山口高弘 

 

巷には、多くの事業の創り方が溢れている。プロスポーツ選手から起業、その後日本最大規模シンクタンクである野村総研(NRI)のコンサルタントに転じ、現在起業家支援を手がける山口高弘氏は、大切なことは売上高や利益額といった数字を求める経済価値だけでなく、人の幸せを生み出す事業価値の両輪を回転させることにあると言う。

 

年間に300人以上の起業家とメンタリングという対話を通して深く触れ合う山口氏は、2つの違和感を持つという。一つは「調達額や売上高、対前年比など数字の競争に奔走している」起業家であり、もう一つは一方で「人の幸せを探究しており、規模や拡大には頓着しない」起業家である。

 

一方で着目しているのは、少数ではあるが存在する、経済価値と事業価値の二兎を追う第三の立場とも言えるスタンスの起業家である。彼らは世の中をよくするためには、人の幸せを生み出す事業価値を創ることと、それをスケールさせることで数字を上げて経済価値を創ることの、両輪を同時に回転させることを使命としている。第三の立場をとる起業家とはどういう存在なのか。

 

 

人の幸せを探究する事業価値と数字を探求する経済価値との両立

山口氏は、「経済価値と事業価値の二兎を追う起業家たちは、経済価値のみで動いているビジネスに対して共感していません」という。

例えばこうである。月額会員で通うことができるスペースビジネスがあったとする。そのビジネスは、スペースが許容できる人数の何倍もの会員をとる。会員になっているにもかかわらずスペースに通わない会員が多いほど利益率は上昇するという構造である。

これらのビジネスは、人の幸せより、数字を重視している。経済価値偏重のビジネスである。

 

一方で、「この一つの店舗でじっくりと事業を行います。これ以上の規模を求めるつもりはありません」というビジネスのあり方、言い換えると事業価値偏重のビジネスに対してももちろん否定をすることは決してないが、違和感を覚える。なぜなら、「幸せにしたい人々がいるならば、どこまでも追いかけていく」のが真摯な姿であり、結果としての数字は必要だからだ。

今回は、「人の幸せを探究する事業価値と、売上や利益額などの数字を探求する経済価値を両立させる」というお話である。

 

若者が続々と起業の世界に飛び込む環境を生み出す彼が持つ独特の視点は、ある人物から投げかけられた「問い」に端を発している。その人物は、戦後最大の思想家と呼ばれる吉本隆明氏。

氏の生前、山口氏は吉本氏との対面の中で、「世の中は、創り出すものではなく、流れを読み、読みの方向に加速させるものである」という指摘を受けた。

 

過去に自分自身で起業を経験し事業売却に至った経験のある山口氏はそれまで、世の中を変える、自分が社会を創るという考え方こそが起業家の考え方であるとしており、「創るのではなく読む」という考え方に衝撃を受けた。

「読む」とは、人々が潜在的に求めていることを読み取り、その方向に向かうことをサポートしていくことを意味している。自分は先導者ではなくサポーターなのだということだ。たとえて言うならば、フェースブックのザッカーバーグ氏が「オープンな社会を創る」と言うのではなく、「人々はオープンを求める」と読んでいるように。

 

山口氏は、「若い起業家は、人の幸せと数字を両立させることを求める」と読んだ。第三の立場をとる起業家だけでない、実は全ての起業家がそうだと言う。規模は追わないと言った起業家は、実は拡大することで多くの人々に幸せを届けたいと潜在的には思っているはずである。一方で、数字の競争に奔走する起業家は、実は人々の幸せな顔が見たいと思っているはずである。こう読んでいる。

ここから、事業価値と経済価値を両立させる経営のあり方を模索するプロセスがスタートした。

 

 

舞台は千駄ヶ谷の民家

千駄ヶ谷駅から徒歩5分。住宅地の一角にその家はある。一見すると、ごく普通の一軒家だが、この家から多くの起業家が輩出されているということで、静かに話題になりつつある。

 

建物としては3階建てであり、なかにはキッチンや卓球台、炬燵などが覗ける。この家の家長の一人が山口さんだ。正式には「Get Out of the Box(GOB) 枠から出よう」という「数字や称賛・承認といった他者軸」(他者に依存するという枠)から出て、「自分の原体験や内的感覚(社会の求めに応じるのではなく、自分のもつ感覚、感性を表出すること)から物事を組み立てる」という生き方を意味する。その生き方をそのまま表した社名「GOB‐IP」のオフィスだ。

