株式会社サンエー物流 – 物流業はコスト削減の徹底が生き残りの道
株式会社サンエー物流 – 物流業はコスト削減の徹底が生き残りの道
◆取材:綿抜幹夫 /撮影:高永三津子
68歳、再び最前線へ!
東京都三鷹市に本社を置く株式会社サンエー物流。2012年には八王子に3000坪の新倉庫が落成、三鷹センターと合わせて140名を抱える。
山崎正英社長は、個人のトラックドライバーとしての創業から、一代で現在の同社を築いた人物だ。
株式会社サンエー物流/代表取締役 山崎正英氏
◎倉庫での働きを買われ起業
■大学を中退し自動車整備工へ
1947年、東京都田無市(現・西東京市)に7人兄弟の末っ子として生まれた同氏。「9名の大家族ですから決して楽はさせてもらえませんでしたが、かわいがられてのんびりと育ちました」と振り返る。中学・高校を卒業後、青山学院大学に入学するが、「早く商売をやりたかった」と大学を中退する。
「高校時代の友達は、みんな商売をしてお金を持っていたんです。我が家はサラリーマン家庭で貧乏だったこともあって、大学卒業を待たずにすぐ商売を始めようと思ったんです」
■個人での創業
「自動車が好きだった」という同氏、大学中退後まずは整備士になるための訓練所に通い2年ほど整備士として働いたのち、整備業務のフロント職へとキャリアアップ。大きな転機となったのは22歳のときだ。夫人との結婚を機に、知人から青ナンバー(一般貨物自動車運送業、営業ナンバー)を借り、自身で4トントラックを購入、個人でトラックドライバーの仕事を始める。出来高払いのフリーランスという身分のため、少しでも多くの仕事をしようと、道路の空いている深夜2時3時に起きる生活だったが、「当時は苦労とも何とも思わなかった」と振り返る。
やがて、トラックドライバーとして大手商社の子会社であるアパレル会社から仕事を請けるようになった同氏。クライアントのアパレル会社は、それまで使っていた大手運送会社に対して「動きが遅くて小回りが利かず、土曜日も休んでしまう」など不満を抱えていた。一方でフリーランスの同氏は、納品が終わり次の積み込みまでの空き時間にも、「フラフラしていてもしょうがない」と無償で中の仕事を手伝っていたという。同氏のこうした働きを見ていたアパレル会社から話を持ちかけられ、会社を起こして契約することになる。これが30歳のときだ。
■設立後のあゆみ
こうした経緯で、同社のあゆみは1977年、アパレル会社との取引から始まった。やがて、西武系のブランド『ポロ─ラルフローレン』との取引が始まり、大きく利益が上がったことをきっかけに会社を「サンエー」「サンエー物流」の2つに分けたのが1992年のことだ。現在では、再び商社系の仕事をメインに手がけている。
1992年に分社して設立した会社と、大手商社が新しく作った倉庫はともに茨城にあった。その後10年ほどでその大手商社の倉庫が茨城から東京に移転したため、これに追随し同社も東京に戻ってきた。このころからアメリカのファッションブランド『J.CREW』の仕事をはじめ、この取引が伸びていく過程で、三鷹から八王子に倉庫を新設。一時は6000坪の倉庫に300人あまりの従業員を抱えるまでに成長した。
アパレル商品を取り扱うため、金属(針など)をセンサーで探知する機械を導入。
写真下は、空港などで使われるような、検針機よりも精度の高い金属探知機。
◎物流はコスト削減が至上命題
■ムダを省く
ブランドビジネスは、商社が海外ブランドとロイヤリティー契約を交わし、代理店として日本で販売する仕組みだ。日本での販売代理店契約が終了したり、他の会社に変わったりすれば、同社のそのブランドの仕事はなくなってしまう。ひとつのブランドのブームは、およそ10〜15年。代理店契約が変わることは、業界では日常茶飯事だ。
2012年には、八王子市内にある3000坪の新倉庫「(新)八王子センター」に移転、1280坪の三鷹センターと合わせて、現在約140名の従業員が働いている。時代の変遷の中で、ここ10年ほど同氏が重視しているテーマは「ムダを省く」ことだ。人のムダ、道具のムダ、場所のムダ……。たとえばトヨタ自動車の生産方式は、工場内での人の歩き方ひとつから、徹底してムダを省いていく。物流企業が生き残るには、コスト削減が必須。ムダを少しでもなくす努力が、企業の生き残りを左右する。
■正社員比率の削減
同社が取り組んでいるムダ削減のための施策のひとつが「従業員のパート化」だ。今日の社会経済状況を受け、コンビニやスーパーでも、社員率を下げて人件費を削っている。物流の世界も例外ではなく、これまで10円だった仕事が8円でなければできない状況だ。人件費にメスを入れることも、ムダ削減に有効な選択肢であることは間違いない。約140名の従業員のうち、正社員は23名という現在の同社。今後はアルバイトやパートを増やし社員率を下げる改革を進め、社員比率10%以下が目標だ。
