有限会社永井製作所 – 用途が拡がるフィルム精密成形の切り札― 「FILMOLD」自社開発のマッチフォーミング法のノウハウを活用
スピーカー部品の分野ではオンリーワンの技術を有する永井製作所。
だが代表の永井健一氏はこのまま経験だけでの経営に危機感を感じ、40代にして大学院に入学し経営学を専攻。経験知と経営理論を併せ持つ〝応用知〟をもってリーマン・ショック後の経営戦略を立ててきたというまさにP・F・ドラッカーの提唱した〝テクノロジスト〟を地で行く経営者である。
リーマン・ショックの痛手から得たもの
今年、創業40周年を迎える永井製作所は独自に開発した成形機を用いた「マッチフォーミング法」で、熱成形において他社とは一線を画す技術を確立、主にオーディオ機器や携帯電話用のスピーカー部品として用いられ高い評価を得てきたが、今後は同技術の特性を活かし、多様化する精密部品のニーズに対応すべく、新製品の開発も進めている。
現在、代表取締役社長を務める永井健一氏の父で創業者の満氏は、もともとパイオニアでスピーカーの技術者をしていたが、1970年代の始めに40代で独立、ちょうどPETフィルムが出始めた頃で、上下型によりフィルムをプレス加工する前述のマッチフォーミング法を開発、当時はフィルムメーカーでもPETフィルムを金型で立体的に成形加工するという発想はなく、画期的な技術であった。
時代はラジカセなど音響機器の種類が充実してきた頃で、それぞれの部品にも高い意匠性が求められた。それまではスピーカーの中心に付いている防塵キャップは、紙にアルミ箔を貼ったものでシワが寄って見栄えが悪かったが、アルミ蒸着させたフィルムを成形することで銀のような光沢を持たせたことが話題となり、これが永井製作所の名前が世に知られるきっかけとなった。
その後、プラスチックフィルムにも耐熱性や高い強度を持ったものなど種類が増えていくにつれ同社の需要も増え業容を拡大、90年代以降は携帯電話の普及とともにマイクロスピーカーの振動板の大量生産に対応するために急速に体制を変えていかざるを得なくなる。
しかし、当時のマイクロスピーカーの振動板は品質や機能を度外視した場合、一定レベルの金型切削技術があれば模倣品の製造は可能で、結果、台湾や中国など後進国のメーカーが次々と参入、値段も下がっていき、大量生産・大量販売の連鎖で同社の収益性は次第に低下していった。
そして、追い討ちをかけるようにリーマン・ショックが襲い受注が激減、同社は規模の縮小を余儀なくされる。
永井氏は当時を振り返り、「今まで一緒に働いてきた人に辞めてもらうというのは経営者にとって一番つらいことで、断腸の思いで決断せざるを得ませんでした。ですが、このことがきっかけで、現在の体制に移行することができ、薄利多売路線から脱却できたのも事実なのです」
というのも、当時従業員が4分の1にまで減ってしまった同社では、社内でまかなえない分を外注業者に出すようにした。
戦略の要は〝固有技術の水平展開〟
永井氏自身、とにかく自社でやらなければダメだという固定観念があり、細かい手作業もあるので不安もあったが、最初の頃こそ少し不良品が出ていたものの、すぐに対応できるようになったという。
これは永井氏にとっては意外な発見であった。考えてみれば、当時はISO9001の認証を取得後5年経過しており、OJTのやり方やマニュアル、手順書などは整備されていたので、社内の新人でも半年ぐらいである程度の仕事ができるようになるための教育体制は整っていた。それを外部で行うだけのことだったので、それほど難しいことではなかったのだ。
結果、人件費を大幅に圧縮でき、その後も収益を悪化させることはなく体制を強化することができたのだ。
同社の優れた点に、独自に情報収集をして、持てる経営資源の中で、どう他の分野に展開していけるかの戦略対応を自ら立てられるという点が挙げられる。
そしてそのためには「自分の会社を客観的に見る目が大事」と永井氏は言い切る。
「モノづくりは川上から川下まであって、上流にいってフィルムを加工する方に手を出すのか、下流方面で成形品を組み立てて製品化するのか。自社の強みと弱みをよく理解して初めて戦略も立てることができるのです」
現在、同社では様々なニーズを精査してきた中で、以下の分野への用途展開を考えている。
1つはフィルム製のリフレクター(反射板)。ガラスや金属製品と比べ大幅な軽量化が可能で、LEDの懐中電灯やデジタルカメラのレンズ、あるいはフラッシュ部分の反射板などに応用できる。
2つ目はモーターの絶縁カバー。今までは射出成形の部品が使われていたが、実はフィルムの方が電気絶縁の性能が高い。フィルムの薄膜性を保持しつつ、射出成形よりもイニシャルコストが低く少ロットで生産できる。
3つ目は電磁波シールド部品で、今まで筐体全体をシールド加工していたものを、携帯電話基板など特定の部品だけをシールドできるので、小型化も可能、コストダウンにも繋がる。
4つ目は、3D成形による導電性部品。タッチパネルやメンブレンスイッチなど、どのような立体的な形状でも導電性能を損なうことなく成形できるというものだ。
