オビ 企業物語1 (2)
時代のニーズと伝統の狭間で有田焼の老舗窯元220年目の挑戦 

株式会社華山/代表取締役社長 山本大介氏

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株式会社華山/代表取締役社長 山本大介氏

多くの伝統工芸産業が衰退の道を辿る中、その活路を海外へ見出す企業が増えている。しかし、220年の歴史を誇る有田焼の窯元・株式会社華山はあえて国内での販路拡大に挑み、成果を上げている。11代萬右衛門・山本大介氏はメーカーだからこそできる〝御用聞き〟とは違う〝モノづくりの営業〟があるという。同氏が歩んだ紆余曲折の道から伝統工芸産業が元気を取り戻すヒントを探る。

 

老舗の歴史に幕を下ろす危機

 寛政8(1796)年、鍋島藩の藩窯として創業したことから華山萬右衛門窯(現・株式会社華山)の歴史は始まる。同社には鍋島藩御用達認定の鑑札や御用細工場であったことを示す高札などの歴史的資料が現存する。それは代々の当主・萬右衛門が生み出す繊細かつ豪華な有田焼が鍋島藩主をはじめ、当時の人々の心を魅了したことの証である。

 

 近年になってからも宮家からご用命を賜るなど、その歴史の重みとブランド力は誰の目から見ても明らかであり、一見すると同社の経営は揺るぎないものに映る。しかし、事はそんなに単純ではない。「もう会社を畳んだほうがいいんじゃないかと考えた時期もありました」と語るのは11代萬右衛門・山本大介氏だ。

 

 1990年代以降、国産陶磁器の需要は低下傾向にあり、有田焼もその例に漏れない。原因としては海外から安価な陶磁器が輸入されるようになったことに加え、日本人の生活スタイルの変化、旅館や料亭など和食器を扱う業種の低迷などが挙げられる。

 「ピーク時には従業員が200名いました。それが今では30名です。日本は〝物不足の時代〟から高度経済成長期を経て〝物余りの時代〟に変遷しました。消費者の趣向も多様化し、焼き物自体が売れなくなったのです。このままいけば、200年以上続いた窯元の歴史が私の代で終わってしまう、そんな不安を覚えました」

 

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有田焼発祥の地

 

会社を守る最後の砦として

 有田焼の窯元といっても家内工業的に数名の従業員でやり繰りをしている企業も多い。しかし、同社のように規模がそれなりに大きければ、やすやすと看板を下ろすことも難しくなる。それは守るべき従業員がいて、守るべき継承して来た伝統技法があるからだ。

 「近年では有田焼も機械化により大量生産をする潮流があります。しかし、当社では有田焼の原点である手作り手描きを守り、その技術を大切にしてきました。本当の意味での有田焼というのは陶土の成形や絵付けなど、各工程において熟練の技を身につけた技術者がそれぞれの持ち場でそれぞれの力を発揮し完成させるものです。そうした分業体制を維持するためには30名の従業員が最低限度であり、これ以上、社員を減らしてはいけないと踏み止まりました。会社を守る最後の砦として、死に物狂いでさまざまな企業に営業をかけましたね」

 

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有田焼の特徴である赤・黄・グリーンなどの色を付ける「赤絵」の工程

 

〝御用聞き営業〟から〝モノづくりの営業〟へ

 佐賀県有田町で生まれた有田焼は1616年が誕生の年と言われる。今からちょうど400年前のことである。豊臣秀吉の朝鮮出兵時に佐賀藩主・鍋島直茂によって連れ帰られた朝鮮人陶工が有田泉山で良質の陶石を発見し、日本で初めて白磁の焼成に成功したことで、その歴史は幕を開けた。1650年代になると有田焼は伊万里港からヨーロッパ諸国へ輸出されるようになり、国内ばかりか国外においてもその知名度を確固たるものにしていった。しかし、こうした歴史の重さは時として旧態依然とした体質を温存しやすく、企業を時代の流れから取り残す危険をはらんでいる。

 

 「それまでの有田焼の営業といえば、いわゆる〝御用聞き営業〟でした。九州の片田舎で『有田焼でございます。11代続く窯元です』といくら声を張り上げても、今の時代、誰も見向きもしてくれません。こちらから出向き、頭を下げ、とにかく自分の足で稼ぐ営業に徹しました」

 当然、門前払いにされることも多かった。あるいは、やっとの思いで成果に結びついたとしても盤石な営業基盤を持った商社との価格競争に巻き込まれてしまうこともあった。

 「契約に漕ぎ着けても面白さを感じませんでした。価格競争だけが契約を勝ち取る手段ならば、モノづくりのメーカーとして今後は伸びることもなければ、伝統を守る意味さえもないのではないかと悩んだほどです。それこそ早く会社を畳んだほうがいいとさえ思いました」

 

 そこで同氏は2011年、しがらみの多いこれまでの商流や物流とは関わりのない分野へ足を踏み出す決意をした。例えば、チェーン展開をしているような飲食系企業へのアプローチだ。