 

GOBが育てるビジネスは、どれも斬新であるが、「自分の原体験や内的感覚を基盤にしたものばかり」だ。「原体験や内的感覚」を大切にする。例えば、江戸時代の軒遊びから着想を得た、親の眼の届く範囲で子供を遊ばせられるスペース「PAPAMO」は、子育て、仕事、プライベートの分断に苦悩する人々に向けたサービスだ。

PAPAMOを手がける橋本咲子さんは長崎県五島列島出身。軒遊びが日常の中に存在する環境で育った。ゆるやかに、親であり、一人の個人であり、社会人であることがつながっている環境を体感して育ち、その感性が基盤となっている。

また、それらの感性に、友人が育児ノイローゼになるという原体験が相まってPAPAMO創業に繋がっている。

 

フィットネスとオフィスを融合した「Co-nect」は、こん詰めて仕事をしすぎることで心身のバランスを崩す人々を対象としている。Co-nectを手がける中山友貴氏は、ハードワークの結果身体が動かせなくなるところまでに至ってしまった友人を助けたいという切なる思いが原体験となっている。

 

美術館とワークスペースを融合し絵画からのインスピレーションを得ることで自分が持つ暗黙知を形式知化することを支援する「はたらける美術館」もある。はたらける美術館を手がける東里雅美さんは、「幼少期から家族の助けを借りて体現してきた、人に説明しづらい独特の感覚を大切にする」ことを他者にもおすそ分けしたいという思いが起点となっている。

などなど、個性的で興味深い。

これらは学生や若者が立案したもの。これらの事業には、若者が持つ人の幸せを大切にする「原体験」や「内的感覚」が反映されている。

 

 

もっとも、企画者たちの多くは最初は起業する気のない若者だったという。彼らがその気になり、実際に事業を作る人材に成長していく、その環境を山口氏はどのように生み出しているのか。

 

山口氏は、「人々が本来持つ、人の幸せを願う原体験や内的感覚とビジネスが乖離しすぎてしまっている」と言う。だからこそ、若い人々に対して「人の幸せを願う内的感覚や原体験をビジネスへ直通させるルートを提供したい」のだそうだ。

若い人々は、自分の内的感覚や原体験とビジネスが地続きであると思っていない、言い換えると自分の内的感覚や原体験は自分のプライベートの範囲であり、ビジネスはそれとは全く別のものと思っているが、地続きであると思えた瞬間に、起業という選択肢が自分の中に違和感なく生じることになる。

 

写真 右がPAPAMO代表の橋本咲子さん

 

 

ルーツは何か

山口氏は過去に自分自身で起業を経験し事業売却に至っている。そこでの経験が原体験となり、今の「人の幸せを願う内的感覚や原体験をビジネスへ直通させるルートを提供したい」という思いに繋がっている。

当時、家族を対象としたシェアリングハウスを手がけることを決意した際に、周囲から投げかけられる声は「そんなマーケットはない」「絶対に成り立たない」「やめた方がいい」というものばかりだった。

そのとき強く感じたことは、「目の前に必要としている人々がいるのに対して、絶対に成り立たないという大合唱が起こる」という矛盾はどうして生じるのかという疑問だった。

 

山口氏はその声を振り切り起業し、ある結論に至った。その結論とは、「やめておけ」という大合唱の背景にあるのは「経済価値を事業価値の上位に置く」という固定的な考え方であるということであった。

 

「人々に必要とされていることをまずはやる。その延長上に数字がある」という考え方ではなく、「まずは売上や利益をあげること。人の幸せはその後」という考え方が、批判の背景にあった。

そう気づいた山口氏は、「経済価値は見えないが確実に必要とする人々がいる」領域、大手からすると「知ってるけど、やってない」という領域こそターゲットとすることと、そこで重視するのは「人々に必要とされ、幸福に結びつくかどうか」という基準であった。

これが、山口氏がいう事業価値である。

 

そこから、「人々に必要とされ、幸福に結びつく」という基準を持ち、市場からではなく起業家自身の内的感覚で感じ取れることを事業にすることを支援するようになる。

言い換えると、大規模・早期拡大を前提としない、あえて中規模・中期からスタートするという意思決定をしたのである。

 

