株式会社アツデン – 知恵と技術で世界と勝負する。葛飾のエジソンが仕掛ける、日本のモノづくり再生
知恵と技術で世界と勝負する。
葛飾のエジソンが仕掛ける、日本のモノづくり再生
株式会社アツデン/代表取締役 村上英一氏
「日本はちゃんと、モノづくりで稼げるんだよ」。
こう断言するのは、葛飾区立石の下町にある、社員16名の小さな工場、株式会社アツデンの村上英一代表取締役(写真)だ。
「モノづくりの日本」と言われた時代は遠い昔。
技術と資本が海外へ流出し始めて久しい日本の製造業にとって、再生の希望があるとしたら、それは何か。
超音波流量計の開発・製造でグローバルニッチな市場を独占するため、常に新しいものを求めて発明し続ける、「葛飾のエジソン」村上氏に、日本が持つ製造業の底力と再生について、想いを伺った。
理系出身ではない発明家。武器は発想力のみ
2015年、同社代表取締役・村上英一氏が申請した「配管外部から測定可能にした超音波流量測定装置」が、公益財団法人日本発明振興協会主催「第40回発明大賞」にて、発明功労賞を受賞した。
申請した製品は同社の主力商品となっている。
1996年設立の株式会社アツデンが取り扱っているものは、工業用計測器である流量計だ。それも、超音波を利用した「超音波流量計」に限られる。
その理由は、事業を始める当初から一貫した信念「ニッチな市場でオンリーワン・ナンバーワンになる」にある。
世の中に工業機械、中でも流量計を扱っている企業はたくさんある。しかし、超音波流量計となると、その数は極端に少ないという。
「ニッチな市場というのは、大手にとっては技術があっても商売にならない、中小企業にとっては技術がなくて参入できない。
この隙間を狙って、技術を持っている我々が入り込む。これでもうオンリーワンもナンバーワンも約束されているようなものです」
超音波流量計というグローバルニッチ市場で世界一に君臨する同社は、さらに製品力と販売戦略にも独自性を持つ。
従来の製造方法に囚われない全く新しいものを開発し、その市場を独占できる緻密で斬新な製品を「ユニット」にするという販売戦略だ。
製品と、導入する工場設備の企画から完成、さらに製品を使用し、メンテナンスを行うための人材教育まで、トータルで提供する。
超音波流量計を使用するなら、設備やシステムも同社のものを利用するしかないという、まさにオンリーワンだ。
現在、メーカーのOEMを製造する形をとっているが、メーカーからの注文を待たずに、常に新しい技術を生み出し提案し続けている。
「これまでうちで扱っている製品は、私が企画し発明したものです」という同氏は、驚くことに理系出身ではないという。
超音波流量計だけでなく、写真の自動溶着機も同社の知恵と技術の結晶。全世界で特許を取得しているという。
どん底の時にやってきたチャンス
村上氏が卒業したのは東京工芸大学短期大学。映像分野を学んだ。卒業後は凸版印刷株式会社に入社。
「全く理系や工業とは離れたことをしていました」
しかし、この頃から既に突出した発想力を発揮している。
2万人に1人しか受賞できないという、社長創案賞を新入社員で受賞しているのだ。
「受賞して査定はスーパーの称号をくれるけれど、それでおしまい。つまらなくなってしまってね」と、2年で凸版印刷株式会社を退社してしまう。
退職後、友人と旅行会社で起業してみたが、失敗。
「趣味と仕事は違うということがわかりました」
友人にだまされ金を持って行かれてしまい、無一文となってしまった。
途方に暮れていたところ、「『お前、面白そうだから』って拾ってくれる人が現れまして」新橋にある事務所のデスクを1つ借りて、依頼されることは何でも請け負っていた。
そんな時に、チャンスがやってきた。オートテニスの機械を売ってみないかと誘われたのである。
誰にも真似できないものを作りたい
オートテニスとは、バッティングセンターのテニス版だ。
当時1970年代、テニスという贅沢なスポーツを嗜む人は多くなかった。そんなものは売れないだろうとタカをくくっていると、北千住に1軒だけオートテニスを導入している店があるという。
実際に行ってみると「女工さんが、作業着のまま昼休みにテニスをしているんです」
現在の天皇陛下がまだ皇太子だった時、現在の皇后陛下と出会った場所がテニスコートというロマンスは、女性にテニスへの憧れをもたらしていたのだ。
