オビ 企業物語1 (2)

「花は世界の共通言語」。思いを伝える「花」文化を日本に根付かせたい

I.Fフローラル・デコ株式会社/代表

株式会社村松園芸/代表取締役

フラワー・アーティスト 村松文彦氏

オビ ヒューマンドキュメント

イライラしている時、一輪の花にふと心が和んだ経験は、誰もが一度は持っていることだろう。

 

そんな花の力を「花は人の心を伝えるものであり、世界の共通言語」だと話すのが、世界的フラワー・アーティストであり、株式会社村松園芸及びI.Fフローラル・デコ株式会社の代表を務める村松文彦氏だ。

 

国内外でのデモンストレーション、学校での講演、教育と多彩な活動を展開し、日本の花文化・花業界の活性化に取り組む村松氏に、花の魅力と日本の花市場の未来を聞いた。

 

 

欧米への旅で知った、人と人を繋ぐ「花」の魅力

「花は世界の共通言語」。村松氏がそう考えるようになったのは、今を去ること約45年前。

玉川大学芸術学部で日本画を学んでいた頃、社会に出る前に世界を知りたいとの思いから、約1年半に渡りヨーロッパ・アメリカを旅したことがきっかけだ。

 

旅の目的は絵を描くことだったが、ヨーロッパは昔から生活に溶け込んだ「花文化」を育んできた地域。

イタリアではたったの1鉢から今は道端を美しく彩るまでになったゼラニウムの一群を見、フィヨルド海岸沿いの小さな町では短い夏の間に咲き誇る花々に出会うなど、あちこちで花に巡り合ったという。

 

その時は花を本格的に学ぶ気はなかったが、「今でも思い出すのは、家の窓辺に咲いていた花です。きれいだなと思ったら、その家の子どもがいけていたんですよ。この町では庭で花を育て、窓辺にいけるのは、誰に教わるものでもなく、両親や祖父母がやっているのを見て子どもたちが自然に覚えていくものだという、そのことにすごく感動を覚えたんです」という思いは確かに村松氏の中に残り、続いて訪れたアメリカでの体験と繋がってフラワーデザインへの扉を開くことになった。

 

そのアメリカでの体験の中でも特に村松氏が大きな影響を受けたのが、年に1度のアメリカ最大のフラワーデザインの大会「アメリカンズ・カップ」を見たことと花屋で働いたこと、それから英語の勉強のために通っていたアダルトスクール(18歳以上の住民なら誰でも通えるクラス)で、「花の力」に触れたことだ。

 

アメリカンズ・カップでは、ステージを彩る作品の華やかさに魅了され「これをやりたい!」と実感。花屋ではまるで映画の1シーンのような「彼女が帰ってくる前に部屋じゅうを花で飾る」というサプライズプレゼントの演出を担当し、スクールでは、クラスメイトのアラブ男性がメキシコ女性に花束をプレゼントしたことをきっかけに翌日から付き合い始め、半年後には結婚するという、まさに「花は言葉を超えて人の心を伝えてくれる」のを目の当たりにした。

 

それらのことがきっかけとなり、花に魅せられた村松氏はシカゴのアメリカン・フローラル・アート・スクールに入学。卒業後は家の事情で帰国することになったものの、フラワーデザイナーとして生きていくことを決めたのだ。

 

 

欧州以外で初のワールドカップ優勝を達成

1970年代後半~80年代ごろの当時の日本は、花の需要といえば冠婚葬祭かお墓参りが定番で、JFTD(花キューピット)主催の全国大会さえお題はコサージュという時代だった。そんな時代にあって村松氏の胸にあったのは、欧米生活で自身が痛感した「生活に寄り添い、人から人へ気持ちを伝えることができる花の魅力を日本に広めたい」という思いだ。

 

タイにて皇室の前でデモンストレーション

アメリカで学んだフローラル・アートを基本としつつも、日本の伝統であるいけ花の三大流派を学び、それらを取り入れた独自のフラワーデザインを創作。

JFTDやNFD(日本フラワーデザイナー協会)などが主催する数々のコンテストに出場して好成績を収め、またJFTDの委員に任命されてからは、

4年に1度のフラワーデザインの世界大会「インターフローラル・ワールドカップ」代表選手の選考方法を完全実力制にするなど、

日本のフラワーデザイン全体のレベルを上げるための改革も手がけ、常に先頭に立って花の魅力を世間に発信してきた。

 

そして1988年には代表選抜選手権大会で日本代表の座を勝ち取り、翌89年の大会では、史上初めてヨーロッパ地域以外のチャンピオンに輝く快挙を果たす。

当然国内外から注目が集まり、村松氏の活動の舞台がヨーロッパやアメリカのみならず台湾やシンガポール、タイ、香港、韓国でのデモンストレーションや長野冬季五輪表彰式・セレモニーの花束のデザインなどと広がっていくのに合わせるように、国内でも徐々にフラワーデザインの注目が上昇。ヨーロッパのデザインも入ってくるようになり、国内の花の生産総額も右肩上がりに増えていった。

 

国内花市場衰退の原因は「消費者の花離れ」

シュラゴンパゴダ(ミャンマー)にてデモンストレーション

しかし、村松氏がその後も、輪島、越前、若挟、山中、京都屈指の職人たちが伝統技術の「極」を結集して完成させた漆の最高峰コレクション「リアル・ジャパン」ブランドの花器のデザインを担当したり、