 

事業の生み出し方

そんな山口氏は、若者が事業を生み出すプロセスをどのようにデザインしているのだろうか。

 

(山口氏が描く事業を生み出すプロセス)

志 ➝ 体感 ➝ 読み ➝ フォーカス

 

<心から成し遂げたい志を引き出す>

「最初は頭でっかちでいい」と言う。原体験や過去生きてきた過程から育まれる内的感覚から導き出される「人々は、こういうことを求めている」という壮大な構想。志と言い換えることができる。

 

その志は、あくまでその時点では自分の中にある壮大な仮説でしかないもの。ここで「で、それは事業になるの?」「で、いくら売り上げられるの?」とは言わない。徹底して志を問う。重視するのは根拠ではなく、「心から成し遂げたいのか」という点。

 

「若者は、原体験や内的感覚に基づく志を持っていますが、隠して生きている」と山口氏は言う。

 

「それはいくら儲かるの?」という問に即答できないからだ。即答できないことにより自分が蔑んだ目で見られることを回避しているのだ。

 

 

そのような若者に対して、正面から志を問いかける。原体験や内的感覚から導き出される志を自分の言葉で語ることを求める。

 

このためには、徹底した問いとそのための対話の絶対量が必要という。

「ここには何十時間もかけます」と言う。30分や1時間程度では本心から語られる志を引き出すことは難しいのだ。

 

 

<体感知を基盤とした試行錯誤>

次に何をするのだろうか。山口氏は「次は、体感知です」と言う。山口氏は、自戒の念も込めて、次のような批判を口にした。

 

「ある起業家のプレゼンテーションを聞いた時です。その起業家のプランは、『都心の銭湯が一週間に一件のペースで廃業している。復興させなければならない』というものであり、熱を帯びたプレゼンテーションでありました。しかし、『あなたは銭湯にどのくらい通っていましたか?』と質問すると、週に1−2回というものでした。

私が同じ立場であれば昼と夜の1日2回、週14回は通った上で、銭湯について語ると思います。あまりにも銭湯の価値や存在意義を心身で感じる体感が欠けていると感じます」と言う。

 

体感知とは、「自分が志を持って手がけようとしている領域で何が起きているのか、自分の志は誰にとってどんな価値があるのかを、徹底して心身で感じ取ること」である。

体感知を得るためにはまず、自分が生み出したい状態を実現するためにアクションをしてみる。なんでもいい。

すると、「自分が生み出したい状態の、一ミリすらも実現できない」という自分に気づく。無知の知です。一瞬愕然とします。

しかし、そこから試行錯誤が始まります。徹底したアクションの積み重ね。寸暇を惜しんでアクションする。とにかく量が重要です。

 

といってもここの試行錯誤は苦しい試行錯誤という印象はない。「何が起きているのか。自分の志がどうやったら世の中で具現化されるのか」という試行錯誤の連続です。

 

ここでの鍵は「対象となる人物を、幸せにできるサイズに絞ること」と山口氏は言う。究極的には一人に絞る。壮大な構想を、自分が操作できるサイズに小さくする。そこで試行錯誤を続けます。

 

壮大な志は分かったが、「で、あなたの目の前の人物は、あなたが提供する解決策を、お金を出してでもほしがってくれるのか」を問いかける。

試行錯誤の段階では、元々の構想は「大それていた」として、目の前の現実的な構想へと、語弊を恐れずに言うと構想レベルは下げられます。

目の前の人物を通して、「これが人々が求めている価値なのだ」=体感知を得ていきます。

 

 

<「問題解決」が「読み」に変わる>

体感に基づく試行錯誤を経て次の段階では、「問題解決」であった志が「読み」に変わります。

最初に持つ志は、人々が抱える問題を解決したいというもの。どういう問題をどう解決するのかという志。しかし、試行錯誤を続けていくと、世の中が成り立っている原理原則が少しづつ分かってくる。原理原則が分かってくると、自分が過去問題視していたことの多くが実は「仕方がないこと」であるということも分かってくる。

問題を解決しようとしても、実は仕方がないことが多く、解決するのもしようがないことが分かってくる。でも、苦しんでいる人はいる。ではどうするか。

 