とはいえ、同氏にはリストラをするつもりはない。正社員という立場なのであれば、パートやアルバイトと同じ仕事内容ではいけないということだ。人を使い、頭を使うのが社員の仕事。値札付けなどの単純作業ではなく、情報収集や営業活動など、社員は社員なりの仕事をし、それに応じた待遇を受けるのが、本来あるべき形だ。同社では、契約社員など雇用形態の選択肢も増やし、従業員一人ひとりに見合った立場と待遇と与えていくという。
■「物流のUNIQLO」を目指す
同社の企業戦略は「物流のUNIQLOを目指す」というもの。その心は、「まずコスト競争に勝つ」ということだ。コストを追わずに品質の向上に努める考え方もあるが、質とコストを同時に追求することは難しい上に、現在の社会状況ではたとえ品質を上げたところで、すぐさまクライアントが飛びついてくる可能性は低い。となれば、特別な技術など目立った武器のない中小企業には、やはりコスト削減が唯一の道となる。
UNIQLOしかり、ニトリしかり、伸びている会社は、みな最終的にはコストで勝っている。競争原理の中で勝ち残ってきた会社は、質を落とさずにコストを落とすことに成功しているのだ。一定の質を維持しながらコストを下げる、そのためにも、小さなムダのひとつひとつから、徹底してなくしていくことが必要だ。
「一時は、年始の挨拶でも『物流のUNIQLOを目指そう』と言っていました。やらなければいけないことは、たくさんあります。倉庫の中だけでも、荷物や台車の置き方、それから人の動きも、走れとまでは言いませんが、『小走り感覚』のようなものをもっともっと意識付けしていかなければなりません」
検品の様子。
◎68歳、ふたたび陣頭指揮
■70歳までは
現在68歳の同氏。70歳までの今後2年間は、ふたたび現場の先頭に立って陣頭指揮を執るつもりだ。すでに事業運営をある程度任せていたが、もう一度現役に戻り、業務のすべてを見直すという。取引先も、従業員も、すべて白紙の状態から見直した上で、改めて社の将来を考える。後継者についても、社内から指名するか、社外から招聘するか。M&Aも含めてあらゆる選択肢を視野に入れた上で、「2年間は初心に戻って頑張ろうと思っています」と語る。
■「人生、なるようにしかならない」
今後2年間に決意と覚悟を滲ませる同氏だが、実は自身の性格を「のんき、のんびり」と表現し、「あまり欲をかいて仕事をしてこなかった」と振り返る。自身ではそこが欠点でもあるとし、「のんきに反省ばかりしている人生」とまとめるが、当然ながら一番の長所もその人柄ということになる。同氏の座右の銘は、「人生、なるようにしかならない」というもの。実はこれは、夫人がよく使う言葉だという。開き直りの意味ではなく、やるべきことをした上で気持ちを楽にしてくれる魔法の言葉として、同氏自身も大切にしている。
■日々前を向いて
30歳で同社を設立した同氏。今後の同社運営の区切りと定めている70歳は、設立40周年の節目でもある。個人でトラックドライバーとして創業してから数えれば40年以上にわたって、運送・物流の世界に携わってきた。
「毎日前を向いているだけですから、あまり先を想定してということもありませんでした。毎日毎日の連続でここまで来て、振り返ってああだったこうだった、ということもあまりないんです。もちろん、反省の繰り返しですし、これからも含めてこれでいいと思ったこともありませんが、地味な仕事を毎日コツコツ繰り返してきて、気づいたら30年、40年経っていたというのが正直な気持ちです」
建屋内に撮影スタジオが3セットあり、カメラマンの社員もいる。
トルソーに着せた服や、靴やバッグの小物も撮影が可能。
◇
社内改革に向けて、最も重視しているのは実は個々の施策ではなく、従業員に「伝える」ことだと語る同氏。そのための勉強を続けているという。海外進出などの派手な事業展開をしてこなかったように、その堅実さこそが同氏の強みだ。経営者の器は「人間力」の一言に尽きる。あと2年、同氏の人柄が同社をどう動かすだろうか。
プロフィール
山崎正英(やまざき・まさひで)氏
1947年、東京都田無市(現・西東京市)生まれ。
1978年、株式会社サンエー物流設立。代表取締役。
株式会社サンエー物流
〈本社・三鷹センター〉
〒181-0014 東京都三鷹市野崎3-23-10
TEL 0422-31-5125
〈八王子センター〉
〒192-0011 東京都八王子市滝山町1-208-1
TEL 042-696-5075
◆2016年2・3月号の記事より◆