第一港運株式会社 ‐ 東京港から日本を支えて68年・コンテナターミナル事業で物流の明日を変える
第一港運株式会社 ‐ 東京港から日本を支えて68年・コンテナターミナル事業で物流の明日を変える
◆取材:綿抜幹夫
1947年創業の第一港運株式会社。現在はコンテナターミナル事業を主力とし、経済状況の煽りを受ける祖業・海貨業では海外進出に活路を開く。上場を視野に入れず、人材育成を軸に組織づくりを重視する堅実経営の生え抜き社長に聞いた。
◎第一港運株式会社の歩み
■第一港運株式会社・沿革
1947年、見山菊也氏によって設立された「清洲運輸株式会社」が同社の前身だ。設立時の資本金は15万円、主として鉄鋼材の輸出入や貨物の海陸輸送及び保管を業務としていた。
やがて1967年、清洲運輸株式会社と千代田港運株式会社が対等合併、清洲運輸株式会社を存続会社として、商号を現在の「第一港運株式会社」に改称。併せて横浜営業所を新設し、資本金を8000万円に増資した。
1974年には東京港品川公共コンテナ埠頭に品川営業所を新設し、コンテナターミナル業務を開始。やがて2007年に本社社屋を現在の東京都江東区清澄に移転した。同氏の6代目社長就任は2012年だ。
■仕方なく引き受けた品川コンテナ埠頭
創業時は艀(はしけ)事業を営んでいた同社。技術革新とともに艀が衰退していく一方で、1967年に品川コンテナ埠頭が開設。ちょうど清洲運輸株式会社と千代田港運株式会社が合併し、第一港運株式会社として新たなスタートを切った年だ。
この品川コンテナ埠頭、日本郵船グループが日本初のコンテナターミナルとして利用したものだが、大井埠頭内にコンテナ専用埠頭が完成したことを受けて、日本郵船はそちらに移ってしまう。後を引き受けたのが、同社を含む5社ほどの港運会社だった。
その頃は、コンテナリゼーションの黎明期。海のものとも山のものともつかないコンテナを引き受けることになったのは、見山菊也氏が「東京港運協会」の協会長を務めていたからだ。同氏は「協会長という立場から、仕方なく引き受けたところもあったと思います」と想像するが、コンテナターミナル事業は現在の同社の柱。結果を見れば、見山氏には先見の明があったと言って良い。
■コンテナターミナル
品川コンテナ埠頭内に品川営業所を新設し、同社がコンテナターミナル事業を始めた4年後の1978年に、同氏が入社している。そのころすでに日本は海運王国と言われていたが、同氏の実感としては、コンテナ事業はそれほど盛況ではなく、コンテナヤードにも空きが多かったという。
同社のコンテナターミナルには、台湾航路の船が週1便。20フィートのコンテナを120本積める、規模としては小さな船だったという。この船が2隻で毎週1航海、台湾の基隆(キールン)、高雄(カオシュン)と東京、大阪を結んでいた。主な貨物は台湾からはシナチクなどの食料品、衣料品、日本からはカラーテレビなどの電化製品が多かった。日本の高度成長期まっただ中の当時は輸出の方が多く、東京港での荷積が40〜50本だったという。
同氏が「ぼちぼちだった」と形容する入社時のコンテナ事業だが、翌1979年に状況が一変する。世界でも5本の指に入る台湾のコンテナ船会社、「エバーグリーン・ライン(長栄海運)」とターミナル業務契約をしたことをきっかけに急成長。毎年10%ほど伸びたという。
産業全体を見ても、製品をきれいなまま、安全に運べるコンテナリゼーション業は目覚ましく成長し、今日ではコンテナに入るものならありとあらゆる貨物がコンテナ化され、運ばれている。
◎海外拠点の立ち上げ
■国内の製造業を取り巻く状況
順調なコンテナターミナル事業の一方で、祖業である海運貨物取扱業、いわゆる「乙仲業務」に関してはそうではない。バブル崩壊やリーマンショック、急激な円高などで、主な顧客であるメーカーが立ちいかなくなってきたのだ。
彼らの多くが、進出というよりも落ち延びるように、次々と海外に出ている。輸出入業者を文字通り「水際」でサポートする同社は、外国貨物を扱ってはいても、紛うことなき国内産業。古くからのクライアントも海外に出て行き失注してしまうなど、同社の周りからマーケット自体が消えつつあるのだ。
■韓国やインドネシアに進出
こうした状況を受け、クライアントに着いていくような形で同社もアジアへ進出。まずは2011年、韓国の釜山新港に日韓企業4社合弁の倉庫「BUSAN GLOBAL DISTRIBUTION CENTER(BGDC)」を建設するとともに、同所に駐在事務所を開設した。続いて2013年には、海外事業部を新設するとともにインドネシア・スラバヤに全額出資の現地法人(PT.DAI ICHI KOUN INDONESIA)を設立、翌年には現地法人
PT.DAI ICHI KOUN INDONESIA梱包センターが完成、業務を開始している。
