オビ 企業物語1 (2)

無尽蔵の映像コンテンツをバックアップ

特殊機材オペレーションとレンタルで、業界を席巻!!

◆取材:綿祓幹夫

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株式会社NKL 代表取締役 軽部進一氏(日本映画監督協会会員)

 

 

現在、世の中に溢れている映像は、19世紀末にリュミエール兄弟によって映写機が発明されてから、わずか100年余りの間にかなりの進歩を遂げてきた。特に技術的な進歩は機材によるものが大きい。

そんな映像の世界で特殊機材を駆使し、成長してきた企業がある。自身も映画プロデューサーや映画監督としても活躍する軽部進一氏が率いる株式会社NKLだ。

常に先見の明を活かしてナンバーワンの道を歩んできた、その経緯と今後の展望を伺った。

 

 

特機分野では、「父は創始者、息子は中興の祖」

映像の世界では近年、より高品質で多方面のコンテンツへのニーズが高まり、質・量ともにますます充実した展開が見込まれるようになってきた。特に品質の面で黒子的存在でありながら大きく貢献しているのが、特殊機材と呼ばれる分野だ。

東京・府中に本社をおく株式会社NKLは、その代表的な存在として映像業界の中で名を馳せてきた。

 

もともと現社長を務める軽部進一氏の父親・軽部進氏が日活撮影部に勤務し、カメラを移動させる機械を編み出して移動効果部を立ち上げことが原点となる。

進氏は試行錯誤して、国産のクレーンや車を改造した移動車などの特機(特殊機材、以下同)を創りあげたパイオニアだ。その後、映画産業の斜陽による日活の倒産に前後して、エヌ・ケイ特機という会社を独立させた。

 

「父は『特機の技術をそのまま埋もれさせてしまうのはしのびない』という思いだったのでしょう」と話す軽部氏。また氏もただ父親の業績を引き継ぐだけの2代目とはひと味違う道を歩んできた。

 

「私は当初、留学先のアメリカで父の会社とは全く別の撮影技術の会社を設立しました。仕事を始めたのが19歳の時で、法人化したのが21歳の時です。当時の私の立場では、法人化するのにいろいろと高いハードルをクリアしなければならなかったために時間を要しましたが」

 

学生時代にベンチャー企業を立ち上げたのだ。事業内容に映画関連をセレクトしたことは、映画人の父親から引き継いだDNAによるものなのかもしれない。

シアトルという地方都市で1989年から約3年間に渡り、ほかにはない特機をリースする、日本からの海外ロケなど撮影に関する諸問題をカバーする、といったビジネスに従事した。

 

「アメリカと日本の映画産業を見比べてみた時に、撮影技術にあまりにも違いがありすぎて驚きました」

 

当時の日本の特機は大手の重工業会社に依頼してつくったり、既存のクレーンを改造したものだった。アメリカでは小型で軽量のタイプがいくつもある。

 

「日本人は優れた感性を持っているのだから、『要は武器があれば、欧米に対抗できる映像が撮れるのではないか』と思いました。日本にはない特機を導入して技術者が触発されれば、特機自体もいいものができる。

その先にはもっと素晴らしい映像作品だってできるはずだと」

 

さっそくアメリカの特機を日本の映像業界に売り込んだが、なかなか上手くいかない。日本側が最初の一歩を踏み出すにはあまりにも情報が少なすぎたのだ。

そこで軽部氏は父親に相談した。

 

「アメリカでは日本よりもずっと進んだテクノロジーがある。それなのにどこも使うことをためらっているので、パイオニアであるエヌ・ケイ特機で導入してもらえないだろうか。

彼らは日本市場を狙っているから、費用もかからないように交渉する、だからまず1台入れてくれ」と。

 

結果はOK。この時点で導入されていなかったら、「日本の映像産業は技術的にも創作的にも、欧米から10年は遅れをとっていた」と、当時の父親の英断を振り返る。

 

 

新規の市場を開拓して、実績を上げる

アメリカで起業した学生ベンチャーは、軽部氏の大学卒業と同時に、日本での起業へと展開する。社名はアメリカでのものを日本語表記した有限会社ケーアンドエルモーションピクチャーで、業務内容も特機のリースをメインとした。

 

だが、仕事の相手先は父親の会社と競合する映画やテレビではなく、特機が使われることのなかったCMやコンサートという、全く未知の分野に目をつけた。

今ではコンサートで特機を使うというのは当たり前になったが、その先駆者となったのだ。

 

「映像世界の中で特機というのは嗜好品みたいな部分があるんですね。酒やタバコのように。あれば楽しいし、いい映像が撮れる。でもなければないでそれなりに映像は撮れてしまう。

おいしい酒は飲みたい、アメリカのものは合わないし高いけれど、それを日本に合うビールレベルにしたい」

 

そうした志向を突き詰めてきた結果、日本人に向けた使いやすい特機の導入や開発ができた。クリエーターの発想の幅も広がってきた。さらに彼らの欲求に応えられるものを提案したりもしてきた。

2008年には父親の会社のエヌ・ケイ特機も引き継ぎ、映画やテレビ分野でも同様に新しい特機の開発や導入を積極的に押し進めた。

 

「新しい特機をまず導入してもらう。使い方を説明して、使った結果がどうなるのかを具体的に見せる。そうしたことを積み重ねて、その機材を使うのが当たり前になっていく」

 

