人とビジネスを繋ぐ『スモールビジネスデパート』会員の声 いつ来ても美味しくて、みんながワクワクできる店作りを! お菓子ユニット「Onaka」田中 知彩都さん
人とビジネスを繋ぐ『スモールビジネスデパート』会員の声
いつ来ても美味しくて、みんながワクワクできる店作りを!
お菓子ユニット「Onaka」田中 知彩都さん
羽田空港第二ターミナルの展望ラウンジ、飛行機の離発着を一望できる見晴らし抜群の場所に、可愛らしいカフェがある。ズラリ並んだメニューは、人の顔のクッキーなど、微笑ましくなるものばかりだ。「美味しくてカワイイものはみんなを幸せにします」。そう話すこの店のオーナー、田中知彩都さんに話を聞いた。
30歳過ぎたらガムシャラにできない
お菓子ユニット「Onaka」という変わったユニット名で活動している田中さんは、パンやお菓子を製造し、羽田空港にあるカフェで販売している。彼女は、今の仕事の前にはモデルをしていたという異色の経歴の持ち主だ。
「大学生で事務所に入って、モデルやCMタレントをしていました。けれど、毎日毎日痩せろ!と言われ続けていたんですね。実は高校生の時にもスカウトされてモデルをしていたのですが、その時も受験のストレスで食べて8キロも太ってしまい、事務所に行けなくなってしまったことがあったんです。私は元々甘いものが大好きで、つい手が出てしまう。それが仕事との板挟みになってしまって。結局、引き篭りになって、何も口にできなくなってしまったんです」(田中さん、以下同じ)
そんな時に、友人からの勧めでパン教室に参加したのが、この仕事を始めるきっかけだったという。
「パンって、こねるのに凄く力がいるんです。それがストレスの発散になった。小麦粉をこねているととても楽しいんですよ。それから自分でもパン作りの勉強をするようになって。そもそも、モデルの仕事は続けられて30歳かな、と思っていました。それ以上は仕事も無くなってくるだろうし、不安。だから自分の将来を本気で考えた時に、食べ物の仕事をやってみよう、と思ったんです。それでフードコーディネーターの資格に挑戦しました」
フードコーディネーターは、料理の盛り付けだけではなく食器やテーブルクロスなど、食事全体の雰囲気までもトータルで生み出す職業だ。
資格を取るために料理学校に通ううち、自分のやりたいことが明確になってきた、と話す田中さん。その後、無事に資格を得、仕事を請けていると、自分自身でも店をやりたいという気持ちが強くなってきた。
「このまま依頼を受けて仕事をするのもいいな、とも思っていたのですが、ガムシャラにできるのは30歳までだと思って。20代ならまだ冒険ができる。無茶ができる。やるなら今しかない、と思った。それが27歳の時でした。もちろん一人ではできないので、パートナーを探していたら、料理学校で同期だった小澤かおりさんと再会した。実は同期だけど、話したことがなかったんです。けれど、自分がパン屋をやりたいと話したら、小澤さんもパン屋をやりたいと思ってたって、意気投合して。それでじゃあ一緒にやろう、と(笑い)」
二人が共同でスタートすることになったとき、さてユニット名をどうしようか、という話になった。そんな時、アートディレクターの秋山具義さん(AKBのCDジャケットや「マルちゃん正麺」のデザイナー)にその話をすると「小澤と田中なので『Tazawa』か『Onaka』」と、考える時間ゼロで言われたという。「なら、お腹を満たし幸せにするから『Onaka』」だね、となりました(笑い)」。
「良い」プレッシャーに変える
しかし、実際にスタートすると笑ってはいられなくなった。
「開店してからは全く寝られなくなりました。出勤は朝6時、終わりは日付が変わる頃ならまだ早いくらい。それが毎日続く。仕事をしながら寝ちゃうこともしばしばです。それなのにもっと仕事をしないと、と思ってパンの卸しを始めて、別のカフェにサンドイッチを届けていたり。自分の首を絞めていましたね。1日必死にやって、やっと利益はトントン。大変でした」
日本のパン業界は人口の減少に影響を受けて、高止まりになっている。業界は山崎パンなどの卸しメーカーと、ヴィ・ド・フランスなどのチェーン店舗に大別されるが、その間に挟まれた個人経営のパン屋は正に激戦区で、東京都内だけでも2200店舗以上が凌ぎを削っている(パン屋検索サイト「パンスタ」より)。
そんな中でやっと仕事をしていた田中さんに、羽田空港内にカフェを出店するという話が持ち込まれた。