ここから、「問題を解決しよう」から「読む」に変わる。人々が今とっている選択肢を変えようとするのではなく、人々が求める流れを読み新しい選択肢を提示するのです。

 

先のPAPAMOでは、橋本咲子さんは当初「大変な子育て期において、親という役割からいかに離れる時間を創るか」という問題に挑戦していました。しかし、子育ては辛いが、親という役割を降ろして自由になりたいわけではないという親の意識が分かってくる。

親という役割から自由になるのではなく、「親という立場だけでなく、一社会人であり、一個人であるバランスが取れる場」を世の中に提起するという、「問題解決」から新たな選択肢を提示するに至っている。

 

 

<押し出されるように「フォーカス」し、そして「拡大」へ>

世の中の流れを読み、新たな選択肢を提示するに至ると、自分の読みに自分自身が導かれるようにして、それまでは様々な分野に手を伸ばしていた人物であったとしても、自分の読みの方向に意思と行動がフォーカスされていきます。

 

起業を成功させるためには退路を断つことが必要と言う人もいる。しかし「それは順番が違う」と山口氏は言う。退路は最初に断つものではなく、自然と絶たれるものだというのだ。

構想が、机上から自分の手にできた時、つまり志が問題解決から読みに変わった時、見えてきた読みに自然とフォーカスされていく。人々が求めるものを心身で感じ取り、求めるものに対する選択を提示していく。

 

そこに退路を立つという感覚はない。押し出されるようにフォーカスしていくという感覚に近い。退路を断てと無理に強いることは、チャレンジできる可能性をつぶしてしまう。自然なフォーカスに導かれ、気づいた時には退路が立たれているということが理想だという。

 

読みに向けてフォーカスされた状態では、経済価値は、探究すべき目標ではなく、事業価値を実現する手段に変わる。

 

「人々は、こういうことを求めている」が心身で捉えられ、押し出されるようにして前進する。一人でも多くの人々を読みの方向に導くために、売上や利益といった数字を伴わせていく。

事業価値を生み出すために、経済価値を高める、このような循環がここからスタートしていく。

 

 

事業価値と経済価値の闘いを制する

現在、GOBには社内ベンチャーが7事業、プレリリース段階のものが10事業、子会社化している企業が1社あるという。

「事業価値を最上位に置いた経営を念頭に置くと、市場が求めるROI最大化を優位に置く圧力にどう打ち克つかですね。」と山口氏は言う。

 

まずは売上、利益を求めるという経済価値優位の圧力に打ち克つには、「問い」が鍵を握る。「何のためにやっているのか」という根本的な問いである。

 

人は、「何のためにやっているのか」と問われると、「数字のため」とは潜在的には言えないものである。表面的には数字のためと言いながら、その実は人の幸せのためというのが、人の心というものである。

「何のためにやっているのか」を問うことが、事業価値を上位に置き、手段としての経済価値を伴わせるために、シンプルではあるが、最も大切な問である。

 

 

GOBは10年で100の問を社会に発信する

GOBは、10年で100社を輩出するということを、株主に宣言している。10年で100社を輩出するということは、10年で100の問いを社会に発信するということに他ならない。

なぜなら、事業とは、世の中に新しい選択肢を問いかけることにほかならないからである。

 

事業とは、問です」と山口氏は言う。

江戸時代は、一人ひとりが新しい職業を生み出していました。一人ひとりが起業家であった時代です。言い換えると、一人ひとりが社会に対して問を投げかけていました。

企業規模が大きいことは素晴らしいことですが、企業規模が大きくても小さくても、問としては1つ。

「世の中を、問に溢れる世の中にしたい」という山口氏は、「小さくても鋭い問を持つ事業が、江戸時代のように一人ひとりから生み出されることが理想」と言う。

 

 

事業価値と経済価値を両立させるためのエンジンとは何か

「事業価値を重視することは分かったが、そのような生ぬるいやり方では、事業は成り立たないのではないか」という疑問が聞こえてきそうだ。

もっともな話だ。売上や利益の規模、資金調達額などをまず第一に目指すことで得られるエネルギーは絶大だからである。人類が古来から持つ「勝ちたい」「優位に立ちたい」というモチベーションにもとづいているからである。

 