こうした固有技術を深めたうえで、技術力や価格競争力を前面に出して「従来品をフィルムに置き換えたらこんなことができます」と積極的に提案していく。そして、今までのように無理をして大量生産の市場を追い求めるのではなく、自分たちの事業規模に合った市場に固有技術を水平展開していくというのが、同社の出した答えである。
「うちはもともと同業が多いわけではなく、同業他社と競合という考え方はありませんでした。それほど他社の参入がしづらい、いわゆる市場性の少ない、ニッチの分野だったのです。
ですが、こうやって用途が広がってくるとなれば、新たな戦略も必要になるのは当然のこと。今まで振動型スピーカーといえば永井製作所、というイメージがスピーカー業界にはありましたが、今後は『FILM』と成形を意味する『MOLD』という言葉を合わせて『FILMOLD(フィルモールド)』(商標登録申請中)としてブランド化します。
そして『FILMOLD―Optical』というように、『FILMOLD』と『ターゲット分野』を組み合わせた表現を用い、当社の持つフィルム精密成形技術をイメージしやすくすることで、まだ認知度の低い電子部品業界などにこの技術を広く浸透させていきたいと考えています」
〝適地生産〟で 世界に通用するモノづくりを
埼玉県西部地域では周辺の5市(飯能市、入間市、狭山市、所沢市、川越市)の商工会議所と商工会が共同でコアリッションという展示会を開催してきた。だが、入間市の工業は企業城下町であったり大田区や東大阪とは違って工程上の繋がりが比較的希薄だという。
入間市商工会の副会長も務める永井氏は、そうした活動に携わる中で、大企業が少なく中小企業が多い土地柄のせいか、同社のように固有の技術を持っている会社は多いものの、隣の会社が何をやっているのかわからないという側面は感じてきたという。
「ですから、まずはどんな会社が市内にあって、自分の会社とどういうところで仕事上の接点が持てるのかということをまず知ってもらう必要があります。展示会でもせっかく地域の人やモノ、情報が集まっているのに、個々でマッチングするだけでなく、次はどうやったら地域の企業が発展するために有益なマッチングができるのか、今の時代の流れを取り込んで、新しい仕事を獲得するにはどういうグループをつくったらいいのかといったことを、もう一歩踏み込んで考えていくべきです」
企業側も高い技術を有しているが故に旧態依然としている会社が多く、「創業以来自分の腕一本でここまでやってきたから、これからもそれでやっていける」という社長が多いという。
「私はそれは違うと思っています。社長自身が資金のことであったり目先の仕事のことばっかりに専念していては、会社を客観的に見る目が養われません。会社を良くするための忙しさなのか、ただ目先の仕事をこなすためだけの忙しさなのか。その辺を一歩引いて考えられるようにしないといつまでも状況は変わらない。これではせっかく行政に働きかけようと思っても意見がまとまりませんよ」
永井氏はちょうどプラザ合意が成立した頃に入社したので、その後の外部環境の変化をつぶさに観察し続けてきた。
「父は、会社は自分の儲けのためにやっているのではなく、国に貢献するためにやっているんだという考え方でした。私は若い頃は反発していましたが、企業がどんどん海外に進出していくのを目の当たりにして、日本は何で食べていくんだろうと本気で考えるようになって、次第に共感するようになってきました。
日本はやはり輸出型の産業で稼いでいくしか生きていく道はない、ですから我々としては「適地生産」ということを考えています。
当社は得意先の工場が次々に海外に出て行った1990年代からそうした海外工場との直接貿易を進め、国内に留まりながら取引の継続を図ってきました。
これまでの評価は『永井の品質はレベルが高くて安定している』『安い現地の部品を使って失敗することを考えると、永井製は安全でコストパフォーマンスが高い』というものですが、今後はさらに高い技術力に裏づけされた〝より付加価値の高い部品〟を幅広い分野に提供し、日本の産業力の維持向上に寄与したいです。このようなモノ作りのスタイルが日本における〝適地生産〟だと思っています」
今後も同社は日本の地に足をつけ、技術レベルの向上、コスト競争力の訴求を図りながら、世界に通用するモノづくりを続けていくという。
※本記事は2011年9月号掲載記事を基に再構成しています。
【プロフィール】
永井健一(ながい ・けんいち)……1964年、東京都新宿区生まれ。1985年、日本電子専門学校を卒業後、1年間サラリーマンを経験。1986年、家業である永井製作所に入社。90年撮り年取締役工場長、2002年、代表取締役専務を経て、2004年、代表取締役社長に就任。入間市商工会副会長、入間市工業会理事も務める。また、2008年、社会人入試で駿河台大学大学院経済学研究科に入学。2010年、修士課程を修了。現在に至る。
有限会社永井製作所
〒358-0035 埼玉県入間市大字中神967番地
TEL 04-2935-0177
従業員数:10名
年商:4億5000万円