目の当たりにした同氏は「売れる」と確信。
早速オートテニスを製造販売しているアメリカの企業に、日本の代理店をすっ飛ばして販売権取得を掛け合った。
当然、日本に代理店があるから断られたが、「今持っている商品、在庫を全部買うならどうだって言いました」。
意表を突かれた交渉に、先方が「金はあるのか」と聞いてくる。実はその時、同氏の将来性に数千万の投資をした社長がいた。
「いくら必要なのか。その金額をキャッシュで用意する」と答え、販売権を独占してしまったという。
「個人でも小さい会社でも、先行投資が必要だということがわかりました」
この時の経験が、今の事業展開に役立っている。
さらに同氏は、買い占めたオートテニスの機械を全て売り切ると同時に、その機械と同じものを自社開発。ここで発明家の片鱗を見せる村上氏、自社開発したオートテニスの機械は、瞬く間に売れた。
しかし、同氏がアメリカの技術を真似たように、やはり真似できるものは誰かが同じものを作り出す。後追いで似た商品が出始め、価格競争となってきた。
「すると面白くなくなってしまいましてね。撤退することにしました」
オンリーワンでナンバーワン。その精神を当時から持っていた同氏の思いはただひとつ「新しい、誰も作らない社会に役立つものが作りたい」。
当時の仲間は引き止めたが、自分と同じ事業失敗のリスクを背負わせるわけにはいかない。
「転職先の企業で即戦力となるはずだと考えて、今までのお客様を全て連れてってもらいました」
従業員を転職させ、「さっぱりきっぱり」と退路を絶って、一人、新しいモノづくりの世界へと向かった。
頭を使えば出来ないものはない
工場内での作業風景
こうして「工業系のことは何一つ知らない」状態で、製造業へとデビューした村上氏。ヒット商品を作り出し、設立以来継続して黒字経営だ。
誰にも真似できないものを作り続け、市場に出すこと。
「これが製造業で稼ぎ続けることができる唯一の方法」だと同氏は言う。
また、ただ闇雲に新しいものを企画開発しているわけではない。
市場に何が必要とされているのかを見抜く「嗅覚」、製品を企画しつつ品質を上げてコストを下げる「知恵」、この2つを以って開発しているからこその、事業拡大と言えるだろう。
最高の技術で最高のものを、どれだけコストを抑えて早く作ることができるか。
「10分の1のコストで、作業効率は4倍。これがモットーです」
オリジナルの製品を発明したことに満足をしている暇はない。
常に日本一、世界一でなければ気が済まないという村上氏が手がけた工業製品は、リニューアルするたびに性能は向上し、コストは下がっていく。
「私が考えたものを社員に持って行って〝これを作って〟というと、社員は大抵〝無理ですよ〟っていう。でも、無理じゃないだろ、もっと考えろと言うと、ちゃんと出来る。
出来ないって思っていたら何も生まれないのです。出来るはずだと思って頭を使わなくてはダメです」と笑う。
「モノづくりに学歴や知識の有無は関係ありません。必要なのは知恵と発想の転換。知恵を生み出す方法は大学では教えてくれません。
社員はうちに入社してから教育します。自動車の整備だけしかやってこなかった人間だって、うちに来たら設計ができるようになるんです」
全て自分で作り上げることができる製造業は、自分で価値と売り上げを決めることができる最高の商売だと同氏は言う。
「自分で考えたものが、工場に設置されて、そこから生まれた製品がずらっと並んでいるのを見ると、感無量。うれしいよね」
村上氏は、最高の笑顔を見せた。
沖縄に新工場、新たな事業へ参入
現在、来期に向けて海外の大手メーカーとのプロジェクトが進んでいる。このプロジェクトが始まったきっかけも、同氏が3年前から嗅覚を利かせた結果、引き寄せたものだ。
村上氏が所有するクルーザー
目をつけたのは、まだ日本では馴染みがない「シングルユース」。
医療研究機関で多く用いられている「シングルユース」とは、工業製品や備品を使いきりにすることで、洗浄・滅菌の必要がなくなるシステム。
このシステムに伴う流量計や設備等を、同社が一括して請け負うこととなる。
相当の売り上げ増が見込める事業への参入だが、下町の町工場のキャパシティで生産ラインは追いつくのだろうか。
訊くと、「沖縄に工場を作ってあります」と村上氏。いずれ事業が拡大すると予測し、既に沖縄工場を設立していたのだった。