事業価値を上位に置くということは、勝つことや優位に立つといった最も分かりやすいエンジン以外のエンジンで前進するということに他ならない。どうやって強いエンジンを生み出すのか。または、エンジンなどいらないのか。

 

これに対し山口氏は「エンジンは不可欠」と言う。しかし、勝ち負けというエンジンだけではなく、もう一つ絶大なエンジンがあると言う。それは「応援」というエンジンである。

経済価値を上位に置く場合、人々は「数字」を重視し経済的リターンを求める。一方で事業価値を上位に置く場合、「この人の事業が大きくなったら救われる人がいると思うから協力してくれる」と人々が感じるため、「応援」してもらえる。

 

沿道からの応援でがんばれた、ということはよく耳にする話だが、その時「記録を出して、世の中をあっと言わせてやろう」というエネルギーももちろんあるかもしれないが、「応援してもらっている、頑張ろう」という純粋な応援に答えたいという気持ちがエネルギーになっているだろう。

 

 

全ての人に応援のエネルギーをもらおうとしてはいけない

ここで押さえておきたいのは、全ての人に応援エネルギーをもらおうとしてはならないということだ。マーケットシェアや規模ではなく、原体験や内的感覚に基づく事業は、人々がそれまで目にしたことのない事業である確率が高い。すると「成り立たない」という、応援とは真逆の声を聞くことになる。

発奮材料にすることができればよいが、大抵はエネルギーを削ぐことになりかねない。

 

心しておくべきは、「そのビジネスが生み出す数字にしか関心がない人物には応援してもらわない」ということだ。数字が上がらない可能性があれば、応援してもらえないからだ。

数字ではなく「誰を幸せにしようとしているのか」に関心をもってくれる人物に応援してもらうことだ。

 

GOB-IPではこのことを重視し、「種類株」を用いた資金調達を実行している。種類株とは、議決権のない株式であり、数字を求め金銭的なリターンに基づくプレッシャーを経営陣にかけることができない。

経営陣が大切にする価値を見守ることを重視した株式投資のあり方である。GOB-IPは2017年夏に種類株をGOB-IP本体とPAPAMO事業に対しての2種類を募集し、約1000万円を調達している。

 

この投資は、ペイフォワード投資と呼ばれ、リターンではなく応援、自分ではなく社会、今ではなく未来に対する投資である。

 

種類株の投資を受けたPAPAMO代表の橋本咲子氏は、

「重要なのは初期段階なのです。起業家は、世の中が未だ見ぬ、未発見の価値を提示することが使命であると考えています。その価値は市場で成立するかどうかは初期段階では分かりません。種類株式は、起業家の感性で見抜いた価値を探求する猶予を与えてくれます。

一方で通常の株式投資では、スケーラブルであり利益率が高いと見込まれる方向に事業の軌道修正が求められます。結果的に世の中が未だ見ぬ価値ではなく既に見えている価値提供に事業を寄せることになります。私は世の中が未発見の価値を大切にしており、だから初期段階では種類株による調達を意思決定しました。」と言う。

 

 

幸せの体感知を基盤とする農耕型インキュベーションの背景

GOBという会社を一言で言うと、「農耕型インキュベーション」会社である。

この農耕型というのは、教育・事業支援・投資を一気通貫させ、短期間ではなく中期で、中規模からはじめて事業を熟成させるインキュベーションの在り方を指したものだ。

多くのインキュベーションが、短期で急拡大を狙わせ多産多死を前提としており、投資を中心とした支援を行うこと(狩猟型)、これらの前提にあるのは「数字」であり「規模」といった経済価値優位のやり方である。そのやり方に対する「それは違うだろう」というアンチテーゼが農耕型なのだろう。

 

「若者たちが自分の内的感覚や原体験から人の幸せを探求して生み出したアイデアを、ビジネスへと変えるきっかけを育てています。若者の内的感覚を引き出し、アイデアという種を蒔き、問いかけやコンサルティングという水を与えながら、資金調達や経営力という土壌を作り、ビジネスへと育てるのです」

 

改めて、こうしたGOBの門を叩くのは、どういった人なのだろうか。

 

