オビ 企業物語1 (2)

負債額9億─〝知恵〟を駆使してピンチを乗り切れ! 奮闘する2代目社長の経営手腕と思いとは…

株式会社横引シャッター/代表取締役 市川慎次郎氏

オビ ヒューマンドキュメント

株式会社横引シャッターは、名前の通り「横に引くシャッター」の専門メーカー。

オーダーメイドシャッターの設計・製造・施工で30年以上の実績があり、最近ではその特殊技術を活かした雨戸やペットカーテン、ユニバーサルデザインのドアなど、新しい分野にも挑戦。

着実に売り上げを伸ばし、実質無借金経営を貫いている。

しかし約15年前には9億円もの負債を抱え、屋台骨が揺らぎかけた時期もあった。

同社は、どうやってそのピンチを乗り越えることができたのか?

その立役者であり、2代目社長の市川慎次郎氏に話を聞いた。

 

 

ゼロから生きる場所を求めて

創業者である先代社長の息子として、当たり前の様に幼い頃から跡継ぎとなるべく育てられたという市川氏。

大学は、当時同社が中国との合弁会社を持っていたことから、通訳は身内で固めたいという先代の意向で中国・北京へ留学。

卒業後、すぐに同社に入社するが、入社当初は「シャッターの『シ』の字もわからない。知識、能力、経験、才能すべてが足りない、ないない尽くし」だったという。

 

周りは自分より知識も経験もある人ばかり……となれば、少しでも差を埋めようとがむしゃらに働きがちだ。もちろん、市川氏もその例外ではなかった。

しかし、すぐに知識や経験を身につけるだけでは足りないことに気づく。

 

「社長の息子ですから、何か思うところがあっても社員は誰も言いません。けれど、社長の息子というだけでやっていけるほど甘くはない。

そんな場所で、まず僕の最初の課題は、何もない自分が生きる場所を掴み取ることでした。

その為には、例え学生時代に得たつたない知識でも、それらを上手く組み合わせて使う〝知恵〟が必要だと思ったんです」

 

同社外観

先代の鞄持ち兼運転手兼秘書として行動を共にしながら学び、現場、工事、経理、営業、クレーム対応と、遊軍的立場であちこちの部署を経験した末に、

市川氏が自分の仕事と定めたのが、当時「開発すれどもヒットせず」の中で、9億まで膨れ上がっていた負債を返済することだ。

「今だから話せるけれど」というその内容は、給料、税金、仕入代金の未払いがそれぞれ1億円ずつ、銀行の借り入れが6億円というもの。

支払い督促の電話もしょっちゅうで、「いつになったら払ってくれるの?」との仕入先からの問い合わせに、「入金があったら払います」と平気で答える異常が日常化している状態だったという。

 

そんな中、「売る営業が苦手で、外から金を持ってくるのに向かない自分ができることは何か?」を必死に考えた市川氏が出した答えは、「会社の中にある金を外に出さないこと」。

かくして、壮大な聖域なしのゼロベース見直しはスタートした。

 

 

知恵を武器に9億の負債に挑む

だが突然現れた社長の息子が大改革を始めれば、経理担当者の反発を招くのは避けられない。

そこで市川氏は一計を案じ、さまざまな小さな無駄をカットしてできた月100万円の余剰のうち、60万円を経理側に渡し、40万円は過去の負債を返済するために使わせてほしいと持ちかけた。

経理側からすれば、何もしないで月60万円入ってくるわけで、断る理由はない。

これにより経理担当者の協力を取り付けた市川氏は、さらに交渉して、数万単位でバラバラと入金がある通常時は日に1万円、

数百万単位の入金がある月末時は20万円を返済資金としてプールする確約も取り付け、こちらでも合計月40万円を確保することに成功する。

負債全体から見ると焼け石に水だが、1年間貯めれば480万円。

それを年に一度、最も効果がある所に返済することで効果的に負債を減らし、同時に異常が日常化し、澱みきっていた社内の空気を少しずつ払拭していった。

 

だが、その道のりはもちろん簡単だったわけではない。調査の結果ようやく詳細が判明したその滞納額は、本税だけでも8796万円。

税務署で「払ってもらわないと困る」、「払えない」の押し問答の末、3時間缶詰になったことも珍しくなかったという。

それでも差し押さえを受けずに乗り越えられたのは、「できないことは約束しない。決めたことは守る」の原則を貫いたからだと市川氏は言う。

 

「負債が溜まってしまう理由は簡単で、約束事を守らないのが一番の原因です。だから、決めたことは守るという一点だけに集中しました。

税務署は月々数百万円払ってもらわないと差し押さえをするという。うちが払えるのは月々数十万円までで、差し押さえは困る。

そこから延々と交渉するわけですが、最後に机を叩かれて、〝わかった、それでいい。だが1日でも遅れたら差し押さえするからな!〟となったら勝ちです。

あとは約束を守ればいいだけですからね」

 

そうして誠実に返済を重ね、実績を作れば、次の担当者との交渉でも武器になる。

それを、仕入先の1つひとつ、従業員の1人ひとりについても行っていく。

丁寧な仕事を積み上げた結果、返済額は6年間で7億円に。

10年7カ月で1億円以上あった税金の延滞金まで払い終えると、社員の士気や業務の効率化にも驚くほどの変化があったという。

 

