株式会社TonTon – 空腹過ぎて従業員が土を食った!? 極貧から世界と勝負する企業へ。若き社長の〝人〟儲け奮闘記
空腹過ぎて従業員が土を食った!? 極貧から世界と勝負する企業へ。若き社長の〝人〟儲け奮闘記
株式会社TonTon/代表取締役 今川博貴氏
19歳の若さで独立するも会社は火の車。
事業の失敗を悟ったのは、空腹に耐えかねた従業員が土を食べているのを見たときだった─。
そんな冗談のようなエピソードを持つ今川博貴氏は現在、32歳。
再起をかけて、2013年に設立した株式会社TonTon(東京都目黒区)を売上約10億円に迫る企業へと成長させた。
同社のコンセプト「〝人〟儲け」はいかにして生まれたのか。
2度の倒産を経験した同氏の波乱曲折の人生にスポットを当てた。
19歳で独立。そして、最初の失敗
その言葉に耳を疑うのは当然だろう。経営不振のあまり、空腹に耐えかねた従業員が土を食べていたというのだから。
2つの会社を倒産させ、困窮を極めた今川博貴氏は、しかし、2013年に設立した株式会社TonTon(東京都目黒区)を創業わずか3年にして売上約10億円に迫る企業にまで成長させた。
不動産事業と飲食事業を展開する同社のコンセプトは「〝人〟儲け」。お金を儲けるよりも、仲間や家族、社員や顧客を大切にしようという「超人間中心経営」を掲げている。
そして、昨年の10月には上海証券取引市場のQボードに上場するなど、アジア諸国への海外進出計画が目下進行中だ。
同氏が座右の名にも挙げる「〝人〟儲け」とはどのようにして生まれたのか。
それを知るにはまず、同氏のビジネス人生の出発点へと時計の針を戻す必要がある。それは19歳だった2004年のことだ。
「高校を卒業したあと、電気通信工事の会社に就職したのですが、面白さを感じず、1年足らずで辞めてしまいました。
仲間と一緒に何かをやれば、きっと楽しいに違いない、そんな思いから同い年の仲間に声をかけ、メンズのアパレルブランドを始めたんです」
同氏を中心に地元・横浜でやんちゃをしていた仲間5人で立ち上げた会社は、ある先輩が経営する会社の自社ブランド事業が中心業務だった。
スタートから数カ月で好調な成績を上げ、一部の若者の間で人気ブランドとなる。ところが、そこに最初の落とし穴があった。
「それまでふらふらとしていた世間知らずの5人が突然、大金を手にしてしまったものですから、大きな勘違いを生みました。
お世話になっていた先輩の会社から撤退し、『同じことを自分たちだけでやろう、そのほうがもっとお金が儲けられる』そんな浅はかな発想で事業を転換させたのです。
当然、揉めました。僕は今でもこのときの判断を人生最大の過ちだと思っています。これがきっかけとなってさまざまな人間関係が崩れ、僕は本当に大変なことをしてしまったと悔やみました。
その先輩に頭を下げに行き、同時に会社は解散、ブランドも捨て、僕は何もない状態となりました。これが21歳のとき、最初の事業の失敗です」
事務所に戻ると、衝撃的な光景が……
もともと独立志向が強くポジティブな性格の同氏は2006年、再起をかけて再び同じ仲間を集める。
そして、ティーンズ向けファッション誌の読者モデルによるブログ集合サイトを始めるのであった。
当初は話題性もあり、大手企業などからの問い合わせもあったという。しかし、思うように収益は上がらなかった。
「広告収入に頼るビジネスモデルを考えていましたが、実際にどうすれば収益事業化できるのか分からず、模索する毎日でした。
今から思えば、自分たちにどんな価値があり、それをどう世間にアピールすればいいのかを見出せていなかったんだと思います。
気がつくと、ビジネスではなくボランティアをする集団のようになっていました」
特に財政を圧迫したのが、モデルたちに支払う原稿料だった。
自分たちの収入もままならない中、支出ばかりがかさ張り、これを補填するために始めたのがゴミの収集業だ。
「軽トラックを1台購入し、不要になった家電や日用品を集めてはリサイクル屋さんに売っていました。
当時は1日に1食、食べられるか食べられないかというギリギリの生活。
仲間5人で牛丼屋へ行くと、ライスと卵だけを購入し、テーブルにある無料の漬け物を乗せ、息を吸い込むんです。