映像の世界で、軽部社長のやり方が浸透していった。

 

nkl_02(写真左から)株式会社NKL社屋全景/撮影用機器が所狭しと並ぶ機材庫/撮影可能なスタジオも併設

 

 

人材育成と人材の掘り起こし

NKLではあらゆる映像制作に必要な撮影機材、クレーン、ドリー、カメラ用のリモートヘッド、イントレ、降雨関係、送風機、スモークマシンなどといった特機のレンタルや開発だけでなく、

特機を扱う専門のオペレーターの提供も行っているため、当然ながら人材育成にも力を注いでいる。

 

「どんなに良い機材があったとしてもそれを扱う人間が、貪欲に学び向上していこうと思わなければ、その機材はただの鉄の塊ですよね。

特機はどのように動かしたらいい画が取れるか、登場人物の感情を引き出すためのアングルが取れるか、それを使いこなすためにはやはり人間の力が必要ですから」

 

nkl_03特機講習会の様子

同じカメラを持っていたとしても、撮影する人間に感性がなければ傑作は生まれない。その理屈通りで、どんなに優れた機能を持とうとも、どんなに高価な機材であろうとも、使う人が使いこなせなければ意味がない。

たとえば今までは5年かけて育成してきたキーオペレーターを、プログラムを練り上げて3年間の育成期間に短縮した。

短縮したことで実践に役立つ人材を早く確保でき、多くのクライアントの要望にも応えやすくなった。実際に指名されるオペレーターも増えてきたという。

 

「女性のオペレーターもかなり増えてきました。映像業界でしかも技術畑というと男性社会と思われがちですが、わが社の採用基準では性別や国籍は問わないし、その人のやる気と感性に重きを置いています。

機材自体もテクノロジーの進化により性能もよくなり、軽量化もされていますから、女性にも可能性の門戸を開いております」

 

さらに将来を見据えて後身を育てることにも注力する。映像などの専門学校に出向いて定期的に特機の講座を開催しているのだ。

これまで監督やカメラマン、照明マンなど業界の中でも花形職業にスポットが当たりがちで、特機への関心は希薄だった。だが特機講座で基本的な使い方を学び、実際に体験すると、

 

「特機は確かに黒子で、あまり知られてない。ところが目の当たりにし触ってみたりすると興味が湧いて、花形職業への志望ではなく特機を志望する人も出てきています」

 

学生の卒業後の進路に結びつけることに成功している。

 

 

撮りたい人がいる限り、映像業界は広がる

従来の映画・テレビ番組やCM、企業PRや商品のPVなどに加え、インターネット向けの映像・動画配信など、多種多様なメディアで映像が氾濫している現在。

 

「この氾濫を、私はいいことだと捉えているのです」

 

確かにスマホなどを使えば誰でも簡単に映像を撮ることができ、誰でも発信ができる時代だ。YouTubeに映像をアップして稼ぐ人も出ている。

 

「自分で映像をつくっている人たちの中からはいずれ、よりクオリティーの高いものを撮りたいと思う人が出てくると思います」

 

それだけでは終わらない。すでにYouTubeで稼いでいる人たちの中には制作会社を使っているという事実がある。

 

「彼らは次に特殊な機材を使うことを考えるわけです。もちろんこちらからもアプローチし始めています。だからマーケットはどんどん広がっている。映画産業が凋落していくところに一般の方は目が行きますけれども(笑い)」

 

それはCMの世界でも同様だという。テレビで流すCMの製作は少なくなってきているが、ウェブCMは伸びている。

以前は映像の圧縮技術が未熟で、止まったり画像が荒かったりして精度は良くなかったが、技術が進んだ今では全くそうした心配がなくなった。

 

「とにかく映像を撮って売れればプロですから、これまでの私自身のプロ意識やプライドは捨てて、『自分の映像をもっと売りたい、もっと面白いものを撮りたい』と考える新たなプロの人たちのための組織体をつくっていきたいと考えています」

 

そのためにもまずは地固めだ。50人あまりの社員が誇りを持って働けるところ、社員の生活の安定と向上を目標とするのは当たり前だ。

社員が働きやすい会社でないと顧客サービスはできないし、クオリティーも上がらない。

 

「もちろん『社員が伸びないと、会社は伸びない』と考えています」

 

ひとつの技術ばかりに固執し社員や企業の環境整備をないがしろにして疲弊する、昨今の中小零細経営者には反面教師となるような若々しいリーダーである。

時代の趨勢を見極め、基本理念をしっかり胸に抱いて飛躍する姿に、大いに期待しよう。

 

 

オビ ヒューマンドキュメント

●プロフィール

軽部進一(かるべ・しんいち)氏…1967年東京生まれ。ワシントン州立大学卒業。1988年米国法人K&L Motion Picture,.Incをワシントン州シアトルに設立。1991年日本法人有限会社ケーアンドエルモーションピクチャーを設立、1994年株式会社ケー・アンド・エルに組織変更。2008有限会社エヌ・ケイ特機(1980年、父・軽部進氏創業)の代表取締役就任。2009年株式会社エヌ・ケイ特機に組織変更。その後M&Aを重ね、株式会社エヌ・ケイ特機と株式会社ケー・アンド・エルを株式会社NKLに統合。映画プロデューサー、映画監督としても活躍。

 

●株式会社NKL

〒183-0005 東京都府中市若松町2-30-5 NKLビルディング

TEL 042-358-0777

http://www.nkl.jp/ 

 

 

◆2016年09月号の記事より◆

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