株式会社鎌田スプリング/代表取締役会長     鎌田文生氏

バネメーカーとして約60年の歴史を持つ鎌田スプリング(埼玉県さいたま市)。創業以来の技術を大切にしながらも、「受注生産の時代は終わった」と言い放つ鎌田文生会長は、従来は接点の無かった異業種とのコラボレーションに賭けようとしている。

その具体的な成果を紹介しつつ、モノづくり企業としての生き残りをかけたビジョンについて話をうかがった。

 

カラス対策の救世主「いやがらす」は、いかにして生まれたか

鎌田スプリングが開発したカラス避けステンレス製バネ「いやがらす」が、大ヒット商品として注目されている。軽いバネは風になびいて不思議な動きをするうえに、ステンレスが乱反射、さらに音を出す工夫などを加えることで、カラスは強く警戒し、近くに寄ってこないのだという。農作物の深刻な被害に悩んでいた農家をはじめ、ゴミ置き場が荒らされるなどの状況も著しく改善され、大きな成果を挙げているのだ。

 

カラス忌避具「いやがらす」7シリーズ

「この商品は思いがけないところから生まれました。バネを製造する時に、どうしても端材が出てしまうのですが、その行き場に困っていたんです。

『もったいないなあ』という気持ちが根底にあるのですが、どうしたらいいかわからなかった。ところがある時、閃きました。それはとても天気の良い日で、バネのステンレスがキラキラと輝いているんですね。

それを眺めていたら、『この光沢は、ひょっとしたらカラス対策で悩んでいる人の役に立つかもしれない』と思ったんです」

 

鎌田会長は、さっそくその端材を持って、カラス被害に悩んでいる家庭を訪ねる。

「『あれを着けてから、ほんとにカラスが来なくなったよ』と言われました。一軒では心許ないので複数のお宅につけてみたら、皆さん、同じように効果があるとおっしゃる。これは行けるかもしれないという気持ちになり、しかし持続的な効果がどの程度期待できるかがわからなかったので、宇都宮大学農学部の杉田昭栄先生を訪ねました。

先生に実験していただいたところ、『これなら十分に商品として世に送り出すことができる』というお墨付きをいただいて、2009年10月に販売をスタートしました」

 

杉田昭栄教授といえば、『カラスなぜ遊ぶ』『カラス─おもしろ生態と賢い防ぎ方』などの著作を持ち、「カラス博士」と呼ばれるほどの権威。博士との共同開発やテストなどにおよそ1年半の歳月を費やし、満を持して発表した「いやがらす」は、まる3年のあいだに約3万3千個を売り上げるほどの人気商品になった。

商品の種類も、果樹園や畑、ゴミステーション用のシンプルな両掛けタイプから、羽つきタイプ、田畑、ビニールハウス専用タイプなど、7種類にまで増えている。

 

バネ製品といえば、言うまでもなく従来は工業製品に用いられる部品だったはずだ。それがほんの少し発想を変えることで、農家に重宝されることになったのはなんともユニーク。そして何よりも重要なのは、「いやがらす」という一商品のヒットに止まらず、会社全体の舵を大きく切るきっかけになったことにある。

 

「私は2011年くらいから従業員に向けて、『受注生産の時代は終わった』と言い聞かせています。国内で生き残っていこうと思ったら、お客様からいただいた図面をそのまま製造しているような仕事ではもうダメです。これからは自社ブランドを作ってやっていかなくてはいけない。そのためには、今までの自社の技術に頼っていては活路を見出すことなどできませんから、どんどん新しい分野にチャレンジしていかなくてはなりません。『いやがらす』の成功は、そのための一つのステップにすぎないと気を引き締めています」

 

 

口座開設までに3年。若き苦闘の日々

鎌田スプリングは、昭和32年に「鎌田スプリング製作所」として産声を上げた。同社が作り出す精密なバネは、通信機器やオーディオ&ビジュアル、自販機、医療関連機器、自動車電装部品など幅広い用途に使用されている。また、医療用注射針をはじめ、さまざまな種類の「針」も重要な製品の一つ。いずれも非常に繊細な技術を要する製品だ。

「私が入社した頃は、月の売り上げがまだ1千万くらいの小さな会社でした。しかし、とても活気はありましたね。カセットデッキなどはバネの宝庫で、その頃はあるメーカーのカセットデッキの仕事が、収益の8割を占めていました。ところが入社の翌年、その会社が倒産してしまい、一気に仕事がなくなります。ここから私の厳しい修行時代が始まりました」

 

鎌田スプリングの創業者は、鎌田文生会長の実父。他のバネメーカーで修行を積もうとしていたところ、社内事情により、大学を卒業してすぐに父の会社に入社することになったという。そして2年目にして、仕事の8割が一気に消えてなくなるという大きなピンチが訪れたのである。

 