『牛丼の味がするねえ』なんて笑いながら、みんなでご飯をかき込んでいました」
当時、借りていた事務所は五畳一間の古びたアパートだった。
ある日の夕方、同氏がゴミ収集で得た7600円を持って事務所へ戻ると、衝撃的な光景が目に飛び込んでくる。
空腹に耐えかねた仲間の一人がベランダの土を食べていたのである。事業の失敗を悟った瞬間だった。
「困窮し過ぎて誰もが精神的に参っていました。
僕は楽観主義的な性格ですが、さすがにマズいと感じ、その日の夜、7600円を握りしめて、みんなで居酒屋に集まりました。
そして、各々一回社会に出てみようと話し合ったのです。これが2度目の失敗です」
広告代理店の営業マンとして
実はこのとき、同氏はある決意を仲間たちと話している。それは各々が社会で経験を積み力を蓄えたのち、再び結集しようという約束だった。
そして、その場所を必ずつくることを同氏は誓った。
その後、広告代理店に就職した同氏は大手紳士服企業のプロモーションを担当するなど、持ち前の明るさで営業マンとしての頭角を現していく。
「会社に寝泊まりし、死ぬ気で働きました。今までまったく知らない世界だったこともあり、新鮮な気持ちで業務に取り組んでいましたね。
何よりもお客さんから感謝の言葉をかけてもらうとそれまで感じたことのない充実感を味わいました」
そんなある日のこと、一本の電話が鳴る。声の主は昔、不義理をしたあの先輩だった。
「沖縄のホテルを一緒にM&Aしないか」電話越しに先輩はそう告げたという。
「最初、M&Aの意味さえ分かりませんでした。それほど金融や不動産の世界には疎かったんです。
ただ、先輩からの誘いをすごく嬉しく感じました。
広告代理店に就職してからだいぶ年月が経っていたこともあり、今の自分ならばプロモーション的なことで関われるんじゃないかと先輩の手伝いをすることを決めました」
そのホテルは沖縄諸島のある島に一軒だけ建っている古びた宿泊施設だった。
修学旅行生の誘致やリノベーションなど経営のテコ入れを行うと徐々に業績が伸びていった。
そして、1年後には月の売上が前年比の10倍にまで膨らんだ。
同氏はこれをきっかけに不動産投資の面白さに魅了されていく。
「その後は個人で不動産投資を行い、そうして蓄えた資金を元手にあの約束を果たそうと立ち上げたのが当社の始まりです」
再結集の場所は〝人〟儲けをする企業
仲間と交わした7年前の約束を守るため、同氏は再び会社を立ち上げる。なぜ、同氏はそこまでして「仲間」にこだわるのか。
「お金に不自由はしたけれど、すごく充実した毎日だったんです。
ときどき安居酒屋にみんなで行き、安いお酒を飲んで、それだけでとても楽しかった。
まわりの同世代を見るといい服を着ていたり、かっこいい車を買ったりしていて、それは本当に悔しいし、今に見てろよという気持ちもありました。
だけど、何よりも隣に仲間がいるからこそ頑張れました。そして、明るい未来が待っていると信じて行動できたんです」
近年、物理学や天文学の世界では、宇宙を構成する成分の96%は目に見えない物質やエネルギーで成り立っていると言われている。
いわゆるダークマターやダークエネルギーのことである。
つまり、人間が観測できる水素や酸素、金属といった一般的な物質はわずか4%に過ぎないのである。
「観測できるもの、要するに目に見えるものがたったの4%しかないと知ったとき、とても衝撃を受けました。
僕らは科学の進歩によっていろいろなことを分かったつもりでいるけれど、宇宙には目に見えないもののほうが圧倒的に多い。
実はそれはぼくらの身のまわりについても同じことが言えるのではないかと思っています。
例えば、感謝や愛する気持ち、ご縁や恩、あるいは憎しみ。
人って何だろうと考えたときに、お金や贅沢品や豪華な食事やそうした物質的な〝物〟よりも、目に見えない〝想い〟のほうが圧倒的にたくさん存在していて、
それが人を動かし、日々の生活の営みを成り立たせているんじゃないかと思うんです。
だから、僕は利益優先ではなく、仲間や家族、社員やお客さんを大切にする〝想い〟を優先するビジネスをしたいと考えています。