「私欲から公欲」ではなく、最初から「公欲」であることを承認する

GOBの門を叩く若者は、「世の中を良くしたい」という「私」よりも「公」を重んじる若者だ。よく言われる「実力もない状態で世の中のためになどと言うなかれ。まずは成果を出せ」という考え方に対して、山口氏は「一理ありますが、私はそういう言い方はしません」と言う。

言い換えると、まずは私欲から入り、ある一定の成果を残した後に「公欲」に目を向ける、という流れではなく、若者が持つ人を幸せにしたいという内的感覚や原体験に基づき「公欲」を磨き上げることを重視するのである。公欲は、磨き上げることで、私欲を上回るパワーを持つのだ。

 

実際に子育てスペース「PAPAMO」の事業責任者・橋本咲子さんは学生時代から「世の中に貢献する人物になりたい」という想いを持っており、山口さんと出会ったことで起業という選択肢と世の中に貢献するという思いが重なるに至ってという。

 

「世の中に貢献したいという思いは持っていましたが、自分の人生をかけてチャレンジしたいと思えるテーマは見つかっていませんでした。ところが、友達が育児ノイローゼになった時に、彼女を救いたいという想いから、事業のアイデアが生まれました。目の前に明確な救いたい人が見えて、このテーマの解決になら全力で取り組める。いつしかそう想えるようになったのです」

 

 

起業するのに必要なものは、「事業プラン」ではなく「原体験や内的感覚」

橋本さんにとって、友人の育児ノイローゼは原体験だ。こうした原体験をきちんと受け止め、探求できるサポートの仕組み、言い換えれば、社会の役に立ちたいという自分の想いをカタチにしてまっすぐに追求していける環境が整っているのがGOBの強みなのだろう。

山口さんも「生活の中で見つけた問題を解決したいという原体験。この原体験を起点として試行錯誤をしていくとカタチになる。それが事業を起こすということ」と語っている。

 

「きれいな事業プランは全くいりません。事業プランなどあっても、明日には書き換えることになります(笑)。世の中をよくしたいと心からいえる内的感覚が大切です」と言う。

いわば、若者の原体験や内的感覚から構想を引き出し、試行錯誤をしながら事業の輪郭を一緒になぞって作り込んでいく伴走者と言える。

ただ、こうしたインキュベーション環境は世の中に全く無いわけではない。GOBがインキュベーション施設としても常識の埒外にある特長が一つある。

 

 

挑戦できるシステムで巻き起こすイノベーション

実はGOBでは、若者は無料でビジネスを学ぶことができる。どころか、給料をもらえさえするのだ。「人を本当に大切にするとは、物心両面で面倒を見ること」と山口氏は言う。「退路を絶ち、飢餓状態を創り出すことで這い上がる」という考え方とは一線を画す。

山口氏は「退路を断つ感覚や飢餓的な感覚はハングリー精神を育む上で確かに有効ですが、貧すれば鈍するということもまた真実。潤沢な生活にする必要はありませんが、バランスが必要です。」と言う。

 

GOBの構造は、ベースとしての資金を生活資金として供給し、事業運営に必要な資金については、対企業向けの新規事業開発コンサルティング案件に若者が参画し、その参画度合によってコンサルティングFeeの一部を事業部予算へ組み入れていることによって成り立っている。

これによって、シード期の資金調達を外部の狩猟型の資金ではなく、自前で獲得することができ、かつ新規事業開発に関するコンサルティング案件なので自らの事業への学びへと還元することができるようになっている。

 

実際に山口さんを始め、デンマーク発祥の世界的イノベーション・コンサルファームの元日本代表である櫻井亮さんや、エスノグラフィと呼ばれる生活者の行動観察から潜在ニーズを引き出し新規事業アイデアにつなげる専門家である久保隅綾氏、ベンチャーでの新規事業開発やIPOを主要メンバーとして経験している若松孝典さんなど多士済々のメンバーがコンサル案件を持ってきているのだ。

高知県や鳥取県などの地方自治体や大手企業の案件も数多い。

 

そして、現在この千駄ヶ谷の一軒家には基本的に30人ほどの若者がビジネスを学びに通っているという。その一人ひとりにメンターがつくのだが、多くはOBや事業経験者だ。

 

