砂山靴下株式会社 ‐ 女性の美容・健康の悩みは「靴下」で解決!?
砂山靴下株式会社 ‐ 女性の美容・健康の悩みは「靴下」で解決!?
◆取材:綿抜幹夫 /撮影:高永三津子
砂山靴下株式会社/ 代表取締役 砂山直樹氏
─ 消費者ニーズの「裏側」まで徹底分析、新たな市場開拓へ ─
靴下はそもそも安定需要はあるが、 他のファッションアイテムに比べ価格は安い商品だ。 加えて現在国内で流通している靴下の内、約85%が輸入品。 海外の安価な製品との価格競争にさらされ、厳しい経営を迫られている靴下メーカーは少なくない。
そんな中、「肌着である靴下」から「女性の美容・健康の悩み解決グッズとしての靴下」に発想を切り替えたことで新たな道を切り開いた企業がある。
「砂山靴下株式会社」の3代目社長・砂山直樹氏に話を伺った。
創業当初からのファブレスカンパニー
砂山靴下株式会社の創業は高度経済成長期の中頃、翌年に東京オリンピックを控えた1963年のこと。場所は現在と同じ東京都葛飾区、創業者は砂山氏の両親で、親戚筋の靴下メーカーの後押しを受けての船出だったという。
設立当時は1階が事務所、2階が自宅という小さな会社で、砂山氏は後に2代目社長になる12歳年上の兄と共に両親の背中を見て成長。「母親の教育が上手だったのか、高校・大学を通して将来家業を継ぐことに何の疑念もなかった」というところから、大学卒業後他社で約5年間経験を積んだ後、1992年に同社に入社した。
設立当初から今まで変わらない同社の特徴は、工場を持たず生産は外部に委託するファブレスカンパニーだということだ。資本を人材やマーケティングに回せるという何よりのメリットを十分に活かし、人材の育成と独自のマーケティングに尽力してきたことが同社の現在につながっている。
量販店以外への販路拡大をめざして
ニーズを徹底的に掘り下げることで、女性の美容・健康の悩みに応えていく同社の商品群
しかし、創業以来50年あまりの年月はもちろん決して平穏に過ぎていったわけではない。1990年頃までは日本経済全体の成長の中で順調に売り上げを伸ばしてきた同社だが、当時の主力販売先は大手の量販店。
量が売れる反面、1点当たりの単価が安く価格競争も起こりやすい環境は、自社工場を持たない同社にとっては非常に不利なもので、早急な販売形態の変更が必要とされる状態でもあった。
そんな中、1994年に兄の正光氏が2代目社長に就任。販売形態変更の第一歩として通信販売に乗り出した。量販店の売り場に比べて、カタログ紙面上で作り手の思いや商品の機能を訴求できる方が付加価値が認められやすいのではないか?という仮説に基づく挑戦だったが、結果はなかなか厳しいもの。
新たな販売経路を確立するためには根本からマーケティング戦略を見直す必要に直面し、常務取締役として兄を支えていた砂山氏にとっても試行錯誤する日々が始まった。
ピンチをチャンスに変えた新たな需要の発見
常設のショールームには、心地よい生活を演出してくれる商品がズラリ
そうして1990年代も後半に入った頃、あるブームによって同社は思わぬ転機を迎えることになる。靴下業界を震撼させたその旋風の名前は「素足・生足ブーム」。この危機に靴下業界は業界をあげて靴下やパンストの必要性を訴えるキャンペーンを実施するが、なかなか功を奏さない。
そんな中、最初こそキャンペーンに参加していた同社だが「今のファッションには素足・生足の方が合っているし、これはもう仕方がない」と、いち早く白旗を掲げることにしたという。もちろんただ降伏したのではない。逆転の発想でこのピンチをチャンスに変えられないかと考えたのだ。
「どうせオンタイムは素足・生足で街を闊歩するなら、きれいで健康的な足になってくださいね、と。そのための家に帰ってからのケア、オフタイムの美脚作りは私たちが応援しますというスタンスで商品を出していったんです。これだけ素足・生足が増えたのなら、そういう需要も増えるんじゃないかという発想でしたね」と、砂山氏は当時を振り返る。
もともと靴下には汗を吸収して嫌な臭いを抑えたり、靴との摩擦を軽減するなどの役目がある。ならば素足・生足ブームの加熱と反比例して女性の足回りの悩みは増えるのではないか?との仮説に基づく行動だったが、これが消費者のニーズにはど真ん中のストライクだった。
ほとんど競合がおらず、足の臭いなどの悩みはこっそり治したいと願う女性の気持ちが通信販売と相性も抜群だったことも手伝って一躍大ヒットとなり、売上金と共に同社に大きな衝撃をもたらした。それまで肌着という位置づけでしかなかった靴下が、「女性の悩みを解消するケアグッズ」になりうることがわかったのだ。
「それまでの通販での失敗は、量販店での売り方が形を変えただけで、結局安いものしか売れなかったことにありました。しかし〝足のケアグッズ〟としての靴下に大きな需要があることが確認され、これでいってみようということになったわけです」
「肌着」から「雑貨」へ
女性にとっての悩みである「冷え」について学び、実践する(温める)ことで、自分や家族、社会環境をよりよい状態にしていく(育む)ことをコンセプトとした「温育」。衣食住を中心とした企業が共同で取り組む「温育プロジェクト」に同社も参加している