■インドネシアで100%出資会社設立の裏話
インドネシアでの会社設立には、こんな裏話がある。まず、進出の経緯はこうだ。同社のクライアントのとあるメーカーがインドネシアに進出、スラバヤに工場を作ることになった。
将来的にはこちらに主力を移し、国内の製造は徐々に減らしていく方針だ。そうなれば、国内で同社が請け負っている仕事も減ってしまう。そこで、それまでの仕事をスラバヤで同じように請け負うことを提案。メーカーとしても、日本で長年発注してきた信用のある同社に任せることはやぶさかではない。
こうしてインドネシア進出を決めたが、実は東南アジアなどの新興国では、外国資本のみでの会社設立をなかなか認めない。特にサービス業においては、現地資本を51%以上は入れることが定められているケースが多いが、インドネシアでは特例的に「インフラを伴う製造業」であれば、外資100%での会社設立が認められる。
同社もこれを利用し、「メーカーのサービスの中で製品の梱包も行っている」として「梱包」を主力事業と定め、さらに、単なる梱包ではサービス業にあたるため「梱包枠の製造」を行うマニファクチャラーとして会社を作ったのだ。
◎上場志向なし、人材を育てる組織づくり
■売上の6割がコンテナターミナル。海貨業は海外進出でテコ入れを
現在、同社の主力事業はコンテナターミナルで、売上の6割を担っている。残りの4割が輸出梱包なども含む物流、海上貨物取扱業だ。また、東京港では日本貨物取扱量の首位を17年以上守っており、同社のターミナル事業もそれに伴い右肩上がりに前年比増を続けている。
一方の海運貨物取扱業に関しては、バブル崩壊やリーマンショックを受け、クライアントの海外進出に伴う失注や、取扱料金の値下げなど、苦戦を強いられている。これへの対策として、すでに先に紹介した海外進出を始めており、また2015年には、今後の海外に向けた投資を見越して、1967年以来8000万円だった資本金を9800万円に増資、財政体質を強化している。
■今後は人材育成を重視
今後の経営について、同氏は上場については今のところ考えておらず、内部固め、特に人材育成に力を入れる構えだ。現在123名の同社。同氏は、優秀な者がきちんと評価される社内体制を整えたいと考えている。というのも、これまで、中小企業には優秀な人材が集まらなかった。悪く言えば、大企業の選考に漏れた者が中小企業に来るという風潮が、日本社会には少なからずあった。
しかし、そうした残念な状況も近年少しずつ変化し、同社にも、六大学などから応募が来るようになったという。同氏は「せっかく採用したからには、こういう人間を伸ばしていかなくては」と意気込みを聞かせてくれた。
■「たまたま入社」の生え抜き社長
1953年生まれの同氏。第二次オイルショックによる不況で、就職活動に苦労した世代だ。新卒採用を行っていなかった同社を知人から紹介され、「まあいいや、とりあえず紹介されたから行ってみるか」という程度の気持ちで面接に臨んだところ、その場で「いつから来られるの」と採用が決まってしまった。在学中だった同氏の返答は「待ってください、3月いっぱいは学生ですから、もう少し遊ばなきゃ……」というわけで、卒業を待って4月に入社。
当時の同社は社員数70〜80名ほど。品川コンテナ埠頭を引き継ぎ、そこの仕事が少しずつ入るようになってきたころだ。新入社員の同氏も、コンテナ業務を担当したという。こうして、海や船とは縁もゆかりもなかった同氏だが、ひょんなことから入社した同社で黎明期からコンテナ業務に携わった。「たまたま何かの縁で、この業界に迷い込んでしまった」と語る同氏だが、今日の同社の主力にまで育ったコンテナターミナル事業とともに半生を歩んできた。
◇
入社式では毎年「この中から将来の社長が出るんだぞ」と話しているという同氏。生え抜き社長の同氏だからこそ、優秀な者やコツコツと努力した者が正当に評価される組織づくりの重要性を知っている。
岡田幸重(おかだ・ゆきしげ)氏…1953年生まれ。青山学院大学卒業。1978年、第一港運株式会社入社。2012年より、代表取締役社長。
第一港運株式会社
http://www.daiichi-koun.com/
〈本 社〉〒135-0024 東京都江東区清澄1-8-16 第一港運清澄ビル
TEL 03-3642-3255
従業員数:123名
年商:46億円
〈支 店〉横浜・松山
〈営業所〉品川・大井・青海
〈海外法人〉
PT.DAIICHI KOUN INDONESIA(スラバヤ、インドネシア)
BUSAN GLOBAL DISTRIBUTION CENTER(釜山、韓国)
〈駐在事務所〉釜山(韓国)、ダナン(ベトナム)
◆2015年12月号の記事より◆
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