株式会社ティー・シー・シー|製造業への人材派遣で得たノウハウで、郷土の名水を商品化!
群雄割拠の水業界に挑む!
株式会社ティー・シー・シー 製造業への人材派遣で得たノウハウで、郷土の名水を商品化!
◆取材:綿抜幹夫
東日本大震災後、原発問題などから水道水に対する不安が増大。備蓄需要も含めて、ミネラルウォーター市場は急激に拡大した。この市場に、生まれ故郷の名水で勝負をかける会社がある。それが栃木県に本社を構える株式会社ティー・シー・シーだ。
本業の人材派遣業とはまったく異なるこの事業に参入したのは何故か? 社長・多羅澤智一氏の思いとは……
■雇われない生き方は父親譲り!
栃木県宇都宮市。北関東工業地域の中心的都市である。関東内陸部で発展したこの工業地域は、自動車を中核とした輸送機器工業を筆頭に、大手メーカーの主要生産拠点が集中している。その規模は湾岸部にある京浜工業地帯には及ばないものの、巨大だ。
そんな宇都宮の地で、製造業への人材派遣をメインに成長を遂げているのが株式会社ティー・シー・シーだ。営業拠点は6県に及び、多くのスタッフを現場に送り込んでいる。会社名はティー・シー・シーだが、その企業ブランド(コミュニケーションネームと呼んでいるが)は『ヴェルサス』。語源はラテン語で『多才』を意味する〝versatilitas〟。また、2つの英語〝veriest(最上の)〟と〝satisfaction(満足)〟をつなげた造語でもある。
このコミュニケーションネームには、顧客企業が最上の満足を得られる人材サービスを展開するため、多岐に渡る分野でのノウハウ、技術力を日々高め、常に「高品質・高価値」のサービスを追求していく、チャレンジ精神が込められているのだという。
ティー・シー・シーを立ち上げ、今日の発展に導いたのが創業社長の多羅澤智一氏だ。多羅澤氏が社会に出た頃、それはバブルの末期だった。
「平成3年に大学を卒業した私の世代は、いわゆる『バブル世代』の末期にあたります。今なら我が母校からは到底就職できないような大手ゼネコンなどにも楽に入社できるような世の中でした」
大手プレハブ会社に就職した多羅澤氏は、可もなく不可もないサラリーマン生活を送っていたが、3年ほど勤めたある日、無謀にも退社して独立起業を果たすのである。
「平成6年9月に会社設立した時は、バブルははじけ経済は低迷していました。だけど、『独立したい』、『起業したい』という気持ちが抑えられず、後先を考えずに起業したんです」
それは父親の影響だったのだろう。多羅澤氏が20歳の時に亡くなっていた父は、栃木県で木材のチップ工場を営む社長だったのだ。
「父親が自ら事業を起こした人だったせいか、私自身も雇われているという立場がしっくりこなかったんです」
できたばかりの会社では、まず建設関係、ビルやホテルの外装の仕事をメインに始めた。だが、景気が悪かったせいで、多くの企業は『外見』にまでお金を掛ける余裕はなかった。
「そんな時、JTBビルサービスという会社と知り合ってホテルのバックヤードの仕事を請け負いました。これが人材派遣に乗り出すきっかけでした。地元のホテルのバックヤードを皮切りに、その後は一般の人材派遣にも進出していったんです」
■人材派遣は悪じゃない!
