすと日々の暮らしはもちろん、産業界の活動も、地球温暖化対策も、たちまちのうちに行き詰ることが明々白々なのだ。
そもそも仮に原発そのものが悪いというのであれば、毎年毎年、この国だけでも1万人近くの罪のない人を殺し続けている自動車は、いったいどう評価すればいいのか。そういえば今でこそ聞かなくなったが、自動車もかつては〝走る凶器〟などと言われ、忌み嫌われたものである。
「要するに何でもそうですが、メリットもあればデメリットもなくはない、ということです。その意味では、無闇に怖がるのではなく、きちんと知って正しく怖がることが肝要です。
あんな事故のあった後ですから、原発に反対されている人たちのお気持ちも言い分もよく分かります。しかしここは、現実から目を逸らさず、冷静に考えるべきときではないでしょうか」
心ない風評やアジテーション(煽動)に惑わされることなく、科学的データに基づいた理性ある判断をしようということだ。
事故は研究所で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!
それにしてもこの人の話を聴いているとつくづく思うことが1つある。我々モノ書きもそうだが、科学者にも、格闘技の選手と通じる根性勝負、体力勝負といった側面が多いにあるということだ。
「世の中に役立とうと思う科学者にとって大切なのは、身を以って知る、ということです。サンプリング1つするにしても、こちらで待っててやっていては、現場で今何が起こっているのか正確には掴めません。
ですからもう何度も現場に足を運んでいます。先だっても、千葉大大学院の教授や学生ら5人といっしょに行ってきましたが、腰に付けたサーベイ・メーター(放射能測定器)が至るところでビービーと鳴り出すんですよ。そんな中で汚染物質やその濃度を調べ、それに合った吸着材の合成をしたり、実際に除染をするんですね。文字通り〝生きた学び〟です」
あの青島巡査部長じゃないが、事故は研究所で起きてるんじゃない! 現場で起きてるんだ! 踊る大捜査線ならぬ、踊る大放射線といったところか。
「それも私たちベテラン科学者の責務の1つでしてね。次の世代の若い人たちを育てなければいけないんですよ。それでなくてもこれからの原子力研究はたいへんですから、政府もつまらないところに金を遣わないで、そういったところに補助金なり助成金なりを出していただきたいですね」
ちなみに何泊の〝旅〟だったかは聴き漏らしたが、周辺の話によると費用は一切、須郷氏側の自腹だったようである。頭が下がる。
生活用品についてはほぼ目的達成 今年は海洋汚染の浄化に軸足シフト
本稿の取材意図とは離れるが、最後に年も改まったということで、今年の事業計画について少しく訊いてみた。
「もともと国の支援の下につくった会社ですから、国のためにというか、人のために役立つ事業しかしません。お陰さまで生活用品については、ほぼ当初の目的は達したと思いますから、今年からは地球環境、とくに海洋汚染の浄化事業に軸足をシフトするべく準備をしています」
その初仕事が福島原発沖の内海の浄化だそうで、同研究所と千葉大大学院とで共同開発したモール状の吸着材を、スダレのように繋いで3層に配備し、放射能の拡散を文字通り水際で止める計画だという。
「それが終わると次は中国をはじめとした新興国の海の浄化です。手法は福島と同じですが、あちらは重金属ですからそれに合った吸着材を今、各方面と共同して、鋭意、研究・開発をしているところです」
環境浄化研究所。今年もまた、目が離せそうにない。
プロフィール
須郷 高信(すごう・たかのぶ)氏…工学博士。株式会社環境浄化研究所代表取締役社長。
1965年日本原子力研究所入所。放射線化学の研究に従事。
1976年長寿命時計用ボタン電池の実用化に成功。科学技術庁長官賞受賞する。
1989年超LSI製造用ケミカルフィルタ、1996年には自己再生型超純水製造装置の実用化に成功、1時間に10トンの製造技術を達成する。向坊賞受賞。
1999年原研のベンチャー支援企業として㈱環境浄化研究所設立。
テレビのコメンテーターや大学の講師として教壇に立つ傍ら、全国各地での講演会の講師として活躍中。
●株式会社環境浄化研究所
〒370-0833 群馬県高崎市新田町5-2
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