いくつかの商品のヒットを経て、2000年頃には「靴下という肌着ではなく、女性の美容・健康のお悩みを解決する雑貨を作る」方針は同社のベースとして確立、事業戦略の根幹になっていく。これは「量販店に変わる新しいマーケットの確立」という難題に対する答えでもあったという。
「まず考えたのは売り場を変えることで、それはすなわち〝肌着の延長線上の靴下をやめよう〟ということでした。肌着なら当然肌着売り場に置かれますが、たとえ靴下の形をしていても、靴下の編み機で作っていても〝雑貨〟なら売り場は変わってきますよね。
装飾語として〝健康〟や〝美容〟が付けば、バラエティショップやドラッグストア、通販でも美容・健康分野に進出できます。そうして売り場が変わることでお客さまが変わる、それにより価格帯も変わるであろうという仮説を立てて、〝雑貨+健康・美容〟をキーワードに新しいマーケットを開拓していくことにしたんです」
美容関連商品の購入には、その匿名性から通信販売が好まれるという追い風もあって、同社のこの戦略は成功。通販と専門店での取り扱いを順調に伸ばし、現在の割合は通販と専門店で約80%、量販店8%だ。
2代目社長の病死により砂山氏が3代目に就任した2004年からの売上高を見てもリーマンショックなどを乗り越えて増加しており、2014年には10年前の約2倍に達している。
消費者ニーズを掴むにはまず「コト」から
洗濯して繰り返し使用できる「花粉対策マスク」は同社イチ押し商品。外気側には機能性繊維アルゲンブロック®生地を、口側には2層構造のシルクを用いている
このような経緯はまとめてしまえば簡単に見えるが、実際に戦略の要となる「女性の健康・美容の悩みにダイレクトに刺さる商品」を作り出し、またそれを継続していくのはもちろん容易なことでない。ではなぜ同社はこの難題をクリアできたのか?
砂山氏によるとその1つ目の理由は、まず「コト」から始めるモノづくり体制にあるそうだ。
「商品を考えるには例えば〝最近よく眠れていますか?〟などニーズの背景にある困りごと、つまり〝コト〟を知る所から始めます。眠れないにもいろいろな原因が考えられ、足の冷えもあるかもしれないとなって、そこで初めて靴下という〝モノ〟が出てくるわけです」
商品開発に当たってはニーズの裏にある「コト」を徹底的に分析。「安いモノではなく売れるモノを作る」を合言葉に、時には専門家ともコラボして顧客のニーズをしっかり満たす「モノ」を作ることに集中し、靴下はもとより快眠グッズや花粉症対策マスクに至るまで幅広く手がけている。
また連続してニーズに合致したものを作るには、消費者が本当にほしいものを見誤らないこと、つまり、〝かかとをツルツルにするサポーター〟というアイテムがたくさん売れたとしても、消費者が本当にほしいのはアイテムではなく〝ツルツルのかかと〟という結果であることを理解しておくことも重要なのだという。
このような顧客のニーズにダイレクトに響くオリジナル商品の開発は、現代社会では非常に重要な意味がある。靴下業界では約20年前にルーズソックスが大ブームになったが、その時はたとえ数歩出遅れても結構売れる、いわば出涸らしのお茶でもおいしく飲まれていた時代だった。
だが現在はヒット商品が出れば情報がたちまち広まり「自称二番煎じ」が100人は続く時代。消費者にとってはよいことだが、2番で仕掛けたつもりが102番と同じでは話にならず、オリジナル商品でなければ勝負するのが難しくなっているのだ。
鍵はニッチ市場でのブランディング
「経営者の最大のミッションは企業を存続させること」と砂山氏。現在同社が取り組んでいるのはそのための企業のブランド化だ。だがそれはファッションブランドのように社名に高価な付加価値を付けることを目指すものではない。
「〝ホッカイロ〟や〝正露丸〟を作っている会社を知らなくても、どんな効果をもたらしてくれるのかはみんな知っていますよね。僕はそれが最高のB to Cブランディングだと思います。また例えば〝バンドエイド〟はジョンソン・エンド・ジョンソン社が製造している絆創膏の商品名ですが、絆創膏全般を指す言葉としても日常的に使われている。うちの商品たちがそういう扱いになれば、会社は絶対に潰れないと思うんです」
その点、消費者の困りごとや悩みを改善する美容・健康分野は比較的リピーターを得やすく、ブランディング向きだという。
「業界にはうちより断然大きな優良企業はたくさんありますが、名前を聞いて即座に〝ああ、あれだね〟というものはありません。〝かかとがガサガサでストッキングが破れて困っている人〟とかそういうすごくニッチな所からでいいので、〝SUNAYAMA〟と聞いたら〝ああ、あれね〟と消費者に認知されている、それだけの存在感と知名度があるものを作っていくことが現在の戦略の要であり課題です」
就任から11年。3代目社長のバイタリティ溢れる言葉を聞いた。
砂山直樹(すなやま・なおき)氏…1965年、東京都生まれ。1987年日本大学商学部を卒業後、クラレトレーディング株式会社での勤務を経て1992年に砂山靴下株式会社に入社。2代目代表取締役に就任した兄を常務取締役として支える。2004年に3代目に就任。現職。(一社)東京靴下工業会理事長、東京靴下工業組合理事長。
砂山靴下株式会社
〒124-0022 東京都葛飾区奥戸6-27-5
TEL 03-3692-0371
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