山あり谷ありだったが、それなりに順調な成長で会社は大きくなっていった。県内あちこちに営業所も開設。県外にも積極的に打って出ようという時期に、あのリーマンショックが襲ってきた。売上という意味でもリーマンショックは痛手だったが、人材派遣の業界は、そのイメージを致命的に悪くしてしまった。
「あの頃、派遣切りが話題になったでしょ。本来、人材派遣は、景気が低迷している時にこそ、多くのスタッフに職を提供できる素晴らしい仕事だった。だから世間からも顧客企業からももてはやされていたんです。ところが、リーマンショックを迎えて、人材の使い捨てと言われるようになってしまった。格差社会の元凶と思われるようになってしまった。
しかし、本当に派遣が『悪』なんでしょうか。人には向き不向きがあります。誰もが入社試験をパスし、面接で好印象を与えて企業に採用してもらえるわけじゃないんです。そういうことが苦手な人も少なからずいるものなんです。そんな人材を派遣して、仕事を通じて正社員に採用される道を作るのも、派遣業ならではの社会貢献だと私は思っています。あるいは、残念ながら企業が正社員に求めるレベルに達していない人材でも、派遣を通じての実務や研修でスキルを身に付け、収入を得る道を作っているのが我々の仕事なんです」
多羅澤社長の、派遣業に寄せる熱い思いは、苦境をものともしなかった。リーマンショック後も、会社は素早く立ち直った。北関東のみならず、南関東や東北にも拠点を築いていった。
「我が社では、派遣スタッフが派遣先で正社員に登用されることを奨励しています。派遣先に望まれるような優秀な人材が、いわば引き抜かれるわけですから、我々としては痛いのですが。しかし、残念なことに正社員になったはいいが、辞めてしまう人もいます。必ずしも会社や仕事が原因ではなく、やはり縛られない自由を欲する人もいるんですね。そういう意味でも、多様な就業をサポートする我々の役割は、顧客企業からもスタッフからも支持されていると思っています」
実際、派遣スタッフの数%が派遣先で正社員として登用されているという。安定を願うスタッフには福音と言えるだろう。
■故郷の湧水で町おこし!
順調な人材派遣業と並行して、ティー・シー・シーでは2年ほど前から飲料水のビジネスを開始した。これは多羅澤社長の生まれ故郷、塩谷町の湧水を利用したものである。
ミネラルウォーター市場は、東日本大震災が契機となった生活水の備蓄需要の高まりなどを受けて急成長している。20年前の11倍、10年前の約2・5倍の規模にまで拡大しているのだ(日本ミネラルウォーター協会調べ)。
これまで飲料メーカーのペットボトル商品が主流だったミネラルウォーターだが、最近は流通各社が安価なプライベートブランド商品を発売したり、家庭にサーバーを貸し出す宅配水も普及。約1千銘柄が入り乱れる群雄割拠の様相を呈している。
成長の可能性はあるが、大手から零細に至るまで、多くの企業が参入済みの水市場に殴り込みをかけたのはなぜだろうか。
「我が社では、製造業に人材を派遣することが多いのですが、これには波があるんです。人を増やす分にはいいんですが、減らされるのは辛いですし、会社もスタッフも大変です。そこで、自分たちが何か製造する側に立って、派遣スタッフを安定的に使えるようになりたいと思い立ちました。メーカーになるために水を選んだのは、私の故郷に環境省が選ぶ『名水百選』に認定された『尚仁沢湧水』があったからです。これを世に広めることで町おこしの一助になればと考えたわけです。我が社の工場までその湧水を町の負担で引いていただき加工しています。町に対しては、売上の歩合(ロイヤリティ)をお支払いしています」
だが、このビジネスはそう簡単ではない。ブランドバリューも必要だろうし、商品の特性上、スペックでの差別化が困難なため、最も有効な販促手段は価格だったりもする。
「水はいいビジネスだと思っていましたが、厳しい業界だということが分かってきました。今は地道にファンを増やしていくことが成功の秘訣かなと思っています」
ペットボトルでの販売はもちろん、宅配サービスも開始。販売チャネルの拡大や、企業とのコラボなど、様々な展開でこの水の知名度・売上アップを目指している。地方のミネラルウォーターと侮るなかれ。品質はもちろんのこと、その味も折り紙つきの逸品。遠からず貴方の街でもお目にかかれますぞ……。
●プロフィール
たらさわ・ともかず氏…昭和42年栃木県塩谷郡塩谷町生まれ。平成3年国士舘大学卒業。プレハブメーカーに就職、3年の勤務後、平成6年株式会社ティー・シー・シー設立、同社代表取締役就任。
●株式会社ティー・シー・シー
【本 社】
〒320-0051 栃木県宇都宮市上戸祭町94-21
TEL 028-600-6630 http://versas.jp
【アクア事業部】
TEL 0287-41-1150 http://shojinzawa.jp