「もちろん、最初は断りました。これ以上仕事を増やすのはムリだ、と。けれど、店を手伝ってくれていた母も背中を押してくれて。母に応援してもらえたので、もう一度挑戦してみよう、と決心したんです。羽田空港のお店は、家賃も高いし、店舗の入れ替えも多い。偉い人も見に来る。だからプレッシャーはありますが、それを『良い』プレッシャーにしよう、と」
こうして2013年、羽田空港という好立地に開店したところ、田中さんの店は盛況を博した。開店から1年ほどで経営は安定し、田中さんの仕事にも落ち着きがでるようになったという。
「ですが、そうなると問題は元の店舗。羽田が黒字になったおかげで、そっちの赤字が足を引っ張るようになった。随分悩みましたが、そっちの店は畳むことにしました。年配のスタッフもいたので、その決断は辛かったです。苦楽を共にした仲間たちでしたが、羽田の店に注力するためには、そして会社が羽ばたいていくためには、と思って決めました。それを、スタッフも受け入れてくれました」
「彼らのことも思って、もっと店を良くしていきたい」。田中さんはそう語った。
自立した人になりたい
フードコーディネーターを仕事にすることと経営者をやることには距離があるのでは? その疑問を田中さんにぶつけてみた。
「小さいときから起業をしたいな、という気持ちはあったんです。というか、早く自立したい、と。私は出身が群馬で、3歳からアルペンスキーをやっていました。小学校の時に県で1位になったこともあります。スキーが大好きだったし、負けず嫌いだったので、どんどんのめり込んでいきました。けれど、中学の時に両親が離婚。父が家を出て、子ども3人と母だけが残された。母は仕事というものを全くやったことがない人。スキーも他のスポーツと同じで、やっていくにはお金がかかる。だからやめざるを得なかった。それからはお金に苦労しましたね。だから早く自立したいと思うようになったんです。タレントをやろうと思ったのも、早く独り立ちできると思ったから。他にもたくさんアルバイトをしました。チラシ配りや派遣、レストランで働いたり。そういう思いがあったからタレントが長く続けられないと思ったときに、本当に不安になったんです。それが、自分のお店を持ちたいと思った発端でしょうね」
あの店に行きたい、と言われる店にしたい
「飛行機を眺めながら食事ができる、という特別な空間がもう用意されています。だからそこで食事ができるという特別な喜びを演出するように心がけています」
メニューも飽きが来ないように入れ替え、いつ来ても目新しいメニューでお客様に喜んでもらいたい、と話す田中さん。メニュー開発はパートナーの小澤さんと考えているそうだが、二人だといつもカワイイものを選んでしまうので、男性の意見を取り入れたりもするという。
「スモールビジネスデパートの齋藤真織さんからもよくお話を伺うようにしています。齋藤さんとは、『居場所』がオープンした際に、パンのケータリングをした時からのお付き合いなんですが、相談するとズバズバ指摘されるので、頼りにしています。やりたいことが心に溜まってぐちゃぐちゃしている時に、それを整理してくれる。私のメンター的存在です」
最後に、今後、お店をどうしていきたいですか、と尋ねてみた。
「新しい店舗を増やしていくことももちろん考えています。あと山に行くのが好きなので、山で食べるおやつ、なんていうのも考えているんです。『山のおやつ教室』というイベントも考えています。御殿山に念願のアトリエも持つことができましたので、そこを拠点に撮影やおやつ教室をやったり。これも齋藤さんから言われたことなんですけど『おやつプロデューサーだね』って(笑い)。美味しくてカワイイものを提案するプロデューサー。他にも家に帰れない子供たちのためにこども食堂もやりたいし……。主人は私のことをサポートしてくれています。彼は社会貢献とかをちゃんと考えている人。今まで自分のことばかり考えていたけれど、私は『おやつ』を作って社会貢献をしていきたい。それが今の私の夢です」
自立したい、という気持ちで苦労を重ねてきた結果が、今、大きな花を咲かせようとしている。田中さんの姿を見てそう感じた。
●プロフィール
田中知彩都(たなか・ちさと)さん…フードコーディネーター、食育インストラクター。祐成陽子クッキングアートでフードコーディネーターの資格を取得後、2012年にパン屋を、2013年には羽田空港に”Amicidelte”をオープンする。子ども食堂でもおやつ教室開催中。
●Amicidelte(アミーチデルテ)
東京都大田区羽田空港3-4-2
羽田空港第2旅客ターミナル 展望デッキ 5F
TEL 03-6428-9333
8:00~21:00(L.O.20:30)
おやつユニット「Onaka」▶http://onaka.tokyo/