「新しい仕事を開拓しなければならないということで必死でしたが、ある大手の電子部品メーカーに出入りすることになったんです。最初のうちは父と一緒ですが、すぐに『ひとりでやってみろ』と放り出されました。大学を出たばかりの、右も左もわからない若造です。その電子部品メーカーでは、見積書の書き方から何からすべて事細かに注意され、あまりの厳しさに涙をこぼしたこともありました。

父に『担当を外してくれ』と泣きを入れたこともあります。そうやって歯を食いしばってなんとかがんばっていたら、出入りを始めて2年半くらい経った頃、『あと半年したら、口座を作ってやる』と言われたんです。『月に500万くらいの稼ぎはすぐに出してやる』とも」

 

それはほどなく現実のものになった。取引ができるようになるまでに3年もの厳しい歳月が流れたが、そこを乗り越えたことで、約束された売り上げも超え、さらにはその会社と取引があることで信用されて、名だたる大手機器メーカーがこぞって鎌田スプリングの門を叩くようになったのである。

 

「私は文系ですから、技術畑ではなく、最初から営業なんです。あの頃の苦労があるからこそ、いま、異業種の人々の中にどんどん飛び込んで、なにか少しでもヒントが転がっていないかと、機敏に動くことができるんだと思いますね」

まだ高度成長の名残があった1970年代後半から30年以上が経過し、今や製造業は完全に冷え込んだ時代に入っている。しかし鎌田会長には、会社存亡の危機を撥ね返した経験と、先を読む柔軟な感性が宿っているのだ。

 

 

 

「医療」と「農業」を新たな2本柱に育て上げる

こうして苦難を乗り越えてきた鎌田会長の目を持ってしても、現在の日本のモノづくりの状況は、たいへん劣悪な状況と映っている。

「リーマンショックの頃より悪いんじゃないかと思います。私も、『このまま国内に止まっていたら、仕事が無くなる』と脅かされ、中国の深圳あたり、相当時間をかけて視察もしました。私が出した結論は、中国に出れば確かに仕事はあるかもしれないが、メリットはない、ということです。出るも地獄、日本に残るも地獄。同じ地獄なら国内で生き残ってやろうと決めました」

 

具体的には、どうやって生き残っていこうというのだろうか。

「スプリング事業は先代が築いてくれた大事な基礎です。これはもちろん残します。しかし当然、国際競争や価格競争に巻き込まれます。事実、お客様から2~3年前に『試作はお願いする。でも、悪いけど量産は海外でやるよ』と言われていたのが、去年あたりから、『金型を起こすところから海外でやることにした』と変わってきています。

この先、受注はますます先細りになっていくでしょう。そこで弊社ではいま、『医療』と『農業』を新しい2つの柱として事業計画を練っています。医療のほうは現社長である私の弟が主に担当し、私はこれまでまったく付き合いのなかった農業分野での仕事を、『いやがらす』以外にもいろいろ考えています」

 

鎌田氏は2013年から会長職を退き、全権を社長に委ねて、自らはもっとフリーなスタンスで動く予定だという。そこには、会社経営の重圧から逃れ、もっと自由で柔軟な立場から会社に貢献したいという思いがある。

「私は、積極的に人に会うことを自分に課しています。それも、同業者ではなく、異業種の方々とお会いする。ただ漫然と話を聞くのではなく、意識を持ってアンテナを高く張っていることが大切です。よく注意していると、自分が知らなかった話の中に、開発や企画のヒント、原石が転がっています。それを磨き上げられるかどうかは、自分次第ですね」

「いやがらす」の当面の成功は、同業他社からすればまぶしい成果に見えることだろう。

 

最後に、苦境にあえぐ中小企業経営者に向けたエールをお願いした。

「このドン底の時期をなんとか凌げば、ここを我慢しさえすればまた仕事が戻ってくる。そう信じてがんばっておられる方も多いと思います。しかし私は、『残念ですがそれはもう戻ってきません。そのままでは会社が無くなります』と申し上げたい。

仕事が無くて時間のある時に、どんなことでもいいから動くことです。製造業であれば設備をお持ちでしょうから、いま目の前にある機械を使って、何か別の製品が作れないかを考えてみる。思いつきでも何でもいい、とにかくやってみる。そうした試行錯誤の中で、いつか大化けする製品が出てくるかもしれません」

自らの技術に固執せず、柔軟に異業種交流を図っていくこと。この国のモノづくりを打開するにあたっての、一つの明確な態度がここにある。

※本記事は2013年1月号掲載記事を基に再構成しています

鎌田文生(かまだ・ふみお)氏…1954年、埼玉県大宮市生まれ。日本大学文理学部卒業後、76年に父の経営する鎌田スプリングに入社。弟の鎌田敏也氏が社長、文生氏が会長という二人三脚で会社を牽引する。2013年からは顧問の立場で新規事業に携わる。

株式会社鎌田スプリング

http://www.kamada-spring.com

【本 社】〒330-0835 埼玉県さいたま市大宮区北袋町1-165 TEL 048(644)1155

【工 場】鹿沼工場スプリング部門(栃木県鹿沼市)/鹿沼工場メディカル部門(同)

従業員数:87名