『超人間中心経営』を守り、『〝人〟儲け』をする企業でありたい、それが2度の失敗を経てたどり着いた僕の答えです」
創作お茶漬けでアジアへ進出
現在、同社では再結集した「地元の仲間」のほか、従業員70名が働く。
いくつか展開する事業の中で取り分け力を入れているのが、テレビなどのメディアにも取り上げられている創作お茶漬け専門店「だよね。」だ。
同社は昨年、上海証券取引市場のQボードに上場し、中国におけるチェーン展開の準備を目下、進めている。
お茶漬けに着目したきっかけは何だったのか。
「どの世代も仲間外れにしたくない、どの世代も安心して美味しく食べられる、そう考えると自ずと日本食にたどり着きました。
中でもお茶漬けは日本に古くからあり、健康的で、ファーストフードのような手軽さもあります。
日本食を通じて世界を健康にしていこうというコンセプトのもと、第一歩として上海市場に上場しました。
上海から南の香港にかけてはご飯にお湯をかけて食べる文化があるんです。なので、このラインを狙ってチェーン展開する予定です。
よく中国でのビジネスは難しいと言われますが、伝聞ではなく、自分の肌で本当に難しいのかどうかを感じて、僕なりの答えを出したいと思っています」
(左上から時計回りに)創作お茶漬け専門店「だよね。」外観/「鮭と漬けイクラの海鮮茶漬け」はお茶漬けの王道!/国産豚バラと自家製の食べるラー油の相性が絶妙な「旨辛豚と自家製ラー油のお茶漬」/店内は全席カウンター席で、女性も入りやすいお洒落な雰囲気
さらに同社が注力しているのが無人航空機ドローンを活用したビジネスだ。
現在、インストラクターの育成とスクール運営を都内で行っているが、ゆくゆくはドローンによる不動産管理事業を展開する予定だという。
「赤外線サーモグラフィーを搭載したドローンを飛ばし、コンクリートの老朽化診断や雨漏り診断を行う計画を進めています。
こうした検査は通常、足場などを組む必要があるため、非常にコストがかかります。
しかし、ドローンを使えば、そのコストが抑えられ、時間も短縮されます。
既存の不動産事業とともにドローンを使用した不動産管理事業を掛け合わせて、国内だけではなく、海外も見据えた展開を行っていきたいと考えています」
信頼できる仲間がどれだけいるのか
海外でビジネスを成功させることは同氏にとって直近の目標である。
その見通しを尋ねると「3年以内に必ずアジアで戦える企業に、そこから5年かけ、足かけ8年で世界と戦える企業に当社を育てたいと考えています」ときっぱり言い切った。
同氏は続けてこんな話をしてくれた。
「僕は何億円、何兆円の収益を上げることよりも、従業員をどれだけたくさん抱えているか、そちらのほうにこそ、よっぽど価値があると思っています。
企業というものは社会背景を踏まえながら、その時代時代に合わせて変わっていくものです。
そのとき一番大切にしなければいけないのは社員であり、人なんです。
そして、信頼し合える仲間がどれだけいるかが、その企業の組織力になると考えています。
僕には温かみと思いやりのある世界をつくりたいという夢があります。だからこそ、『〝人〟儲け』の精神でこれからも邁進していきたいと思っています」
同氏の眼差しは、きっと19歳で独立したときと変わらない情熱と純粋さをたたえている。そして今は、あのころには持ち合わせていなかった知恵と経験を身につけている。
何よりも5人だった仲間が70人にまで増えたのだ。いよいよ世界に打って出る準備が整った。
●プロフィール
今川博貴(いまがわ・ひろき)氏…1985年岡山県に生まれ、1歳より神奈川県横浜市で育つ。高校卒業後、19歳という若さで独立し、ファッションブランドを立ち上げる。その後、ブログ事業に参画。広告代理店の営業マンなどの経験を経て、2013年に不動産事業と飲食事業を軸に展開する株式会社TonTonを設立、現在に至る。
●株式会社TonTon
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◆2017年4月号の記事より◆
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