中国やミャンマーにも舞台を広げ、ミャンマー国の招致で聖地・シュラゴンパゴタでデモンストレーションを行ったり、トルコ園芸博覧会での統括プロデュースを務めたりなど活動を拡大しているのに対し、

国内の花市場は「1兆円産業」とうたわれた2000年をピークに衰退。現在に至るまで年々生産額の減少が続いている。

村松氏はその原因を「お墓参りの回数が減ったこと」「店舗の新規開店などのお祝い行事の花にお金をかけなくなっていること」「一般の消費者が家庭に持って帰る花が少なくなってしまったこと」の3点だと分析する。

 

「中でも一番重要なのは、普通の人にとってお花が遠い存在になってしまっていることです。私は去年まで玉川大学でフラワーデザインのクラスを教えていたんですが、近所のどこに花屋さんがあるか知らないという子が本当に多いんですね。

1年間の授業が終わった後で感想を書いてもらうと、みんな季節を感じることができてすごく楽しかったといってくれるんですが、普段それだけスルーしてしまっているということでもあるわけです」

 

花文化が自然になれば、生活はより豊かになる

この状況を打開するために一体何ができるのか。それがここ10数年間、村松氏が常に考えていることだ。

鍵となるのは、花に対して敷居の高さを感じてしまっている一般消費者に、生活の一部として花を楽しむ「花文化」に親しんでもらうこと。

そのためにまず重要なのは「消費者が買いやすいこと」であり、その実現のために欠かせないのが生産者との対話だという。

 

村松園芸にてお客様のデザイン製作中

「例えば、1種類の花を100本市場に出すのではなくて、25本ずつ4パックにして出せば小さな花屋さんでも買うことができます。

町の小さなお花屋さんが欲しいのはいろんな花を少しずつなので、そういうお花屋さんが買いやすいようにするといいんですね」と、

生産者に花屋の事情を伝えたり、フラワーデザイナーの考え方を伝えるのは、活動初期から続く村松氏の大事なライフワークの1つ。

現在も北は北海道の七飯町から南は沖縄の沖永良部島まで、全国の生産者の元へ足を運んで話をすることを大事にしている。

 

だがその先の先にあるのは、消費者に花文化を楽しんで欲しいとの思いだ。

 

「花は普通の商品と違って文化だと思うんですよ。そして日本は昔から花に対する造詣が深く、文化として楽しんでもらえる下地は十分にあるはずの土地。例えば仕事や生活にイライラした時そこに一輪の花があって、みんなが香りや存在などを感じることができるなら、そう殺伐とした社会にはならないと思うんですね」

 

自分の気持ちを相手に伝えるために花を贈る歴史は古く、紀元前のエジプトではすでに美しい花を摘んで愛する人に贈ったり、墓前に花を手向ける習慣があったという。

 

「花は金額の過多ではなくて、自分の気持ちをそこに託して贈るもの。例えば、奥さんと喧嘩した日はお花を買って帰るとか、自然に日常の中に組み込むことができれば、夫婦関係も恋人との関係もよくなるんじゃないかと私は思っているんです」

 

 

花は万人が好むもの、だから未来は明るい

小学校や中学校で講演も行っている村松氏が今心配しているのは、「100円ショップ」で売られているものに子どもたちが満足し、それがすでに文化になりつつあることだという。

「リアル・ジャパンで花器のデザインをさせてもらったんですが、あらゆる匠の技の粋を凝らして作られたそれは本当にすばらしい美術品です。

そういういいものと100円のものとのギャップの深さと、そこに注目する人が年々減っているのが花離れと同じように感じる」のをとても寂しいと話す。

 

しかし同時に、日本の花市場の未来自体は明るいとも村松氏は言う。

その理由は、花に対して悪い印象を抱く人はいないからだ。

 

「みなさん、花に対してはいい思いしかないでしょう? それが一番だと思うんですよ。花は文化であり、その表現には絵画や音楽すべてがコラボレーションしてくるもの。自分が頑張ることで、いろいろな考えを持っている若いフラワーデザイナーたちが自立する手伝いをしていけたら嬉しいですね」

 

 

そういえば最後に墓参りに行ったのはいつだっただろうか。

久しぶりに花を買って両親の墓に参ってみようかと、自然とそんな気分が込み上げてきた。

 

オビ ヒューマンドキュメント

●プロフィール

村松文彦(むらまつ・ふみひこ)氏…静岡県出身。1951年12月5日生まれ。玉川大学在学中にヨーロッパ・アメリカを巡る旅に出る。1974年にシカゴ・アメリカンフローラルアートスクール卒業。1988年にインターフローラル・ワールドカップ日本代表選手権大会に優勝、翌89年の大会に出場し欧米圏外出身者では初のワールドチャンピオンに輝く。現在は国内外でのフラワーデザインデモンストレーションのほか、教育の分野でも活躍中。

 

●I.Fフローラル・デコ株式会社

〒152-0004 東京都目黒区鷹番1-8-20・C

TEL 03-3719-0373

http://www.froraldecor.com

 

●株式会社村松園芸

〒420-0833 静岡県静岡市葵区東鷹匠町16

TEL 054-246-3108

http://www.muramatsu.ne.jp

 

 

◆2017年7月号の記事より◆

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