 実は同氏の〝足で稼ぐ営業〟には販路拡大とは別の側面もあった。それは「新しい出会い」の創出である。成果に結びつくか否かに関わりなく、チャンスがあればさまざまな人や企業を訪ね歩いた。そうした中で巡り合った人物の助言が同氏の営業スタイルを変えるきっかけとなった。

 「それまでは商品カタログを持って『有田焼はいかがですか』と声をかける営業方法でした。そんな私の姿を見て、その方は『あなたはモノづくりの営業をやっていない』とおっしゃったのです。商品その物には自信がある。でも、思うような成果が出ない。それならば、商品や会社の差別化を図るだけでなく、営業スタイルも競合に対して差別化しなくてはいけないことに気づかされました」

 

 それ以来、相手の話をじっくり聞くようになったという。そして、その企業が何を求め、何を必要としているのかを把握し、それが既存の商品でまかなえないのであれば新たな商品開発を提案するようになった。それは窯元だからこそできる〝モノづくりの営業〟だった。

 「私が常に思っているのはWIN-WINの関係づくりです。当社の商品の売り上げだけが伸びればいいわけではありません。お客様の求める焼き物をつくり、その焼き物を使ってお客様が売り上げを伸ばす。そうした考えのもとで営業をするようになってからは契約が決まる確率が高くなりました」

 

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職人によるロクロ成型

 

斜陽化する伝統工芸産業と高まる日本文化へのニーズ

 新たな営業スタイルは世間が有田焼に抱くイメージを知ることにも繋がった。それは有田焼の持つ伝統やブランド力が必ずしも武器とはならず、むしろ販路拡大の障壁になっている事実だった。

 「有田焼と聞くと皆さん『そんな高級な器なんて滅相もない』とおっしゃるんです。つまり、興味がないから買わないのではなく、価格が高いイメージがあり、手が出せないと思い込んでいるのです。もちろん輸入物の安価な陶磁器や大きな商社が手がける焼き物と価格競争をすれば、当社は原価的に負けてしまいます。しかし、窯元が直接手がけるからこそギリギリのコストであっても質の高いオリジナルの有田焼を提供することが可能になります」

 

 そうして実を結んだひとつが喫茶店チェーンを展開するコーヒー会社のコーヒーカップだった。有田焼の特徴である透光性のある白磁にオリジナルのデザインを施したカップを提案するとお客さんは喜んだ。そのとき、同氏は伝統工芸産業の需要が低下傾向にあったとしても、日本文化そのものは多くの企業が求めているという手応えを感じた。折しも2020年には東京オリンピックの開催があり、ここ数年、日本の歴史と伝統を重んじる風潮も営業を重ねる中で感じている。

 

 グローバル化が進む昨今、斜陽化する伝統工芸産業が海外に活路を見出す話を耳にするようになった。しかし、同氏は国内においてもまだまだ販路は拡大できると考えている。事実、これまで輸入物の陶磁器を使用していた大手飲食チェーン店と先頃、契約を結び、現在、打ち合わせを重ねている段階だという。

 

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素焼き焼成

 

伝統を学びアレンジするスキル

 有田焼には古伊万里、柿右衛門、鍋島藩窯の三様式があり、ヨーロッパの王侯貴族の好みに合わせた物から国内向けにつくられた物まで意匠や絵柄が多様であるのが特徴だ。つまり、本来、有田焼はその時代時代やそれぞれの地域のニーズに応えてきた焼き物なのである。

 「有田焼が今のような伝統工芸産業となる以前、先人の陶工たちは有田焼の本質を学び、それをいかにアレンジするかという挑戦をやってきたのです。だからこそ、400年もの間、廃れることなく続いてきました。ところが現代の我々は伝統の名の下、先人の技術を踏襲し、そのままの形で右から左に商品を提供してきました。それでは今の市場から受け入れてもらえないのは当然です。お客さんの話に耳を傾けると、例えば、今の時代はシンプルな器が求められていることが分かります。我々はもっとお客さんの要望を熟知し、有田焼の本質を学び、シンプルな器なら器でワンポイントでもいいから我々にしか描けないデザインを提供できるようなスキルを磨かなければいけないと考えています」

 

 伝統とは単なる時間の積み重ねではない。時代のニーズに応える力と確かなものを作り出す技術とが融合した結果、生み出されるものだ。同氏は220年の伝統の上にさらなる伝統を積み重ねるため、今日も新しい出会いと挑戦を求めて奔走する。

 

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本窯に入れる前に釉薬をかける工程

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山本大介(やまもと・だいすけ)

1957年、佐賀県西松浦郡有田町生まれ。武蔵大学を卒業後、経営コンサルタント会社勤務を経て、1981年、株式会社華山に入社。1992年、11代萬右衛門を襲名、代表取締役として現在に至る。

 

株式会社 華山

〒844-0007 佐賀県西松浦郡有田町白川2-1-12

TEL 0955-42-3171

http://aritakazan.com/

従業員数:30名

 

◆2016年5月号の記事より◆

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