「学生は大学を休学し、給料をもらいながら原体験や自己表出を引き出し事業化を目指している人が多いです。今の日本では就職か起業かとの二者択一が迫られます。しかし起業はリスクが大きい。私自身はそうは思いませんが、世間一般ではそう思われている。だったら、就職して給料は保証されながら、起業するという方法がとれればいいんではないか。

学生のうちにやりたいことを始められ、それをサポートできる環境があればいい。就職と起業の良いとこ取りをした中間に位置するのが、GOBの事業です」

 

「そんな安全地帯にいながらにしてチャレンジは成立するのか」と言われるかもしれません。しかし、チャレンジは数字の探究や勝ち負けではないエンジンによっても成し遂げられると山口氏は言います。

「我々のやり方は、まだ道半ばであり、世の中が認めるまではまだ時間がかかります。しかし、絶対に次の時代のやり方であると確信して、日々挑戦を続けています」

 

前述の橋本さんも、GOBで働きながら新規事業を進めていった。

「最低限の生活が保障されていることもあり、安心して新しいことに挑戦できました。事業を行うことは、ともすれば目先の儲けへ走ってしまいがちです。でもここでなら、道を間違うことなく人の幸福を追求することができるのです」と魅力を嬉々として語ってくれた。

 

 

幸せの体感知経営。幸せを創り出す投げ銭人生

山口さんは、若者への大きな期待と願いを込めていう。「投げ銭でお金をいただける人生を歩んで欲しい」と。

 

理想は、『あなたの事業を続けて欲しいからお金を払います』という、投げ銭のような感覚でお金を頂けること。現在は、いかに人の財布を開けさせるかということに意欲的な企業が多いですが、人の財布を無理やりこじ開けることをしても持続性あるビジネスにはならないし、真の喜びには繋がらない。

やはり誰かに感謝されてお金を頂戴する方がずっと楽しいし、社会もよくなるはずですよね。それを若者に知ってもらいたいですね」

 

誰かの役に立ち、社会を幸せにする。その一番早い方法が「事業」だと山口さんはいう。なぜなら、事業とは問題解決ではなく、人々が幸せになるための代替手段を世の中に届けることだからだ。

事業では、自分の大切な人や周りの人をハッピーにしたいという想いこそが行動へのきっかけとなる。

 

これは誰しもが抱く感情だろう。イノベーションを起こすビジネスとは、必ずしも3σ(シグマ)の人が起こすものでもなく、本来人が持って生まれた心や感受性の豊かさが発露したものなのだ。

だとすると、原体験や自己表出への目の向けさせ方、世の中の原理原則は何なのかをきちんと再定義する、その力を育めるところにGOBが単なるインキュベーションの枠を超えた本質があるように思える。

 

「GOBにとっての本質的な問いというのは、若者に社会は変革可能であると想ってもらえるようになること。この問いにしっかりと挑戦していきたい」

 

イノベーションを起こすのは誰なのか。社会を変えるのは誰なのか。社会を変えたいという志を持った若者であれば、その想いをカタチにするビジネスが作れ、しかもそれをある一定の再現性をもって結実させていく環境が、GOBでは既にできつつあるように思える。

間違いなく3σである山口さんの掲げる問いに答えは見つかるのか。この先注視していきたい。

今宵も千駄ヶ谷の一軒家から新しいビジネスが生まれているのだろう。

 

 

山口高弘(やまぐち・たかひろ)

GOB Incubation Partners株式会社 代表取締役社長

高校卒業後、不動産会社を起業し事業売却。さらに複数の事業の立ち上げと売却、起業家のコーチング等の活動を手掛けた後、野村総合研究所(NRI)にてビジネス・イノベーション室長としてコンサルティング業務に従事。

現在はGOB Incubation partners株式会社のCo-founderとして若者の感性・原体験に基づく起業家及び事業養成を担う起業家コーチ業を手がける。

年間に10社を輩出すべく現在進行系でインキュベーションに取組む。

複数の大企業の戦略アドバイザーも兼務。

 

2003年(株)野村総合研究所に所属、2011年同社ビジネスイノベーション室長に就任。2010年

内閣府「若者雇用戦略協議会」委員、2011年産業革新機構「イノベーションラボ」委員にて新規事業開発支援を展開、2014年(株)GOB Incubation Partnerを創業。

 

GOB Incubation Partners株式会社

東京都渋谷区千駄ヶ谷2-34-12

http://gob-ip.net/