なぜ沖縄に工場を設立したかというと「沖縄が好きだから。持っているクルーザーで遊びたいだけですよ」と同氏は言う。
しかし、その言葉の裏には、同氏が想う、日本の製造業への期待と野望が隠されていた。
沖縄で「機械加工の寺子屋」を設立
沖縄には、工業高校はあるが製造業というカテゴリはないという。製造業が存在していなかったのだ。
これでは工業高校があっても、モノづくりに関わる人材が育たない。
自分の会社が、日本と沖縄の役に立つことはないかと考え、同社の関連会社として沖縄に株式会社琉SOKを設立した。
この会社と工場を「機械加工の寺子屋」として、モノづくりの指導と人材育成を行なっていく。
工場には、機械加工のベースとなる旋盤からフライスなど、加工機械をほぼ揃え、それらを使いこなすことから指導は始まる。
設計するための発想や知恵は、機械を使えるようにならなければ生まれないという、村上氏の考えからだ。人材は沖縄県の新卒を中心に採用。
「技術というものは、種から育てなければ本物にならない」
トータルでモノづくりを考えることができる人材を育成し、沖縄から世界へ発信する考えだという。
では、再び日本が世界に通用する強い製造業となるためには、何が必要なのだろうか。
新興国に勝てるのは知恵だ!
日本の製造業の多くは、安い労働者を求めて海外へ製造現場を移した。これにより多くの技術が海外に流出したと言っても過言ではないだろう。
技術を真似して同じものを作る。それは悪いことではなく、過去、日本も歩んできた道だ。
しかし日本は、海外から導入した製品を独自の発想をもって改良し、技術革新を行ってきた。改良しさらに良いものを作る「知恵」と技術が、日本の製造業を発展させてきたのだ。
「新興国に日本が勝つもの、それは知恵です」
今、その「知恵」を活かせている製造業はどれほどあるのだろう。
目先の利益を求めに海外へ出て行くのではなく、日本が持っている知恵を以て技術革新を推進できる、環境や人材育成に投資をするべきではないのか。
開発風景
「私は、別に流量計じゃなくても良いんです。新しいナンバーワンを作って、日本から世界へ発信したいと思ってできたのが、超音波流量計だっただけです。
こんな下町の小さな工場だって儲かるものを作ることができた。日本に居たって製造業は儲かる仕事だっていうことを、わかってほしい」
同氏の「儲かる」の言葉に隠れた、日本のモノづくり再生への願いが見える。
「すぐにお金になる商売は疑うべき。良いものを作ろうと思ったら、頭を使って考える力と時間が必要なのです」
「この世界では遅咲き」という同氏に、なぜ全く新しい世界に参入したのか、不安がなかったのかを聞いた。
すると、全くゼロになってしまったときに出会った、ある人との会話を教えてくれた。
「村上さんは、これから何がしたいの」
「電力とか、エネルギーとかで社会に役に立つものが作りたいと思っている。でも、それってお金がかかるよね」
「村上さんはおかしなことを言うね。エジソンは、最初はお金なんてなかったんだよ」
この一言で、知恵と発想はタダなんだということに気付かされた。
資金がないことを理由に躊躇してはいけない。この信念が、同氏の発想と経営の原動力となっているのだ。
「自分で考えたものが製品になって売れた時。人生でこんなに嬉しいことはないね」
これがモノづくりの醍醐味だと、村上氏は発明家の顔を見せた。
世界を相手にする知恵と技術でナンバーワンであり続ける、葛飾のエジソンが見る日本の製造業には、「知恵」という底力があるという。
日本のモノづくりの再生は、村上氏が率いるような、技術革新と発明にひたむきに向き合う、下町の工場が再び牽引していくのかもしれない。
●プロフィール
村上英一(むらかみ・えいいち)氏…株式会社アツデン代表取締役。1951年6月生まれ。千葉県野田市出身。東京工芸大学短期大学卒業後、凸版印刷株式会社に勤めるも2年で退社。その後幾つかの事業を経て、1979年に製造業で起業。1996年に株式会社アツデンを設立、超音波流量計で業界のトップに君臨する。第40回発明大賞にて発明功労賞受賞。
エントランスに掲げられている看板
●株式会社アツデン
〒124-0012 東京都葛飾区立石5-7-10
TEL 03-5698-8684
◆2017年2月号の記事より◆
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