 

「売る商売」から「買ってもらう商売」へ

このような手法や知恵は先代である父親と一緒に仕事をする中で、自然と身に着けたという市川氏。

2007年頃から実質的に経営を任され、5年後の2012年に先代の急逝により2代目社長に就任した。

だが、そのタイプは先代とはまったく違うという。

 

「先代はアイデアマンであり、開発者で、攻めが強いタイプ。僕はその下で長くナンバー2をやっていたので、守りが強いタイプです。

〝僕は先代のようにはできないし、やるつもりもない〟とは、先代が健在だった頃からよく言っていました。

その意味は、会社の核である先代の意志はきちんと継いでいくし、そのやろうとしたこともちゃんと結果を残していく。

ただ、その方法論は違う、ということです」

 

その違いの表れの1つが、「売る商売」から「買ってもらう商売」への営業方針の転換だろう。

それは、自身が「売る営業が得意ではない」ということに加え、時代のニーズに応えるものだと市川氏は言う。

 

「〝売る商売〟は自分たちがバトンを持って〝このバトンを買ってもらえませんか〟というものですが、

〝買ってもらう商売〟は、お客様がバトンを持って、〝このバトンを買いたいんだけれど〟と来てくれるというものです。

この2つは、先代もよく言っていましたが〝売っても商売、買ってもらっても商売〟。

今はスマホやSNSがこんなにも普及して、予算に乏しくても知恵次第で大きな宣伝が可能な時代です。

買ってもらうために不可欠な情報を常に発信し、お客様や周りの人、潜在顧客に呼びかけられるわけで、中小零細企業にはチャンス」なのだ。

 

情報発信が重要な理由は、昔のように「いいモノを作れば売れる」時代ではなくなったからだ。

 

「〝他社との違いは使ってもらえばわかります〟ではなく、使う前に他社製品との違いを知りたいのが今のお客様のニーズ。

多くの中小企業はその説明にお金はかけられない、できない、で終わっていますが、予算0円ではどうにもなりません。

年間10万円でも100万円でも予算を付けて、その限られた中で何とか他社との違いを伝える知恵を出す。それが求められていると思うのです」

 

同社製品一例…(左)パイプカーテンゲート、(右)防火・防炎シャッター

 

同社製品一例(左)横引きシャッター、(右)水平垂直引きシャッター

 

 

大手に勝てる中小企業の見本を目指す

同社が現在目指しているのは「山賊から武士へ生まれ変わること」。

 

「今、うちは〝腕はあるけれど品がない山賊〟。それを、〝腕も品もある武士〟になろう、というのが、会社を上げて取り組んでいる課題です。

そうしないと次のステージで戦えません。これまでは、一生懸命にモノづくりをしていればよかった。

けれどこれからは、人が見て一生懸命にやっていると思われることも必要な時代です」と力強く語る底には、

特殊シャッターという分野においては、決して大手企業にも引けを取らないという気概と自負がある。

 

目標は「大手と比べてうちなんかと思う中小は多いけれど、自分たちのフィールドで勝負をすれば、大手企業にも勝てる。そういう見本を示す中小企業になること」だが、

同社の場合は、さらにそこに1つ「銀行借り入れ0の、完全無借金会社の達成」という条件もつく。それが、先代との約束だからだ。

現在のペースで返済を続けて行けば、約6年後には完全に借入金0は達成されそうな見通しだ。

けれどそれではおもしろくない、繰上げ返済達成のために知恵を絞ってこそ経営者だというのが市川氏という人。

借入0になったら、先代の墓に報告することを楽しみにしている。

 

 

「自分は後継者であって、創業者ではない」。市川氏の胸には常にその思いがあるという。

 

「この会社は先代の会社だから、一番優先されるのは創業者の意思であって、現社長の思いや意思ではありません。

それが嫌なら、僕はここをやめて自分の会社を興せばいい。それが僕が社長を務める上でのルールです」

 

創業者の志を胸に、時代に合った手法で改革を進める。

理想の事業承継の形がここにあった。

 

 

オビ ヒューマンドキュメント

●プロフィール

市川慎次郎(いちかわ・しんじろう)氏…1976年4月7日生まれ。埼玉県八潮市出身。国士舘高等学校卒業後、中国・北京へ留学。清華大学、北京語言文化大学の漢語学部・経済貿易学科を卒業する。帰国後、株式会社横引シャッターに入社し、先代社長を助けて9億の負債返済にあたる。後、総務部部長・経理部部長を兼務し、2007年から実質的に経営を担う。先代の急逝により2012年に代表取締役に就任、現職。

 

●株式会社横引シャッター

〈本 社〉

〒120-0005 東京都足立区綾瀬6-31-5

TEL 03-3628-4500

〈工 場〉

綾瀬工場・八潮工場・三郷工場・垳工場

URL:http://www.yokobiki-shutter.co.jp/

Facebook:https://www.facebook.com/yokobiki/

 

 

◆2017年4月号の記事より◆

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